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2013年7月 2日 (火)

「日本語の論理ー言語と思考」を読む その1 虚の世界に遊べって言われても・・

「にほんごの論理」外山滋比古著 中公文庫 から「言語と思考」を読んでいます。

p132
近年、役に立つ語学を求める社会の声がつよくなっている。

p133
明治の語学は、英、独、仏を問わず、根本においては実際的効用
の大きな実学であった。

実学としての語学は、文化的にいわゆる後進国的社会において
はじまる。

==>> この本が書かれたのは1987年ですから、今のグローバル化
が叫ばれる時代とは少し事情は異なるのでしょうね。
昔は学ぶための、「得る」ための外国語であったけれども、今は「売る」
ための英語
になった。

p134
もう二十数年前のことになるが、実業家の団体から学校の語学
教育い対して、もっと役に立つ語学を教えてほしいという注文が
出された。 日本人の語学は読むばかりで、書いたり、会話が
まるでできない。

p135
依然として、実学としての語学だけを肯定していることは
従来と変わりがない。

語学の専門家たちが実業界の意向に全面的に賛成してしまったのも
不思議といえば不思議である。

==>> この本が書かれた二十数年前ってことは、60年代前半
ってことですね。私が中学校で英語を学び始めたころです。
その頃にもっと英会話をって話があったわけです。
そして、それは一定程度は成功したと著者は書いている。

でも、未だに日本人はアジアの中でビジネス英語に関しては
台湾の次に下から2番目に下手なんだそうです。
フィリピンはこの点ではアメリカやイギリスを抜いて
世界1のビジネス英語力があるそうです。

ただ、著者は、実学じゃなくてもっと文化的な外国語力と
いうことを語っているんですね。

p136
役に立つ語学はどうしても、思考性を犠牲にしがちである
・・・大学における語学がたんなる実用語学では不充分で
あることは明らかである。

==>> この本は、「日本語の論理」を問題にしている本ですし、
論理性、つまりは思考性ってのが大事だと著者はいいたい
わけです。 その点から言っても、外国語が単に実用性
だけでいいのか、って話なのでしょう。
実際問題、高いレベルの話ではありますが、外交官の英語が
ハシタナイ英語でいいのかとか、日本のトップの政治家の
英語に高い文化性、哲学性がなくても国として恥かしく
ないのか、ってな話にもなるのでしょうね。

それに、国語力を付けなければ、内容の無い英会話になってしまうとの議論も根強い。

p136
母国語と外国語とを同一視することには疑問がある。
まず、外国語は意識的学習を要する点で、幼児の言葉と違い、「不自然」である。

p137
現実のものごとをあらわすために言葉がある。
・・・パロール(活用言語)とラング(知識言語)がある。
パロールの組織化、体系化されたものがラングである。
このラングをさらに抽象化したのが観念の体系である。
芸術、学問、思想などの文化がすべてここに集約されている。

p140
外国語の言葉は裏付けとなるべき事象との関係が希薄で
あるため、記号性がつよく、観念的である。 質量化して
いないから、言葉はより純粋な象徴性をもっているということも
できる。

数学はIIIの上部言語の極限にあるものだということができよう。
詩人の言葉は案外、数学と似た性格をもっていることに
気付くのである。

===>>  なるほど。 母国語というのは、あまりにも
具象的なイメージと密接に結び付きすぎているから、
そこで持たれてしまった観念に自由度がなくなってしまって、
純粋に観念的、抽象的な、数学的な論理の運用には
かえって不向きになっているっていうんですねえ。

p141
こういう効用に注目するならば、同じ外国語を読むにしても、
・・・・文学作品や思想的書物などの方が秀れていることが
納得されるであろう。

常識的で低次な現実の力があまりにも強いときには、虚の世界
へ遊ぶことが文化的創造である。

===>> いや~~、おっしゃることはもっともに
聞こえるんですが、実際問題としては、学習方法も含めて
むちゃくちゃ難しいですねえ。

何故かって言うと、私の経験的なことから考えると、
概念ってのはどうしても最終的に経験的であるしかないと
思うんです。
ある英語の言葉がある、それをどうしてもそれに相当する日本語
の概念で置き換える、だから英語のニュアンスってのは
分からない、もどかしさが残る。

若い時に哲学書のようなものを英語で読んだこともありますけど、
ひとつひとつ辞書を引き、哲学用語辞典でその概念を理解する
という作業は大変でした。
ましてや、シェークスピアなんてのはお手上げそのもの。

バックグラウンドもないのに、英語の古典を理解しろってのは
はっきり言って私には無理です。
仮に読めたとしても、それは日本語的概念での理解でしょう。

ただ、こういう考え方は、日本語を教える立場で考えてみると
なかなか示唆に富むものではありますね。
おそらく、語学能力が高いというのは そのような能力に
優れているってことなのでしょう。 虚に遊ぶ能力。

その2に続く

 

 

 

 

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