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2013年3月 9日 (土)

バギオで、スペイン映画 かっこいい! マカロニ・ウエスタンのような爽快さ。

フィリピン・バギオ市のシネマテックで、

スペイン映画祭をやっているんですけどね・・・

その中のひとつ、NO HABRA PAZ  (邦題:悪人に平穏なし) ってのを観たんです。

いやあ~~、面白かったですよ。

Chinematheque_2013_march_2

どんな映画なのかってことは 何も知らずに観たんです。

いきなりドンパチですよ。

まるでマカロニ・ウエスタンのような 撃ちまくり。

私は マカロニ・ウエスタンのあの爽快さが大好きなんです。

最初の雰囲気は メキシコが舞台なのかなと思ったんですが、やっぱりスペインでした。

マドリッドみたいですね。

爺さんがもう看板だって時間に酒場でくだを巻いているんです。

一軒目を追い出されて、帰る途中にたまたま音楽をならしているクラブに入るんですけど。

そこでも、「もうカンバンです」ってやられて、不機嫌な男は、警察手帳を出して脅すんです。

なんと、警官なんですねえ。

経営者らしい男が出て来てその場を取り繕うとするんですけど、警察官をちょっと舐めたような態度で、肩に手をまわしたとたんに、ズドンとやられちゃうんです。

で、その閉店したクラブで3人も殺しちゃう。

その後は、ほとんど台詞もなく、どんどんストーリーが展開するんですけど、

さらに後には、警察署内の動きやら、現場検証やら、セリフがどんどん早口になっちゃって・・・

・・・英語字幕ですからね、ついていけない。

どういう筋立てになっているかが分らないんです。

で、たった今、インターネットで検索したところ、こういうページが:

http://www.hispanicbeatfilmfestival.com/lbff2012/no-habra-paz-para-los-malvados.html

「2004年にマドリッドで起きた爆弾テロ事件をベースにした作品で、スペイン本国で話題を呼んだ。」

とありますね。

イスラム過激派のようなグループが爆弾テロを計画して、それを進めているところに、たまたま この老警官が巻き込まれていく、という筋書きだったんです。

いきなり警官が3人を殺して、捜査をかく乱するためにその警官がいろんな小細工をやって、唯一の目撃者を追いかけるんですけどね。

途中の細かいところは、さっぱり理解できませんでしたけど、

最後までエンターテインメントでした。

最後にそのテロリストたちとドンパチやるんですけど、

老警官の死に方が ちょっと格好良すぎるんですねえ。

マカロニ・ウエスタンですねえ。

いいですねえ。

そして、最後の最後のシーンは、

デパートなんかの公共施設の各所にとりつけられた消火器が不気味に大写しされるんですねえ~~。

本当に、面白いアクション映画でした。

公式サイトってのを今見つけたんですけどね:::

http://www.akuninheion.jp/interview.html

「ホセ・コロナドはスペインでは大変有名な俳優で、とくに女性に人気があります。」

主役の老警官をやっているのが ホセ・コロナドっていう俳優なんですね。

この映画を見たあとに、一緒に観た人と酒を飲みながら映画談議をやったんですけど、 この映画って、この俳優の為の映画なんじゃないの? って話になったんです。

最初も最後もあまりにもカッコ良すぎるんでね。

日本で言えば高倉健のために作った映画、みたいな・・ね。

映画の中の老警官がアル中なんですね。

あちこちで飲むのが「ラム・コーク」なんですね。

我々二人もバギオの酒場、ルーマーズで ラム・コークを飲みながら映画談議をやったんです。

ラム・コークって安いんですね。

酒のメニューの中で一番安かったみたいですよ、

一杯60ペソだったかな?

