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2013年11月29日 (金)

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 10  女の為に 死ぬのか生きるのか

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

p299

第七章 狂気

特攻に関してはわからないことがいくつもあった.
すべてが志願であったと書かれている本もあれば、強制的な志願
だったと書かれている本もあった・・・

p300

元海軍中尉、谷川正夫は 岡山の老人ホームにいた・・・

その老人ホームは、・・・入所時に何千万円か支払うと死ぬまでいられる
所らしい・・・・

p305
中国の上海の第一二航空隊で一緒だった・・
宮部は非常に勇敢な、恐れを知らない戦闘機乗りだったな・・・

「あいつは天才かもしれん」

「そんな無茶をやっとると、命がいくつあっても足りんぞ」

(( ここでは、今までの宮部のイメージが まったく正反対だった
  ことを話しているんですね・・・
  「羅生門」みたいな 角度の違う証言が出てくるんです・・・ 
  ストーリー的には 時期の違いというのもあるんですけど・・・  ))

p308

ミッドウェーから戻ると、わしら搭乗員は内地で一ヶ月くらい軟禁状態
にされた・・・

空母四隻沈没のことは徹底して箝口令が敷かれた.
口外すれば、軍法会議で重罪みたいな空気があったな.
馬鹿げてるよ.
国民に本当のことを言わないでどうする・・・・・

海軍は陸軍にも本当のことを言ってなかったらしいな.
それでガダルカナルの時も、陸軍は、なぜ海軍は米軍よりも優勢なのに
制海権と制空権がとれないのだ、と不思議がっていたそうだ.

(( アメリカは 真珠湾が大損害を被ったことを大々的に宣伝して
  国民の激怒、奮起を促した・・・・
   日本は 自分たちの采配の責任を隠しまくって、その秘密を洩らした
   国民を死に追いやった・・・?
   どっちが戦略として正しいのかは分かりませんが・・・
   今後、近い将来の日本がそうならないことを信じたい・・・・      ))

p310
十九年の初め、わしは比島に配属となり、空母「瑞鶴」の搭乗員となった.

その頃はもう日中戦争からの生き残りはほとんど戦死していた・・・

p313
グラマンF6Fなどは、7・7ミリ機銃だと百発くらい撃ちこんでもけろっと
している・・・・米軍は搭乗員の命を本当に大事にするのだなあと・・・

米軍は空襲にやってくるときには、必ず道中に潜水艦を配備していた.
・・・不時着水した搭乗員を救出するためだ.

p314
「墜とされてもまた戦場に復帰出来るということは、失敗を教訓に
出来るということだ」

我が方の搭乗員はほとんどが飛行経験二年未満・・・・
比島のタウイタウイ泊地で発着艦訓練を見た時だ・・・・
なんと着艦失敗が相次ぐのだ・・・ 相当数の機体と搭乗員が失われた

p321
練度の低い操縦員たちは回避運動もできないまま、
次々と敵戦闘機の餌食になっていった・・・・

米軍兵士たちが何と呼んだか -- 「マリアナの七面鳥撃ち」だ・・・・

これを撃つのは子供でも出来る・・・・

((  潜水艦でパイロットを助けにいくアメリカ、心理的に追い込んで
    飛行機ごと突撃して死ねという日本・・・・
    個人の熟練をサポートするアメリカ、
    促成栽培で勝負ができると精神論だけで突っ走る日本・・・・ ))
       

p326
それを知った時、米軍と日本軍の思想はまったく違うものだったのだ
と知った. 「VTヒューズ」は言ってみれば防御兵器だ.
敵の攻撃からいかに味方を守るかという兵器だ.

日本軍には最初から徹底した人命軽視の思想が貫かれていた.
そしてこれがのちの特攻につながっていったに違いない.

「突然、目の前で爆発するんだ・・・近くに来ると爆発する仕掛けが
何かあるようだ」

参謀たちは・・・・謎の新兵器の存在を信じようとはしなかった・・・

(( 相手が どういう対応をしているのかを知ろうともしない参謀??
  現場の情報を共有しようともしない日本・・・・  ))

p328
サイパンの日本陸軍はほとんど全滅し、民間人も犠牲になった.
バンザイ岬では多くの日本人が身を投げて死んだ.

