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2013年11月23日 (土)

「日本の領土問題」を読む- 7 -「武力衝突の危険をはらむ尖閣諸島問題」 C

角川書店  東郷和彦・保阪正康 著
「日本の領土問題 - 北方四島、竹島、尖閣諸島」
を読んでいます

第一部・第三章
「武力衝突の危険をはらむ尖閣諸島問題」

p133
1990年代以降の尖閣諸島の政治問題化

p134
最初の契機は・・・
1992年2月・・・「中華人民共和国領海及び隣接区域法」が
台湾及び釣魚島を含む付属諸島は中華人民共和国に属する島嶼である」と
明文化した・・・

p135
1978年に建造された灯台がある・・・

1996年7月に北小島に第二灯台が建設され・・・
・・・台風で傾いたこの灯台の修復の為に9月に日本青年社5名が上陸・・

マスコミに報道されるに応じて、今度は、香港・中国・台湾での抗議行動

2000年に発効した日中漁業協定・・・
「漁船をめぐる紛争で日中間の緊張を防ぐ枠組みが形成されている・・・」

2002年日本国政府は、尖閣諸島の大部分をその所有者から賃借する.

p137
平穏かつ安定的な状態に保つことを目的として・・・・
2002年から ・・・国が賃借し、維持・管理することとなった.

2004年・・・魚釣島に7名の中国人活動家が上陸、・・・強制送還

p138
2008年・・・中国の海洋調査船2隻が尖閣諸島沖の領海を9時間半航行.

「中国も(主張するだけ)ではなく管轄海域内で存在感を示し、有効な管轄を実施
しなければならない
」と語った・・・

この孫副隊長の発言には、仰天した.

p139
もしも中国が本当に管轄権の主張を実力で示そうとするなら、行き着く先は、
武力衝突の道しか残っていない・・・

(( まずいですねえ・・・・これは元外交官の直感ですからねえ・・・ ))

2010年9月7日・・・中国漁船・・海上保安庁船舶への体当たり事件
ー なぜこの事件が起きたのか・・謀略説まである・・
ー 民主党政権は処理の最初に致命的な間違いをした
  「国内法により粛々と処理をする」と言ったとたんに、尖閣に関する
  暗黙の了解はふっとぶ.
  「これは中国側がもっとも聞きたくない言葉だった
  新政権が、尖閣問題に関する日中間の経緯に習熟していなかった・・・
ー 憲法9条というイデオロギーで日本を守っていた時代は終わった
  外交の先に武力衝突がありうるという時代が始まった

p141
戦前の外交官は、戦争にならない外交のために命を懸けた.
この日以降、日本の外交は、再びそういう時代に入ったのである...

(( ・・・これは、元外交官が言っているだけに、切迫感を感じますね・・・
  しかし、それにしても、民主党政権が そういう大きなミスを犯して
  しまったというのは、つまりは、政権としての隙をつかれたのか、
  あるいは、政府、国会議員、官僚などがうまく機能していなかったと
  いうことになるんでしょうか??
  自民党だったら他にやり方があったのか・・・
  国家の一大事に、超党派で動く、情報を、知恵を集めるという機能が
  まったくなかったということなんでしょうか?  ))

p142
中国にしても、台湾にしても、・・・尖閣問題は、日本帝国がその力を
アジアにおいて拡張した時代の記憶とむすびついている.

その観点から見た時、恐ろしい事態が現出する. それは、竹島と尖閣の領有の
過程が、あまりにもよく似ているということである.

尖閣の領有は、三か月後の4月17日下関条約による台湾併合の前座
みなされうる時期にあるということである.

外交上の不作為を、いま日本はしているのではないだろうか.

(( そして、著者はこの章の最後に、緊迫感をもって、次のように警告を
  しているんです・・・・ ))

p144

日本政府はいま、尖閣諸島をめぐって 「領土問題は存在しない」 と言い続けている.
これは冷戦末期、ソ連のグロムイコ外相が北方領土問題で 日本に対し
言い続け、私を含む当時の日本人が皆、激しい屈辱感と怒りを感じた
表現である.
・・・前提条件なしに、双方が言いたいことは率直に言い合う外交努力こそ、
いま求められている・・・

(( 今の安倍政権の 韓国や中国に対する表現はどうなんでしょうか・・・
   民主党政権の時と比べて 賢いやり方になっているんでしょうか・・・
   
   この本を読んでみて、私自身は、ロシア、韓国、中国、それぞれに
   それなりの理屈はあるのだなあと感じています.
   
   日本はかなり無理をしようとしているんじゃないかと思う部分もあります.

   世界の中での、力関係がダイナミックに動きつつある時、
   歴史を振り返って、日本がどうやってきたのかを俯瞰して、
   冷静に、したたかに、つっぱねるだけではなく、当事国双方の英知を集める策を
   我々が選挙で選んだ国会議員と、頭脳明晰な官僚組織が、
   脳みそを柔軟にして、国民の幸せのために頑張ってほしいと思います ))

026

==========

一応、これで第一部は終わりです.

第二部もあるんですが、対談なので、気が向いたら 書くかもしれません.

日中双方の主張をまとめたサイトがありましたので ご参考まで:

http://matome.naver.jp/odai/2134536780334484101

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2013年11月22日 (金)

「日本の領土問題」を読む- 6 -「武力衝突の危険をはらむ尖閣諸島問題」 B

角川書店  東郷和彦・保阪正康 著
「日本の領土問題 - 北方四島、竹島、尖閣諸島」
を読んでいます

第一部・第三章
「武力衝突の危険をはらむ尖閣諸島問題」

p124
私の承知する限り、政府間で尖閣の帰属をめぐって、これまできちんとした
交渉や話し合いが行われたことはない.

p125
それぞれの国の考え方は、政府に属さない歴史や国際法の研究者によって
表明されてきた・・・・主な論点は、70年代の初めに殆どでつくしているようである

(1) 清国関与の実態

清国の支配が尖閣諸島に及んでいたか・・・

p126
時代は、中国は明の時代、日本は戦国の時代・・・
東シナ海は、倭寇が航海し、明の沿岸警備と衝突する時代であった・・・

中国側・・・・以下の三点

1. 冊封使が・・・琉球圏についての認識を示唆する記録・・・
2. 1556年倭寇討伐総督に任命された胡宗徳は、1561年福建省の
   5つの海防区域のなかに、釣魚島などを含めた.
3. 1893年西太后が治療に効果のあった薬草調剤師・・・に、薬剤目的のために
   尖閣三島を下賜する証書をだした.

