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2013年8月 6日 (火)

「日本語の論理 - 外国語の学習と思考」を読む その3 形式が内容を決める

「にほんごの論理」外山滋比古著 中公文庫 から「外国語の学習と思考」を
読んでいます。

p164
心の中にあることを一定の形式をとって表現する過程に思考が働く
・・・いかなる言語形態にもその背後に固有の発想形式を内包して
いるものである。

<I have a book>が「(私は)本をもっている」意味になるという
ことなど、発想の問題から言えば、どうでもよいのである。
重要なのは、こういう同じような意味を表現するのに、英語と
日本語がこういうちがった形式をとるという現象そのものである。

p165
何十年外国語をやり、実用的にはどんなに役に立っていても、
ものを考えるときの役にはすこしも立っていない。

p166
あるイギリス人が、日本語を使っているときは、どうも金銭のことが
率直に話せない、と述懐している。 発想形式が内容を規定している
例として興味ぶかい。

ソ連がスプートニックをあげて、アメリカが人工衛星競争に一歩
遅れをとったあと、アメリカは外国語教育に熱を入れ出した。
実用のための語学ではなくて、外国語の与える知的刺激が創造性
を高めるらしい
ことに気付いたためであったと言われる。

==>> 面白いですねえ。 確かに、日本語で話している時と
英語で話している時は 人格が変わったような感覚がありますよね。

まあ、私ぐらいの英語力だと、ただ単に、英語があまり使えないから
少ない単語で「エイヤッ!!」と、あまりニュアンスなど分からない
ままに思い切って言わざるを得ないから、日本語を使う時よりも
歯切れが良くなるってこともあるんでしょうが。

日本語だと敬語の使い方にいちいち気を使わなくちゃいけないし、
面倒ですけど、英語は知らない分だけ思い切って間違った使い方
をしているんでしょうね。

でもそのお蔭で、英語の方が自分の考えていることをストレートに
言えているような気もします。

実は10年以上も前に、日本語の教授法を勉強していたころ、
森田良行著の「日本語文法の発想」って本を買ったんです。
いずれ読もうと思いながら、積んだままになっているんですけどね。
時間を作って読んでみようかなという気持ちになりました。

p168
方言尊重を持ち出したのは、幼児の外国語教育と思考に言及して
おきたかったからである。 幼児には まず三つ児の魂をつくるのが
最重要である。 これはなるべく私的な言語がよい。 標準語より
方言がよい。 
方言より母親の愛語がよい。 ここで外国語が混入
するのはもっともまずい
ことと思われる。
(ろくにものの言えない子供に代数を教える親はなかろう。
母国語のたどたどしい幼児に外国語を教えるのは、それに近い
乱暴なことである。)

==>> ここはいろいろと議論のあるところなんでしょうね。
しかし著者は 「家族連れで外国生活をしてきた家庭の子供に
しばしば思考力の不安定なものが見受けられる
・・・」という
ことを述べています。

文の形式、つまり、思考の形式が内容を制約、規定するものだと
するならば、確かに形式の異なる外国語を幼い時期に学ばせる
ことは 発想方法、思考形式を混乱させることになるかもしれません。

「外国語の学習と思考」はこれで終わります。
次回からは次の章に入ります。

 

 

 

 

 

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2013年8月 5日 (月)

ブレイブ・ストーリーっていう日本のアニメが理解できない・・・

バギオで開催中の日本映画祭。
ブレイブ・ストーリーっていうアニメなんですけどね。

まあ、見た感じとしては、過去に見たことのあるようないろんな
怪獣やら動物キャラクターみたいなんやら、つまりはファンタジー
アニメみたいな印象だったんですけど。
http://www.youtube.com/watch?v=lPzplafdDuE

何故か日本語が分からない・・・
日本語が聞き取れないんです。
どうも、知らず知らずに英語字幕に眼がいってしまうんです。

これではいかんと思って、日本語を聞こうとするんだけど、
その日本語がなんだかよく聞き取れないんです。

最近 バギオ・シネマテックにちょくちょく通って
いろんな国の映画祭、例えば、 ドイツ、フランス、アルゼンチン、
メキシコ、 EU、もろもろの映画を上映していたんで
それを見ていて、英語字幕を必死に追いかけるってことを
やってきたんです。

