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2013年3月16日 (土)

Hp Ink Cartridge #28 DISAPPEARED from Baguio ???

HPのインク・カートリッジの28番(カラー)がバギオから消えた??

HP Ink Cartiridge No.28 for Color Print is MISSING from Baguio ??

I went to SM Baguio to buy Hp Ink Cartridge No.27 and No.28 yesterday, March 15, 2013.

I went to the top floor of SM Baguio as usual, and I found the 1st shop didn't have No.28 for Color Ink, though they had No.27 Black only.

So, I went around 5 or 6 other shops in SM Baguio, but in VAIN.

All of them had  Only No.27.

So, I went down to Porta Vaga, Session Road.

the 1st shop did not have it either,

and Finally, at the 2nd shop in Porta Vaga,  I found the both.

HOWEVER,   Hp Ink Cartridge No.27 and No.28 are as shown below photo :

002

it used to be  the Combo  of No.27 and No.28 each, two cartridges in one package.

but, now,  ......

Anyway,  you can buy No.27 for Black easily,  but,

it is very very HARD to find No.28 for Color !!

This is the very first experience in the Past 8 Years ....

What Happened !!???

HP のプリンター用のインク・カートリッジ 番号28のカラーインクは、バギオのお店から消えてしまっています。

皆様、ご注意ください。

しかし、こんなことは初めてです。

HPプリンター用インクの在庫管理は どうなってるの???

 

 

 

 

 

 

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フィリピンSMバギオに 日本車が勢ぞろい- 心ウキウキ

私は以前から、バギオで一番の大規模モール、SMバギオで、自動車の展示会を見てきたんですが、日本車を見かけたことがなくてねえ。 いつも寂しい思いをしていたんです。

001

昨日、久しぶりにSMに、プリンターのインク・カートリッジを買いに行ったら、下のフロアーで自動車の展示会をやっているじゃないですか。

「ああ、また、韓国車の展示会なんだろうなあ~~」

と思ったんですよ。

でも、いつもとは何だか雰囲気が違うかな・・・とも思ったもんで、下に下りてみたんです。

004

階段をおりたすぐ前にあったのがこれ・・・

マツダさんじゃあないですか!! 

「おおおお、お久しぶりでした。 マツダさん。」

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ギョギョギョ・・・ イスズさんじゃあ あ~りませんか!!

「ご苦労様です・・・」

006

トヨタさん・・・・ 当然ですよねえ~。

「嬉しいです、嬉しいです・・・・」

007

豊田さんがくれば、やっぱり本田さんもねえ・・・

「ホンダさん。 フィリピン人の憧れですもんねえ。」

うちの下宿の大家さん一族も、ホンダ派なんですよ。

バギオへ登ってくる、あのケノン道路で、大家さんの息子が ホンダ車を操って キャンプ1からバギオ総合病院までを 13分、たったの13分でですよ、で走ったという記録をもっているそうなんです。 普通は40~50分かかる山道ですよ。

008

もちろん、ニッサンさんも、いますよ。

唯一のトラック・タイプですね。

009

三菱さんは 普通の乗用車タイプです。

私も昔、駐在員だったころは、この三菱ランサーにお世話になりました。

フィリピンで運転できるように、日本で免許を取ったときには、オートマじゃなっくて マニュアルで講習を受けて、苦労しましたよ。

010

お尻ばかりじゃ失礼なんで、お顔も拝見しておきましょうかねえ~~。

ちょっと はしゃぎ過ぎですかねえ~~。

011

いずれも凛々しいお顔・・・ いいですねえ。

012

もちろん、日本車だけの展示じゃなかったんです。

どうも、今回の展示会はBDOっていう銀行がやっているみたいなんです。

自動車ローンのキャンペーンなんでしょう。

それにしても、10台の展示のうち、6台までが日本車、っていうのが嬉しいじゃないですか。

是非、日本の自動車メーカー・販売店には、 バギオの中央公園である バーン・ハム・パークで 最新のエコ・カーなどを ずらりと並べて 「メイド・イン・ジャパン エコ・カー・フェア大商談会」みたいなことをやって欲しいなあ~~。

なんてったって、バギオは 「夏の首都」と呼ばれる アメリカ時代からの第二の首都ですからね。

フィリピン中の 各界の富裕層、著名人、実力者が別荘を構えている土地柄ですから。

それだけの価値はあると思いますよ。

どうっすか、社長!!

 

 

 

 

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2013年3月15日 (金)

フィリピン・バギオの SKY CABLE は保守サービスが悪い

SKYCABLE フィリピンのバギオで スカイ・ケーブルの
NHK BSプレミアムのチャンネルを見ているんです。

一週間前の金曜日ごろから画面が乱れ始め、土曜日にはほとんど
番組をみられない状態になり、本日15日金曜日になっても
復旧せず。

もともとはアナログ放送だったのがデジタル放送になって
サービスが向上するのかと思いきや、アナログと違って
デジタルは画面の乱れが致命的なんですねえ。

今はしょうがないので、デジタルをアナログに切り替えて
CNNのチャンネルを聞き流しています。

・・・そこで気が付いたんです。

デジタルのチャンネル区分と料金体系なんですけど・・・
NHKは一番高いコースであるゴールド契約では見られなくて、
シルバー契約に入っているだけなんですねえ。(バギオでは?)

ゴールド契約だと、子供向けのディズニーチャンネルや
学習向けのディスカバリーチャンネルがあるんですけど、
NHKをみたいとおもうと、これらが見られない。
しょうがないから、シルバー契約をしてNHKを確保しておいて
その上にオプションでゴールド契約に含まれているチャンネルを
追加しなくちゃいけないって寸法です。
http://www.mysky.com.ph/locations/loc/2/manila/skycable-silver-channel-lineup-manila?utm_source=myskywebsitemlabasic&utm_medium=landingpage&utm_campaign=ChLineupSilvermla
(上記のサイトをみると、どうもマニラとバギオではチャンネル区分
が違うんじゃないかという疑問が。 バギオは日本人が少ない
ですからね。) 

もうひとつ気が付いたのが、
NHK、CCTV(中国)、KBS(韓国)のチャンネルは
インターナショナル・チャンネルという区分にはいっているん
ですけど、 CNN(アメリカ)とBBC(英国)は
ニュース・チャンネルの区分に入っているんですねえ。

ここはフィリピンですからね、日本人的な感覚で言えば
CNNやBBCのインターナショナルだろうって思うんですけど、
英語が公用語であるフィリピンじゃあ、CNNやBBCは
ほとんどローカル扱い
ってことですね。

実際、私の下宿の大家さんなんかに聞いても、
フィリピンの地元のニュースチャンネルなんかよりCNNの
方を信用
しているっていいますからね。

・・・それはともかく。

SKYCABLEよ!  一週間分の料金を返せ~~~~!!

