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2013年1月17日 (木)

バギオの老舗のバー RUMOURS  大人のBARも変わっていく・・・

バギオ・シネマテックのマネジャーと飲みに行ったんです。

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まあ、たまに ここには飲みに行くんですけどね・・・・

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そのマネジャーの話によれば、このバーは 二十数年の老舗らしいんです。

昔とほとんど変わっていないそうで。 店自体はね・・・・

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バギオには ここぐらいしか 本格的なバーはないよね?

昔は 2~3、あるにはあったんだけどねえ。 ジャズなんかを聴かせるところも・・・でも、すぐになくなっちゃって・・・・

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酒のメニューで、こんなに いろいろ揃えているところは、他にはないでしょうね。

特にハードリカーが好きな人には たまりませんね。

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ところで、昔は、この店にはどんな人たちが集まっていたの?

ほとんどが地位のあるような人だったね。 弁護士とかビジネスマンとか・・・

アーティストなんかもいたんでしょう?

ああ、そうね。 あそこのカウンターに座っている人も有名な映画のシナリオ・ライターだけど・・・

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でも、最近はかなり若い人が多いみたいだね。

ほんとに、学生がすごく増えているもんねえ。

・・・・

お客の中には、看護師のような制服を着ている若い女性もいる・・・ もしかしたら、看護学生だろうか・・・

大学が密集しているバギオならではの光景かもしれない。

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この日は、映画館のマネジャーを、フィリピンのドキュメンタリー映画をみた後に、このバーに誘ったのだが・・・

ドキュメンタリーの内容が 私の想像を超えていたので、いろいろと聞いてみたかったのだ。

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/01/post-b8dd.html

そして、

こんなお店で 高い金を払って飲んでいる若いフィリピンの学生たちと、そのドキュメンタリー映画に出てきた、フィリピン・ミンダナオの片田舎の現実を どうしても比べてしまうのだった。

同じ国の中に 経済格差があるというのは、こういうことなのか・・・・

そう言えば、うちの下宿の大家さんも、以前は ミンダナオから来た女の子たちをヘルパーとして使っていたっけな。

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私はビールの後に、最後に ブラディ・マリーで酔いを少し覚まそうと思って注文したら、トマト・ジュースが切れていると言われて、じゃあ・・たまにはってことで これを頼んだんですけどね・・・・でかい!

半分ぐらい飲んだところで、ギブ・アップ。

久々に ガツンと来てしまって・・・・

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酔いを覚ますために、「お茶漬け」を食べに行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年1月16日 (水)

フィリピンのドキュメンタリー映画  こんなことが今でも?

フィリピン政府が運営する バギオ・シネマテック。

2013年の1月中は 様々なドキュメンタリーを上映している。

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ある女性が、フィリピンのマニラで、家政婦として働いている。

そして、彼女は スターと呼ばれるのだった。

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ANG  PAGBABALIK  NG  BITUIN
http://www.fdcp.ph/contents/view?id=ANGPAGBABALIKNGBITUIN

英語でのタイトルは、 The Return of the Star (スター、田舎に帰る) である。

http://www.sureseats.com/theaters/movies.asp?event=5096

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このドキュメンタリー映画は、マニラからミンダナオへと帰郷する 彼女の姿を延々と追う。

車内で 隣に乗り合わせた女性と お互いの身の上などを延々とおしゃべりする映像が続く。

英語字幕を追うのに 速すぎて追い切れない・・・とほほ。

田舎にたどり着くまで、フェリーで島から島へと渡る船内も含めて、2日間。

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そして彼女は、田舎に到着すると「スター」になるのだった。

その村に、映画を持って帰る、夢を運ぶスターだった。

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古ぼけた、ほったて小屋のような家が 映画館になる。

新しい映画なら3ペソ(6円)、古い映画なら2ペソの入場料。

今のバギオの映画館であれば、100ペソくらいのところを、である。

それでも日本円にすれば200円。

考えてみれば、

日本が 1,000円とするならば、

フィリピンの都会では 200円くらいで おおよそ5分の1の経済格差。

そして、片田舎では 6円・・・

フィリピンの都会でみる映画の30分の1以下、

日本と比べたら 150分の1 という経済格差の中で、

村人が押し寄せてくる。

一日 500~700ペソの売り上げになるという、田舎ではビッグ・ビジネスだ。

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昔は VHSやベータ のビデオ・テープの時から始まったらしい。