(( ・・・まあ、こういう時代の話になっちゃうと、そりゃあ倭寇が尖閣を
  支配していたとか言っても通らないわなあ・・・
  もともと、石油が出るってはなしだから 急に欲しくなったんでしょうから、
  理屈はなんでもいいってことでしょうし・・・ ))

p127

(2) 先占の法理

国際法の解釈・・・

日本側の論拠は、・・・領有していることを国際法上認めるためには、もっと
確かな事実が必要であり、そういうものがなければ、「無主の地」として、
第三国が領有してさしつかえないというものである.

p128
領土主権主張の根拠としては「主権者として行動する意図と意思があったこと及び
そのような権威を現実に示してきたこと
」が必要・・・・・
中国の行動はこれらを満たしていない・・・

・・対しては、このような先占の法理は、アジアに対する帝国主義の植民地拡大に
都合の良い法理であり、認めるべきではないという反論
がある・・・

(( ・・まあ、確かに、アメリカ・インディアンの昔からの土地を勝手に「開拓」とか言って 取っちゃったりした連中がいたんですもんねえ・・・ ))

p129
(3) 日本政府の調査

1885年から1895年にかけて日本政府が行った調査の性格・・・

1885年・・・外務省は、「これらの島は中国の国境にも近く、清国では島名も
つけている. 清国の新聞などにも、日本が台湾近くの清国の島を占領する
との風説をながし、日本を疑っているものがいる」 等述べて、
その領有は「他日の機会にゆずり」今は認めないとの見解を示し、
結局、領有は認められないことになった・・・

1894年・・・今度は外務省も・・・「本省において別段異議これなし」と
回答し、1月14日内務省請議案どおりに標杭を立てることが決められた・・・

p130
内務省が言う「事情も違ってきている」とは、この時期の日清戦争による
日本の勝利を示す以外にありえない
としている.

p131
中国人の目からみれば、これは、日本帝国の力の拡大のなかで、
日清戦争、台湾併合という、中国にとって最も思い出したくない過去の歴史
の中で起きたことである.

くずれゆく帝国から日本が力に任せて奪っていったという側面に火がつけば、
ナショナリズムの爆発につながりうる.

(( ・・なるほど、歴史問題になると危険だというのはこれですね.
  確かに立場を変えれば どこの国にしても、そういうことになるんでしょう.
  欧米諸国にしても、一時期の力をなくして、植民地をあきらめた.
  今後は、中国の力の拡大に伴って、昔日本がやってきたことを倍返し?にする
  ことは当然考えられるってことになるんでしょうね・・・
  だから、歴史問題に火をつけるような泥仕合に持ち込んではいけないと・・・))

p131

1972年の日中国交回復の際の、周恩来・竹入会談、及び、周恩来・田中会談
において、周恩来がそれぞれ 「尖閣列島の問題にふれる必要はありません
「今回は話したくない」 と述べたことによって明らかになる.

・・・日中国交回復という大目標が大事だった・・・

1978年・・・鄧小平副主席から・・・
「今は突き詰めるべきではない. 次の世代、さらにその次の世代が方法を
探すだろう
」との立場が、伝えられた・・・

p133
・・・しかし、実際上のことは、次の世代に知恵をださせるまで、
日本側は尖閣諸島に対しては現状を変えないように配慮することを意味する
こととなった.
現状維持についての暗黙の了解が成立したといってもよいと思う.

(( なるほど、なるほど、ポイントはここですな?
   その現状維持という点で、日本は 中国に理解されるような配慮を
   したのか・・ってことですね?  ))

=====

またまた、長くなってしまいました・・・
この章の部分を A、B,Cの三つに分けることにします.

次回 その7 を C とします.

 

 

 

 

  

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「日本の領土問題」を読む- 5 -「武力衝突の危険をはらむ尖閣諸島問題」 A

角川書店  東郷和彦・保阪正康 著
「日本の領土問題 - 北方四島、竹島、尖閣諸島」
を読んでいます

第一部・第三章
「武力衝突の危険をはらむ尖閣諸島問題」

タイトルからして物騒な中国との関係に入ります・・・

p115
日本にとっても、中国にとっても、尖閣諸島問題は、「今のところ」、領土問題であって、歴史問題ではない.

しかし、中国にとって、この問題が、歴史問題に転化する危険性はある.

(( この意味が重要らしいのですが、私にはピンと来ません・・・・
  それが、これから解説されているんです ))

中国と台湾が・・・・領有を主張し始めたのは1971年であり・・・・

p116
約20年間中国指導部は、・・・・主要問題として扱われたことはなかった.

2010年9月の中国漁船の領海侵入・・・

冷戦時代の問題点3点を検討したい・・・

p118
歴史的経緯

尖閣諸島は、・・・五島をもって一体の島々として扱われている・・・
中心は、台湾に最も近い魚釣島・・・

日本政府が「無主の島」として、尖閣の領有を認めたのが1895年1月14日.