これが言いたかったんです。

 

 

 

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「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その16 エリートのキンタマは?

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです

p122
「1945年8月、日本にやってきたアメリカ軍が目にしたのは
廃墟と化した都市、休止した工場、家を失った難民だった。
150万の兵士が死に、空襲による市民の犠牲者は50万に
のぼった。 あるアメリカ軍兵士は故国への手紙のなかで、
こう書いている。 「東京に近づくにしたがって、大都市の
姿が目に入ってくるどころか、なにもかも破壊されて、
一面真っ平らにみえてきました」

p123
江藤淳は次のようにいっています。
「信書の開封などは、戦時中の憲兵隊といえども、できません
でしたね。 ところが戦後占領が開始されると間もなく、
信書は開封されて徹底的な検閲をうけるようになりました。・・・」

p124
米国の方針にそった発言をする人々には大きな自由がありました。

「日本政府」なるものがあったのは、「日本政府」をおいたほうが
連合国にとって、日本を占領するのに都合がいいと判断し、
その存在を許したからにすぎない。

p125
「・・・すべてのことが占領軍まかせになった。 日本の政治家
も官僚も、外交とは占領軍を相手とした渉外事務にすぎないと

いう程度の認識しかもてなくなったのである」

「万事アメリカにおうかがいをたてる、アメリカの顔色を
見て態度を決めるという文字どおりの対米追随的態度は
日本人のなかにしっかりと定着した
のである」

==>> 「占領根性」と呼ぶそうです。
定着したのである・・・ってことは、今でも当然そうだ、ってこと
になりますね。
だから、次から次に首相も変わる。
日本の国民は自分たちで政治を動かしているつもりだが、実はそのように動かされている、ってことでしょうか。

p126
・・・彼らが外務省の対米追随一辺倒のあり方に、強く
警鐘を鳴らしていたのです。寺崎太郎は戦後次官までした
人物ですが、現在、寺崎太郎のことを知っている外務官僚は
ほとんどいません。 彼の考えは知られては困るのです。

p127
江藤淳は・・・日本における言論空間が「奇妙に閉ざされ、
統制されている」
ことにいらだちを感じ、その根源を探って
いくと、占領時代の言論統制に行きつくと書いています。

==>> そうですか。 今でもそういう感じがないわけでは
ないですね。 原発、放射能のことが今はもっぱらそういう雰囲気
になっているんじゃないでしょうか。
それが人と人の間をギクシャクさせているような気もします。
本当はどこかにあるデータが 隠されているんじゃないか・・とか。

p127
さらに問題なのは、こうした検閲の事実そのものが、日本人
には秘密にされていた
ということです。

==>> 今でも、お隣の大きな国でやっていることですけど、
我々の国は いわゆる「自主検閲」で似たようなことを
やっているってことになりますか。

p128
「占領軍の検閲は・・・高度な教育のある日本人5千名
雇用しました。」

彼等は自分が「日本人検閲官」だったという前歴を「公表
するぞ」といわれたら、非常に困ったと思います。
つまり米国の諜報機関に利用されやすい条件をもつ
インテリ層が、戦後の日本には大量に存在した。

このように米国の方針に逆らえば追放される、逆にすり寄れば
大きな経済的利益を手にすることができる。
この構図は今日までつづいているのです

==>> なんだか、暗澹たる気持ちになりますね。
エリートであればあるほど、米国にキンタマ(下品ですんません)
を掴まれているってことですか。

一度、アメリカ圏から中国圏に鞍替えして、こういう状態から
脱け出さないとダメってこと??

元々戦前までは、何世紀もの間 中国の属国みたいな歴史が
あるんですもんねえ・・・漢字をもらったり、仏教をもらったり・・

・・でも、どっちにしても属国ってことかあ~~。
いかんね。

その17に続く

 

 

 

 

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2013年3月13日 (水)

「独立記念日」 と 「主権回復の日」 は 何が違うんだ ??

「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その6 日本は今でも奴隷国である

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/03/post-25af.html

==>> 上記を書いてから数日たった3月13日、以下のようなニュースが産経ニュースにありました。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130313/plc13031303250003-n1.htm

「サンフランシスコ講和条約の発効から61年の今年4月28日を「主権回復の日」とし、政府主催の式典を開くことが閣議決定された。式典には、天皇、皇后両陛下も出席される。敗戦国の日本が占領体制から脱し、独立を回復した日である。」

「主権回復の日」であって「独立記念日」でもなければ「独立回復記念日」でもないんですね。 「独立」という言葉ではないのは、なにか深い意味でもあるんでしょうか。

英語だったらどのような翻訳をするんでしょう。

「主権回復の日」を日本語で読み下し文的に分りやすくしたら、「米国による占領時代を終わって主権を回復した記念の日」」というように読んでいいのでしょうか、それとも、この著者の考え方を反映して、「米国による占領時代のあと自主路線を未だに築いてこなかったから、早く日本の主権を回復したいと祈願する日」という意味なんでしょうか。

「独立記念日」だったら あきらかに過去に独立した、っていう意味合いになりますけど、「主権回復の日」っていうっていう言葉には、過去のことと将来のことの両方を表すことが出来るってことなんでしょうかねえ・・・

要するに、独立記念日という過去のことに重きがあるのではなく、今現在外国に取れれてしまった 北方領土や竹島などを取り戻そうという意志の方が、この名前に込められた本来の意味ってことになりますか?