ビデオ・テープの再生をするプレーヤーと それをつなぐテレビを買うことが出来るものが 映画館の館長になれるのだった。  大きなスクリーンではない。

それが、今や DVDである。

主人公は言う、

一度正規のDVDを買って上映しようとしたらDVDプレーヤーが認識できなくて使えなかった。 だから、やっぱり海賊版DVDじゃないとダメなのよ。

確かに、日本で買った正規のDVDを フィリピンで買ったDVDプレーヤーで再生しようとするといろいろトラブルがある。

それに、普通のテレビだけでは、映画のドラマなどを見ることはできない。 映画番組をみることができるのは、ケーブル・テレビである。

おまけに、最近のケーブル・テレビは、チャンネルの種類によって、契約料金を設定している。 ちなみに日本語のNHKを見ることができるのは、1か月の契約料金が1,000ペソ前後になる。

貧乏人はケーブルテレビなど見ることはできない。

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マニラからバスとフェリーで2日間もフィリピンの片田舎に行くと、そこには 100ペソも払って映画を観ることの出来る人々などはいないのだ・・・

ちゃんとした映画館などもない。

映画を見終ってから、映画館のマネジャーと酒を飲んだ。

これは いつの話なの?

去年の作品ですよ 2012年。

ミンダナオは今でもこれが現実なんだ。

はい、これが普通です。田舎では。

バギオの近くじゃ どうなの? バギオには映画館があるけど、山の方の町には映画館なんてないよね。

多分、同じようなビジネスはあると思いますよ。 山の中だったら。

・・・・

しかし、今日のお客は俺一人だったね。

あははは、本当に、この前のバギオを題材とした映画は さすがに満席でしたけどね、他の土地でつくられた映画には 興味がないんだよねえ~~、フィリピン人は。

でも、今日の映画は フィリピン人が観ても面白くはないでしょう。

そうそう、自分たちが毎日やっている生活だしね。 これは 俺だ~~、とかね。

そうだよ、夢もファンタジーもロマンスもないじゃない。

・・・ 今日の映画館の75席くらいの中で このドキュメンタリー映画をみていたのは 私ひとりだったのだ。

外国人には 興味のある題材ではあっても、フィリピンの巷には いくらでもある 日常のことなのかもしれない。

海賊版を 先進国の目線から規制するのは 当たり前のことかもしれないが、フィリピンの片田舎の村人の娯楽を支えているのは この海賊版であった。

日本人が自分の装置で 自分の為にコピーをするのとは まったく次元の違う世界を覗いた思いがした。

それに、マニラとフィリピンの片田舎の格差。

そういう片田舎に、日本では少ないと思える退職金をもって、フィリピンの女の子のお尻を追いかけて移住でもした日には、経済的には100倍くらいの価値に跳ね上がるわけだから、「鴨ねぎ」状態になるのは そりゃあ目に見えているってもんじゃないですか。

日本人は何でも出来るなんて思っちゃ大間違いですよ。 社長!!(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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フィリピンの約束事・・・バギオだけ?  割り込みはダメよ!

先日、薬局にビタミン剤を買いにいったんです。

前にちょっとお客さんがいたんで、ぼ~~っと待っていたんです。

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こういう薬局なんですけどね・・・

しばらくして・・・何か変、って思ったんです。

お客がカウンターにへばりついていないんです。

余裕で椅子に座って待っているような雰囲気・・・

そしたら、店員さんが 何か番号を呼んでいるんです。

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きょろきょろしたら、目の前にこれが・・・

「市の条例にしたがい、この番号札をお取りください。」

まあ、日本の銀行なんかじゃ、当たり前の風景なんですけど・・・

いつも使っている薬局には こんなのがなかったんで、ぼけ~~っとしていたんです。

たまたまこの薬局には欲しいビタミン剤がなかったんで、他の薬局にも行ってみたんですけど、 そこにも番号札がぶらさがっていました。

私が知っているセッション通りの4軒の薬局の内、この番号札を使っていたのは、3軒でした。

いつも使っている薬局だけが、なぜかこのやり方を実施していなかったんです。

・・・で、案内の文言の中に、なんと「市の条例により」ってのが入っているんですよね。

それに驚いたんです。

こんなこと、条例でやるようなことですか??

それに、市の条例なのに、やっていない薬局があるっていうのは何故???

まさか、日本じゃあ、こんなこと地方自治体が条例なんてつくんないですよね。

民間の企業の「顧客満足度向上」の為のあったりまえのことじゃないですか。

じゃあ、何故 条例なんかになったんでしょうねえ

ちなみに、バギオの銀行には こんな番号札システムはないようです。

少なくとも私が使っている銀行ではやっていない。

ただ、カウンターの複数の銀行員の前に 一本の列に並んで待ち、空いた銀行員のところに順番に進むというシステムです。

何故、薬局が番号札システムを実施しているのか・・・

お客の中には、病人もいるだろうから、立ったまま列に並んで待つのは辛い?

だから、番号札を取って、椅子に座って順番を待ってもらう?

たぶん、そう言うことでしょうね。

日本の薬局って どうですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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2013年1月14日 (月)

その47(最終) 中村元著「龍樹」ー 「空」は鏡のようなもの? 慈悲?

