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2013年8月27日 (火)

「日本語の論理-外国文化三つの顔」を読む:  日本文化の危機は・・

 

「にほんごの論理」外山滋比古著 中公文庫 から「外国文化三つの顔」を
読んでいます。

p197
イギリスのある大臣が議会の答弁で
「いまわが国の重要輸出品は”英語”であります」と言って
話題になったことがある。
・・・書籍が外貨獲得のために馬鹿にならない存在であることを
披露したものであった。

p198
明治における英学はそういう外国崇拝の感情に支えられていたし、
その前の蘭学もそうである。
さらに古く遡れば漢学も・・・

===>> そういう意味でいえば、日本の普通の書籍が
そのまま海外で読まれているというのは少ないのでしょうね。
日本の漫画、アニメだって翻訳されていますからね。
ただ、漫画やアニメで日本語を勉強したという連中もいますけど。

p199
わが国の外国文学研究を、ヨーロッパに本店のある支店のような
ものだとたとえた人があるが、・・・第一段階の外国文化に対する
われわれの関係は支店以下かもしれない。
一方的に吸収するだけでお返しということがほとんどないからである。

p200
自然科学などもはじめはたしかに外国の模倣から出発しているが、
実証の学だけに比較的早く盲目的崇拝から自由になることができた
・・・独自の立場からながめられた「お付き合い」の相手としての
外国文化が出現する。
・・・これが第二段階の外国の顔である。

p201
同じ文学愛好者でも翻訳文学の読者はその呪文から解放されて
いて、のびのびした態度で外国文学に「付き合って」いる。

===>> イギリスあたりで英文学を講義しているような
日本人教授はいるんでしょうかね?
日本には 日本文学を教えている外国人教授がいるようですけど。

たしかに、自然科学であれば、実験などを通して、
理論を確立していく作業ですから、過去の研究成果に基づいて
新たな発展ができるでしょうし、あるいは、全く新しい発想での
展開というのもありなんじゃないでしょうか。

しかし、文学系になると、どうしても元の国の昔からの
文化のディーテイルを避けてとおる訳にはいかないでしょうね。

p202
一時、文化交流ということがさかんに言われたことがあるが、
どこか外交的臭いがあって感心しない。
要は外国の文化を友として考えればよいのである。

相手に尊敬と好意をもちながら自分の個性を見失わないところに
真の交友が生まれるが、・・・友人としての第二の顔は
相互交渉という社会的関係を前提とするものになる。

===>> はい、外交的臭い・・ありますよね。
政治的な摩擦がある時には、文化交流なり経済交流なりが
それを補完するものとしてとりあげられる。
ただ、政治の前には 無力感を感じることも多いと思います。
政治的な動きが文化交流どころか経済交流まで吹き飛ばす
事態を経験しましたしね。

p203
第三の段階とは経済的関係においてとらえた外国文化
すなわち買い手からみた売り手としての顔をもった外国文化である。
こちらの文化的自覚が成熟するか、あるいは相手側がこちらへ
積極的に文化を”輸出”しようとするとき、摂取側のお客の
意識が明確に打ち出されてくる。
そのお客として見た外国文化の顔である。

文化的入超は明治以来ずっとつづいているのに、日本文化を
破壊させる危険があると言って心配する人はあまりきいたことが

ない。 

p204
これまで一度も危機意識らしいものがもたれなかったのは、
外国文化が日本人、ことに「文科の人達」にとって、
第一段階のそれにかぎられており、それ以外の外国文化が
考えられなかったからにほかならない。
近代日本文化はそのような特殊事情の上に築かれているのである。

===>> この経済的関係というところは、いささか興味深い
ところです。 最近の様々な国の文化の輸出ということが
話題になっているからです。
卑近な例でいえば いわゆる「還流ブーム」「K-POPブーム」
でしょうか。
それに対抗するかのように「クール・ジャパン」「カワイイ」
「日本のアニメ・漫画」なども盛んです。

例えば、フィリピンにおけるコスプレなんかも これに入るでしょう。
買い手がフィリピン、売り手が日本だとすれば、
こちらというのがフィリピンだとすれば、
「こちらの文化的自覚が成熟」というのはいささか疑問ですが、
相手側、つまり日本が、積極的に輸出しようとしているということに
なりそうです。

フィリピンのコスプレ・ブームは ここで言う第三段階と呼べるのか
どうかは、ちょっと疑問です。

日本の場合には、日本文化を破壊されるという危機感は
おそらく上記のような特殊事情ということで説明できるのかも
しれませんが、それはおそらく日本に江戸時代からの文化の
伝統がしっかりと根ざしているからじゃないのかと思います。

それに比べて、フィリピンの現状はどうなのか。
英語は公用語のひとつでもありますしね。
学校教育をちゃんと受けていれば、英国や米国などに
移住もできるほどに英語が出来ている人たちです。

フィリピン自体が過去数百年に渡る植民地としての歴史の中で、
アイデンティティを持てずにいるという背景を考えれば、
もしかしたら日本文化にうつつを抜かしている若者たちには
もっと文化的危機感を持てよと言わなくちゃいけないのかも
しれません。

たまたまバギオは山岳地帯の入口に位置しています。
フィリピン人のアイデンティティは この山岳民族
求めるしかないのだという話もあります。
低地に住むフィリピン人はスペイン時代にすっかりオリジナルの
文化を失ってしまったからだと言うのです。

そのバギオという地方都市で、日本文化に熱をあげている若者たちがいる。
そういうコスプレ、漫画、アニメ・オタクたちと
イベントを楽しんでいる私としては どういう立ち位置に
いたらいいんでしょうかね?

「日本文化とフィリピン文化とのコラボレーション」という
旗印を立ててはいるのですが・・・・

 

 

 

 

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