それはともかく、バギオシネマテックのスペイン映画祭、

この映画、あと1~2回上映するみたいですよ。

 

 

 

 

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たまに変な夢をみて、すぐに忘れちゃうんですけど・・・

今朝、変な夢をみたんです。
いつもはすぐに忘れてしまうので、忘れないうちにメモしとかな
くちゃってんで、書きとめました。

「私が散髪に行ったわけ」

坂田雅代(仮名)が何かの会場にキャリア・ウーマンのような
格好で現れた。
彼女を見かけるのは何十年ぶりのことだろう。
しかし、仕事中の修平は話しかけることもなかった。

小栗修平(仮名)は、イベント案内業のような仕事の初日だった。
着流し風の着物をまとって、他の数名の連中とばたばたしていた。

もう午後1時を過ぎていたが、修平はそのビルの中に一人で
レストランを探している。 
初めて来た会社なので、周りの様子がさっぱり分からない。

雑然としたそのビルに食事ができるような店はなく、
フォークリフトやトラックが出入りしているビルの裏側の貨物の搬出入
ドックから出て、今どき舗装されてもいない道を通って、工事現場のような、
起伏のある荒地に入っていった。

ふと自分の髪が伸びていることを思い出し、髪を切らなければ、と思った。

理容店は荒地のすぐ左側に見つかった。
ハサミのマークが軒先に出してある。 後で立ち寄らねば。
しかし、食事が出来そうな店が見つからない。
飯場のような小屋があったが、なぜか薩摩芋がぶら下げてあるだけで
食堂ではなかった。

その先はどんずまりになっている。
路地もなく、その先に店があるような気配もない。

仕方がなく、荒地を反対側に回って、ビルの方へ戻るように
歩き始めた。

子供たちが先生に引率されているのだろうか、バラバラになって
その荒地をビルの方へと向かっていた。

その子供たちに気をとられている間に、いつの間にか、修平は周りの
様子が分からない場所に入っていた。
「まずいなあ・・・、迷ったかな・・・」

・・ここで目が覚めた。
「ああ、覚めてよかった。 迷子になってたら大変だったなあ。」

ってことで、いやに髪の毛が気になって、今日の第一の仕事は
散髪に行くことになったんです。

単なる夢ですからね、なんの意味もないんですけど・・・(笑)
どなたか、夢占いでもしてください。

 

 

 

 

 

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2013年3月 8日 (金)

「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その6 日本は今でも奴隷国である

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです。

p051
日本は、戦前は軍人をボスとする奴隷国で、そこから戦後は
占領軍(GHQ)をボスとする奴隷国に変わっただけだと
見られていました

p054
マッカーサー自身、次のように書いています。
「私は日本国民に対して、事実上無制限の権力をもっていた。
歴史上いかなる植民地総督も征服者も、私が日本国民に対して
もったほどの権力をもったことはなかった」

天皇も総理大臣も、マッカーサーからみれば「奴隷」なのです。

さらにいえば、奴隷には上級奴隷(日本人支配者)と下級奴隷
(一般市民)が存在し、前者が後者を支配するという構図が
存在します。

p055
トルーマン大統領は次のように書いています。
「・・・コンプトン博士は、・・私に説明した。
日本は事実上、軍人をボスとする封建組織のなかの奴隷国で
あった。 そこで一般の人は、一方のボスのもとから他方のボス、
すなわち現在のわが占領軍のもとに切り替わっただけである。・・・」

==>>  なるほど、日本の封建制度の歴史を振り返れば
おっしゃる通りなんでしょうね。 武士は軍人ですからね。
今の世界でも、軍による統治が行われている国はあって、日本人は
そういう国を奇異な目で見ているわけですけれど、大枠の構図としては
確かに納得できます。それにしても、植民地の総督よりも大きな権力を
持っていたというのは恐れ入りました。
そういう占領時代には、日本はフィリピン以下だったということに
なりますね。 フィリピンはアメリカの総督によって治められて
いたわけですから。

p055
日本人指導者が米国人に従属する構図は、米国人からはよく見えます。
ですから米国人は日本人に対して奴隷という言葉を使います。

しかし日本の一般の人たちにはその姿が見えないのです。

占領時代、実質的に「自主」路線が選択される可能性はゼロでした。
しかしその一方で米国は、日本の首相が「自主的にふるまうこと」は
容認していました。
吉田茂はこの点、大変な役者でした。

==>> 「自主的にみえるように振る舞って」いたわけですね。
日本人はその役者に喝采を送っていたということになります。
そして、1945年から1951年の講和条約締結までの占領時代を
努めたわけですが・・・その後も・・・

p056
問題は彼が、1951年の講和条約以降も首相の座に居座りつづけた
ことです。 その結果、占領中の対米追随路線が独立後もまったく
変わらず継続され、むしろ美化されて、ついには戦後60年以上も
つづくことになってしまった。
ここが日本の最大の悲劇なのです。