 

中村元著「龍樹」の中の、
「 IV. ナーガールジュナ以後 」を読んでいます。

「2. 比較思想からみたナーガールジュナ

いよいよ最後になりました。

p445
このような否定の論理をもてあそんだ人々は、実践に関しては
一切の執著やこだわりを離れることを生活目標としていたらしい

・・・う~~ん、それはそうなんでしょうねえ。
しかし、実際にはどういう生活になったのか・・

そして、古代インドでも空の論者は虚無論者とかニヒリストだとか
問題にされたらしい、それに対して大乗仏教徒は何と答えたかと
いうと:

p445
<空>の教義は虚無論を説くのではない。 そうではなくて
「空」はあらゆるものを成立せしめる原理であると考えられた。
それは究極の境地であるとともに実践を基礎づけるものである
と考えられた・・・・

・・空の中には何ものも存在しない。 しかも、あらゆるもの
がその中から出て来るのである。 それは鏡のようなものである

p446
宗教的な直観智による認識は、鏡が対象を映すことに
たとえられる。 ・・・大乗仏教、とくに唯識説では、
われわれの存在の究極原理であるアーラヤ識が転ぜられて
得られる智を大円鏡説と呼んでいる。

・・・「空」の真の特質は「何もないこと」であると同時に、
存在の充実である。
 それはあらゆる現象を成立せしめる
基底である。 ・・・空を体得する人は、生命と力にみたされ
一切の生きとし生けるものに対する慈悲をいだくことになる

慈悲とは、<空>--あらゆるものを抱擁することーー
の、実践面における同義語である。

・・・はは~~ん、ここで「慈悲」という宗教的な言葉が
出て来ました。 なんとなく分かるような分からないような・・・
論理的なものから、いきなり宗教的なものへの飛躍でしょうか。
・・だから、「たとえ」を持ち出さざるをえないのか。

p447
われわれが空を体得すると、善き行いがおのずから現れてくる
空の実践は闊達な境地に立って行われる。
こだわるところがない。 この点で虚空を自由に飛翔するという
譬喩がしばしば用いられる。

・・・ここでも比喩ですか・・・

p447
菩薩は無量無数無辺の衆生を済度するが、しかし自分が衆生を
済度するのだ、と思ったならば、それは真実の菩薩ではない。

かれにとったは、救う者も空であり、救われる衆生も空であり、
救われて到達する境地も空である。

・・・だから、自慢しちゃいけないよ、ということのようです。

p448
(当時のヒンドゥー教の)「バガヴァッド・ギーター」では
無執著の行為ということを強調する。 これこれの行為をすれば、
これこれの良い報いがある、というようなことを考えないで、
執著を離れて行動せよというのである。
これに類する思想は西洋ではパウロによって説かれている。

p449
ロイスブルークは「神を見る人」についていったーー
「かれの精神は未分であり、区別をもっていない。 それ故に
一体のほかには何ものをも感じないのである」と。
この観念は大乗仏教における<無分別智>(区別することのない
知識)に対応するものであろう。

ロイスブルークについては:
http://kotobank.jp/word/%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%AF

p449
人間の行動の基本的な徳としての<慈悲ー愛>と絶対者の
<知識>とが実質的には同じものであるという見解は
必ずしも仏教だけに限られたものではなかった。

p450
東西のあいだに対応関係がみられるけれども、西洋においては
否定神学や神秘主義は何といっても付随的なものであり傍流に
すぎなかったが、東アジア・南アジアにおいては、少なくとも
教義的には主流となっていた。

・・・要するに空の理論のような思想は、西洋では神秘主義的な
ものなど一部でしかなかったということのようです。
そして、著者は一番最後に 気になることを書いているんです、
それは・・・

p450
空観のような思想は、・・・東洋では大乗仏教を通じて
一般化した(浄土真宗の教学といえども、空の理論を基礎と
している。少なくとも教義の上では表面的には基本思想と
みなされていたのである)。

・・・およよ、ですね。
ここでカッコ書きの浄土真宗についてのことさらの言葉は
どういうことを意味しているのでしょう・・・
浄土真宗は大乗仏教の中でもかなり特殊ってこと?

