« 「日本語の論理 - 外国語論」を読む : その1 英語教育廃止論 ? | トップページ | 「日本語の論理 - 外国語論」を読む : その3 旅に目的はない »

2013年8月27日 (火)

「日本語の論理 - 外国語論」を読む : その2 母国語を犠牲にするな 

「にほんごの論理」外山滋比古著 中公文庫 から「外国語論」を
読んでいます。

p213
われわれは、第二の母国語をつくるために外国語を学ぶ必要が
あろうか。
 大部分の人々にとって、答えは否である。

外国語は母国語と まったく異なった次元において学習されるべし
とするのが外国語論の前提である。

母国語の犠牲においてのみ身につくような外国語は、二重言語である。
それはわれわれの精神を真に拡大することにならない

p214
赤ん坊が言葉を覚えていくプローセスがもっとも自然な言語取得
の方法だからと言って、これを、十歳、十二歳になる子どもに
外国語を教授するのに援用して、それをナチュラル・メソッド
(自然教授法)などと称してありがたがることは はなはだ
困ることになる。

専攻する言語の実践的能力がほとんどなしで、しかもすぐれた
言語学者が存在し得ることはやや別の理由で、外国語をほとんど
話せないで終わるかもしれない外国語教育が存在してよろしいし、

また存在すべきである。
外国語論はそういう考え方をする。

===>> ほお~~~~、面白いですねえ。
つまり、母国語の外に外国語を学ぶのであれば、その総和が
ただ単に母国語を犠牲にして、犠牲にされた部分に外国語を
埋めるというようなことでは意味がないってことですね。
外国語を学ぶことで総和が増えなくてはならない
そのプラスの部分というのは何かってことです。

日本語を教えている立場としては、又、英語を仕事の上で使う
ために学んできた者としては、いろいろと突っ込みたくなります。

まず、最近は事情も変わっているでしょうが、
英語会話ができない日本の英語の先生は それで良いのだって
ことになります。
でも、それで良いのだという理由は 奈辺にあるかってとこが
面白そうですね。

少なくとも、日本語を勉強するフィリピンの人達は、
日本で仕事をするために日本語が必要、あるいは、日本の大学に
留学するために日本語を学ぶということですからね。
もちろん、日本のアニメや漫画を日本語で理解したいからという
趣味の日本語もあります。

こういう人たちは、母国語を犠牲にしての日本語ではないと
言えるでしょうね。

p215
外国語を学ぶには、あくまで不自然法で行く
・・・外国語は・・その中に入りきることを目標にしては
勉強しないのである。 ・・・外国語に対してはアウトサイダー
の位置にあるべきである。

アウトサイダーの観点からすれば、まず読むことがもっとも
最初の手掛かりである、あと書く、聞く、話すの順になっている
であろう。
まさに、自然法の逆になる。

p216
英語に対してイギリス人、アメリカ人はインサイダーで
案外わからないところがある。
これを客観することは困難である。

われわれが日本語について外国人から訊ねられて、まごつく
ことがあるのも、要するに、知っているはずの母国語を客観する
機会が少ないからである。

言語研究の歴史はそれを実際の事例で示している。
英語の学問的研究がインサイダーのイギリス人の間ではじめられずに、
アウトサイダーであるドイツ人の手によって緒についたのはその
一例である。

==>> この部分については、納得です。
日本語の教授法を勉強すると、そのいわゆる日本語文法というものが
学校教育で学んだ国文法とは全く異なるものであることに
嫌でも気づくことになります。

日本人だから日本語を外国人に教えられるというものではありません。
外国人に日本語を教える方法は、国文法の中にはありません。

例えば、この二つの文は どう違うのですか、と外国人に聞かれたら
あなたはどう説明できるでしょうか・・・

「父は帰宅してから、夕食を食べた」
「父が帰宅してから、夕食を食べた」

もちろん、この二つの文の意味を 英語で説明することは出来るでしょう。
しかし、「は」と「が」が違うだけで、なぜそんな意味の違いが
出て来るのかを 説明するのは なかなか難しい。

それが、客観的に外国語を観るということであり、
外国語を教えるということであり、学ぶということになるのでしょう。

p217
外国語は、そういう考え方からすればすべて暗号みたいなものになる。
その勉強は暗号解読と同じ作業である。

このアウトサイダーの普遍的有効性ということを、比喩を借りて
説明して見る。

・・・ってことで、

その3に続きます

 

 

        

|

« 「日本語の論理 - 外国語論」を読む : その1 英語教育廃止論 ? | トップページ | 「日本語の論理 - 外国語論」を読む : その3 旅に目的はない »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/134315/58076787

この記事へのトラックバック一覧です: 「日本語の論理 - 外国語論」を読む : その2 母国語を犠牲にするな :

« 「日本語の論理 - 外国語論」を読む : その1 英語教育廃止論 ? | トップページ | 「日本語の論理 - 外国語論」を読む : その3 旅に目的はない »