日本には保守本流という言葉があります。
この保守本流こそは戦後の日本政治そのものであり、その精神は
今日までつづいています。 その根本は「従米」なのです。

==>> つまり、米国による占領時代、日本の奴隷時代の関係が、
今も続いている、ってことになりますか?

p057
米国の一般大衆は昭和天皇に対して、(処刑33%という)きわめて
きびしい見方をしていたのです。 よほど「天皇制は占領軍の
統治にとって都合がよい」ことを実証できないと、処分をうけて
しまいます。

p058
天皇には明白な戦争責任がある。 それなのになぜ連合国が最初
から天皇を裁かないことに決めているかといえば、それは
「連合国の利益」のためだからです。

本来、天皇は日本の「象徴」として、もっとも日本的であるべき
存在です。 しかし米国から見て「天皇が米国にとってだれよりも
利用価値がある」
ということでなければ、天皇制は廃止になって
しまいます。 したがって、・・・昭和天皇はもっとも強固な
日米同盟推進者になります。

p058
そして1951年9月8日、日本は最大のチャンスを迎えます。
サンフランシスコ講和条約によって独立し、「完全な主権」
得ることになったのです。

==>>  知っていましたか、 日本にも「独立」した日があった
んですね。  なぜ「独立記念日」がないんでしょうね・・・・
フィリピンにだって、独立記念日がありますよ。
昔の植民地だった多くのアフリカやアジアの国々にはありますよ。
なぜ、「敗戦・降伏記念日」や「独立記念日」が今の日本のカレンダーに
ないんでしょうか。 なぜ、日本が植民地以下の扱いを受けた
「占領時代」について その歴史を国民にしっかり教えないんで
しょうか・・・

その7に続く

============

ところで、このような本には当然いろいろな反論があるわけですが、その一つをここにリンクしています。 ご参考まで。

国民を洗脳するために仕掛けられた「戦後史の正体」
http://warabij.ti-da.net/e3614104.html

ちなみに、私には、難しすぎてよく分りませんけど・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年3月 7日 (木)

「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その5 外務省は事大主義

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです。

p040
「進駐軍にサービスするための「特殊慰安施設」が作られ、すぐ
「慰安婦募集」がされました。 いいですか、終戦の三日目ですよ。」

内務省の橋本警備局長が十八日、各府県の長官<県知事>に
占領軍のためのサービスガールを集めたいと指令をあたえました」

「・・・(池田隼人)の「いくら必要か」という質問に野本さん
(特殊慰安施設協会副理事長)が「一億円くらい」と答えると、
池田さんは「一億円で純潔が守られるのなら安い」といわれた」

内務省の警備局長・・・その人が売春の先頭にたっている。

p041
のちの首相という国家の中核をなす人間が、率先して占領軍の
ために慰安施設を作る国という国があったでしょうか。

==>> 韓国やフィリピンなどでの、戦時中の慰安婦問題に
つながりそうな話ですね。

重光は次のように書いています・・・
節操もなく、自主性もない日本民族は、過去において中国
文明や欧米文化の洗礼を受け、漂流していた。 ・・・」

p042
重光はここで、いつかかならず日本人本来の「自尊心」が出て
くると思うと期待しています。
では、日本はいま、そうした本来の自尊心をとりもどした時代に
入ったでしょうか。 残念ながら、入っていません。

・・・事態は終戦直後よりも、はるかに悪くなっているのです。

p043
まさに最大の論点は、戦勝国は敗戦国を裁く権利があるか否か
でした。 しかし残念ながら人類の歴史は、戦勝国がつねに
敗戦国の主権に不当に介入することを示しています。

p044
戦後の日本外交における「自主路線」のシンボルが重光葵です。
「対米追随」路線のシンボルが吉田茂です。
そして重光は当然のように追放されます

p045
吉田の政策はその後、自民党の政策となり、50年以上継続します。
ですから私たちはいま、彼の歴史的評価をしっかり行っておく
必要があるのです。

p046
占領初期、米国は日本経済を徹底的に破壊します
現在の私たちが常識としているような「寛大な占領」だったわけ
では、まったくありません。 その方針が変わるのは冷戦が
始まり、日本をソ連との戦争に利用しようと考えるようになって
からのことなのです。

p050
米国のラスク国務次官補と交渉し、非常に問題のある日米行政
協定(現在の日米地位協定)を締結したのがこの岡崎です。
・・・終戦直後にあれほど自主路線で活躍した人物が、
対米追随路線の代表的な担い手となってしまったのです。

