« 百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 2  おまえの爺さんは臆病者だ!! | トップページ | 百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 4  転換点のミッドウェー海戦 »

2013年11月27日 (水)

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 3 軍人が「死にたくない」 ??

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

p55
第三章 真珠湾

p65
元海軍中尉、伊藤寛次・・・・(四国の松山)の自宅は、大きな家だった.

小柄な老人だった・・・・八十五歳になるはずだが、七十代に見えた.

地元の商工会のかなりの大物らしかった.

p66
「臆病者ですか? -- 宮部がですか」

p67
「たしかに宮部は勇敢なパイロットではなかったと思います.
しかし優秀なパイロットでした」

真珠湾からミッドウェーまで半年以上・・・・二人とも空母「赤城」の
搭乗員
でした.

幼い頃から実家の近くにある岩国の海軍航空隊の飛行機を見て育った
私は、飛行機乗りに憧れていた・・・典型的な軍国少年だった・・・
予科練はすごい人気で競争率は百倍くらいありました・・・

p68
なぜ「零戦」と呼ばれたか、ですか.
零戦が正式採用になった皇紀2600年の末尾のゼロをつけたのですよ.
皇紀2600年は昭和15年です.

零戦の正式名称は三菱零式艦上戦闘機です.

((  ゼロ戦のことは、私も子供の頃から知っていて、小学生の頃に
    プラモデルが流行ったときには、私も遅ればせながら、簡単な
    小さい、一番安いゼロ戦のプラモデルを作って、そのボディーに
    日の丸を貼り付けたりした覚えがあります.
    でも、ゼロの意味がこういうことだったっとは知りませんでした.
    単なる製造時の型番みたいなものかと思っていたんです.

    
    飛行機はカッコいいですもんねえ・・・
    そりゃあ憧れますよ. でも、たまたまそれが戦争中だったから
    飛行兵になったってことでしょうね・・・
    平和な時代なら、カッコいい高給取りの国際線パイロットですよ.
    そして、特に、戦闘機のようなものはカッコいいわけです.
    殺人の為に作られたものは、なぜカッコいいんでしょうね・・・・

    空を飛ぶっていうのは、人類の夢だったんじゃないんでしょうか.
    私は、小さい頃には、よくスーパーマンみたいに空を飛んでいました・・・
    もちろん夢の中ですけどね(笑)  

    坂の途中にある我が家の二階の縁側から、飛び立って、鉄道の駅の上を
    通過し、大小の船が浮かぶ佐世保湾を渡り、向こう側にある赤崎岳を
    飛び越えて、夕日に輝く九十九島の海へと飛んだものです・・・
    同じ夢を結構何回も見たものです・・・ 
    もしかしたら、オネショをしたのは、そんな夢を見たときだったかも
    しれませんね・・・笑  ))

p69
零戦はこの二つ(スピードと小回り性能)を併せ持った魔法のような戦闘機
だったのです.

堀越二郎と曾根嘉年という情熱に燃える二人の若い設計者の血のにじむ
ような努力がこれを可能にしたと言われています.

p71
卓越した格闘性能、高速、そして長大な航続距離、零戦はすべてを
兼ね備えた無敵の戦闘機でした.

(( おお、でました・・堀越次郎・・・
   もう映画は見ましたか?  宮崎駿監督の「風立ちぬ」ですね.
   とても爽やかなアニメでした.
   あれは軍国主義の映画だとか、反対に 反戦の映画だとか、
   いろいろと言われているようです・・・・
   私は、基本的に政治的イデオロギーというのは嫌いです...
   イデオロギーというのは、素晴らしとは思うんですが、
   宗教と同じで、勝手に正義をつくりだし、人を殺すための理由にも
   されますからね・・・ ))

p71
工業国として欧米にはるかに劣ると言われていた日本が、
いきなり世界最高水準の戦闘機を作り上げたのです.

