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2013年12月 1日 (日)

「ボニファシオ・デイ」 フィリピンの祝日 11月30日 日本からの革命支援は?

1863年11月30日に、フィリピンの革命の父と呼ばれている アンドレス・ボニファシオが生まれています.

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ボニファシオは、カティプナンという組織を作り、スペイン植民地であったフィリピンの
独立のために、革命を起こそうとしました.

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カティプナンは KKKとも呼ばれていまして、日本人としてはアメリカのKKKを
思い出すので、ちょっと「ギョッ」としますね・・・・

フィリピンのKKKは
Its official revolutionary name was Kataas-taasan, Kagalang-galangang Katipunan
ng̃ mg̃á Anak ng̃ Bayan
(English: Highest and Most Honorable Society of the
Children of the Nation)
http://en.wikipedia.org/wiki/Katipunan

と言うことで、正式名称の省略形ですね.
敢えて訳すと、「最高のそして最も名誉ある、国家の子供たちの結社」 とでも
なるでしょうか・・・

一部の支持者からは、アギナルドではなく、ボニファシオこそがフィリピンの最初の大統領だと考えられているそうです.

2013年11月30日、所用があって、バギオ大学の近くに行ったところ、
学生の姿がほとんどなく、タクシーがすいすいと進んでいきます・・・

なんでこんなに学生が少ないんだ・・・と思っていたら、イベントの打ち合わせのためにカフェに来てくれたバギオ大学の学生さんが・・・

今日は ボニファシオ・デイで 祭日ですよ
と教えてくれました・・・・・・・ああ、そうだったのか・・・

そして、別件で会った日本人の知人から、
「今日は、なにか面白いことをやるらしいよ・・・・」
という情報で、夕方ここに駆けつけました.

バギオ市のセッション通りから、バギオ大学方面へ入る路地をちょっと進むと、
左側に工事中みたいな、変な形をした建物があります・・・

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キドラット・タヒミックという世界的に有名な映画監督・アーティストの家族が
建築中のアートスペース&カフェです.
工事中なんで、名前はあるんだか、ないんだか、分かりません・・・ (笑)
ずいぶん前に、一度、建築中の「仮オープン」ってのをやったような気がします・・・

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日本人の映画監督と私が一緒にビールを飲んでいたところ、
そのキドラット・タヒミック監督が声を掛けてきて、ボニファシオの話になりまして・・・

私の方から・・・

ボニファシオは、革命の為に、日本人に支援を求めたらしいですね・・・」

と言ったところ、

「おお、そんなことがあったのか・・・なんで知ってるの?」

「私が読んだ、古い歴史の本に、そんなことが書いてありましたよ・・・」

「ほう、そうなのか・・・ぜひ、詳しいことを教えてくれないか・・」

・・・ってことで、さっそくインターネットで検索しました・・・
便利でいいねえ~~、インターネットは・・・

読んだ本には、ちょっと触れてある程度なので、
こちらのサイトの方が、よく分かります・・・

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いくつかの英語と日本語のサイトの情報を年表のようにまとめてみると
下のようになりました:

ボニファシオと初代大統領のアギナルドとの関係から見てみると:

1892年 アンドレス・ボニファシオが中心となり秘密結社「カティプナン」を結成

1896年5月4日  ボニファシオが 世良田享艦長に援助を要請
            フィリピンに寄港した日本海軍の練習艦「金剛」に乗船していた
            日本軍人との接触を求め、5月4日にはボニファシオら
            幹部が世良田亮艦長と会談し革命への援助を要請した。

1896年5月??日  フィリピンの代表団が明治天皇と会うために送りだされた

1896年8月  武装蜂起。
        その時アギナルドは現カヴィテ市にあたる町で町長を務めていたが、
        カティプナンの戦列に加わった。

同年10月  アギナルドがカビテで支配を確立・独自の勢力形成
同年12月  ホセ・リサール処刑
1897年5月 アギナルドがボニファシオを処刑
         ボニファシオ派の離反を恐れたアギナルドは彼らを捕らえて1897年
         5月10日兄弟ともに処刑、独立派の全権を掌握した。

1898年6月 ポンセが日本の村田銃を買い付け
         武器購入のため「革命委員会」から日本に派遣されたポンセ・
         リチャウコらは、フィリピン独立活動の実情を日本の知識人・政治家
         に宣伝し中古武器(村田銃)の買い付けに成功した。

1899年7月 布引丸沈没
         武器を積み込み日本を出航した布引丸は上海沖で台風にあい
         7月21日沈没
した(布引丸事件)。

この流れで考えてみると、日本からの支援を求めるという考えは、
ボニファシオのもので、 その後 アギナルドが引き継いだ可能性がありそうです

ただし、ボニファシオが最初に接触した日本軍人 世良田享艦長との関係と、
ボニファシオが1897年に死んだ後の、1898年以降のポンセの日本行きが
どう繋がったのかは書いてありません.

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E9%9D%A9%E5%91%BD

日本語サイトでは、上記のように、1896年5月4日に世良田享艦長に会談と
ありますが、英語サイトには、以下のように、1896年5月に代表団が明治天皇と
会うために送られたとあります:

http://en.wikipedia.org/wiki/Katipunan
In May 1896, a delegation was sent to the Emperor Meiji to solicit funds and military
arms. The Katipunan's existence was revealed to Spanish authorities after a
member named Teodoro Patiño confessed the Katipunan's illegal activities to
his sister, and finally to the other portress of Mandaluyong Orphanage. Seven days
later, on 26 August 1896, Bonifacio and his men tore their cédulas in the famous
Cry of Balintawak that started the Philippine Revolution.

・・・いずれにせよ、1800年代の最後に、
フィリピンの革命家たちは、日本からの支援を求めていたのです.

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