外務省に、機を見るに敏、事大主義の気質がどの官庁よりも
強く存在していても不思議はない気がします。

p051
「日本は米国の保護国である」といえば、多くの人は「そんなバカな」
という反応をされると思います。
・・・しかし米国人の発言のなかには、たしかに保護国という
言葉が出てくるのです。
・プレジンスキーは・・・、日本をアメリカの「セキュリティ・
プロテクトレイト」、つまり米国の「安全保障上の保護国」と
書いています。

・・占領時代につくられ、現在までつづいているものです。
ではなぜ、・・・一般国民の眼には見えないのでしょう。
・・みごとな間接統治が行われているからです。

・・だれが安全保障政策を決定し、命令しているかとなると
それは米国です。 日本はただ従属しているだけというケースが
多いのです。

==>> これまた凄い話です。 今の尖閣諸島をめぐる
日本と中国のつばぜり合い、そして、沖縄の米軍基地の移転
問題のすったもんだ、さらにオスプレーの運用の状況を見ていると
これらの著者の説明が なんだかすっと頭に入ってきますね。

ところで、「事大主義」にはちょっと複雑な意味があるようですね。

こちらのサイトでご覧ください。 

「小国のしたたかな外交政策」ならいいんですけどねえ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E5%A4%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9

その6に続く

 

 

 

 

 

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「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その4  8月15日は終戦の日ではない

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです。

第一章 「終戦」から占領へ

p018

日本は降伏したのです。 たんなる終戦ではありません。

日本はいつ、第二次対戦を終えたのでしょう。

日本も1945年9月2日、東京湾に停泊していた
米国戦艦ミズーリ号で降伏文書に署名しています。

日本と連合国の戦争がいつ終わったか」と聞くと、
だれも8月15日とはいいません。
かならず9月2日という答えが返ってくるのです。

==>> 8月15日というのは日本がポツダム宣言を
受け入れることに決めた日ではあるけれども、まだ正式に
相手方と合意をした日ではないということ
ですね。
日本では8月15日を「終戦記念日」と言っていますが、
日本以外の国では9月2日の正式な日を「対日戦争勝利の日」
などと呼んでいるわけです。

ちなみに、私が住んでいるフィリピン・バギオ市では
9月3日を「日本降伏の日・戦勝記念日」などとしています。
Japanese Surrender Day ですね。
偶然なのかどうかは分かりませんが、
フィリピン戦線で山下大将が ルソン島北部の山の中から
出て来て、キアンガンの町に降りたのが9月2日。
そして、キアンガンからバギオ市に連行されて正式に
降伏文書に署名したのが9月3日となっています。

p023
軍部は明確に負けることがわかっている戦争で
どこまで犠牲をだせば降伏するつもりだったのでしょう。

こうした情勢判断の甘さは、日本が第二次大戦に突入する時点
でも同じでした。 やはり米国の意図を客観的に把握できて
いなかったのです。

p024
実はチャーチルやルーズベルトは、日本が真珠湾攻撃を
しかけるように誘導していったのです・・・・

p026
君は降伏文書を読んだことがあるか」と聞くと、
「ありません」という返事でした。
日本が行った最後の戦争が、どのように終わったかを自衛官が
学んでいない。
・・・降伏という一番厳しい現実にはふれないで戦史を教えている。

スポーツでも会社経営でも、普通は敗因から学ぶ。
そういうきびしさが、おそらく自衛隊には組織として継承されて
いないのではないでしょうか。

p027

降伏文書には、
「日本のすべての官庁および軍は降伏を実施するため、
連合国最高司令官の出す布告、命令、指示を守る
「日本はポツダム宣言実施のため、連合国最高司令官に要求
されたすべての命令を出し、行動をとることを約束する。