((  そして、サイパンから 日本への直接的な攻撃が始まります・・・
    B29などによる大々的な空襲がくるわけですね・・・  ))

p329

「家族に会うのは久しぶりだ」

「想う人はいないのか」

「そんなものはいない. 俺が会える女は 慰安所の女しかない

わしは二十五歳になっていたが、十五歳からずっと海軍で生きてきたのだ.

((  慰安婦問題が韓国との間で紛糾し、外交が麻痺状態ですが、
   いわゆる慰安所、慰安婦は、過去の人類の戦争の歴史の中では
   世界中であったのでしょう・・・
   昔々は、それこそ、敵方の土地を荒らしまわり、婦女暴行をするのは
   戦時の当たり前だったのでしょう.
   日本の戦国時代にも それはあったそうで、負けた側は奴隷にされていた.
   それを野放しにはできなくなって、慰安婦なるものが出てきたようです.

   ヨーロッパ戦線でのアメリカ兵の行動がその契機になったとの話も
   あります.
   100年ほど前のフィリピンでは、米軍の駐屯地の近くに R&Rと
   呼ばれる一画があり、そこには いわゆる「からゆきさん」と呼ばれる
   日本人女性たちが売春婦として働き、当時のマニラの日本人会は
   そういうお姉さんたちがメンバーの大きな割合をしめ、なんと役員は
   その遊郭の前科もの経営者たちだったという記録があります・・・・  ))

p330
わしは真珠湾攻撃に参加した搭乗員ということで、二年前から
村の英雄にされていたのだ.

村の人たちからは戦況のことを訊かれて困った.
大本営の発表は嘘ばかりだったからだ.

p334
「生きて帰って来てはくださらないのですか」

「約束は出来ません・・・・・」

「わたしがなぜ正夫さんのところにお嫁に来たかわかりますか」

「好きだからです」

その言葉を聞いた時、加江のためなら死んでも悔いはないと思った.

(( なぜ日本人は、愛しているから死んでも悔いない・・なんて風に思うん
   でしょうかね・・・・なぜその為に生きなくてはと思わないでしょう. 
   アメリカ人は きっと後者なんでしょうね・・・ 
   なんとか生きたいと思うから、そこで知恵を出そうとするんじゃないか  ))

p335

ルソン島のマバラカット基地に配置になった・・・・

(( マバラカットというのは、フィリピンの町の名前で、神風特攻隊の発祥地
   であると言われています・・・
   マニラからバギオへ向かう途中、クラーク基地の近くにあって、
   そこには 神風特攻隊の飛行兵の銅像と記念碑が建てられています・・・ ))

== その11 へ続きます ==

 

 

 

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百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 9  戦場の ヌード写真

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

p256

第六章 ヌード写真

p260

元海軍整備兵曹長、永井清孝の家は農家だった、
古いがなかなか大きい家で・・・・

p261
「ラバウルで会いました・・・零戦の・・・エンジン・・・整備兵でした」

p262
兵長は、自分の整備した零戦が発動機の不調で引き返す途中に海に墜ちて
搭乗員が亡くなった時、割腹自殺しよりました・・・

p263

参謀たちは軽口で「搭乗員は消耗品」と言っていたらしいですが、
それは多分に本音だったんでしょうな.
ちなみに「整備兵は備品」だそうですわ.

空戦で正々堂々と戦って死ぬなら本望じゃないですか.
まあ、今となってみたらえらい勘違いですが、其の頃はそう思ってましたわ.