新聞各社がどんな翻訳をするのか、興味深いですね。

ちなみに、上記の産経新聞のサイトでの見出しは、「独立回復の日 主権守り抜く覚悟新たに」 って書いてありますけどね・・・

 

 

 

 

 

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「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その15  国民の合意がいらない行政協定

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです

p110
米軍部は日本の再軍備をあきらめることはなく、1949年3月
1日には「日本防衛における米国の負担を軽減する観点から
日本軍の創設は望ましい」という結論に達します。

1950年6月、朝鮮戦争が起こりました。
・・・これで「トルーマン大統領・軍部」対「マッカーサー」
戦いに決着がつきます。

マッカーサーは吉田首相に次のような書簡を送っています。
「日本政府に、政府直属の国家警察予備隊7万5千人と
海上保安庁要員8千人の増加
の権限をあたえる」

==>> この書簡は朝鮮戦争発生後13日目だったそうです。
この時に 今の自衛隊の前身が出来ることになったわけですね。
私と同じ年齢です。

p111
ダレスは・・・「日本は自由主義の一員になろうとする以上、
自由主義の強化にいかなる貢献をしようとするおつもりですか」。

吉田首相は・・「・・再軍備は日本の経済自立を不能にする

ここで吉田はマッカーサーに泣き付きます。

p112

こうして日本の再軍備をめぐる日米の摩擦は、ひとまず決着
します。 ・・吉田首相が・・・ダレスに抵抗できあたのも、
マッカーサーがいたからです。

・・・ところが、マッカーサーは・・・・トルーマン大統領に
よって解任されてしまいます。

 

第三章 講和条約と日米安保条約

p116
独立と対米追随路線がセットでスタートし、日本の進む道が決まりました。

==>> ここで、著者が問題にしているのが、
講和条約と日米安保条約が調印された会場なんですねえ。
素人には分からない裏事情があったようです。
講和条約は要するに「日本の独立」を認めるってことですね。

p116
講和条約はサンフランシスコの華麗なオペラ・ハウスで、48か国
の代表が調印して結ばれました。

日米安保条約は・・・米国側は、アチソン(国務長官)、ダレス
(国務省顧問)、ワイリー(上院議員)、ブリッジス(上院議員)
4人が署名しています。
・・日本は・・・吉田首相ひとりです。 なにか変です。

場所は・・・米国陸軍第六軍の基地のなか、しかも下士官クラブでした。

p117
「・・・これはいかにも印象的ではないか。 下士官クラブで
安保条約の調印式をあげたことは、吉田一行と日本国民に
「敗戦国」としての身のほどを知らせるにはうってつけだった・・」

私は寺崎太郎の次の記述を見てびっくりしました。

p118
サンフランシスコ体制は、時間的には平和条約(講和条約)-
安保条約ー行政協定の順序でできた。・・・
・・本能寺(本当の目的)は最後の行政協定にこそあったのだ・・・

最大の問題は、旧安保条約には米軍の日本駐留のあり方について
の取り決めが、なにも書かれていないということです。
・・「条約」が国会での審議や批准を必要とするのに対し、
政府間の「協定」ではそれが必要でない・・・

==>> これが今の沖縄問題を難しくしているって
ことになりますか。

このあと当たり前になってしまう「協定や合意文書という
形で米国と密約を結び、国民の目の届かないところで運用
してしまおう」という姑息な考えは、当時の外務官僚は
もっていなかったのです。

p110
「外務省の寺崎アメリカ局長は(枢軸派が勢力を強めるなかで)
孤立状態にありながら戦争回避に熱意と努力を傾注しつづけた
まさに頭のさがる思いであった」

==>> その当時は、どこにでも、少数とはいえ「サムライ」
がいたんですね。

その16に続く

 

 

 

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2013年3月12日 (火)

「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その14  歴史から学ぶ 外交官のテクニック

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです

ウィキリークスが公開した機密外交文書のことが出て来ました。

p104
(イラン大使に対して)イラク大使は次のように説明した。
「・・われわれは他国の政策がどうかを正確に知ることはできません。
たとえ一時的にそれを知り得たとしても、その後のさまざまな
出来事や認識の変化によって、政策は急速に変わります。
米国はイランをけっして攻撃しないというように、特定の
出来事が起こらないと推定し、その推定にもとづいて政策を
立てるのは間違いです。

イラク大使が二度の対米戦争から、貴重な事実を学んでいること
がわかります。

==>> そして、ここがポイントなんですが、イラン大使の
不可解な楽観論、つまり米国はイランを攻撃してこないという
意見について、著者は次のように書いているのです。

p105
イランは国家の方針として原子力開発を進めています。
しかし米国は軍事攻撃をちらつかせて、それをやめるよう
圧力をかけています。 そんなときにイラン大使が本国へ、
「米国の軍事攻撃はありえます」などという電報を送ると、
「なんだ、あいつは、原子力開発をやめろというのか。
本国の方針に逆らうつもりか」となって
最悪の場合、解任されてしまうこともありえます。

==>> そして、イラン大使は、自分ではそんなことは
本国に言えないから、そういう意見をイラク大使の口を
借りて言っているという、外交官のテクニックらしいのですねえ。

p105
「イラク大使が軍事攻撃はあるといっています。
ひょっとすると正しい判断かもしれません」という形で
警告するのはセーフです。

==>> さすがに著者ですねえ。 元駐イラン大使ですからねえ。
外交官のテクニックなんですね。

さて、朝鮮戦争の話に戻ります。

p107
(戦後の日本は)食糧事情が深刻でした。 1946年の
米の配給は1日ひとり当たり1合(お茶碗二杯分)です。

1946年、47年の輸入品にしめる食料の割合は55~56%
です。 食料がなんとか国民に十分行きわたるようになるのは
1950年以降です。

==>> そうでしたか。 私の両親も食料事情が良くなって
来るのを感じて 私を産む決心をしたんでしょうかねえ・・・
貧乏であることに変わりはなかったですけどね。(笑)

p107
朝鮮戦争が起こりました。 米軍は戦争に必要な膨大な物資
とサービスを日本で調達するようになります。
これを朝鮮特需とよんでいます。

==>> 私が生まれたのは、朝鮮半島に一番近い軍港である
佐世保市ですからね。今も、米軍や自衛隊の基地になって
います。 中学生の頃、初めて英語を勉強して、アメリカには
憧れたものです。
多分、それが生涯 英語を勉強する仕事についた理由かも
しれません。
いずれにせよ、我が家もこの朝鮮特需で生活が出来た
ってことになるのでしょう。
我が家は和菓子のお店でしたけどね。

p107
こうした朝鮮特需のおかげで、1950年10月、日本の
鉱工業生産は戦前を上まわるようになります。

p108
アイゼンハワー大統領は退任時に、軍産複合体の脅威に
警鐘をならす有名な演説を行いました。

軍産複合体による不当な影響力の獲得を排除しなければ
なりません。
誤ってあたえられた権力の出現がもたらす
かもしれない悲劇の可能性は存在し、また存在しつづける
でしょう。
・・・もっとも弱い立場の者が、道徳的、経済的、軍事的
な力によって守られたわれわれと同等の自信をもって
話し合いのテーブルにつかなければなりません。」