台湾を併合した下関条約が署名されたのが1895年4月7日.
日本領土編入と台湾の併合はきりはなされて行われた

p119
1945年8月15日の日本の敗北まで国際的にも承認された形で継続された

開拓の請願者古賀辰四郎に対し四島の30年無償貸与として、
その後は私有地として付与された・・・

明治末期には、99戸248人が尖閣諸島の島々に住んだという

1940年島は再び無人島となった

尖閣諸島は、米軍政下におかれ、沖縄の一部として推移する

法的・実態的に示しているのが、1951年のサンフランシスコ平和条約と
1971年の沖縄返還協定である

p120
この間、・・・中華民国も中華人民共和国も、尖閣を日本の(潜在)主権の下に
置くことについていかなる抗議を行ったこともない.

p121
戦後処理の過程で、尖閣諸島が日本領として扱われたことには、
疑義の余地がない

(( まあ、ここまで読まったくむ限りは、まったく問題なさそうですけどね・・・ ))

1968年のECAFE 国際連合アジア極東経済委員会レポートが 尖閣諸島海域に
石油の埋蔵量があることを発表した
ことが、中国と台湾の尖閣領有の立場を
顕在化させたことは、間違いないと思う.

p122
1970年9月1日に発表された琉球政府声明である

「報道によりますと台湾の国民政府がパーシフィックガルフ社に
鉱業権を与え、
大陸ダナ条約に基づき、尖閣列島は国民政府の領有であると
主張しているとのことであります」 
と述べ、このような事態は看過できないとして、琉球領有の根拠を 詳細に述べている

((  じぇじぇじぇじぇじぇ・・・・
    なんと、パシフィック・ガルフ社・・・・私が昔7年間勤めていた会社じゃ
    ないですか・・・
    こんなことがあったとは、今の今まで 知らなんだ・・・
    私が勤務したのは、1971年から1978年まででしたから、
    その直前の話だったんですねえ・・・
    まだ、この時は、千駄ヶ谷の津田スクール・オヴ・ビズネスで一所懸命
    英語の勉強をしながら、川崎市の産経新聞の販売店に住み込んで
    毎朝夕新聞配達、集金、営業をやっていたんですねえ・・・・ ))

(( ところで、琉球政府は 当然 その当時は米軍の下にあったわけで・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E6%94%BF%E5%BA%9C

「アメリカは施政権を日本から切り離し、琉球政府をアメリカの傀儡政権としてコントロールしようとしたが、琉球の民衆の本土復帰運動は盛んで、第1回から会期ごとに日本復帰決議が行われた。」

・・・ということで、アメリカによってコントロールされていたわけですよね・・・

ああ、それなのに、なんで、アメリカの石油探査会社であるガルフ石油がアメリカの管轄下にある海域の鉱業権を台湾からもらったんでしょうかね??

http://inri.client.jp/hexagon/floorA2F/a2f1210.html

このサイトには ガルフ石油のことを以下のように書いてあります:

★「セブン・シスターズ」(7人の魔女)とは次の7社である。

◎エクソン           アメリカ
◎ロイヤル・ダッチ・シェル  イギリスとオランダの合弁会社
◎BP              イギリス
◎モービル           アメリカ
◎ソーカル           アメリカ(ガルフ石油と合併「シェブロン」へ)
◎テキサコ           アメリカ
◎ガルフ            アメリカ(ソーカルと合併「シェブロン」へ)

●このうち上半分の4社は1930年代のメジャーであり、下半分の3社は1950年代に参入したメジャーである。現在では「ソーカル」と「ガルフ」が合併して「シェブロン」を形成、6大メジャーとなっている。

・・・・ ))

p123
・・・一連の声明は重要であるが、特に、中国の12月声明の核心部分は・・・・

釣魚島などの島嶼は、昔から中国領土である.
早くも明代に、これらの島嶼は、すでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、・・・・
・・・日本政府は、日清戦争を通じて、これら島嶼をかすめとり・・・・

日本政府の公式見解は、1972年3月8日の外務省基本見解として表明された

外務省HPに全文そのまま掲載されている・・・・40年間、一言の変更もない

(( さて、そのホームページですが・・・・・

   http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/kenkai.html

この外務省のサイトに書いてあるものの内、この書籍に引用記載されているのは
次の部分です: ))

尖閣諸島は1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり
現地調査を行ない,単にこれが無人島であるのみならず,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認の上,1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。

========

長くなりそうなので、 AとBに分けることにします

次回 その6 で 後半のBを アップします

020

 

 

 

 

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2013年11月21日 (木)

「日本の領土問題」を読む- 4 -「新しい議論が期待される竹島問題」B

角川書店  東郷和彦・保阪正康 著
「日本の領土問題 - 北方四島、竹島、尖閣諸島」
を読んでいます

第一部・第二章
「新しい議論が期待される竹島問題」 Bです

p98
最近に至り、歴史文献の実証的研究という観点に研究の目的をしぼり、
・・・これまでの日本側の定説にも間違いがあったし、韓国側の定説の
中にも間違いがあった
という議論が現れた.

(( そして、名古屋大学教授・池内敏氏の論文に従って以下の三つについて
   検討しています・・・ ))

p99

(1) 于山島(うざんとう)

韓国側は、十五世紀ころからの一連の古文書に現れた「于山島」は、
武陵島(鬱陵島をさすと考えられている)」とともに、一貫して「二島」を構成
すると考えこの島こそが、現在の竹島をさすと主張している.

日本側は、川上健三氏の論述以来、鬱陵島と区別された島としての
于山島は実在せず、于山島は鬱陵島をさすと主張している.

(( そもそも、どの島が竹島であり独島なのかって話ですもんねえ・・・
   昔むかし、ジパングはどこにあったのか・・・
   ジパングは本当に日本のことだったのか、あるいはフィリピンだったのか
   ・・・なんて話ですからねえ・・・ 
   卑弥呼の邪馬台国は どこにあったんだ・・・の類ですかね ))

池内氏は、多くの韓国文献にでてくる于山島を全否定はできないという説に理解を
示しつつも、「およそ竹島として理解することが不可能な于山島を文献上
いくつも指摘できる」として・・・

p100

(2) 竹島一件

1625年鳥取藩の町人が・・・爾後毎年1回竹島(鬱陵島)に行って漁獲、木材
などの収益をあげていたところ、1692年及び1693年朝鮮人漁民と競合.
・・・幕府は、朝鮮人の竹島渡海禁止をもとめる交渉を始めるが、・・・
1696年・・・逆に竹島渡海を禁止する法令をだした・・・・

外務省は、この禁止令が松島(今の竹島)には適用されていないとして・・・

これに対して、無視できない反論・・・・

p101

鳥取藩は、「竹島は鳥取藩には属さない. 竹島・松島そのほか両国に属する
島はない
」との回答をした

松島は鳥取藩に属さない. 竹島渡海の筋にある島である

松島すなわち、今日の竹島である.
鳥取藩は、松島を日本領と認識していなかったのである.

