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2013年8月25日 (日)

「日本語の論理 - アイランド・フォーム」を読む その2 島国根性と国際感覚

「にほんごの論理」外山滋比古著 中公文庫 から「アイランド・フォーム」を
読んでいます。

p175
しろうとの一般国民は、・・国際問題が、どうもうまく処理されて
いないという不満
をもっている。
・・庶民は、内攻して外国にたいする反感をもちかねない
どうしてもナショナリズムへの圧力がかかる。

アイランド・フォームの国では、そうならざるを得ないのである。

==>> この本は20年も前のことを書いているんですけど、
今の状況もそのまんま言えそうな内容ですね。

要するに「島国根性」のなせる業だと。

p175
アイランド・フォームの社会では、親しい人間の間の交際は
はなはだこまやかである。

・・・閉鎖的グループがよく発達している。
・・同質的なものの中における洗練がすすむのである。

座談はおもしろいが、スピーチをやらせると、退屈きわまりなしと
いった名士が多くなる。

・・・腹芸が通用するように思っていて、・・・
至近距離のコミュニケーションは得意だが、遠距離のやりとりは
苦手だという。 外国人相手だとどうしてよいかわからないのが普通ーー

p176
一歩国外へ出ると、語るべきものをもっていない。
・・何を話したらよいかという国際感覚が欠けているのである。

p177
相手を納得させる言葉をもっていないのだから・・・・

アイランド・フォームの欠点である没国際感覚を改めることが
焦眉の急である。 さもなければ、危険なナショナリズムが
いつなんどき爆発するかもしれない。

===>>  国際感覚というものの定義が難しいですね。
なにを国際感覚というのか・・・
要するに上の話から判断すれば、腹芸が通用しない相手に対して
どこまで内容のある話ができるか、ってことでしょうか。

多分、そのためには、自分が思っていることを率直に
フランクに相手に伝えるってことが必要なんでしょうね。

しかし、日本ではそんなことをやると、礼儀がなっていないとか、
失礼な奴だとか、はっきりものを言い過ぎるとか、傷つけられたとか、
言葉がきついとか・・・そんな 話す内容よりも、日本語の話し方や、
敬語の使い方や、婉曲な言い方や、形式的なことどもが
いちいち魚の小骨のようにひっかかって 議論にならないってこと
なのかもしれません。

フィリピンで英語を使っていると、婉曲な言い方があるのかどうか
知らないってこともありますけど、かなり率直にダイレクトに
口をきいているような気がします。
いわばかなり事務的な言い方ってことになるのでしょうか。
グダグダ言わずに、結論を先に明確に言わなくちゃいけませんしね。

ただし、フィリピンの人は英語は使っていますけど、
結構あいまいな言い方をする人が多いような気もします。
フィリピン語の特性から来るのでしょうか、あるいはフィリピンも
島国ですから日本と同じメンタリティーが根本にあるのでしょうか。

もっとも、フィリピンはOFWと呼ばれる海外出稼ぎ者が多くて、
アメリカなどとの二重国籍という人たちも多いですからね。
おそらく日本人よりは国際感覚は持っていると思います。

日本人は金持ちですから、海外に行くといっても旅行であり
観光ですから、海外の国の人たちと交流するといっても
表面的だと思うんです。 その点、フィリピンの人たちは仕事で、
出稼ぎで、外国の家庭の中に入り込むような付き合い方をしています
から、本当の意味のつきあいをせざるを得ない交わり方なんだと
思います。その点では、日本人よりも遥かに国際感覚があると
言ってよいのでしょう。

閉鎖的な、同質なものの中で洗練がすすむ、というのは
いわゆる「ガラパゴス化」ということに通じるものなのでしょう。
小さなことに拘る、小さな違いを大げさにあげつらう。
それが洗練というものと裏表になって、良い場合もあれば
悪く出てしまう場合もある。

大局なり、本質を見失うという危険性もあるのかもしれません。

ところで、「拘る」という言葉のニュアンスは時代を経て随分変わりました。
昔は「拘る」ことはネガティブな意味合いでしたが、いつの頃からか
「拘る」ことが善となり「オタク」もポジティブなニュアンスの方が
強くなりました。

日本のこだわりの製品はガラパゴス化する一方で拘るという製品
開発が中国などで成功を収めているというドキュメンタリーもみました。

モノづくりそのものにはお客のニーズに拘ることが成功の秘訣である
一方で、その拘りという島国根性に根差す洗練さを 身内の中だけで
はなく、外の人間集団、つまりは海外へも展開できる「拘らない」、
胸襟を開く、文化や習慣を乗り越える、多様性を前提とした、
自国の常識にとらわれない態度が必要だということなのでしょう。

その3に続く

 

 

 

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