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2013年6月24日 (月)

「日本語の論理」 その12 日本語には文法なんて無い! 谷崎さんが・・

「にほんごの論理」外山滋比古著 中公文庫 を読んでいます。

p53
「思考の組み立て」

「思考のユニット」

しっかりした文章の書けないもう一つの理由は、しっかりした
思考法ができていないことである。

p54
われわれ日本人は・・・「考え」ないで、「思う」人間である。

日本人がヨーロッパとちがった論理性をもっているからに
ほかならないのだが・・・・

p55
日本人の発想の特色はユニットがはっきりしていないで、
しかも、ヨーロッパ人より概して小さなユニットを無意識に
用いていることにある。
・・・大思想は生まれにくいが、小イキな表現は発達する。

パラグラフは思考の基本的単位である・・・

===>> 思考法が出来ていないと言われてしまうと、
「ごもっとも」としか返せないんですが、パラグラフという
ひとかたまりの文章が思考の基本的単位であるというのは
そこに最低限の文脈があるという意味では納得できそうです。

p57
「抒情の論理」

谷崎潤一郎「文章読本」・・・「日本語には西洋語にある
ようなむづかしい文法と云うものはありません
」と断言し、
「日本語のセンテンスは必ずしも主格のあることを必要と
しない」と言い切っている。

日本語の伝達が主体と客体、われとなんじの関係を
明確に規定する必要のない間柄において行われてきたことが
多かったことを暗示している。

===>> 谷崎さんも随分大胆ですね。日本語を教えていてふと思うことがあるんです。

たしかに「日本語文法」というような本はあるにはあるんですが、そこでは「文法」と言えるような(英語なんかの文法のイメージの)ものは無いように思います。 (ここで言っているのは、日本人が学校で学ぶ国文法ではなく、外国人の為の日本語文法ですけど)

「我と汝の関係を明確に規定する必要のない間柄」
というところで、フィリピン語のことがふっと頭に浮かびました。

もう随分まえの話なんですが、フィリピン語を家庭教師の
先生から習っていた頃、フィリピン人は「ごめんなさい」とか
「ありがとう」という言葉はほとんど使わないと聞いたんです。

これらの言葉は、若い人たちが英語を学ぶようになってきて
から「ソーリー」とか「サンキュー」を使うようになった
から最近は聞かれるけれども、元々は特殊なケースを除いて
ほとんど言わないというんです。

その大学の英語の先生と それは何故なのかを議論したんですが、
おそらくそれは、フィリピン人は大家族で、元々の
バランガイと呼ばれる町内会のような地区も その歴史を
辿れば 家族単位で舟に乗ってその土地に渡って来たという
一族を単位としたものだったそうなんです。

身内である集団の中で、言葉で謝るよりも、言葉で感謝する
よりも、なんらかの行動で表現するという話でした。

だから、上記の「我と汝・・間柄」というような状況で
そのような言語になったのではないか、という推測も成り立つ
のかもしれません。

p58
(日本人は)文章の練習でも、はっきりした考え方の
ともなわない実感中心の文章を書く。
多くの場合、これは散文による抒情詩を書いていることに
なり、・・・・

p59
日本の詩歌は・・・点のような感情の結晶が示され、
静によって動を暗示するのだが、詩的論理の展開は見られない。
西洋の詩は構造をもっており、詩的論理もある。

・・国際化時代を迎えて・・・相手がどういう形式でものを
考え、表現するかがわからず、こちらがどういう形式と
思考の様式をもっているかもわからずに会話の練習など
だけしているのは滑稽である。
上達すればかえってもの笑いになるのが関の山で・・・
・・外国語もよいが、まず自国語をしっかりすべきである。

===>> 実感中心の文章というのは そう言われてみれば
私もそうかなあ~~と感じますけどね。
それが抒情詩的かどうかは分かりません。

「西洋の詩は構造をもっており、詩的論理もある。」
というのは、私には判断できません。
本当に日本の詩は その反対にあるのでしょうか。

「まず自国語をしっかりすべきである。」というのは
その通りでしょうね。 日本だけの話じゃないと思います。

今私が住んでいるバギオ市の周辺には、地元の言語が
いくつかありまして、イバロイ語、カンカナイ語、
イロカノ語が有名です。 もちろんタガログ語や英語もあります。
この中でイロカノ語は、もともとルソン島北部の西海岸の
地域の言語なんですが、北部山岳地域での共通語としても
機能しているんです。

しかし、山岳地域の人たちのイロカノ語と、発祥の地の
イロカノ語では、その言語の深さが違うと地元の人が
話していました。

日本人としては日本語をある一定の深さまで会得することが
外国語の表現においても重要なことだろうと思います。

英語を日本語に翻訳する仕事をたまにやっていると、
日本語の語彙の貧しさに悩まされることがあります。
まあ、ビジネス英語の範囲ですから、文学的な表現などは
論外なんですけどね。

その13に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

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