渡海禁止をきめた阿部老中は、「竹島の地因幡に属せりといえども」
とする覚書を残している・・・

(( 名前がいろいろ出てきますねえ・・・・ どれが今の竹島・独島なんですか?? ))

p102

(3) 安龍福事件

竹島一件の解釈を複雑化しているのが、・・・・安龍福が果たした役割である.

安龍福は、1693年の鳥取藩漁師の竹島渡海のさい日本側に連行され・・・・
・・・1696年・・・鳥取藩で事情聴取をうけた・・・
帰国後・・逮捕され・・・朝鮮官憲に・・・
竹島のみならず松島を朝鮮領として追求したという彼の証言が、その後の韓国側の
領土意識に大きな影響をあたえている

(( いろいろと書いてありますが・・・
   事実に見合わないものが多いとか、裏付けがとれないとか、
   歴史的事実の反映とは見なせないとか・・・様々な歴史上の記録を
   どう読んで、どう判断して、どう解釈するかという、日本、韓国 双方にとって
   都合がいいように解釈できる余地があるみたいです ))

p103
   

(4) 大韓帝国勅令四一号

1900年10月27日に頒布・施行されたこの勅令は、
鬱陵島を鬱島と改名、鬱島郡守の管轄区域を「鬱陵全島と竹島石島」とした.

p104

外務省は、なぜ「独島」が使われなかったのか、なぜそれまでの「于山島」が
使われなかったのか、・・・・と反論している.

(( あれれ・・・・韓国でも「竹島」って言っていたんですか?? 
   最近は「竹島」じゃなくて「独島」だあ~~って 言っているんですよね???
   どうなってんの?  ))

(5) 島根県地籍編纂方伺に対する太政官返答

明治前半の太政官に関する公文書をあつめたなかに、
「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」という文書群があり・・・

内務省は、竹島も松島も日本の版図に属しないという結論を出す・・

(( この時点では、日本領ではないとして、韓国領であるとの認定もしていない
   と書いてあります ))

(( 著者は、いろいろと説があるから、国民の皆さん、自分で読んで 自分で
   判断してみてください・・・って書いています 
   当時の日本の優秀な官僚たちが うっかりすっかり勘違いしていたんだよ
   なんて話もあったりして・・・ そりゃ 厳しいだろうなあ・・・  ))

p106

(6) 1905年竹島編入時点における、竹島「無主」の問題

行き着く先は、1905年の時点で竹島がいずれかの国の領有権に
服していたということはなく、・・・「無主の地」ではなかったか・・・・

p108

日韓間の漁業秩序の進展・・・・

1998年11月28日に新協定が署名された・・・
竹島を含む中央水域を「暫定水域」と定義し・・・

・・運用は、島根県の漁業者の満足を得る状況にはならなかった
暫定水域における韓国漁船の操業は激烈を極め・・・

p109

島根県議会は、1905年島根県が竹島を編入した2月22日を「竹島の日」に
する県条例を採択した.
激怒した盧武鉉大統領は、日本との「外交戦争」を宣言.

p110
政府は、・・・中学の改定学習指導要領の中学社会科の解説書に、
竹島につき、「北方領土と同様に、我が国の領土・領域について理解を深め
させることも必要」との指示・・・

韓国側は・・・激昂し・・・・首相の竹島訪問などの措置

p111
韓国側は・・・総合海洋科学基地を建設すると発表・・・

(( まとめとして、著者は、日本側は 北方領土に対する思い入れとは
  全くちがう態度、穏便にという対応をしてきていたが、
  韓国側の 「独島憧憬論」は 官民あげての国民的思い入れであって、
  双方の意識のギャップは はなはだ大きいとしています.

  その対応策としての漁業協定はよくまとまったと奇跡的だったが
  結局失敗に終わったと・・・  ))

p114
日本がけっしてこの問題を大上段にふりかざしたことがないことを、
韓国側は、理解しているのだろうか・・・

・・・一度もそんなこと考えたことのない日本人が、けげんな眼差しで
見ていることに、思いをはせたことはないのだろうか

民間の研究者・有識者のあいだで、相互の認識のギャップについて、
冷静に意見交換をすることである・・

(( 正直言って、著者の最後の提案は、結局そんなことか・・みたいな感じ
   なんですけど・・・ まあ、認識のギャップというか、感情的な、一方的な
   空回りみたいな反応、それも、幅広い意見が許容されないような
   韓国の国内事情を考えると、なかなか難しいんじゃないかと思います

   ・・・しかし、その辺りを もっと自由に論議できるような環境を
   つくることは大事なんでしょう
   日本へ留学している韓国人、アメリカへ、フィリピンへ留学している
   韓国人の若い人たちが、そういう自由な幅のある意見を持てる
   さきがけになってくれることを期待したいですね ・・・
   少なくとも、日本の若者より ずっと国際的な彼等ですから・・・ ))

=========

次回は、その5 いよいよ中国との関係です・・・・

 

 

 

 

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2013年11月20日 (水)

「日本の領土問題」を読む- 3 -「新しい議論が期待される竹島問題」A

角川書店  東郷和彦・保阪正康 著
「日本の領土問題 - 北方四島、竹島、尖閣諸島」
を読んでいます

018

第一部・第二章
「新しい議論が期待される竹島問題」

p77
韓国にとって、「独島」問題は、「領土問題」ではない、「歴史問題」である.
一方日本にとって、竹島問題は、「領土問題」であった.

韓国にとって、1905年の竹島併合は、1910年の韓国併合の布石として
とらえられている.

p81
歴史的経緯をみると、日露戦争、韓国併合、竹島領有が同時進行していることは
否定できないし、・・・竹島領有が韓国併合に先行したことも否定のしようがない.

しかし、圧倒的多数の日本国民は、竹島を、そのようには見てこなかった.
・・・竹島領有は、あしか漁業という産業実務の問題から端を発しており、・・・

p82
日韓の認識の差は大きい.・・・あまりにも・・・違うので、多くの日本人は
戸惑いを通り越して、怒り、反発、断絶感を感じてしまう.

