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2013年6月25日 (火)

「日本語の論理」 その16 ドイツ語はしつこい、日本語は舌足らず

「にほんごの論理」外山滋比古著 中公文庫 を読んでいます。

p76
「漢字の言語学」

言語についての常識を修正しなくてはならない・・・
われわれはそういうヨーロッパ生まれ、ヨーロッパ育ちの
言語学と文法を、そのまま日本語の上にかぶせた
のである。

ヨーロッパ言語と日本語のもっとも大きな差異は、前者には
漢字に相当するものがないということであろう。
仮名に相当するアルファベットだけで書かれている。

===>> 漢字のややこしさについては、日々悩まされて
いるとおりですよね。
それには漢字が中国から日本に渡ってきた時の
時間的及び地理的ギャップが関わっているので、今更
どうすることも出来ないのかもしれませんけど・・・

p78
われわれには名を呼び合うのを忌む気持ちが働いている
らしく、諱(いみな)というものをつくり
、どうしても
用いるときには本名をさけて、諱で呼ばれることを求める
くらいである。

===>> 諱(いみな)という言葉自体は聞いたことが
あるんですが、意味は知らずにいました。
いろいろと複雑な歴史があるんですね。

複雑というのは、諱が本名である場合と、別名の場合があるらしいということですが・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1

なぜ名前を使わずに「天皇陛下」とだけ日本では呼んでいたのか
という事情を初めてしりました。

実はフィリピンに来て、これで困ったんです。
明治天皇の諱は睦仁(むつひと)、
昭和天皇の諱は裕仁(ひろひと)、
平成天皇の諱は明仁(あきひと)なんですけど、
なぜかフィリピンの人たちはこの天皇の諱をよく知っているんです。

大家のお婆ちゃん(90歳ぐらい)が 「エンパラー・ヒロヒトは
元気か?」
とか、「今のエンパラーの名前はなんだ?」とか
聞いてきて、思い出せなくて困りました。

日本では 明治天皇とか昭和天皇とか呼ぶだけで、諱(=本名?)で覚える
ということがほとんどなかったんですね。

そこには理由があったんですね。
その本当の名前を声に出してはいけないという慣習があった
だから「いみな」と言った。

p79
仮名が漢字の発音でなくて意味をあらわしている、麦酒に
ビール、煙草にタバコと読ませるようなルビは、外来語の
処理としてもまことに心にくいものである。

===>> まあ、これは意味だからまだいいんですけど、
人名や地名なんて ま~~ず読めないですもんね。
漢字をどう読むかを知っているのは家族だけ・・・なんてね。

p80
大陸言語では外国語に対する緊張感がすくなく、外国語を
聞いてもあまり驚かない。

ところが、島国言語の中で育ったわれわれは外国語に対して
異常に敏感で、すこしわからないところがあると
コムプレックスをもったりする。

==>> フィリピンなんかは島国だけど大陸言語
みたいな雰囲気もありそうですね。
なんてったって公用語はフィリピン語(タガログ語)と英語、
その他に地元の言語が2~3はありますからね。

私がフィリピンで駐在員をやっていた時には、会社の中で、
食堂ではイロカノ語や他の地元の言語、会議に入ると
普通はタガログ語、その会議に外国人が一人でも入ると
みんなが英語に切り替えるというあんばいでした。

p80
「島国言語と冗語性」

日本語は論理的でないという命題が正しいか・・・・

島国言語の特色のひとつは、相手に対する思いやりが行き届いて
いることである。

p81
ヨーロッパの言語や文法の考えに馴れた人たちから見ると、
いかにも不明瞭である。

(一人称について)相手との心理的距離、関係にしっくり
合うような人称語を使う
ことが必要だという意識がつよい
からであろう。

==>> 本当に困っちゃいますねえ。
自分の配偶者をどう呼ぶかってのでも 定まらないんですよねえ。
名前の呼び捨て、名前+さん、母親でもないのに「おかあさん」、
「おまえ」、「おめえさん」、「あなた」、「あんた」、
「奥さん」、「パパ」、「ママ」、「ダーリン」、「ハニー」
いろいろあるし、
これが家の外になっちゃうと、他人の前では憚られるから
別の変な落ち着かない言い方にもなっちゃうしねえ・・・・

p82
日本語は、普通は家族の間で行われるような言語活動の様式が
親密な集団の範囲をこえて広く認められるのである

言語には冗語性というものがある。 ひと口にいうと言葉の
中に含まれる必要な蛇足である。

p83
・・・冗語性のすくない典型的なケースがすでにのべた
家族間の話である。

p84
大陸言語の社会では冗語性をあまりすくなくすると、
ごく親密な関係の人との間ならともかく、相手に誤解されたり、
了解不能を訴えられたりするから、ていねいな表現を

しなくてはならない。

ヨーロッパ語の中でもドイツ語がいちばん冗語性が高いと
いうことであるが、われわれがドイツ語を論理的で
何となく理屈っぽいと感じているのはこの冗語性の高さと
無関係ではないように思われる。

p85
冗語性のもっとも高い見本は、・・・(日本では)
六法全書
の中にあるということになる。

==>> ほお~~、そうなんですか。
ドイツ語がねえ。 
しかし、面白いですね。
技術的に優れていると言われる ドイツと日本の言語が
まったく正反対の位置にあるってのが不思議じゃないですか?
そして、なんとなく お互いに悪い国民感情はなくないですか?
昔の同盟国ということを離れてもですよ。

ところで、こんな面白い記事がありました:

「このアン チョビっと待ってもらっていいですか?」

ドミノ・ピザがダジャレを社内公用語に、アメリカの本社からもゴーサイン」
http://gigazine.net/news/20130624-domino-dajare/
「これから本部のみながら、ダジャレ公用語が試験運用されると
のことで、原則として会議中一度はダジャレを発するよう心がける
「1会議1ダジャレ」やたまに多摩でダジャレ合宿を行うなどの
取り組みが予定されています。」

・・これって、日本語の中の話から出たわけだから、おそらく島国言語の発想なんでしょうけど、その発想を国際的企業が取り入れるってことですよね。

冗語性が高くなるのか、低くなるのか・・・

少なくとも、打ち解けた身内意識が出来ることは間違いないでしょうが、その逆に そのダジャレが理解できない人はKY君になっちゃうのかな?

・・・ん、ところで、日本語は論理的でないという命題が正しいか・・・・の答えはどうなったのかな??

その17に続く

 

 

 

 

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