アイゼンハワーは軍人です。 戦争の悲惨さを知っています。
彼の演説を読むと、いかに戦争を避けるかを真剣に考えて
いることがわかります。

==>> 素晴らしいと思います。
そして、この著者も2009年まで防衛大学の教授なんですね。
私は戦争の悲惨さを知っているわけではありませんが、
悲惨さを知らない人間が 右派であれ左派であれい勇ましい
話をするのは嫌いです。 理想ばかりを語るのも嫌いです。
戦争を知り、軍事を知り、それを避けるために、理想を実現するために、如何に専門家の知識を尊重するかが重要だと思います。

もしかしたら、こういう考え方に私自身がなったのは、
フィリピンに通算10年間生活して、太平洋戦争中の
フィリピンにおける悲惨な戦争の歴史を身近に知る機会が
与えられたからなのかもしれません。

その15に続く

 

 

 

 

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2013年3月11日 (月)

「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その13 北朝鮮軍が韓国に攻め入りました

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです

p100
1950年6月、北朝鮮軍が韓国に攻め入りました。

==>> なんだか、今の時代の話みたいになってきましたが・・・
私が生まれるちょっと前の話です。

p100
1950年6月25日午前4時、38度線で北朝鮮軍の砲撃が
開始されました。 30分後には約10万人の朝鮮人民軍が38度
線を越えて韓国を攻撃しました。 ソウルはあっというまに
陥落し
、・・・半島南部の釜山周辺まで追い込まれました。

国連軍が編成され、10月20日には平壌を占拠し、5日後には
中国との国境の鴨緑江付近まで攻め込みます。

中国軍が北朝鮮に人民義勇軍を派遣しました。
1953年7月27日に板門店で休戦協定が調印され・・・

==>> そうですか。 私が生まれた頃に平壌が陥落したんですね。
こういう歴史は、初めてまともに読みました。
親から「朝鮮戦争の時は景気がよかった」って話は聞いたことが
ありますけどね。 軍港である佐世保市ですから。

p101
この戦争の死者は全体で400万人ー500万人ともいわれ、
その大半が一般市民だったとされています。

p102
1950年1月、アチソン国務長官は次のような演説をしています。
アメリカの防衛ラインは、アリューシャン列島から日本列島、
沖縄をへてフィリピンにいたるラインである。
この防衛ラインを
越えた場合、アメリカは武力をもって阻止する」

ソ連や北朝鮮が、「北朝鮮が韓国を攻撃しても米軍は動かない」
と判断したとしても無理はありません。

米国の意図を正確に知ることはきわめてむずかしいのです
それはある日まで正しいとされた考えが、急に変化することが
あるからです。

===>> おおお、そりゃあ、北朝鮮の読み誤りっていうより、
アメリカの引っかけだったんですかねえ・・・
まさか、日本に軍備をさせるために、わざわざ理由を作った
ってこっちゃあないでしょうね。
・・まあ、疑ったらキリがないないっすけどね。

最近の中国とのゴタゴタって、本当ですか??
疑っちゃうなあ~~。

それと、今のアメリカの防衛ラインって、どこにあるのかな?
尖閣諸島は 入っているのかな??

p103
イラクは朝鮮戦争のときの北朝鮮と同じように、「自分たちが
攻撃しても米国は攻めてこないだろう」という判断ミス
犯しました。 そして結局サダム・フセインは2003年の
イラク戦争で逮捕され、3年後に処刑されることになったのです。

歴史は過去を知るために学ぶのではなく、

現在起こっている問題を理解するために学ぶのだ・・・

==>> この言葉は良い教訓ですね。 

日本は周辺の国々との間で、いわゆる「歴史認識」の問題ですったもんだしていますけど。 現在起こっている問題を理解する為には、どのような真実が学ぶに値するのかってことですね。 真実も正義も いろんな立場、視点で、たくさんありますからね。

少なくとも、自分に都合のいいことばっかりだったら、学ぶには値しないんじゃないですか?

その14に続く

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「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その12 マッカーサーは 日本を中立国にしたかった

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです

p96
「世界情勢を見渡してみると、最大の危険、最大の責任を
もつ場所は西ドイツと日本というふたつの占領地域だった。
この両国を共産主義の圏外に確保し、その巨大な目的の
ためにフルに活用できるようにする
ことが、ぜひとも
必要だった」

p097
「フーバー元大統領は・・・日本やドイツこそロシアに対して
西欧文明の主要な前線」となるものであり、日本は
「共産主義の行進に対する真のイデオロギーの堤防」に
なると説いた」

==>> 西欧文明の前線・・・ってのが ?? ですけど。 日本はアジアではなく、ロシアは西欧じゃないって発想ですか?