ということが書かれています。

占領期に、日本の首相として活躍したのが吉田茂です。
・・・吉田首相の役割は、「米国からの要求にすべてしたがう」
ことにありました。
・・・決めるのは連合国最高司令官マッカーサーでした。

p030
降伏とはなにを意味するか・・・

「日本を米軍の軍事管理のもとにおき、公用語を英語とする」
「米軍に対する違反は軍事裁判で処分する」
「通貨を米軍の軍票とする」

というのが、最初の布告案でした。
・・・ほとんど軍事植民地です。

p033
マッカーサー元帥は・・・、重光(外務大臣)さんの話を
じっと聞き入って、「・・・・全部とりやめることにする」
とはっきりいってくれた。

重光はまず、今回計画された三布告は、日本と連合国が合意した
ポツダム宣言とは矛盾しているという原則論をのべています。
そのうえで、もしも条文にない措置をとるなら、それは混乱を引き
起こす可能性があるとして、三布告を撤回することが結局は
米国の利益になると説いています。

==>> 著者も書いているとおりに「素晴らしい交渉能力」です。
原則論で押し、それが米国の為だという。
重光外務大臣が、日本が植民地になることから日本を救ったと
言えるのかもしれません。
それは重光が「米国に追随すればいい」という気持ちを一切持って
いなかったからなのでしょう。

p036
「戦争犯罪人への逮捕問題が発生してから・・・・」
「最上級の幹部たちが、ひんぱんにマッカーサーのもとを
訪れるようになり、みな自分の立場の安全をはかろうとしている」
「最近の朝日新聞をはじめとする各新聞のこびへつらいぶりは、
本当に嘆かわしいことだ」

p037
「・・・吉田外務大臣は、いちいちマッカーサー総司令部の意向を確かめ、
人選を行った。 残念なことに、日本の政府はついに傀儡政権と
なってしまった。」

p039
つまり、彼は徹底した裏工作のエキスパートなのです。
そのウィロビーのもとに首相が裏庭からこっそり通ってきて、
組閣をした。
ときには次期首相の人選までした。それが占領期の日本の本当の
姿なのです。
一般にイメージされている吉田首相の・・・占領軍とも対等に
わたりあったという姿は、神話にすぎません。

===>> 日本にはいろんな神話があるんですね。
原発の安全神話もしかり・・・・ 「日本は神の国」という
神まかせの国民性が宜しくないのでしょうか?

目の前の事実を客観的に見ることができず、神風が吹くのを
待つと言う態度が、日本民族にはしみついているのでしょうか。

p035
しょせん日本民族とは、自分の信念をもたず、
強者に追随して自己保身をはかろうとする
三等、四等民族なのか

その5に続く

 

 

 

 

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2013年3月 6日 (水)

「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その3 日本では、首相が一番弱い

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです。

p011
私は日本のなかでもっとも米国の圧力に弱い立場にいるのが
首相だ
と思っています。

米国は・・・首相の下に諮問機関を作らせ、そこに権限を
集中させようとします。
そうすれば圧力をかける手間が少なくてすむからです。

少しでも歴史を勉強すると、国際政治のかなりの部分が謀略
によって動いていることがわかります。

日本も戦前、中国大陸では数々の謀略をしかけていますし、
米国もベトナム戦争で・・・

学者や評論家がそうした事実を知らないまま国際政治を語って
いるおは、おそらく世界で日本だけでしょう。

==>> 政治学者や評論家も国際政治の現場を知らないって
切り捨てているわけですね。

p012
(米CIAの元長官)コルビーはここで、日本の評論家たちが
「陰謀論」などといって否定する秘密チャンネルでの裏工作が、
数世紀も前から広くおこなわれてきたこと、・・・自衛のため
なら当然許されるはずだといっているのです。

p013
CIAが自民党や民社党の政治家に巨額の資金を提供していた
ことは、米国側の公文書によってあきらかにされています。
歴史を勉強していない人だけが、それを「陰謀論だ」などといって
安易に否定するのです。

==>> ここで「陰謀論」と言う言葉が出てきましたが、
この「戦後史の正体」という本が昨年日本でベスト・セラーに
なった時に、朝日新聞の書評欄に不適当なコメントが掲載されて
多くの読者の反発をうけて、一部が削除され、お詫びが掲載
されたとの騒動があったそうです。
詳しくはこちらのサイトでどうぞ:
http://gohoo.org/corrections/asahi121021/