(( おそらく、戦場にあれば、そういう気持ちになってしまうものなんでしょうね・・
  生死の境をいったり来りしている中では、死んで本望と考えることのほうが
  楽なんだろうと思います・・・ 

  最近の超高齢化社会への入り口にある私等の年代は
  「ぽっくり死ぬ」というのが理想形ですもんね・・・  
  長生きすることに対する恐怖感というのもありますしね  ))

p264
宮部さんは航空兵の中ではちょっと変わった人でした・・・
あの人は空戦の話はせがんでもしてくれませんでしたね.

p265
あの人はたいてい無傷で帰って来ましたから、少なくとも身を挺して中攻を
守ってはいなかったと思います.

p267
あの人が発動機が不調なのではないかと言うてきた時は、実はかなりの
確率で、何らかの不良個所が見つかったんですわ・・・・

p269
零戦はいい飛行機でしたが、昭和十八年頃から質が落ちてきました・・・
・・・作りが前よりも雑になっていました・・・

p270
腕のある職工が減っているということです. 陸軍が徴兵でどんどん赤紙を出して、
それで工場の職工も片っ端から兵隊にとられているらしいです」

((  このあたりを読んでいると、 兵隊の命もですが 技術者、技能者の
   熟練者も使い捨てだったみたいですね・・・・
   アメリカは逆に、能力のあるものをどんどん登用して、改良していた
   ということなんでしょうか・・・
   今の日本もある意味 似たようなところがあるのかもしれませんね・・・
   団塊の世代からの技術、技能の継承問題やら、非正規従業員の問題、
   それに、格差社会の拡大などなど・・・  ))

p272
「発動機は非常な精密機械ですから、百分の一ミリ単位で金属を正確に
削る工作機械が必要なんです.
いい工作機械がなければ、いい発動機は出来ません.
その工作機械が消耗していけば、生産が落ちます」

「その工作機械は日本製ではないのですね

わたしは黙って頷きました・・・・

(( その当時は、安い粗悪品といえば「日本製」という時代だったんでしょう.
   戦後は、品質管理というものをアメリカから学んで、日本はアメリカを
   追い越してしまった・・・
   そして、今は 安い粗悪品と言えば中国製ですね・・・・、))
   

p283
「・・・大きな借金をして家は破産しました・・・
父は債権者に死んでお詫びすると言って首をくくりました」

「・・・母は病気になり、まもなく亡くなりました・・・
私天涯孤独の身になりました・・・海軍に志願しました」

p284
農家の二男坊以下に生れたモンは、都会に丁稚奉公に行くか、
軍隊に入るしか生きる道はなかったんです.

日本は本当に貧しかったんです. 
今からは想像もできないほどの階級社会だったんですわ. 

(( フィリピンのバギオ市に住んで、初めて学んだことなんですが、
   1903年にベンゲット道路(今のケノン・ロード)建設の為に
   その労働者として日本から渡ってきた日本人たちは
   主に西日本の農家の三男坊、四男坊だったそうです.

   また、その当時は、アメリカでは日本人排斥運動があって、
   法律で日本人移民は禁止されていたらしい・・・

   しかし、アメリカ領フィリピンでは、植民地経営の為に
   海外からの移民労働者が必要だったようで、日本からの不法移民を黙認
   していたそうです.

   日本人移民は、戦争が始まるまでは、
   フィリピンで、バギオで成功し、日本の家族・親戚へ仕送りをしたり、
   呼び寄せたりしていたそうです  ))

p286
戦死はあくまで、「名誉の戦死」であり、
喜びこそすれ、公然と悲しむことは出来なかったからです.
宮部さんの言葉はうっかりすると非国民扱いされかねない言葉だったんです.

「今の私の一番の夢がわかりますか」

「生きて家族の元に帰ることです」

(( 今の平和な時代なら  当たり前の言葉ですが・・・・
   戦争中は 真逆のことが常識だったってことですね.
   常識は時代によって簡単に逆転するってことです.
   おそらく、それをリードするのはマスコミなのでしょう・・・・  ))

p287
そして十八年の終わりに「グラマンF6F」が登場しました・・・
・・出力約二千馬力・・・零戦の二倍・・・重武装と厚い防弾装備が
印象的でした・・・

p290
我が海軍の搭乗員なら自爆するところを、敵地の中に落下傘で
降りるのです.  彼等は捕虜になることをまったく恥じてはおらんかった・・・

わたしらは米兵の死体を木から降ろしました・・・
一人が何やら大きな声で叫び・・・・
彼は手に一枚の写真を持っていました.