私が今までいろいろ読んできた感覚でいうならば、
確かに法然さんから親鸞さんへの飛躍は かなり従来の
仏教からぶっとんでいるんじゃないか、ってこっとなんですけどね。

<「龍樹」の読書 完了です。>

後日、「読後のまとめ」を書きたいとは思っているんですけど・・・・
とりあえず、お付き合いいただき有難うございました。

== その48 「まとめと感想」はこちらでご覧ください。===

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/02/post-3882.html

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2013年1月13日 (日)

その46 中村元著「龍樹」ー 五百年、千年経たねば思想ではない

    

中村元著「龍樹」の中の、
「 IV. ナーガールジュナ以後 」を読んでいます。

「2. 比較思想からみたナーガールジュナ

いよいよ最後の章に辿り着きました。

p436
大乗仏教の<空>の思想を理論づけたナーガールジュナおよび
その後の中観派の思想は、<世界思想史>を「古代思想」
「普遍思想」「中世思想」「近代思想」の四段階ととらえた
ときに、<中世>に位置づけられる。

ここで<中世>というのは、ほぼ普遍的宗教の興起したのち、
近代的思惟の始まるまでの時期をいう。

西洋でいえば、ほぼキリスト教が興起し、ローマの古代帝国が
崩壊し、教権の支配が確立し、のちに宗教改革が起こるまでの
時期をいう。

p437
まず聖典が定められ、それが権威をもって後の時代に伝え
られた。 それが註解され説明されて、神学・教義学が
成立し、中世の主流となった。

・・・釈迦が紀元前5世紀ごろの人、中論を書いた龍樹は
紀元後2世紀ごろ
の人、その考え方はインドで始まり、それが
数百年の時を経て6世紀ごろ中国に伝わり、7世紀に日本に
伝来しているってことになりますね。
考えてみれば気の遠くなるような歴史です。

いろんな思想が、地域と、言語と、時と、人種を超えて、
昔はじっくりと大きな潮流が世界を練り歩いていたわけです。
今だったらインターネットで即時ですもんねえ・・・・
人間がそんなに速い価値観の変化に対応できるとも
思えませんけど。

p438
実体を否定する<空>の思想に対して西洋では全面的な
実体否定論はなかなか現われなかった。

・・・ラッセルの<実体>批判は注目すべきである。
かれは西洋で長年月にわたって優勢であったアリストテレース
の<実体>の概念を手きびしく批判していう、

p439
・・・かれは<実体>という観念は成立しえないというので
ある。 この議論はナーガールジュナやアーリヤデーヴァの
実体批判にちょうど対応するものである。

p441
究極の実体は概念作用をもって把捉することができないという
見解は、非常に古く・・・
新プラトーン派およびグノーシス派の思想形態、・・・
またそれらがキリスト教的な形態をとったものとして
オリゲネースやディオニシウス・アレオパギタなどの諸著作
・・・後者の「神秘神学」は「般若心経」のキリスト教版
であるとさえいわれている。

・・・ディオニシウス・アレオパギタ についてはこちら:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%91%E3%82%AE%E3%82%BF
「5世紀ごろの(おそらく)シリアの神学者。」とあります。

p441
究極の原理としての<空>に対応する思想を、古代中国にも
見出すことができる。 老子はいう
「道はつねに何事もしない。だが、それによってなされないことはない」

・・・仏教が中国に移入されたころの指導者は、
「空」と「虚無」とを同一視して考えていた。

p442
中観派の哲学者たちは現象世界における変化を否定して、
真理は言語では表現できないものであるという理論を述べた

p443
しかし道教の徒は必ずしもそれと同じ教説を述べなかった。
・・・<道>を<無>なりとして言及しているが、・・・
「無」が何を意味するかということについて、明らかに
説明することをしなかった・・・
しかし他の註解によると「何もないこと」の意に解せられて
いる。 ・・・ゆえに道は無であるから・・・

p444
否定の否定ー無立場の立場
ナーガールジュナは・・・・すなわち否定そのものが
否定されねばならないのである。 ・・一般に大乗仏教では
否定の否定を説く(「空亦復空(くうやくぷくう)」。

p444
もしも<空>というものが存在しないのであるならば、
<空>はもはや<空>ではありえないことになる。
この観念を継承して、中国の天台宗は、三重の真理
(三諦)が融和するものであるという原理をその基本的
教義として述べた。

(空諦)、(仮諦)、(中諦)、・・存在するいかなる
事物もこの三つの視点から観察されねばならない、と説く。

・・・天台宗については こちら:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E5%AE%97

「中国の天台宗は、隋の天台智者大師、智顗(ちぎ)(538年-597年)
を実質的な開祖とする大乗仏教の宗派である。」
慧文は、龍樹による大智度論と中論に依って「一心三観」の
仏理を無師独悟したとされる。それが、慧思を介して智顗に継承された。」

日本の天台宗は
「初め、律宗と天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍が
日本に入った。次いで、伝教大師最澄(さいちょう、767年-822年)
延暦24年(805年)唐に渡り天台山にのぼり、天台教学を受けて翌年
(806年)帰国し伝えたのが日本における天台宗のはじまりである。」

・・・そして、この日本における仏教の総合大学とも言うべき
天台宗の比叡山で、浄土宗の法然さんや、浄土真宗の親鸞さんは
学んだということになります。

いよいよ次回は「龍樹」の読書が完了します。

==その46に続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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