基本は、証拠は絶対に表に出ないのです。
しかし現実には裏工作は存在する
「証拠がないからそれは陰謀論だ」などといっていては、
話にならないのです。

p014
米国に対し「自主」路線をつらぬくことがどれほどむずかしいか
よく理解しておく必要があります。

「天皇は象徴である。天皇は政治に直接関与しない」と習いました。
しかし実際の歴史は違うのです。
たとえば昭和天皇は「沖縄の軍事占領を無期限で継続してほしい」
というメッセージを米側に伝えています。

p015
大きな歴史の流れを描くことを、もしだれかがやらなければ
ならないとすれば、勇気を持って行うべきはおそらく外務省のOBでしょう
学者やジャーナリストの人たちは、世間で「陰謀論」といわれる
ような国際政治の闇の部分にふれることがほとんどないからです。

==>> なるほどねえ・・・高校で教えるべき戦前・戦中・戦後の
歴史が 未だに教えられていないってのは、もしかして、
学者もジャーナリストも 要するに根本的に大きな歴史の流れを
描くことができないから、ってことになりますか?
つまり、教科書を書ける人たちがいない
本当に知っている人たちは、排斥されることを恐れている・・って
ことでしょうか。
もっとも、事実を書いたとしても、それこそ米国の圧力で
教科書にはならないでしょうけど。

その4に続く

 

 

 

 

 

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「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その2 米国による圧力・裏工作

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。

序章 なぜ「高校生でも読める」戦後史の本を書くのか

p004
私は・・・イラン・イラク戦争の最中にイラクに勤務しています。
ですからサダム・フセインについてはかなりの知識を持っていました。
イラクが大量破壊兵器を大量にもっていることなどない。
アルカイダとの協力関係もない。 それはイラクについて研究して
いた人間にはすぐにわかることです。

しかし日本政府は・・・イラク戦争に自衛隊を派遣しようとして
いました。

事情はそうだろうけど、日米関係は重要だ。 少々無理な話でも、
協力するのが日本のためだ」

p006
私は・・・駐イラン大使を務めました。
・・米国からの圧力によって、日本はハタミ大統領を招待するような
親イラン政策をとるべきではないという空気がしだに強くなったのです。

・・なんとかハタミ大統領の訪日にこぎつけました。

日本はイランのアザデガン油田の開発権を得ることになったのです。

「日本がイランとの関係を緊密にするのはけしからん、・・開発に
協力するのはやめるべきだ」とさらに圧力をかけてきました。

その後、・・・開発権は中国が手に入れました。

p008
米国からの圧力や裏工作は、現実に存在します

==>>  凄いことが書いてありますね。
実際に 駐イラン大使として仕事をしていた中で、上記のような経験を
した本人が書いているんですもんね。
ただ単に、研究者が書いている本じゃないですからね。
外交の最前線で働いてきた人が書いた本には 説得力があります。

p009
歴史を見れば、「自主」を選択した多くの政治家や官僚は排斥
されています。 
ざっとみても、
重光葵、芦田均、鳩山一郎、石橋湛山、田中角栄、細川護熙、
鳩山由紀夫などがいます。
意外かもしれませんが、竹下登や福田康夫も、おそらく排斥された
グループに入るでしょう。
・・・米国から圧力をかけられた官僚は私の周辺にも数多くいます。

びっくりしました。 CIAなどの情報機関が動くなら、ありえる
ことだと思います。 しかし副大統領自身が先頭にたって排除に
動いていたのです。

この事実を知ったとき、米国という国のすごさを感じました。

==>> この著者本人が いわゆる諜報を専門にやっていた人
ですからね。 その本人が こんなことを書いちゃって
大丈夫なんでしょうか。 そのこと自体が びっくりしました。

p010
米国との関係を最重視する日本人のグループ、つまり戦後日本の
主流派です
が、彼らが排斥に加わります。それが日本の姿です。
・・もっとも多く関わったのは、おそらく吉田茂首相でしょう。

その3に続く。

 

 

 

 

 

 

 