・・それは裸の白人の写真でした・・・
最初は騒いでいた仲間たちも、みんな押し黙ったように写真を見つめていました・・・

宮部さんは写真を米兵の死体の胸ポケットに入れました.

p292
宮部さんは泣くような声で言いました・・・
愛する夫へと書かれていた -- 出来たら、一緒に葬ってやりたい

022

=== その 10 へ続く ===

 

 

 

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百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 8 語るために今まで生きた

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

第五章 ガダルカナル の続き

p237
「どうせ、自分たちは生き残ることは出来ません.
 もしわたくしが被弾したなら、潔く自爆させてください.」

「家族は貴様が死んでも悲しんでくれないのか!」

p239
私は燃料タンクを撃ち抜かれました・・・

新鋭戦闘機グラマンF6Fは・・・・既に零戦では太刀打ち出来なくなって
いました・・
せめて敵機を道連れにしてやれと体当たりを決意しました・・・

その時突然、宮部小隊長の怒鳴り声が頭の中に響いたのです

p241
・・・9時間泳ぎ、ついにグアム島に泳ぎ着きました・・・

(( 「潔く自爆する」というのは、それは勿論恐ろしいことなのでしょうが、
  戦場での苦しい闘いの中で、もう帰還できないと思われるような
  状況になり、上官からは「玉砕しろ」なんてことを教育されていたら
  それは自爆するでしょうな・・・
  そういう中で、生き抜くためにぎりぎりの、さらに苦しい事態に
  身を置くというのは余程の精神力と体力がないと無理なんでしょうね. ))

p242

「8時間も飛べる飛行機は素晴らしい・・・
しかし、そこにはそれを操る搭乗者のことが考えられていない・・・
我々は民間航空の操縦士ではない・・・
自分たちは機械じゃない、生身の人間だ・・・」

p243
教官から・・・
戦闘機の搭乗員の体力と集中力の限界は一時間半くらいだと・・・

(( 「風立ちぬ」のモデルとなった 零戦設計者の堀越次郎さんも
  恨まれたもんですね・・・
  まあ、軍がそれを作れと命令したわけですけど・・・

  今でも似たようなことはプロ・スポーツや高校野球なんかにもありますよね.
  さすがにプロ野球なんかだと、アメリカ式の科学的トレーニングが
  取り入れられているようですけど、軍隊式に殴ったり、蹴飛ばしたり、
  人体の生理も心理も無視した、上から目線の指導というものが
  まだまだ日本にははびこっているみたいです・・・
  時々 ニュースになったり、裁判沙汰になったり・・・  

  こういうのは、元々日本のスポーツというのが、武道からの延長で
  心身を鍛えるという根性ものだったのに対して、欧米のスポーツは
  リラックスして楽しむようなものとして生まれたという起源の違いにも
  関わっているんでしょうね. 

  最近はさすがに、炎天下でクラブ活動なんかをやっていて
  熱中症なんかで死亡者が出たりすると 学校としても大問題に
  なってしまうでしょうから、一昔前とは変わってきていると
  信じたいところです. 
  昔は、水さえ飲まさないなんて学校もありましたしねえ・・・ ))

p245
ラバウルから・・・ブイン島基地にむかった山本長官が乗った一式陸攻機が
・・撃墜されたのです.

米軍は傍受した日本軍の暗号をすべて解読していて・・・

この時、長官機護衛に失敗した6人の搭乗員たち・・・・
懲罰のように連日にわたって出撃させられ、わずか4ヶ月の間に
4人が戦死し、1人が右手を失いました.