(あしか漁業の)中井養三郎は当初竹島を韓国領と信じていたが・・・・
事前に相談をした農商務省・・・海軍省・・・は、必ずしも韓国領ではないのでは
ないかとして、・・・日本政府に願書をだすことにした.
ところが、・・・内務省は、「韓国領地の疑いある」ところを領有すれば
「韓国併合の野心ある」との疑いを招くとしてこれを受理しなかった.

外務省・・・・に出願、同局長は、「時局なればこそ その領土編入を急務とするなり、
・・・敵艦監視上極めて究xxならずや」と述べてこれを受理した.

p83
海軍は・・・軍艦対馬を竹島に派遣、電信所設置の可否を調査.
・・・日本海海戦終了直後・・・望楼を設置した・・・

(( これを読むと、日露戦争中に戦略上の必要から、この島を海軍の
   監視台にしたということのようです.
   だが、もしかしたら韓国領かもしれないという内務省の判断はあったんですね・・))

p84
韓国側に対して提起したいことである.
・・・竹島を民族のアイデンティティの象徴とする「独島憧憬論」ともいうべき、
激しい感情的なコミットメントは、いったいなんであろうか.

p85
竹島認識が、本当に古代からあったのだろうか.
仮にそういう認識があったとしても、その感情の強さはどの時代にどう形成
されたのだろうか.

p86
客観的な分析をすすめることができれば、それは、直ちにその感情の中にある、
過度に情緒的なものを抑制する縁になるのではないか.

 
竹島問題の・・枠組みを決めたのは、
1951年のサンフランシスコ平和条約による処理、1954年の韓国による
竹島の実効支配、それに、1965年の国交正常化の三つの事案である.

日韓両政府の立場は、完全に乖離している.

1. サンフランシスコ平和条約

p87
サンフランシスコ平和条約・・・・「日本国は、朝鮮の独立を承認して、
済州島、巨文島および鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄
する」 と約束した.

竹島についてはふれられていない.
千島列島の範囲についての定義がないことと似通った処理である・・・・

占領行政の初期と当初の条約草案の作成過程で、米国の理解が相当にゆれた
ことは広く知られている.

(( ふ~~ん、ここでも、元々ごちゃごちゃしているところへ持ってきて、
  アメリカの占領期の何等かの判断があったんでしょうかねえ・・・ 
  ある本によれば、 こういう場合は 大体に於いて、紛争の種を撒いておく
  のが植民地政策のひとつのやり方だとありましたが・・・・
  後々、紛争に介入できるようにという布石だとか  ))

p88
1951年7月19日ヤンユチャン駐米韓国大使が韓国の立場を支持するように
アチソン国務長官あての書簡をだし、これに対し、・・・大使あてに
竹島に関しては、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われた
ことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある
この島はかつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない」

と回答が出された

1952年7月行政協定に基づく日米合同委員会は、竹島
在日米軍が使用する爆撃訓練区域として指定した

p90
日本領にせよ、韓国領にせよ、条約から竹島の名前が消えた時点で、この問題には
一定のあいまいさが残ったわけであり、その後の事態は、このあいまいさゆえに
展開したのである

2. 韓国による竹島の実効支配

1952年1月、李承晩大統領が「海洋主権宣言」を行って、いわゆる
「李承晩ライン」を設定し、そのラインの内側に竹島を取り込んだ時点からである.

私の承知する限り、韓国における独島憧憬論が急激に膨らむのは、
この時点からである.

p91
実効支配が決定的になったのは、韓国による武力の投入だった.
1954年6月・・・・駐留部隊を竹島に派遣・・・・

p92
1954年9月、口上書をもって竹島の領有権問題を国際司法裁判所に
付託することを韓国側に提案
したが、・・・韓国はこの提案を拒否・・・

(( この本には、金学俊氏の「独島/竹島韓国の論理」からいろいろな引用が
  されているんですが、私の印象では、いずれもかなり愛国的、情緒的、
  あるいは感情的な記述が多いように感じます・・・つまりは憧憬論と
  名付けられた所以でしょうか ))

p93

3. 日韓正常化交渉における竹島問題

日韓正常化のための交渉は、・・・1952年2月・・・から、1965年6月・・まで
足掛け14年に及ぶ大交渉であった.

p94
竹島問題は、交渉の最後までもつれこんだ.
日本側は、ICJ提訴による決着を、韓国側は交渉すべき問題は存在しないと
いう立場を貫いた・・・

p95
竹島問題の議論を展開したのは、主に、民間の研究者であった.

p96
竹島をめぐる国際会議・・・
多様な年齢の韓国(または韓国系アメリカ人)研究者の様々な視点からする
分析のエネルギーに圧倒されざるをえなかった.
すべて英語でなされたこれらの研究発表は、極めて情緒的ながら、
緻密な法的、歴史的論証を行うものもあり、米欧を中心とする国際世論に
一定の影響
を与えているのは必至であった.

(( 最近の韓国人の国際化と、日本人の内向き志向が、こんなところにも
  表れているんですね・・・日本人はもっと英語を勉強しないといけませんなあ・・
  日本国内でいばっていてもショウガナイみたいですよ・・・ ))

p97
韓国研究者のほとんどが、取り上げられる問題点について一致した
意見を表明しているのに対し、日本の研究者の間では、まったく相反する
見解が表明され、両者の間で激しい議論も行われている.

歴史的経緯に関する議論は、平和条約作業グループの議論が始まった
時点での、双方共に 「自分のいう議論がすべて正しい」 という原初的で
未分化な状態にあるという印象をうける

(( ほお~~、韓国では研究者であるのに意見が一致するんですねえ・・・
  もっとも、日本に賛成するような態度をとろうもんなら その立場を追われる
  ような環境にあるやに聞いていますけど・・・

  
  それに、フィリピンのバギオで、戦争と平和について考えるイベントが
  12月に開催されているんですが、2年ほど前に、そこに呼ばれて
  スピーチをやった韓国人留学生は、全くと言っていいほど
  韓国政府の主張をそのままなぞったような内容で 日本を非難し
  唖然としたものです.