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2013年3月 5日 (火)

「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その1 対米追随vs自主外交

今日から、この本を読んでいきます。

「戦後史の正体」
孫崎亨著 (「戦後再発見」双書)

amazonには以下のように紹介されています。
http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%8F%B2%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E3%80%8C%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%86%8D%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%80%8D%E5%8F%8C%E6%9B%B8-%E5%AD%AB%E5%B4%8E-%E4%BA%AB/dp/4422300512

内容紹介
日本の戦後史は、アメリカからの圧力を前提に考察しなければ、
その本質が見えてこない。元外務省・国際情報局長という日本の
インテリジェンス(諜報)部門のトップで、「日本の外務省が生
んだ唯一の国家戦略家」と呼ばれる著者が、これまでのタブーを
破り、日米関係と戦後70年の真実について語る。

目次
はじめに
序章 なぜ「高校生でも読める」戦後史の本を書くのか
第一章 「終戦」から占領へ
第二章 冷戦の始まり
第三章 講和条約と日米安保条約
第四章 保守合同と安保改定
第五章 自民党と経済成長の時代
第六章 冷戦終結と米国の変容
第七章 9・11とイラク戦争後の世界
あとがき

========

では、私の心に残った文章、あるいはひっかかった文章を引用しながら、
==>>のところに私のコメントを書いてみたいと思います。

「はじめに」

これまでほとんど語られることのなかった「米国からの圧力
を軸に、日本の戦後史を読み解いたもの

「米国の意向」について論じることは、日本の言論界では
タブーだからです。

・・・1966年外務省に入省。 英国陸軍学校に派遣されロシア語を
学ぶ。 ソ連に5年、イラクとイランにそれぞれ3年ずつ勤務。
東京では情報部のトップである国際情報局長。
2002年から7年間防衛大学校教授。

そのなかでくっきりと見えてきたのが、戦後の日本外交を動かして
きた最大の原動力は、米国から加えられる圧力と、それに対する
「自主」路線と「追随」路線のせめぎ合い、相克だったということです。

日本だけではありません。 世界中の国々の歴史は、大国との関係
によって決まります。 そのことがわかれば、自国の歴史も
国際情勢も、まるで霧が晴れるようにくっきり見えてくるのです。

「自主」と「対米追随」、このふたつの路線のあいだで最適な
回答を出すことが、これからも日本人には求められつづけるからです。

「米国との関係は、そのときの状況によって変化する。」

国際政治というゲームのなかで、米国という王将を守り、
相手の王将をとるために利用されることに変わりはありません。

「米国はわれわれよりも圧倒的に強いのだ。 これに抵抗しても
しょうがない。 できるだけ米国のいうとおりにしよう。そして
そのなかで、できるだけ多くの利益を得よう。」

もうひとつの生き方は
「日本には日本独自の価値がある。 それは米国とかならずしも
いっしょではない。 力の強い米国に対して、どこまで自分の
価値をつらぬけるか、それが外交だ」

・・・そして、著者は 「私は後者の立場をとっています。」
と明言しています。

いまではすっかり忘れられてしまいましたが、かつては
日本の外務省の中心的な思想でもあったのです。

==>> 私自身は、いままでこの類の本を読んだことは
ほとんどありませんでした。
高校時代から、日本史の授業は苦手だったんです。
しかし、戦前、戦中、戦後について、45年前の学校時代にもほとんど
学ぶ機会がなかったことが、現在の学校教育でも相変わらずだと
若い人たちに聞いて、なぜそういうことになってしまったのかと
心から不思議でなりません。

この本は友人から紹介してもらった本です。
パラパラと読んでみただけで、「高校生でも読める」ように書いてある
こともあって、なるほどと納得しながら読める本だと思いました。

この本は、戦後について書いてあるだけですが、
この本に出会えたことは 幸運なのではないかと感じています。

歴史の大きな流れ、日本の政治の核心部分がこの本に書かれている
と思うからです。

これから、ゆっくりと読んでいきたいと思います。

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日本語の不思議・・・意味はイントネーションで決まるのか、文脈なのか・・・

日本語の不思議・・・意味はイントネーションで決まるのか、文脈なのか・・・

「嫌いじゃないかな」という言葉を聞いたら、あなたはどういう
状況をイメージしますか。
そう、この言葉の意味をどう理解しますか?