(( 当時の情報戦争がどんなものだったか知りませんが、
   飛行機の脆弱さと暗号管理のお粗末さについては、誰が責任を
   とったんでしょうかね・・・もっとも山本長官がその一番上の責任者
   だったら 自業自得ってことになるわけですけど・・・))

p251
「実は、私は、ガンです」

「なぜ、今日まで生きてきたのか、今、わかりました.
この話をあなたたちに語るために生かされてきたのです.
・・・いつの日か、私が宮部さんに代わって、あなたたちにその話を
するためだったのです」

((・・・この元飛行兵の気持ちは 私の今の歳になると、なんだか良くわかる
  ような気がします・・・
  
  バギオに住んでいると、元日本兵だった人や、その遺族の方々に
  お話を聞くチャンスが毎年あります.
  それは、バギオという町が、戦争末期の戦略都市でもあったからで、
  バギオからさらに奥にある山々で多くの日本兵や当時の在留邦人、日系人
  の方々が亡くなっているからです.

  日本では、なかなかそういう方の話を聞くという機会はないと思いますが
  バギオでは毎年戦没者慰霊ということで関係の皆さんがいらっしゃいます.

  その中のお一人が この本を出版されました.
  「重機関銃分隊長のルソン戦記」 川崎恵一郎 著
  (光人社NF文庫  2012年発行)

  ご存命の間は、出版を躊躇っていらしたようで、亡くなる直前に
  知人に依頼されていたようです・・・
  毎年バギオを訪問され、過去に3~4回、当時のお話に耳を傾けたものです. ))

=== その9 ヌード写真  に続きます ===

 

 

      
  

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2013年11月28日 (木)

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 7  サムライか 人殺しか・・・・

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

p194

第五章 ガダルカナル

p196
「何度も言うように、私が生き残れたのは宮部小隊長の列機でいたからです.
そして、生き残ることで逆に死ぬことの怖さを知ったのです.
・・・十九歳の若者に命の本当の尊さなどわかるはずがありません・・・」

p197
今の若い人はそんなことは何も知らないでしょうね.
・・・ガダルカナル島で戦った陸軍兵士のことは・・・
日本人なら、この悲劇を忘れて欲しくはありません・・・・

ガダルカナルこそ太平洋戦争の縮図だということがわかります.
大本営と日本軍の最も愚かな部分が、この島での戦いにすべて
現れています.  いや、日本という国の最も駄目な部分が出た戦場です.

p198
大本営は敵情偵察もろくにせずにアメリカ軍の兵力を二千人と見て、
わずか九百人余の部隊を送り込んだのです・・・・
ところが実際には米軍海兵隊の兵士は一万三千人もいたのです.

p199
当時、私たちは、アメリカ人がいかに腰抜けで弱虫かと言うことを
さんざん教えられて・・・家庭が第一で、・・・戦争が嫌いだし、・・・
命が大事と思っている・・・躊躇なく投降する・・・決死の覚悟が違う・・・

一木支隊は最初の夜襲で全滅しました.
米軍の圧倒的火力の前に、日本軍の肉弾突撃はまったく通用しなかったのです.

日本軍は、長篠の戦で織田信長の鉄砲隊に挑んだ武田の騎馬軍団みたいな
ものでした・・・

一木隊長は軍旗を焼いて自決しました・・・

p201
大本営のエリート参謀はこんなイロハも知らなかったのです.
・・・敵も知らずに戦おうというのですから、話になりません・・・

・・・そして戦闘ではなく餓えで死んでいきます・・・

結局、総計で三万人以上の兵士を投入し、二万人の兵士がこの島で
命を失いました. 二万人のうち戦闘で亡くなった者は五千人です.
残りは飢えて亡くなったのです・・・・

p202
ニューギニアでも、レイテでも、ルソンでも、インパールでも、
何万人という将兵が飢えで死んでいったのです・・・

戦国時代の武将たちが戦いで最も重要視したのが兵站だそうです.
ところが大本営の参謀たちはそんなことさえ考えなかったのです.