私は今でも、零戦に乗って大空を駆け巡ったことは、人生の誇りにしています.

p79
着いたところは択捉島(エトロフ島)の単冠湾(ヒトカップ湾)です.
・・・11月26日、全空母から搭乗員が全員集められ、そこで飛行隊長から
宣戦布告と同時に真珠湾の米艦隊を攻撃する」 と教えられました.

p81
「上海から大村に行く前に、結婚したのです. 新婚生活はたった一週間
でした」

「真珠湾攻撃に参加するとわかっていたら、結婚はしませんでした」

((  大村というのは、長崎県の旧大村空港のことであるようです.
   我が故郷佐世保のちょっと南にあります.
   今の長崎空港は大村湾の中にありますが、旧大村空港は
   湾内ではなく陸地にあって、今は大村.航空基地として海上自衛隊などが
   使っているようです・・・ ))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%A9%BA%E6%B8%AF

p84
私は身震いしました.
実際、本日の未帰還機の多くが自爆したと聞いていました.
我々は、攻撃中に被弾して帰還が困難と思われた時には自爆せよと
命じられていました.
生きて虜囚辱めを受けずと教えられていました・・・

p86
宮部は・・・ぽつりと呟きました 「私は死にたくありません」
・・・こんな言葉が帝国海軍の軍人の口から出るとは思ってもいませんでした.

命が助かることを第一に考えていたら戦闘は成り立ちません.

今ならわかることがあります・・・
・・身内にとっては、大勝利の喜びよりも、家族が亡くなった悲しみの方が
はるかに大きかったということが.

p87
しかしその時はわかりませんでした.
宮部の「死にたくない」という言葉に、ただ激しい嫌悪感を覚えました.

((  この宮部は、戦時にありながら 平時の心を持っていたということ
   なんでしょうね.  平常心と言えるかもしれません.
   しかし、その平時の常識は、戦時の真っただ中では 嫌悪される、国賊だの
   売国奴、臆病者だとか、卑怯者などという言葉で排斥されるのでしょう.  ))

p88
「あの頃、私たち搭乗員は非日常の世界を生きていました.
そこはすでに条理の世界ではありませんでした.
死と隣り合わせの世界というか生の中に死が半分混じり合った世界で
生きていたのです.」

p92
「一部の大使館職員のために我々が「だまし討ち」の汚名を着せられたのです.
いや日本民族そのものが「卑怯きわまりない国民」というレッテルを貼られたのです.

「アメリカの世論は「リメンバー・パールハーバー」の掛け声とともに、
一夜にして「日本撃つべし」と変わり・・・・  」

p98
昭和十七年五月、・・・世界海戦史上初の正規空母同士の戦いです.
ちなみに今日まで、空母対空母の戦いは日米以外にはありません・・・

我が方は・・・「翔鶴」と「瑞鶴」、敵は「レキシントン」と「ヨークタウン」です.

(( さて、真珠湾からこのあたりまでは、日本軍はイケイケだったようですね.
   しかし、これから大きな変化が起こります ))

p100
戦後になって、ミッドウェーの敗北の原因をいろいろ本で読んで知りました.
すべて我が軍の驕りにあったようです・・・・

(( この本には、実に詳細に 空母のことやら、零戦などの当時の航空機
   そして、それらの装備と性能などについて、事細かに書いてあります.
   まさに オタクのごとく調べ上げた知識が次々にでてきます・・・
   その布石が あとの章などに意味をもってくる・・・その展開の
   仕方が実に素晴らしいなあと 一度さらっと読んでみると分かります  ))

019


==== その4 に続きます ===

 

 

 

|

« 百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 2  おまえの爺さんは臆病者だ!! | トップページ | 百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 4  転換点のミッドウェー海戦 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/134315/58653360

この記事へのトラックバック一覧です: 百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 3 軍人が「死にたくない」 ??:

« 百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 2  おまえの爺さんは臆病者だ!! | トップページ | 百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 4  転換点のミッドウェー海戦 »