  ある時、たまたま、日本語が堪能な韓国人の方と酒を飲む機会があって
  なぜ韓国人は政府のような主張を金太郎飴みたいにやるのかと
  尋ねたんですが、「ここだけの話にしてくれ」 と断った上で
  もしある韓国人が少しでも日本の肩を持つような話をしたら、
  それが噂になって韓国人の中では生活できないような雰囲気があるのだ
  ということでした.
  
  だから 「こういう話は 相手が日本人であっても 本当はしたくないんです」
  とのことでした.

  まあ、これは教育の問題だと言ってしまえば簡単ですが、
  北朝鮮と臨戦態勢にあり、又、将来に向かって拡大する中国経済に依存し、
  衰退するアメリカや日本との関係も微妙な韓国としては、
  国民の意思をひとつにしておかなくてはいけないということもあるんでしょうね・・・ ))

===

ちょっと長くなり過ぎたので、竹島問題のところを A と B に分けます.
次回は B です.

 

 

 

 

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「日本の領土問題」を読む- 2 -「二十五年間の交渉に敗北した北方領土問題」

角川書店  東郷和彦・保阪正康 著
「日本の領土問題 - 北方四島、竹島、尖閣諸島」
を読んでいます

第一部・第一章
「二十五年間の交渉に敗北した北方領土問題」

p30
北方領土問題は、「領土問題」ではない、「歴史問題」である.

p32
私が北方領土にこだわる理由は、このとき日本民族がうけた歴史的屈辱の
最後の決算として、四島問題が残ったからである.

民族の屈辱を、私は、「裏切り・残虐・領土的野心」の三つに分けて
説明している.

「裏切り」・・・
1945年8月9日、ソ連軍は怒涛のごとく満州に攻め入った.
・・・中立を守ることを義務付けた、日ソ中立条約違反であり・・・・

p33
七月十二日、私の祖父である東郷茂徳外務大臣発佐藤尚武駐ソ連大使宛ての
極秘電報で「速やかなる戦争終結」を望む天皇の親書を持って近衛文麿特使
を派遣する旨が打電された. この要請が見事に裏切られたのである.

「残虐」とは、・・・
満州居留民をおそった悲惨な運命にある.
・・・満州に消えた日本の民間人の数は17万6千人に及ぶと言う.
・・日本兵60万人をソ連に抑留・・・そのうち6万人は・・・帰らぬ人となった.

1855年の日露通好条約・・・90年間一度も日本領有に対する異議を
呈されなかった四島を占拠したのである.

p35
北方領土問題は、日本が戦後の現実を受忍するための最後の課題として
残った.
・・・歴史問題であるとはそういう意味である.

・・・日ソ間の領土問題は、・・・冷戦期の日ソ米の力関係を反映した交渉の
結果であった.

鍵になる文書は、三つしかない.

p36

1. サンフランシスコ平和条約

ここで日本は「千島列島を放棄」することを認めた.

p37
サンフランシスコ平和条約署名時の吉田茂全権の演説の中に・・・・
「国後・択捉」と「歯舞・色丹」との間に段差がついていたのである.

日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることに
ついては帝政ロシアもなんの異議も挿まなかった・・・

p38
歯舞諸島・色丹については、「北海道の一部」と表現・・・放棄した「千島列島の
一部ではない」という趣旨が、鮮明にでている・・・

ともあれ、ソ連がサンフランシスコ平和条約に署名しなかったことにより、
日ソ間の平和条約は、・・・日ソ交渉にもちこされた.

p39

2. 日ソ共同宣言

要点は、サンフランシスコで現れた「二島対二島」の構図が全面的に
表面化したということである.

1955年8月5日の午餐会で、ソ連側マリク全権より、「歯舞・色丹を日本側に
引き渡してもいい」との発言がでる.

・・・「最初は耳を疑った」・・・ソ連がそこまで譲歩するとは、思ってもみなかった・・

p40
この時点での日本側の弾力性とは、歯舞・色丹二島による妥結であったことを
推定させるに十分の根拠がある.

しかし、日本政府は、・・・ここで「四島要求」の立場が確定し・・・ 「四島要求」の立場
をくずしたことは一回もない.

p42
ダレス長官から 「もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたなら、
沖縄をアメリカの領土とする」 と言われたという「ダレスの恫喝」・・・・

p43

3. グロムイコ声明

1960年のソ連政府声明・・・・

日米新安保条約の持つ反ソ的な性格にかんがみ、「日本領土からの全外国軍
の撤退」 という追加条件が実現する場合のみ、歯舞・色丹を日本へ引き渡すと
言ってきた・・・・

p44
1980年代・・・ 日ソの政治関係の悪化は、「領土問題は存在しない」という
ソ連側の立場と、これに対抗する「四島一括返還」という日本側の立場が
対立し、・・・政治対話が凍結される・・・・

(( つまり、当初は 落としどころは2島だったのに、日本側が欲を出して4島と言ったら、
  全部パア~になっちゃったってことみたいですね.
  それに冷戦時代の米ソの関係もあって、沖縄の返還もからんでいた・・・))

(( ここで著者は、「交渉の本質は何か」ということで、「法的側面」つまり
  歴史的経緯と条約の意味を 日ソ両側の立場から整理しているのですが・・・))

p47
かくて、ゴルバチョフ来日は、法理論による説得が限界に達し、なんらかの
政治決断を求める局面に入った・・・・

(( 要するに、理屈での交渉は通らないってことですね・・・
   まあ、条約や宣言があっても、その理解や位置づけは 2国間で全く異なるって
   ことのようです・・・・  なんの為の条約なんだ・・・って感じでしょうか ))

p58

2001年3月25日、イルクーツクで、森・プーチン会談が行われ、イルクーツク声明
が署名された.

国後・択捉については、「東京宣言に基づき、四島問題を解決することにより、平和条約
を締結する
」  ・・・再び確認された.