(( 兵站とは、食糧や弾薬の補給のことです・・・
   豊臣秀吉などの時代に、城攻めの時に城を水で囲んで持久戦に
   持ち込んで、この兵站を遮断するという戦法がありましたが・・
   大本営は、自らこの兵站を絶ったという話ですよね・・・

   終戦間近の1945年3月ごろから、マニラはもちろん、バギオ市からも
   米軍のじゅうたん爆撃に追われるように、日本軍と在留邦人が
   ルソン島北部、バギオ市よりも北の山岳地帯に逃げ込みました. 
   そして、その山岳地帯で数万人の日本人が餓死したとも言われて
   いるのです. 
   ちなみに、この戦争でのフィリピンでの犠牲者は、
   日本人が50万人以上、フィリピン人が100万人以上とされています  ))

p208
帝国海軍は第一線で命を懸けて戦った者に非常に薄情です.
海軍大学出身の将校はどんなミスをしても出世していきますが、
叩き上げの将兵が報われることは極めて少ない組織です・・・・

(( この組織論やいわゆる出世の仕組みは アメリカとはかなり違うという
   話が後の方で出てくるんですけどね・・・・ 
   これは、私が昔若いころに勤めていた アメリカの石油メジャーの会社
   ガルフ石油の日本法人で聞いた話ですが、 定年間近かのお爺ちゃん
   で副社長となっていた方は、ガルフ石油に入った当初は、メッセンジャー
   つまり郵便物を配達して走り回る仕事から今のポジションになったとの
   ことでした・・・個人の能力を認める仕組みだったんですね・・・

   それに、私が三つ目の勤務先としたアメリカ系の半導体企業でも、
   体育大学出身で、会社に入った時には、材料倉庫係りだった人が、
   勤勉さとその能力で、工場長や事業部長となり、最後には日本の
   半導体企業の救世主たる社長として登り詰めたということもありました  ))

p210
後に神風特攻隊の人たちも自らの運命を受け入れて出撃していきましたが、
ラバウルの中攻隊もまた死を前提に戦っていたのです.

私は万が一のことを考えて遺書は書いていましたが、
遺書を書くと戦死するような気がして書かない者も少なくありませんでした

p216
米軍は十七年の七月に無傷の零戦を手に入れ・・・・
アメリカ本国に持ち帰られ、徹底的に研究されました.
・・・神秘の戦闘機であった零戦の秘密のベールがすべて剥ぎ取られたという
わけです・・・・

p217

こうして米軍は零戦に対して徹底した一撃離脱戦法に切り替えました・・・
零戦に対して必ず二機以上で戦うことが義務付けられました・・・

p218
物量で押しまくる米軍は、同時にパイロットの命を大切にしました.

何と彼等は、一週間戦えば後方にまわされ、そこでたっぷり休息をとって
再び前線にやってくるというものでした.
そして、何か月か戦えば、もう前線からは外される・・・・

我々搭乗員たちは何とも言えない気持ちになりました・・・
連日のように出撃させられるのです・・・

熟練搭乗員も櫛の歯がかけるように減っていきました・・いやむしろ
熟練搭乗員から死んでいきました.
・・・搭乗員よりも飛行機を大事にしたのです・・

(( こういうのは、根っこのところに 本物の民主主義があるかどうかの
   違いなんでしょうかねえ・・・・
   もしかして、日本には 昔の士農工商のような身分制度が
   浸みついたようなものがあるんでしょうか・・・
   人間として扱わないという・・・・  ))

p222
小隊長機は大きく旋回すると、パラシュートで脱出する米兵に機首をむけ、
機銃を撃ったのです・
・・・米兵はしぼんだパラシュートと共に落下して
いきました・・・

・・・何もそこまでやらなくてもと思ったのです・・・・

p223

貴様には武士の情けというものはないのか

「俺たち戦闘機乗りはサムライであるべきだ・・・」

「男の風上におけない」

(( ここまで読むと、私もうっかりそういう気持ちになります・・・ 
   サムライという言葉、武士の情けという言葉、 男らしくあれという言葉に
   日本人は弱いと思いませんか・・・・  ))

p224
「・・なぜ落下傘を撃ったのですか?」

「搭乗員を殺すためだ」

「自分たちがしていることは戦争だ. 戦争は敵を殺すことだ」

米国の・・・・戦闘機なんかすぐに作る. 我々が殺さないといけないのは搭乗員だ

「・・・出来れば空戦ではなく、地上銃撃で殺したい!」

p226

あの男を生かして帰せば、後に何人の日本人を殺すことになる・・・」

これが戦争なのだと初めて気が付いたような気持ちでした.
・・・戦争とは、自分が殺されずに一人でも多くの敵兵を殺すことなのです.