1947年3月、ドイツと日本の占領政策実施の責任者で
あるドレーバー陸軍次官が来日します。
・・・ドレーバーは当時の日本経済を「死体置き場」だと
表現しています。

トルーマン大統領はデトロイト銀行頭取のドッジをワシントンに
よび、日本経済を復興させるよう依頼しました。

p098
米国にとっての国益だと判断すると、一気に戦略を180度
転換
させたのです。 この変わり身の速さはみごとというしか
ありません。

==>> 日本人は自分たちの力で戦後の復興と繁栄を作った
かのように思い込んでいますが、アメリカによる復興だった
ってことですね。
日本の国も これぐらい国益を考えて変わり身の速い国で
あって欲しいと思いませんか?
実にグダグダしていて 一向に前に進まない、進めない
日本人ってなんなんだ。

p098
政策だけでなく、人のあつかいも変わります。
戦犯が釈放され、政界に復帰する動きがつづきます。
まさに岸信介が獄中で予想したとおりになったのです。

==>> つまり、東京裁判ってのは、米国のご都合主義で
どうにでもなったってことか。

p099
「・・・マッカーサー元帥の考えでは、日本に一番ふさわしい
あり方は、国連およびアメリカの好意による一般的な保護の
もとに、恒久的な非武装、中立の状態に立つことだった
。・・・」

冷戦がなければ、そして朝鮮戦争が起きなければ、米軍は
かなり早い段階で日本から撤退していたはずだったのです。

==>> ほお~~~。 マッカーサーがそんな考えを
持っていたとは・・・ 社会党なんかと同じような考え方
じゃないですか?
私も若いころには、スイスの永世中立ってのが日本の
あり方じゃないかと思っていた時期がありました。
もっとも、そういう話になっていたら、経済は他のアジア諸国
よりも下という枠をはめられていたんでしょうけど。

要するに、日本がどういう形になろうが、アメリカにとって
都合がよければ それでいいってことですな。

その13に続く

 

 

 

 

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「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その11 日本はアメリカの将棋のコマ

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです

第二章 冷戦の始まり ・・・・に入ります。

p090

日本経済を低水準にとどめておく」という政策は、1948年
に変更されます。

p091
政策変更の理由の要点だけピックアップすると:

ー 占領経費が高額になっている。
ー 米国の脅威にならないようにする。
ー 1947年現在、戦前の40%レベルの日本経済である。
ー 物資の不足が続く。

「日本の占領においては、将来極東で起こるかもしれない
全体主義との戦争に対し、日本が抑止力として貢献すること
のできるよう、自給自足の民主主義を作る
ことが目的です。」

冷戦下のソ連との戦いのなかで、日本を防波堤として使う
という考えが出てきたのです。

==>> 随分昔ですが、「日本は不沈空母だ」と言った首相が
いましたね。 マスコミによってたかって叩かれましたけど。
あれは、単に本当のことを言っただけだったんですね。

「訪米中に中曽根が語ったとされる「日米は運命共同体」発言、
日本列島不沈空母化」及び「三海峡(千島・津軽・対馬)
封鎖発言」により、アメリカとの信頼関係を取り戻し・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9B%BD%E6%A0%B9%E5%BA%B7%E5%BC%98

こちらのサイトでは、「通訳の語訳という説もある」って書いてありますが・・・
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/193327/m0u/
まあ、もし誤訳だっていうんなら、なんらかの反論を首相もしていたんで
しょうから、どうなんですかねえ・・・
「おお、その誤訳・・いいね」ってなったのかも。

p092
「米国はその世界戦略のなかで、各国をどのように使うかを
つねに考えています。 米国の世界戦略が変われば、将棋の
コマである日本の役割も大きく変わります」

・・もっともっと早い時期から、「米ソ間で冷戦が起こりつつ
ある。
 このことは自分たち日本人に大きな影響をあたえる」
という観察をしていた人物がいます。
・・・岸信介です
のちの首相で「昭和の妖怪」とよばれた人物です。

「冷戦の推移は、巣鴨(拘置所)でのわれわれの唯一の頼み
だった。 これが悪くなってくれば、首を絞められずに
(死刑にならずに)すむだろうと思った」
妖怪といわれるだけあって、すごい人物だと思います。

094
終戦後、米英とソ連は、たがいの勢力圏をどう確定するかで
激しく対立するようになりました。

095

東西陣営の綱引きが、日本の占領体制のあり方を変えることに
なったのです。
・・・岸信介はそのことをよくわかっていました。

p097
ソ連に対抗していくには・・・
日本、ドイツをもう一度仕事につけるべきだ

==>> 確かに岸信介ってすごい妖怪だったんですね。
戦犯として拘置所にありながら、誰よりも冷戦がくることを
分かっていて、それを待っていたってんですから。
そして、この著者は、岸信介は みんなが思っているような
「米国追随」じゃなくて「自主路線」派なんだと言っているんです。

確かに、本人の意識からいえば、冷戦になれば米国は
俺が必要になって檻から出してくれるだろう、と読んで
いたわけですからね。 そういう意味では自分の命を
助けるために米国を使ったわけだ・・・

その12に続く

 

 

 

 

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「暴力撤廃」って言い方は ありですか?

マニラ新聞をたまに読んでいて、ちょっと違うんじゃないかなって
思うことがあるんです。

日本語教師じゃなくても、「あれっ」て感じるんじゃないかと
思うんですけど・・・・

下記の記事の見出しなんですけど。

http://www.manila-shimbun.com/
今こそ行動を [ 702字|2013.3.11社会|新聞論調 ]
女性への暴力撤廃宣言

・・・なんか変だと思いませんか。

「撤廃」って言葉を漢和辞典で調べてみたんですけどね・・

〔今まで行われてきた制度や規則などを〕取りのぞいてやめること。
取りやめること。廃止していっさい行わないようにすること。
「人種差別撤廃」「米の統制を撤廃せよ」

・・・と書いてあるんです。

「暴力撤廃」って書いちゃうと、
「暴力」が 制度あるいは規則ってことになっちゃうわけなんですよね。

フィリピンじゃあ 暴力は制度・規則なのか、って話になっちゃう。

これはやっぱり「暴力追放」じゃないでしょうかねえ。

あなたはどう思います???