歯舞・色丹については、「1956年宣言が、平和条約締結に関する交渉プロセス
の出発点を設定した基本的な法的文書である」 ことが明確に確認された.

p59

時の勢いというのは恐ろしい・・・・
森総理が、「歯舞・色丹と国後・択捉について並行的に協議しましょう」と提案し、
プーチン大統領がこの提案を拒否することなく 「承っておく」 と述べたことに
よって決まったのである.

p61

そして、2001年4月の小泉内閣の登場と、田中真紀子外務大臣の就任に
伴う一連の事態によって、領土交渉は頓挫
し、並行協議は一度も行われる
ことなく終わった・・・・

話し合いのテーブルにつこうとしているロシアを前に、
政局の混乱を理由に交渉の場から事実上消えてしまった日本側に
ついて一体ロシアはどう思ったか.

p62
2009年、二十五年続いた交渉はとりあえず終焉した・・・・

p64
日ソ国交回復をなしとげた祖父鳩山一郎氏の志をつぐ人として、
鳩山由紀夫総理が誕生し・・・メドベージェフ大統領との間で、波長のあった首脳会談
が行われた・・・

「戦後の結果について地政学的に見直すことはできない」 が、日本との関係
では 「別問題」 という、・・・驚異的な柔軟発言
がでてきた・・・・

しかし、その直後・・・・日本政府は、「不法占拠」という言葉を使った・・・
クレムリンは直ちに猛反発、領土交渉を事実上ここで凍結させた.

p67

2011年2月の北方領土の日における 「大統領の国後訪問は許しがたい暴挙」
であるという菅総理の発言は、クレムリンからすれば、今後の展望をまったく
持たない感情的・挑発的発言としか見えなかった.

p68
結局のところ、日本の交渉者は、自己の主張の正しさを信ずるあまり、ロシアが
譲歩しようとしている時に、相手がなしうる譲歩の限界で交渉をまとめる洞察力・
判断力・実行力に欠けた.  その結果、機会の窓が開いている時に それをつかみ損ねた.

p69
交渉者の判断を曇らせた大きな要因は、歴史の大きな力関係の中での、
日本の力に対する過信である.

日本にとっての有利な状況がどのくらい続くのか.
その判断においてわが外務省は、致命的なミスを犯したと言わねばならない.

(( この著者自身が 日ソの交渉に16年間関わった一人として
  「斬鬼のあまり言うべき言葉がない」 と述べています ))

p75
北方領土は・・・「絶対にあきらめてはいけない」・・・
但し、いくつか条件がある.

ー 何故日本人にとって、四島が大事なのか.
ー 交渉が置かれた現実が、日本政府の敗北の歴史であるということを
  しっかりと見据えて
ー 次の機会がくるまでは・・・いかなる打開策があるかを検討し・・・
ー 経済と政治が強い、・・・・尊敬できる外交・安全保障政策・・・

=====

これを読むと、北方領土については、
日本側が自分の置かれた立場を、その時々の世界情勢や国内の事情、特に
日本側の政治的な弱さ、を見誤って、25年間で様々にソ連・ロシアからのぎりぎりの
譲歩があったにもかかわらず、 頑固一点張りの 欲張り爺さん・婆さんになってしまって
元の木阿弥になってしまった歴史だということになりそうです.
しかし、その背後には、「沖縄を返さないぞ」というアメリカの圧力もあったみたいですが・・・

====

次回 その3 は竹島問題です.

 

 

 

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東郷和彦・保阪正康 著 「日本の領土問題」を読む - 1

角川書店  東郷和彦・保阪正康 著
「日本の領土問題 - 北方四島、竹島、尖閣諸島」
を読んでいます

著者のまえがきは、日本の「原発安全神話」と「領土固定神話」との
共通する落とし穴から始まっています.

p4
戦後の領土交渉の中からいつのまにか「四島一括のみ、正義は我にあり」
という神話が生まれ、やがてこの神話が現実であるという錯覚が蔓延し、
現実を直視して何か言えば「大変なことになる」というムードが日本を覆って、
すでに、二十年以上になる.

p5
竹島と尖閣の二つの問題についても、・・・同じような「領土神話」が
今生まれつつある.

(( この本の初版は 2012年2月10日になっています))

p7
(三つの領土問題について)・・・今起きていることには共通性がある.
いわば、どの場合も、日本に対して高飛車に出てきているのである.
・・・なぜ、このような情けない状況になってしまったのか.

p8
(マスコミの論調について・・)
一連の経済・社会・政策の迷走によって、かつての経済大国日本の姿は
国際社会から見えなくなった.
・・・政治力の弱体化という致命的な現象が加わった.

p10
・・・外交の基軸たる日米関係の混乱と、日本のこの弱さに乗じて・・・

(( 著者は、このマスコミの論調に基本的に賛意を示した上で、
   問題はここからだ、と始めています ))

p12
日本政府の基本的態度について・・・)
ロシアに対しては、歴史的正義が日本にあり、「四島一括」・・・断固とした
主張を述べ続ける.

中国に対しては、・・・とりあげるべき領土問題は存在せず.
・・・尖閣諸島の支配の強化をもって対応・・

韓国に対しては、・・・竹島が韓国によって占拠されていることの不当性
・・・交渉または国際調停による解決を強く求める・・・

このような、「強気一点張り」の、・・・展望のない見方に固着することは、
国の将来をあやうくする.

p13
その具体策、すなわち、「領土神話」を打破するための具体的な道筋であり・・・

((  と言うことで、この本の目的を明らかにしています ))

p15
領土問題は・・・・その衝突には、三つの側面があるのではないか.

第一に、領土要求をする根拠としての「法的な根拠」
・・・それぞれの政府が自分の立場が絶対に正しいと主張している・・・
・・法理の正しさによる問題解決は、極めて考えにくいということである.

(( つまり、国際司法裁判所などでの 理屈での解決は相手あるいは
  日本自身が受けないから 現実的じゃないってことですね ))

p16
第二に、・・・結局のところ、もしも・・解決というものがあるなら・・・「政治的な」合意
による以外にない.
・・・その利益の配分は、国家間の力関係を反映したものにならざるをえない.

