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2013年6月24日 (月)

「日本語の論理」 その11 単語の意味は文脈で決まる

「にほんごの論理」外山滋比古著 中公文庫 を読んでいます。

p51
「文の構造」

パラグラフの感覚がついたら、次にはセンテンスの感覚を養う・・・

日本語では文の構造もしっかりしていない・・・

文末決定的な話しことばの構造がそのまま書き言葉にも・・・

名詞構文的な文も考えることが望ましい。

p52
単語は、より大きな文脈の中でなくては意味を決定できない・・

文章構成の原理を知らず知らずのうちに体得するのは
ごく幼い時期であろう。

===>> 結局、大人になってからでは遅すぎるってことですか。
日本語は文の構造もしっかりしていない、と言うのは私が
日本語を教えて来た経験的な感覚でいえば「むちゃくちゃ」って
ことになりますかねえ。

この著者は今まで読んできたところでは、外国語からの影響を
出来るだけ排して、日本語らしいものをしっかり学ぶべきだと
いっているのかと思っていたんですが、「名詞構文的な文も」
と書いているところが理解に苦しみます。

単語は・・・文脈の中でなくては意味を決定できない
と言うのは確かにその通りであろうと思います。
文脈の全体を把握しなくては その本人が言っていることの
意味や意図は理解できない。
これがあるから、おそらく政治家の言葉の揚げ足取りも
頻繁に起こるのでしょうね。
マスコミにとっては都合の良い日本語ってことでしょうか。

日本語教師という立場で見方を変えてみると、
パラグラフー>センテンスー>単語 という進め方は
教える順番としては非常に困難ですね。

母語者である日本人であれば、一応日本語をしゃべることが
できた上で 文章を学ぶという順番になるでしょうから、
自分の考えをある程度まとめて パラグラフを考えるという
ことを最初にやることも可能なんでしょうが、
全くの白紙から日本語を学ぶ外国人にとっては やはり
単語ー>センテンスー>パラグラフ の順番になるだろうと
思います。

国語教育は 分析的、帰納的な 内に向かう方向であるのに対し、
日本語教育は その反対に 発展的、演繹的に 積み上げる、
あるいは外に向かう方向であるように思います。

私が東京の専門学校で日本人を相手に日本語の直接教授法を教えて
いた時に、国語を教えていたという定年退職された元教師の
ご婦人が私のクラスの生徒の一人でした。

日本語の教え方を学んだ修了式の日に、生徒それぞれの感想を
聞いたのですが、その元国語教師の方は
国語を教えるのと、日本語を教えるのは まったく
別物ということが判りました。方向がまったく正反対なのですね。」
とおっしゃいました。

この著者が述べている文章の作り方の順序については、
日本人であれば パラグラフからというのはその通りだと思います。
まず思考、思想があって、頭の中で練られたものが全体像と
してあって始めて、それがその人固有の文体にのって
筆の先から紡ぎだされるのであろうと思います。

その12へ続く

 

 

 

 

 

 

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