ご検討ください。 (笑)

 

 

 

 

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「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その10 不都合な事実は黙殺する日本

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです

昭和天皇と憲法の部分を読みます。

p086
日本国憲法では、第一条で「天皇は日本国の象徴である」、
第四条で「天皇はこの憲法の定める国事に関する行為のみを
行い、国政に関する権能を有しない」としています。

大学で憲法を学びました。 天皇は政治に直接関与しない
と教わりました。しかし、歴史を見るとちがうのです。

p087

沖縄に関する極秘メッセージです。

「・・・寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を
継続するよう天皇が希望していると、言明した。・・・」

p088
ここで昭和天皇はGHQ側にたいして、「沖縄を半永久的に
軍事占領していてほしい
」と伝えているのです。

本来、大変な反応があってよいはずです。
・・・新聞、雑誌は、この論文について大論争をくりひろげ
なければおかしい。

「それが日本の新聞や学界は、まったくの黙殺でした。」

「不都合な事実には反論しない。 あたかもそれがなんの意味も
持たないように黙殺する」
それが戦後の日本のメディアや学会の典型的な対応なのです。

==>> 本来ならば、憲法に反する事実があったのに、
研究者、学界、新聞、国会議員、検察・・・特にメディアは
大騒ぎしなくちゃいけないはずなのに、完全に黙殺したってことなんですね。

・・・まあ、天皇に向かって「それは違うだろう」って言える
のは、アメリカぐらいでしょうけどね。
アメリカにとって、天皇といえども占領時代は「奴隷」だった
わけですから。

昔の話じゃあないですね。
今でも、特に原発なんかについては、かなりの黙殺が
あるんじゃないでしょうか。
その不都合な黙殺が、大震災で露出してしまった・・・

ところで、東日本大震災で世界中から集まった支援金は
どのように使われたんでしょうね。
大手の新聞などでそういう報道はありましたか?
もしそういう記事があったら ご存じの方は 教えてください。

そういう支援金が、再起しようという人たちの手助けに
なっているのかな、っていうのが気がかりなんです。

まさか、国のお金みたいに、関係のない変なところに
使われていないでしょうね・・・

その11へ続く

 

 

 

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東日本大震災の東北 - 大津波の被災地を思い出す   ツアーを振り返って

2011年3月11日の東日本大震災と大津波、そして原子力発電所爆発による被災地である東北。

震災による死者は1万5881人、行方不明者は2668人(8日現在、警察庁まとめ)。

「関連死」を含めた犠牲者は2万人以上。

その他、2年を経た今でも、避難生活を続ける人たちや、仕事を奪われた人、家族離れ離れの人たちも大勢いらっしゃるのだと思います。

今日は、犠牲となった皆様への哀悼の気持ちと被災地や避難先で今も苦難の生活をされている被災者の皆様への安寧への祈りを捧げたいと思います。

昨年2012年に日本へ一時帰国した折に、東北へのツアーに参加しました。

その時の記事はこちらです:

パック・ツアーで東北へ:東日本大震災から1年の町を行く

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/04/post-963a.html

塩釜、南三陸、気仙沼、陸前高田、大船渡、釜石、宮古、東日本大震災・津波の町々を行く

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/05/post-671f.html

東日本大震災・津波 被災地見学・ボランティア・ツアー 南三陸町など

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/05/post-bb7c.html

三陸鉄道にも 乗ってください   

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/05/post-5de7.html

その時に撮影した写真を少しだけ・・・

Photo

Photo_3

Photo_4

Photo_5

私は、1年前にこの被災地に立った時には、足が、全身が、震えるような気持ちになりました

映像や写真でみる被災地とは 全く違います。

「震災から2年 今できる復興支援」というサイトがありました。

http://shinsai.yahoo.co.jp/

様々な形で東北を訪れることが 復旧復興に役立つのだろうと思います。

古い情報かもしれませんが 被災地(東北)応援ツアーリストのページ

http://matome.naver.jp/odai/2133138768831962601

上記のサイトの注意書きにありますように、興味本位ではなく 静かにお祈りをしに行くような心持でいる方がいいかもしれません。

合掌

 

 

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「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その9 国策捜査って米国のってこと?

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです

p078
昭和電工事件とは、「G2(参謀第2部)-吉田茂ー読売新聞・
朝日新聞」 対 「GS(民政局)-芦田均ーリベラル勢力」

という戦いだったのです。

==>> へえ~~、読売と朝日は同じ釜の飯を食っていたんだ。
こんなことを書いたから、朝日新聞の書評で叩かれて、
叩いたはいいけど朝日も突っ込まれて訂正記事なんかを
出すことになったんですか?

p079
G2は共産主義との対立を最優先し、GSは日本の民主化を
最優先
しました。・・・・
・・・「昭電事件」によってG2が勝利し、決着がつきます。

p080
冷戦が始まり、東西陣営の対立が深刻化するにつれ、米国は
日本の民主化よりも、日本を共産主義勢力との戦いのために
利用するという方針に転換
したのです。

検察は米国と密接な関係をもっています。とくに特捜部は
GHQの管理下でスタートした「隠匿退蔵物資事件捜査部」を
前身としています。

米国の情報部門が日本の検察を使ってしかける。 これを利用
して新聞が特定政治家を叩き、首相を失脚させるという
パターンが存在することは、昭電事件からもあきらかです。

p081
昭電事件が報道されるなか、・・読売新聞は次のような
世論調査を報じます・・・また・・朝日新聞は・・と論じて
いました。
芦田首相自身は昭電事件に関与していません。 しかし
道義的責任があるとして・・・
・・・けれども検察は攻撃をやめません。・・・容疑を無理やり
作り、とにかく逮捕したかったとしか思えません。 結局この
容疑は、1952年に無罪となっています。

p081
だから芦田がふたたび首相になって、謀略をしかけた勢力に
報復する可能性を消しておく必要があったのです。
この状況は・・・田中角栄首相の追い落としのケースと
極めて似ています。

==>> ほお~~~、敗戦直後と同じようなことが
今でも首相のまわりで繰り返されているってことになりますか?
小沢一郎さんも これの犠牲者ですか?
なんだか、中国に近づくものは消されるというパターンみたいですね。

p082
特捜部が手掛ける事件は、最初から自分たちが捜査・摘発し、
起訴する場合が多い。 日本のような一審有罪率99.9%
の国で、捜査・摘発と起訴を同じ組織が行うわけですから、
特捜部がその気になれば、どんなっ事件だって作ることが
できます。

p084
芦田均  昭和電工事件
田中角栄 ロッキード事件
竹下登  リクルート事件
橋本龍太郎 日歯連事件
小沢一郎  西松建設・陸山会事件

p085
東京地検特捜部のエリートのなかには、米国との関わりの
深い人物がいます。

p086
この小沢事件のもっとも重要なポイントは、2009年
3月に始まった検察と大手メディアによる激しい攻撃が
なければ、・・・小沢一郎はほぼ確実に日本の首相になって
いたということです。