英語字幕を追いかけるってのはえらく大変なんです。
なかなかその速度に追いつけない。

でも、その癖がついちゃったんですかねえ。
ついつい字幕に眼がいっちゃって・・・

でも、それ以上に、この日本のアニメを観終わったあとに、
「それで、このアニメは何をいいたかったの?」ってところが
肝心なところが分からなかったんです。

これは世代間ギャップなのか・・・」って、ストーリーに世代ギャップ
を感じたみたいで、ショックだったんです。

もうひとつの日本のアニメ映画「仁太坊ー津軽三味線始祖外聞」は
すんなり理解できたんですよ。

これは、涙涙の連続で 感動しました。
「なんで、アニメを観て泣かなくっちゃいけないんだ?」
っていうくらい涙がでたんです。
http://www.youtube.com/watch?v=lPZBHRRgWEs

でも、ブレーブ・ストーリーは 最後まで特に感動もなく、涙も出ず・・・・
なぜ理解できないんだ・・・っていうショック感が残っちゃって。

宮部みゆき著のファンタジー冒険小説」なんだそうです。
この原作の小説を書いた作家は 1960年生まれなんですね。
推理小説やSF小説の作家のようです。
しかし、ひとまわりくらい私より若いだけで、そんなに世代間ギャップを
感じるものかと思ったわけ。

某日本人映画監督も一緒に観ていたんで、見終わったところで
一緒にビールを飲みながら議論をしたんですがね。

今一つ納得がいかないんです。

もう一度じっくり観てみます。

 

 

 

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フィリピン・バギオ市の歴史的建物 Casa Vallejo カーサ・バリエホ

バギオ市の歴史的建物 CASA VALLEJO カーサ・バリエホ

今は、Hill Station というカフェ・レストランや、Baguio Cinematheque 映画館などが入っている建物です。

014_casa_vallejo
(Facebook より: Baguio "Bagiw" City - Original Settlers )

公式のサイトが見つからないのですが、
このサイトでかなり詳しく この歴史的建物のことが書いてありました。
http://bybeadedstory.blogspot.com/2012/05/casa-vallejo-baguio.html

そして、ここからさらに 以下のサイトへのリンクがありました。
Inquirer マガジンの Revisiting Casa Vallejo という記事です。
http://showbizandstyle.inquirer.net/sim/sim/view/20090725-217208/Revisiting-Casa-Vallejo

この二つのサイトから興味深い内容を拾ってみます。

a historical landmark. One of the few remaining American structures left
in Baguio. A detention center for German prisoners of war in 1917.
A British and Indian refugee center in the 1940s. One of the few structures
that survived the carpet-bombing of the city at the end of the Second World
War.

バギオ市に残された数少ないアメリカ建築のひとつ。
1917年にはドイツ人捕虜収容所。 1940年代にはイギリス・インドの
難民センター。
 第二次大戦での絨毯爆撃を生き延びた数少ない建物。

・・とあります。
1917年というのは第一次世界大戦中で、1940年代というのは
日本軍がフィリピンを占領した第二次世界大戦中のことになります。
絨毯爆撃というのは米軍によるものです

Casa Vallejo was the reason my grandfather moved his growing family to
Baguio, the inn he opened to welcome the builders and the earliest
visitors to that mountain retreat. It was the hotel my mother Justina
Vallejo Garcia equally tended and loved, her occupation and avocation.

この著者の祖父がバギオにやってきて、この建物をホテルにしたとあります。
お客はバギオ市の建設に携わった人たちなど。
この人こそ Vallejoさんだったんですね。

My grandfather was a Spanish soldier who came to the Philippines at the
turn of the century. He married my grandmother, Justina Sanares, and
initially settled in Albay but later moved the family to Manila, where
he ran a small hotel in Intramuros around 1915-23. He was attracted to
Baguio by the government that wanted to establish a resort city and
needed innkeepers, for which they offered government properties for lease.