(( これは なかなか一般的には、心情的には受け入れにくい理屈なんでしょうね
   ・・・しかし、戦争は所詮人殺しだ・・という基本からいうならば、
   これはまさに正論だと思います...
   もともと非人間的な戦争というものの中で、気取ってどうすんだ、という話です 
   人殺しという現実の中に 美学をもちこんで どうすんだ   ))

この話には驚くべき後日談があります・・・
実はこの時のアメリカ人パイロットは生きていたのです・・・

p227
日本機を二十機以上撃墜したエースとも会いました.
・・・・なぜか憎しみや恨みはまったく感じませんでした.

トニーは不思議な話をしました.
一度、ゼロに撃墜されたというのです.
もしかしたら、それはお前ではないのか、というものでした.

p229
「私の小隊長だ」

「生きているのか」

いや ーー カミカゼで亡くなった

次の瞬間、トニーは顔をくしゃくしゃにして泣き出しました・・・

「俺たちが勝ったのはグラマンのお蔭だ.
グラマンほど頑丈なやつはなかった. 俺がこうして生きているのは
操縦席の背面板のお蔭だよ」

=== その8 に続きます ===

 

 

 

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百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 6  機密情報と軟禁

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

第四章 ラバウル の続きです・・・

p156
発表はされていませんでしたが、六月にミッドウェーで空母4隻が
沈められたらしいという噂
は搭乗員たちの間で密かに広まっていました.

p157
宮部さんたちは、中攻に誘導され、零戦に乗って、本土から台湾、
比島、トラック島を経由して、長駆六千キロを飛んでラバウルに
到着・・・・

p158
宮部さんは、一瞬口をつぐみました.
私はすぐにミッドウェーのことは軍の機密なのだなと思い、
慌てて、話題を逸らそうとしました・・・

p167
「敵を墜とすより、敵に墜とされない方がずっと大事だ」

「それともアメリカ人一人の命と自分の命を交換するか?」

「たとえ敵機を討ち漏らしても、生き残ることが出来れば、また敵機を
撃墜する機会はある. ・・・一度でも墜とされれば、それでもうおしまいだ

(( 兵士個人にとっては たったひとつの命・・・
   その家族にとっても たったひとつの命・・・
   日本軍にとっても 熟練した戦闘員、飛行兵は、学徒出陣で
   促成栽培の神風特攻隊員とは比べ物にならないくらい
   貴重な財産だったはずなんですが・・・基本は部品ですからね  ))

p169
お恥ずかしい話ですが、私自身、何度も、しました・・・
・・・ラバウルには慰安所があり、何度か行ったことがありましたが、
ここ辺境のラエにはそんなものはありません・・・・

p170
ある日の夕暮、隊舎からかなり離れた川に・・・・
草むらで、唸り声が聞こえてきました.  最初はぎょっとしました・・・

小隊長は上半身裸になり、・・・銃身を掴み、それを何度も持ち上げていました・・・

・・木の枝に足を引っ掛け、逆さづりのような恰好に・・・
その姿勢のままひたすら耐えているのです・・・・

・・・空戦のための鍛錬です・・・

p175
ミッドウェーの生き残りはしばらく軟禁状態にされたという噂は
本当なんだなと思いました.

(( この台詞は、上の p156の話とのつながりですね・・・・
   大本営は、日本にとって都合の悪い情報は機密扱いにし、
   成果については誇大に宣伝したということです・・・
   冷静な状況の分析をはなから放棄していたってことになりそうです・・・

   特定秘密保護法案というのが衆議院を通過したようですが、
   参議院でどうなるのでしょうか・・・・  ))

娘に会うためには、何としても死ねない
・・・普段の温和な彼からは想像もつかないほど恐ろしい顔でした・・・・

生き残るということがいかに大切なものであるかということを
百万の言葉より教えられた気がしたのです

p176
ガダルカナルというのは南太平洋に浮かぶソロモン諸島の小さな島です.