この前テレビを見ていたら、出演者がこのフレーズを言ったんです。

それで、日本語教師症候群が再発。

(1)自分のこととしてのフレーズ

「(あなたは)この色は好き?」
「嫌いじゃないかな。」

意味を二つにとれますよね:

私はその色は嫌いではない。  (A)好きの肯定

私はその色は嫌いかもしれない。 (B)好きの否定

(A)は、 「嫌いじゃない」かな~~、という感じで、やや曖昧ながら
「嫌いではない」となって、イントネーションが「ない」にありますかね?

(B)は、 「嫌い」じゃないかな~~、とこれもやや曖昧ながら
「嫌いである」の意味になり、イントネーションが「嫌い」の方に
ありそうですね。

(2)第三者のこととしてのフレーズ

「(彼女は)この色は好き?」
「(彼女は)嫌いじゃないかな。」

これも、意味を二つにとれますね:

彼女はその色は多分嫌いではない。 (C)好きの肯定

彼女はその色は嫌いだと思う。   (D)好きの否定

そこで問題なんですよねえ・・・・この会話を音声として聞けば
ある程度は 上の四つのうちのどれかっていうのは判断が付きそう
なんですけど、この話言葉をそのまま文字にしたとしても
イントネーションも分からないし、前提になる状況やら文脈も
分からないわけで・・・・

そうしたら、話言葉で書くとして、どこまで書けば4つを区別
できるんか
、ってことなんです。

演劇の台本みたいなト書きは無しですよ。
台詞だけで、最低限の台詞で、4つを区別するには どこまで話言葉で
書かなくちゃいけないかって問題です。

ちょっとトライしてみましょうか。

元々の形としては:
「この色は好き。」
「嫌いじゃないかな。」

なんですけどね。

少なくとも「この色は好き?」と「?」マークを入れないと
話がややこしくなりますよね。

(1)ーA 好きの肯定

「あなたは、この色は好き?」
「嫌いじゃない、かな。」 または 「うん、嫌いじゃないかな。」

(1)-B 好きの否定

「あなたは、この色は好き?」
「嫌い、じゃないかな。」または「いや、嫌いじゃないかな。」

(2)-C 好きの肯定

「彼女は、この色は好き?」
「嫌いじゃない、かな。」 または 「うん、嫌いじゃないかな。」

(2)-D 好きの否定

「彼女は、この色は好き?」
「嫌い、じゃないかな。」または「いや、嫌いじゃないかな。」

・・・こうやって書いてみると、少なくともいわゆる「主語」が質問の
方に入っていないと分からない。

答えの方は、 「、」をどこに入れるか、あるいは、「うん」や「いや」
という言葉を付け加えないと判断が難しいってことですね。

しかし、日本語は、ほとんどの場合、主語を省いてしまうという
ことが多いですから、そこが難しいですよね。

それはやっぱり、誰と誰が誰のことを話しているのかが、
場面の状況として文脈の中に表れるような 話しことばの表記が必要って
ことになりますか?

これを書き言葉で書いてみると、

「あなたは、この色は好きですか。」
「嫌いではないと思います」又は「はい、嫌いではないと思います。」

「あなたは、この色は好きですか。」
「嫌いではないかと思います。」又は「いいえ、嫌いではないかと思います。」

「彼女は、この色は好きですか。」
「嫌いではないと思います。」又は「はい、嫌いではないと思います。」

「彼女は、この色は好きですか。」
「嫌いではないかと思います。」又は「いいえ、嫌いではないかと思います。」

「きらいではない」と思います。
「きらいではないか」と思います。

というように書き言葉では書き換えが出来るんですね。
「か」の有無で区別される。

これが、話しことばになっちゃうと
「きらいじゃないかな」
と同じ表現になってしまっているということか。。。。

・・・なんでこんなことを考えているかって言いますと。
私が日本語を教える場合は、書き言葉から入って、徐々に省略をしながら
話言葉に移って行くということをやっているわけです。

だから、最初に4つの書き言葉があったものが、どのように
「嫌いじゃないかな」の1つになっていくのかを説き明かしたいってこと
なんでございます。

お付き合い有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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