著者の祖父はスペイン軍人であり、祖母と結婚。
当初はアルバイに住んでいたが、その後マニラのイントラムロスで小さな
ホテルを経営していた。それが1915-23年。
そして、当時の政府からバギオでホテルを経営するようにスカウトされた
ようです。 
この今のカーサ・バリエホの建物は政府からのリースだったんですね。
そして、今も政府機関の所有だそうです。

During the Japanese Occupation, the Japanese officers took over one wing
of the building, so after the war, people thought there was buried treasure
and came to dig around the premises and even through the floor. No treasure
was found, but all furniture, equipment and supplies were looted in the
immediate postwar period. Since it was one of the few large buildings left
standing, many families took refuge in the hotel after the war until they
had their own homes to go back to.

日本軍による占領時代は、建物の一部が日本人将校によって使われた
なので、戦後、そこに財宝が埋められていると思った人たちが敷地内を
あちこち掘り起こしたが、結局なにも見つからなかった、とあります。

そして、戦後は、焼け残った数少ない大きな建物であったため、
家を失った人たちの一時的な避難所となっていた。

The building survived the earthquake of 1990 and in fact again served as a
refuge to frightened residents and guests who were in Baguio at the time,
all of whom insisted on sleeping together in the lobby and dining rooms.
No one wanted to be in the rooms to hear and feel the many aftershocks.

この建物は 1990年のバギオ大地震をも乗り越えました
そして、大地震の避難所として利用されました。
しかし、避難者は、余震を恐れてホテルの部屋の中で眠らず、
皆がロビーやダイニングルームで寝ていました。

But the Department of Environment and Natural Resources, under which
the Bureau of Buildings (for government-owned property) was the overall
authority, began to be difficult. The 10-year leases originally given to
my grandfather were shortened to 5-year terms. In the last two decades,
they decided to give one-year leases, for which they always delayed
signing for one reason or the other.

さてここで、所有者である政府の管理の拙さがいろいろと書いてあります。
環境・天然資源省の下部組織が政府の資産を管理しているようですが、
その役所のちぐはぐなやり方が 歴史的建物にとってはなかなか
やっかいな存在であったようです。
現在はどうなんでしょうかね?

この著者はこの方です:

By Maribel Ongpin
Philippine Daily Inquirer
First Posted 21:54:00 07/25/2009

・・・いろいろとこの歴史的な建物を維持していくには大変な道のりが
あったようです。
実際、1992年頃、私がバギオに初めて 仕事の出張でやってきた折には、
この建物は 床が抜けそうな、まるで幽霊屋敷のような有様でした。

・・・・さて、上のサイトを受けてこのサイトの記事が書かれているんですが・・
http://bybeadedstory.blogspot.com/2012/05/casa-vallejo-baguio.html

A structure that long stood since 1909.  A detention center for German
prisoners of war in 1917.  A dormitory in the 1920s, then transformed
into a hotel by an entrepreneur named Salvador Vallejo. A British and
Indian refugee center in 1940.  Survived World War II's Japanese bombing.
Hit by an earthquake in the 1990s.  And, one of the oldest remaining
American structures in Baguio. 

この文章はほとんど上のサイトと同じなのですが、ひとつだけ違うのは、
「日本軍の爆撃を免れた・・・」と書いてあるところです。
元文には「絨毯爆撃を免れた・・・」とあるんですね。
この絨毯爆撃というのは米軍が行ったものです。
戦争末期の1945年に 米軍がフィリピン、バギオを解放するために
実施した絨毯爆撃のことです。
当時の日本軍には絨毯爆撃をやるほどの物資も力も残っていませんでした。

この歴史的建物である カーサ・バリエホには 様々な幽霊の話が
付きまとっているようです。

A001

おそらく、100年以上の古い木造建築であること、その為に
ギシギシと音がすること、何度も戦争捕虜収容所や避難所になってきたこと・・・
一時はそれこそお化け屋敷のように打ち捨てられた建物であったこと、等々。
様々な理由によって そういう話が噂されるようになったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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