東京地検特捜部は、日本の正統な自主路線の指導者を
意図的に排斥する役割をはたしてきたのではないか
」という
推測が、ついに物証つきで証明されるかもしれない・・・・

==>> 国策捜査って言葉がありますけど、
この「国策」って言ういみは「米国の国」って意味だった
ってことになるみたいですね。

その10に続く

 

 

 

 

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2013年3月10日 (日)

「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その8 ライシャワーも批判した日本国憲法

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです

日本国憲法の部分を読みます。

p068

マッカーサーは自分たちで日本国憲法の草案を書いたあと、
それを受け入れるよう、強く日本政府に要求したのです。
・・・現場の指揮をしたのが、GHQ民政局(GS)の
次長ケーディス大佐でした。

ホイットニーは、当時日本側が作成中だった憲法草案を
完全に否定
し、自分たちの草案を採用しなければ天皇が
戦犯になるかもしれないとおどしました。

p070
もし日本政府がこのGHQが作成した憲法草案を受け入れ
なければ、天皇は戦犯として処刑されるかも
しれないし、
吉田外相をはじめとする現政府のメンバーも権力の座に
残ることはできないと猛烈におどしているのです。

「昭和天皇独白録」は、・・・
天皇陛下の言葉として「この憲法制定に際し、貴将軍に
おいてひとかたならぬご指導をあたえられたことを
感謝いたします」という言葉を書いています。

ライシャワー元駐日大使は著書の中で、
「マッカーサーは自分で日本国憲法を書いてしまった」
・・・と、はっきりこのことを批判しています。

p071
戦後初の総選挙で勝利した鳩山一郎・自由党総裁(鳩山由紀夫
元首相の祖父)が、組閣直前にGHQから公職追放されていました。
代わりに首相となった吉田茂は、・・・・
第一次吉田内閣のもっとも重要なミッションが、このGHQの
作った憲法の施行だったことはまちがいないでしょう。

==>> ってことは、今回の由紀夫首相もお爺さんと
同じような裏事情で 飛ばされたのかな・・・??
自民党も民主党も 日替わり定食ならぬ 年替わり首相で
ころころ変わったのも 裏になにかがあるのか・・・
米国の恐ろしさが身に染みたところで、過去の日替わり首相
の中では アベノミクスをやる男が一番良さそうだって
ことに米国が気が付いた・・・のかな?

==>> 私は改憲したほうがいいと思っているんですけど、
なぜ社民党やら共産党やら民主党やらが、彼らが良いと思う
方向に憲法を改正しようと言わないのかが さっぱり
分かりません。
マッカーサーが作った憲法を なぜそんなに頑なに
守ろうと必死なのか。
なし崩しにされて なにも手が出せずに遠吠えだけやるんなら
俺にだってできるよ。
頭のいい人たちには 頑張っていただかないとねえ。

p071
憲法制定後はじめての総選挙で社会党が第一党になるというのは、
不思議に思われるかもしれません。・・・・

p071
・・・なぜマッカーサーが許したのか・・・

その理由はキリスト教との関係にありました。
マッカーサーにとっての民主主義とは、その基盤にキリスト教が
存在するものだったのです。
・・・「キリスト教を日本人に布教するのは、今が絶好の
機会である」

片山氏が日本の首相として・・・・歴史上、実に初めて
日本は全生涯をキリスト教徒としてすごした指導者によって
指導される。 ・・・・」

p074

社会党政権である片山内閣ができたとき、GHQ内の左派勢力
であるGS(民政局)はそれを応援していました。
ところがその片山内閣をつぶしたきっかけも、GSによる
介入だったというのです。
・・・ですから米国から不当な圧力をかけられたときは
ひとまず「NO」といって、風向きが変わるのを待つ策が
あります。

==>> アメリカも一枚岩ではなくて、右派もいれば左派も
いるから、その辺りの事情もしっかりみて日本の自主路線を
探る必要があるってことですね。

しかし、社会党政権まで許して、それが過度に左に行き
始めたら首を斬るってのが余裕っていうか、まさに掌の上ですね。
キリスト教を日本人の精神的支柱に変えたいという発想が
これまたびっくりですけど、具体的にはその布教というか
拡大策をとったんでしょうかねえ・・・
興味あるなあ。

その9に続く

 

 

 

 

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「戦後史の正体」 孫崎亨著 : その7 日本はフィリピン以下であるべきだ?

「戦後史の正体」 孫崎亨著 を読んでいます。
==>>の部分は 私のコメントです。

米国による占領政策の部分です。

p059
1945年9月22日に国務省が発表した
「降伏後における米国の初期対日方針」がもっとも重要・・・

「日本は米国に従属する」。 それが米国の基本方針なのです。
政治では
①非軍事化
②戦争犯罪人の処分
③民主化
が決められます。

p060
経済では・・・
「日本の軍事力を支えた経済的基礎(工業施設など)は破壊され、
再建は許されない」

① 米国の賠償政策は、最小限の日本経済を維持するために必要で
  ないすべてのものを、日本からとりのぞく方針である。
② 「最小限」という言葉は、日本が侵略した国々の生活水準
  よりも高くない水準を意味する。

「日本人の生活水準は、自分たちが侵略した朝鮮人やインドネシア人、
ベトナム人より上であっていい理由はなにもない」

===>> ということは、当然フィリピンよりも上であっては
ならないわけですね。 戦前には、日本からフィリピンへ多くの
移民が渡って、日本の親戚に仕送りなどまでしていた時代ですからね。
こういう発想が出て来ても不思議ではないですね。

