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2013年8月26日 (月)

「日本語の論理 - エレガントな対立」を読む その1 感情的な日本語 

「にほんごの論理」外山滋比古著 中公文庫 から「エレガントな対立」を
読んでいます。

p183
われわれはこれまでも国際競争の荒波にもまれてきたから、
こんなことには馴れている。不必要に一喜一憂することもない。
フェアな態度で競争にのぞみ、正しいことはどこまでも主張する
ようにすれば、結局は相手側からも尊敬される
ものである・・・

p184
おくれの目立つようになったのが外交である。
・・・これまで国力につり合った外交をもったことがほとんど
なかった・・・
日本の政治家で国際的な発言のできる人はすくない

p185
日本の外交官がどのようにして養成されるのか・・・・
激甚な競争の外交官試験の・・・合格者の大部分が法科、経済の
出身であるところに日本の外交官のタイプを決定してしまっている
事情がある。

p186
われわれの学ぶ英語は広義の外交の基礎になるものであってほしい
・・・しゃべることはしゃべるが、話せば話すほどつまらぬ人間
であることが暴露されるーーそんなことなら、なまじ語学など
やらない方がよいのである。

==>> つまり、外国語を使って何を話すのか・・・ってこと
ですね。 国際的に魅力のある日本人を育てることこそ
外国語教育の本来の意味ではないかと。
外交官にしても、多様性がないことは問題であると言っているようです。

自分を振り返ると、お恥ずかしい限りではあります。

p186
ヨーロッパの文学の展開は叙事詩にはじまり、抒情詩、演劇の順を
とるか、・・・わが国の文学の歴史を比較してみると、わが方の演劇
の欠如が目立つ
のである。

p187
日本では、昔から対立を対立として表現し、その緊張と解決に
喜びを見出す感覚が発達しにくかったと想像される。

小さくて閉鎖された土地に住み、・・・いやでもおうでも宿命的な
関係をもちながら、土地と隣人にしばられて共存する必要がある。

・・言いたいことがあっても腹にしまっておく

日本語そのものも、レトリックには不向きで、モノローグには
適するようになってしまっている。
対人関係もなるべく摩擦をさけるように、独特の敬語法
行われる。 主語を明示しない文法構造は日本語の非演劇的
性格を端的にあらわしている。

日本人は言葉を半分以上のみこんでしまい、思うことを内攻させる
そして、どちらにもとれるようなあいまいな表現で、それとなく
わからせることを好む。・・・立場の違う人には不向きな
伝達様式である。

===>> 以前からレトリックとは何か・・と思っていたんですけど、
普通は修辞法と訳されているようです。
修辞法と言われてもなんのこっちゃって感じでしたので、ちょっと
検索してみましたところ、「自分の主張を相手に分かりやすく伝える技術」
などと説明がありました。
・・・つまり、日本語は論理的に分かりやすく自分の主張を伝える
には向いていないってことのようです。

確かに 日本人は「言いたいことがあっても腹にしまっておく」ことが
多々あると思います。 
それは、日本国内であれば美徳なのでしょうが、外国ではそれは
「無気味」になってしまうんじゃないでしょうか。

日本語の敬語ってのは 本当にやっかいな代物です。
自分もそうなんですが、若い人たちに 「おはよう!」を言われる
だけで、そんなつまらないことだけで、カッチーンと来ちゃうことが
あるんですよねえ。
私は日本語教師の端くれですから、生徒に教えるときには、
「おはよう」じゃなくて、必ず「おはよう御座います」と言いなさい
と教えています。
そうじゃないと、翌日クビになっちゃうよって話しているんです。

日本語は非演劇的というところは今一つはっきりとは理解できて
いませんが、レトリックということと合わせて考えると、
相手にしっかり納得させるような話し方というのは確かになかなか
難しいように思います。

p188

・・・日本語そのものが情緒的になってしまっている・・・

こういう言語、ないしは言語的思考が外交から見ていちじるしく
不都合であることは明らかである。

われわれは、相手が意見を出すと、たとえそれに反対であっても、
何となく反対を出しそびれて、口さきだけの賛成をしたりする。
あるいは逆に、ろくに議論もしないで、感情的に喧嘩腰になる
論理的、理性的に、相手の意見の不備を衝いて議論を精緻にする
というようなのは下手である。
・・・どうも反対のしかたがエレガントではない。

p189
むしろ、意見がくい違ったところから伝達ははじまるのである
本当に親しくなるのは、はげしい議論をした相手であることも
忘れてはなるまい。

言いたいことも言わず、言うべきことも抑えているために、
どれだけ社会が陰湿になっていることであろう。

反対と喧嘩の区別がはっきりしていないのが、残念ながら
われわれの社会の実情である。

p190
言うべきことも言わないでいる人にかぎって鬱憤がいったん
爆発すると、文法をもたない喧嘩をはじめてしまう

===>> この部分はいちいち 「あるある」ですねえ。
本当に反対ということを冷静には聞けないような雰囲気になって
しまって、喧嘩腰になることが多いと思います。
余程親しい間で、ざっくばらんな付き合いができる相手じゃないと
反対されたってこと自体に動揺してしまうようですね。

それに、その動揺によって、声が大きくなってしまう。
もう相手の話が、論理的かどうかなんてどうでもよくなっちゃう
んですよねえ。
日本人は もっと反対論を冷静に聞き、それに冷静に反論できる
話し方を訓練すべきだと思います。

感情的になりすぎて、相手の意見が聞けなくなってしまう。

聞こうともしないで、自分の妄想の中で相手を決めつけてしまう。

お互いに自分の意見を冷静に論理的にいえる日本語が欲しい。

その為にも、この著者は、演劇がもっと必要だと言っているんで
しょうかね?

その2に続く

 

 

 

 

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コメント

対立を楽しめない 島国根性の性格と 日本語自体がもっているモノローグ向きの性質が、 演劇の発展を阻害しているってことになるのかな・・・・

もしそうなら、演劇でいくら訓練をしたとしても、
島国根性は克服できるかもしれないけど、日本語自体の性質がそういうことなら、対立を楽しむという境地まで辿り着くのは 絶望的ってことに ならないかな・・・

  

投稿: させ たもつ | 2013年8月26日 (月) 18時59分

「日本語は非演劇的」の所だけど、「(日本は)昔から対立を対立として表現し、その緊張と解決に
喜びを見出す感覚が発達しにくかったと想像される。」とあることから考えると、対立があるときの緊張と解決に喜びを見出す感覚があるからこそ演劇が発展する、っていうことなんじゃないかな。それを裏返すと、対立を楽しめない日本or日本語では演劇は発展しようがない、ということでは?

投稿: かおり@東中野 | 2013年8月26日 (月) 15時28分

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