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2013年9月13日 (金)

「日本語の論理ー不同調の美学」を読む : その2 日本語は芸術には向いているが 政治・外交には・・・

「にほんごの論理」外山滋比古著 中公文庫 から
最後の章「不同調の美学」を読んでいます。

p272
映画やテレビが背景に音楽を流しているのは、写実のもつ浅さを
さけるために、いわば余分な音を導入して受け手の感覚を刺激する
効果をねらっていると見るべきであろう。

世阿弥が「花鏡」の中で「先聞後見」ということを言っているのが
おもしろい。 これは、舞台では、まず、言葉をきかせて、しかる
後に所作を見せよと教えたものである。

p274
「聞」と「見」をシンクロナイズさせないで不同調にしておく
という点にあるように思われる。

・・・はじめから同調されている表現は音と像が相殺し合う
ことになりかねない。

・・・間とか呼吸ということが重視されるのも、・・・
その背後に働いているのが不同調の美学である。

p276
新聞の見出しと記事本文との間にも不同調のおもしろさの
例がみられる。

===>> 音と映像がずれているというのを見たことは
ないように思いますが、一度見てみたいですね。
音の無い映画を観たことがありますが、「これはなんなんだ?」
と様々に想像を膨らませるような映像だったと記憶しています。

そこに音声などが入って来ると、「な~るほど」ということに
なって、印象が強くなるってことなのでしょうか。

p276
言葉は、対象をあるがままに表現することのできない媒体で
あるから、写実ということが尊重される。

p277
絵画は写真の出せないような美しさを追求することになる。

写真があまりにも写真的であることに不満を覚えるように
なると、ことさらに鮮明さをさけて、いくらかピントをあまく
する技法を使ってみたくなるのである。

p278
言語表現においても軟焦点描写のようなことは可能であり、
案外なことに、ごく古い時代から日常でたえず行われて
いるのである。

p279
日本語には相手のことになるべく直接的に言及しないで
意味を伝えようとする表現法が発達している。

日本語の特色である主語のはっきりしないセンテンス
軟焦点的表現であり、敬語法などは焦点転移の表現が
文法的に定着したものと
考えられる。

===>> ほお~~~、ここでついに、「日本語の論理」に
辿り着きますか・・・・
ここまで話を広げないと 説明できないのが「日本語」ですか。
困りますねえ(笑)。

深読みしすぎって感じもしますけど。

p279
「日本にくらべてアメリカのテレビ・コマーシャルは
実につまらない。 センスがない」という感想をもらした。
・・・アメリカのCMはあまりにも正直すぎて、うんざり
させられる、・・・

・・・機械的リアリズムの表現が多くなればなるほど・・・・
あいまいな表現法が重要なものになってくる。
そして、こういう表現法は結局、受け手の主体的解釈の幅を
拡大するものであり、ひいては受け手の尊重になるのである。

p280
こういう表現デモクラシーの中に美を生む原理がひそんでいる
ことは、とくに注意すべきであろう。

===>> う~~ん、「受け手の主体的解釈の幅を拡大する」
ってのは美学としてはいいのかもしれませんが、
人間生活の上でのコミュニケーションの中では、誤解が誤解を
うんで紛争のタネになるってことじゃないですかねえ・・・

問題をうやむやにして、解決を先送りにするという
日本の有り様は、このあたりに根本的な原因があるってこと??
まいっちゃうね。

p280
エイゼンシュタインが連句の展開からモンタージュ理論のヒント
を得たことを改めて考えてみたい。

世界に類を見ない短詩型である俳句は、・・・
切れ字などによって切断した語と語を並べて互いに衝突させる。

p281
「古池や」とそれにつづく「蛙飛び込む」とは自然の静寂と
小動物の活動とで対照的である。
・・・そのあとに、「水の音」という音響の表現がつづいて、
ふたたび異次元間の対立、融合、調和というプローセスが
展開される。

p282
連句は一人の作者ではなく複数の人間が協同でつくるのが
特色であって、一貫性ははじめから眼中にない

p283
幸いに、わが国では昔からそのような美学が発達している
のであるから・・・・

===>> 著者の言いたいことはなんとか分かりました。
・・・が、これはゆゆしきことですね。
今の日本の外交、お隣の国との外交が 日本語の特質によって
「一貫性ははじめから眼中にない」ってこと、「受け手の主体的
解釈の幅を拡大する」というような、すれ違い外交にならない
ことを切に望みたいところです。

「日本語の論理」ってものが、こんな政治・外交の話につながろう
とは、思ってもいませんでしたよ。

これも、私の単なる 尊重された個人的な解釈ってことになりますか。(笑)

== 完 ==

 

 

 

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