ご近所の町内会でも、もしかしたら同じかもしれないですね。
ある家族が、周囲の家を襲って、金品を奪ったり、娘を誘拐したり、
家を燃やしたりしたとしましょうか。
隣の町から助っ人がやってきて、そいつを懲らしめた。
そういうことになったら、懲らしめられた家族が 二度と悪さが
出来ないように、ってやりますよね。
おそらく、それと同じなんでしょう。
分かりやすいって言えば分かりやすい。

p061
「日本の工業設備は日本が戦争によって荒廃させた他のアジア
諸国に移転すべきだ」

米国は日本の化成ソーダや製鉄産業の設備をフィリピンなどに
移設することを真剣に考えていたのです。

==>> おお、フィリピンは惜しいことしたね。
そうなっていたら、産業基盤が出来て、今のような出稼ぎ
王国にはならなかっただろうに・・・

p061
米国は・・・すべての分野に命令を出しました。
・・国民には実行する日本政府しかみえません。
・・・日本政府は米国からの命令を実行しているにすぎなかったのです。

p062
占領時代、日本は米軍駐留経費として大変な額を支払っています。
このとき米国に減額を求めて追放されたのが石橋湛山で、
米国のいうとおりにしたのが吉田茂でした。

p064
石橋湛山は戦前も軍部に対してきびしい発言をしています。
・・・戦前にそれができた人物は、占領下でもみな堂々と
発言しています。

p066
GHQ内の実力者として知られたケーディスは、石橋湛山が
「占領軍に対し日本の立場を堂々と主張する人物」になることを
懸念したのです。
・・・危険性を察知すると、「思い切った措置に出る」という
わけです。 重光葵に対してもそうでした。

p067
カナダの首相および外務省は
「たとえ弾圧をうけようと、米国に物をいうべきときはいう」
という理念を、首相が何代代わっても受け継いでいきました。
今日、カナダ外務省の建物は「ピアソン・ビル」とよばれているのです。
・・・こうした歴史に支えられ、2003年のイラク戦争では、
最後まで参加を拒否しました。

でも残念ながら、日本ではそうはならないのです。

==>> カナダの米国に対する自主路線の歴史については、
是非 この本で詳しくお読みください。

その8につづく

============

この本については、いろんな批判もありますので、ご参考まで。

この本に関する参考リンク:

孫崎享氏の講演会『戦後史の正体』・・・
http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1629.html

 

 

 

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トンデモ銀行 何年遡るの? フィリピン・バギオのXX銀行

携帯にメッセージが入ったんです。

「XX銀行のジョシーと言います。 OO支店に来てください。」

銀行から呼び出しとは、何じゃ・・・・

「明日行きます。」

ってことで、呼び出しの翌日に行ってきたんですけどね。

「ジョシーさんと話したいんですが・・・」

「ちょっとお待ちください。」

カウンターにいる女性たちは、制服を着ているんですけど、
個室みたいなところから出てきた女性は セーターの私服。

課長くらいの地位なんでしょうか・・・

「監査があるものですから・・・・」

・・・何? 監査?

おいおい、銀行内部の監査があるからって、お客を呼び出して
何かさせるんかい?

私は昔は、経理部の人間でしたからね。
監査もやったことありますよ。

そんなこと・・・・信じられない。

そして、伝票の束を持ってきて

「ここと、ここと、それから裏面の ここと、ここにも サインを
お願いします。」

・・・・何? 署名してくれ??

束になった伝票を見ると、ドルの定期預金の利息を計算した
伝票なんです。

その利息の計算をした書類に、「確かに この利息を受け取りました」
っていう意味での署名をするようになっているんです。

日本の銀行で そんな伝票に署名したことなんてないですよね?

90日間の定期預金を、自動的に更新するようにしてあるんですけど、
これって90日ごとに毎回受領の署名をしろってことなの??

・・・しょうがないから、サインをしまくりましたよ。

25枚くらいあったかな・・・
裏表のサインが4か所ですよ。
100回の署名。

それも、2011年からの伝票です。
2年前からの伝票に全部サインしろって・・・・

そんなもん、最初の契約段階で、一枚の契約書に一回署名すりゃあ
済むことでしょうにねえ。

それが終わったかと思ったら・・・・
別の伝票が出て来て。

利息のドル金額を ペソ金額に計算してある伝票なんです。

つまり、ドルの定期預金の 利息分を、ペソに換算して、ペソの
普通預金に自動的に振り替えてくれって、そういう契約なんです。

フィリピン退職庁で退職者ビザを取った時の、ごく普通のお約束
なんです。

いわゆる永住ビザの保証金みたいなものをドルで預けてあって、
その利息はペソでもらえて、日常生活の生活費に使うことが
できます、ってのがパンフレットにも書いてあるわけ。

そのドルをペソに換算する計算書ですよ。
それにも全部 裏表で3か所ばかり署名をしろって言うんです。

・・・呆れてしまいました。
そんなもん経常的なものなんだから、社内規定か契約書に
自動的にそういう処理をしますよって書いて、お客に署名させて
おけば済むことじゃないんですかねえ・・・・

ああ、やっと終わったかな、と思ったら。

「あの~、ドル定期のの利息分を、自動的にペソの普通預金に振り替えて
ください、っていう依頼書を書いていただけますか?」

「はあ??」

・・・今頃なにを言っているんだ、ですよ。

「いや、どういう文書を書けばいいのか分からないから、
そちらで書いてくださいよ。 署名はしますから・・・」

・・・おいおい、そんな定型用紙もないの ???

これには もう驚愕ですよ。
「自動的に振り替えてください」
ってのは、常識ですよね? 日本ではね。

まあ、そこまではフィリピンですから許すとしましょうか。

タイプしてくれた書面を見て、ひっくり返りそうになりましたよ。

なんと、日付が 2005年ですよ。 8年前の日付。

私が口座を作った頃の日付なんですがね・・・・

じゃあ、今までは何を根拠に自動振替をやっていたんだ!!

ってこっちゃないですか。
口座を開設したときに、何種類も契約書らしき書類に署名した
記憶があるんです。

その中に、自動的に振り替えますって書類もあったはずなんです。
だから今まで、それで仕事をしていたはずなんです・・・・

大きな銀行なんですよ。
フィリピン全土の至る所にある SMの中にある 大銀行ですよ。

その大銀行が これです。

コンピューター・システムは、この銀行ではどうなってんだ??

しかし、その前に、この手作業の多さは何だ?

さらに、その前に、仕事のマニュアルは無いのか???

定型の申請用紙やら、契約書類は ないのか???

フィリピンの銀行業務は、日本の常識からは か~~なり離れた
ところにあるようです。

あなたの銀行口座は大丈夫ですか?
まさか、ATMカードだけを使っているってことはないですよね。
ちゃんと通帳でお金の出入りを自分の目で確認したほうがいいですよ。

フィリピンの場合、ATMカードか通帳かの選択ですからね。
危ない、あぶない・・・・

 

 

 

 

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