第三に、・・・それぞれの国の歴史に密接に結び付いた問題、すなわち、
歴史的側面」を持つ・・・

(( ここで、著者は、歴史的問題になると、ナショナリズムにつながる危険性が
   あるので、極めて解決が困難になるとしています ))

p17
方領土交渉が二十五年・・・のあとにいま崩壊したことは・・・
相当程度の原因は、日本側に帰すべきと筆者は判断している.

p18
歴史の窓は常に開いているわけではない.
それは、国際情勢と関係する国の国内情勢との相関関係によって、おのずからなる
政策選択の幅がきまってくる.

(( つまりは、相手あっての話であるし、相手もその時の事情を抱えて
   いるから、タイミングを見失うと失敗するよってことですね.
   実際に北方領土では 何度も失敗してきたと言っているわけです
   だから、金科玉条の神話をやめなくちゃ ダメだ と・・・ ))

では、その2 に続きます

 

 

 

 

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2013年11月19日 (火)

「日本の領土問題 - 北方四島、竹島、尖閣諸島」 東郷和彦著

私は 基本的にノンポリでござんして・・・

政治のことは分かりません.

・・・が、フィリピンのバギオに住んでいるもんですから、日本国内に住んでいるのとは やっぱり違って、たま~~にですけど、意見を求められることもあるわけです.

それは、あくまでも個人の意見としてではあるんですけど、海外に住んでいると、どうしても「日本人」の代表としての意見みたいにとられてしまうことだってあるわけなんですね.

だから、うかつな発言は 危ないわけです・・・

バギオって町は、もともと アメリカが植民地 政策の一環として 米軍の為の高原保養地として作った計画都市でもありますし、歴史的に スペイン系、中国系、インド系、ペルシャ系、そしてもちろん アメリカや、日系の人々や、ヨーロッパの人たちだって住んでいるんですねえ. 最近は特に、英語留学などで 韓国の人たちが大勢います.

018

それに、フィリピンの人だって、最近は中国との領土問題を抱えていますしね・・・・

アメリカや日本に 期待しているような雰囲気もあるわけです.

・・・だから、日本の領土問題についても、一応の勉強はしておかないといかんな~~、と思いまして・・・・ この本を読むことにしました.

020

一度 さらさらと読んでみました.

日本、ロシア、韓国、中国の それぞれの立場から、どういう議論がされているのかを解説してあって、全体像をつかむのに良い本だと思います.

026

著者は、基本的に 東郷和彦氏で、実際にロシアとの北方領土問題に関わった外交官ですので、説得力があると思います.

何回かに分けて、この内容をご紹介したいと思います・・・・

 

 

       



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わが故郷・・佐世保市から自衛隊と米軍が フィリピン 台風30号の被災地へ

11月8日にフィリピン中部 レイテ島、サマール島、セブ島などを襲った 台風30号 フィリピン名 YOLANDA(フィリピンではテレビなどでも「ユランダ」と発音する人が多い)は、未曾有の大災害となって、今日11月19日現在でも 食料、水、医療などの支援が行きわたっていないとの報道もある状況です.

003

(NHKのテレビ画像を撮影)

一時 死者は 10,000人以上になるだろうとの報道もありましたが、今のところ上のような数になっています・・・只、被災地はかなり広く、多くの島々があるようですので、まだ予断はできないようです.

004

400万人以上が住む場所を失って、被害の大きかったレイテ島などから セブ島などへ脱出している人たちも多いようです.

008

そんな中、世界中の国々から 様々な支援の手が差し伸べられています.

015

もちろん 日本からも医療などの緊急援助隊が先に到着し、すでに活動が始まっているようです・・・

Facebook
(日本の首相官邸からの画像 FACEBOOKより)

フィリピン台風被害 自衛隊医療チームが活動

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131117/k10013125401000.html

017

・・・まだまだ、支援の手は行き届いてはいない段階ですが、被災者の皆さんの思いは 今からどう生きていけばいいのか・・・ということに移りつつありそうです・・・

たまたま、今日、バギオ在住の日本人のお一人から、電話がありまして.

その奥様の母上の家が レイテ島のタクロバンにあって、家を流されてしまったが、不幸中の幸いで、命だけは助かったとのこと.

一旦、サマール島の親戚のところに身を寄せ、マニラの家に避難するとのことでした.

・・・・

させ たもつ と言う私のハンドル・ネームは、 「佐世 保」って書くんですけど、これは既にお気づきの通りで 私の故郷 長崎県佐世保市から勝手にいただいたもんでござんして・・・・

佐世保は 元々漁師の寒村であったものが、大日本帝国時代の軍港の町として発展したきたところなんです.  日清、日露、第二次大戦、朝鮮戦争などで栄えたという歴史があるわけです.

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B8%96%E4%BF%9D%E5%B8%82

私が高校生の時には、米軍の原子力空母エンタープライズの入港に反対するデモなんかがありました・・・・

不謹慎な話ですが、戦争中の佐世保の夜景は、対空砲などのサーチライトなどで、それは綺麗だったそうです・・

基本的に 日和見の心情左翼な私なんでありますが、 小さい頃から、隣に住んでいたアメリカ海軍の将校の子供たちと 鬼ごっこをしていたんですねえ・・・・

同級生の中にも 自衛隊の幹部になった人たちがいますし・・・・

そんな 佐世保から、今回は、アメリカ海軍や 海上自衛隊が フィリピンの被災地に支援に来るっていうじゃないですか・・・

長崎放送の YOUTUBE

台風被害のフィリピン支援へ 佐世保の日米艦船相次ぎ出港」   

http://www.youtube.com/watch?v=75jDnAOWgMY

そして、これは マニラにある アメリカ大使館が FACEBOOKにアップした情報なんですけど・・・

Infacebook

レイテ島を中心に、今までに 被災地のどこに 支援物資を届けたかというマップですね.

こういう米軍の展開をみていると、一部に言われているように、最近の世界情勢を反映し、また、日本側で言えば 日米安保や集団的自衛権の議論に絡む動きでもあるようです・・・

いずれにせよ、地球温暖化で 今後はこのような異常気象や大規模な災害が懸念される中、戦争なんかやっている場合じゃない、とも思います.

佐世保の皆さん・・・ありがとう !!

 

 

 

 

 

 

 

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