当時、日本軍は米国とオーストラリアの連絡網を切断しようとしていました

(( 日本はオーストラリアとも戦争をしていたんですねえ・・・
   ずいぶん前の話ですが、たしかオーストラリアのダーウィンだったと
   思いますが、日豪文化交流のイベントで 和太鼓をやろうとしたら
   その音は戦時中の悲惨な記憶を思い起こさせるというので
   中止になったというようなことがニュースになったと記憶しています・・・

   http://www.asakoinsydney.com.au/essay/200408cowra.htm
   http://nichigopress.jp/nichigo_news/hanshakyo/2745/

   相手は忘れてはいない・・・
   日本はそういう歴史の教育をしない・・・
   海外に住んでいると、かならずそういう知識が必要になりますね・・・ ))

p178
ガダルカナルは・・・・
ラバウルから五百六十哩(約千キロ)もあるということがわかりました・・・

宮部さんは小さな声で言いました・・・
零戦が戦える距離ではない

p181
九九式艦上戦闘機も攻撃にでました.
しかし・・航続距離が足りず、最初から片道攻撃を覚悟しての出撃
なりました.

p189
敵戦闘機は初めて見るグラマンでした・・・・
米軍はガダルカナルのために手持ちの全空母をつぎ込んでいたのです.

p190
一式陸攻は海軍を代表する爆撃機でしたが、防御が非常に弱いのが
弱点でした.  アメリカ軍からは 「ワンショット・ライター」 という
有難くない渾名がつけられていたほどです
・・「一発で火がつく」という意味です・・・
燃料タンクの防弾もなく、操縦席を守るための装甲もほとんどありません・・・

p191
山本五十六大将が搭乗していて撃墜された飛行機がこの一式陸攻です

(( まあ、これは良く言われていることのようですが、
  日本の戦争の道具は、兵士を守ることはあまり考えていない道具だった
  ようですね・・・・
  精神力だけが大事で、道具と人間の命は使い捨てだったようですから
  設計の思想がそうなっていたんでしょう・・・・
  
  その点、アメリカの道具は、その思想がかなり違っていたようです 
  それに、硬直化した日本軍の組織についても、ちょこちょことこの本に
  著されています・・・・

  山本五十六大将は、日本はアメリカには敵わないことは分かっていて
  それでも最初だけなら暴れてやると言ったそうですね・・・
  そういう立派な大将が、なぜそんなに危ない飛行機で戦場を廻って
  いたんでしょう・・・・))

p191
この日、報告された戦果は、敵艦2隻撃沈、輸送船9隻撃沈という
華々しいものでしたが、戦後の米軍の記録を見ると、駆逐艦と輸送船
それぞれ1隻撃沈しただけでした・・

(( ・・・日本軍のいわゆる大本営発表ですね・・・
   これがおそらく機密情報というものなのでしょう・・・
   そして、日本のマスコミのほとんどすべてがそれに従った・・・・
   そして、戦争をあおり、戦争を賛美し、国民をだました・・・・
   歴史が繰り返されないことを祈るのみです・・・・   ))

p192
何とわずか二日間で、九九艦爆が九機、一式陸攻が23機、零戦が8機も
失われたのです. ラバウルの攻撃機のほとんど、そして零戦の半分近く
が失われたのです・・・・

(( はじめっから「生きて戻るな」という方針の戦いですからね・・・
  生きて戻ると 臆病者だの、卑怯者だの、国賊だと言われた時代・・・ ))

018

== 次回は その7 ガダルカナル です ===

 

 

 

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百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 5  神風特攻隊は テロなのか

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

第四章 ラバウル 

(( さて、このラバウルですけど・・・まず、こちらで確認してみましょう・・・
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%AB

  そして、私がこのラバウルという名前をしっているのは、幼いときに
  聞いたことがある この歌でした:
  http://www.youtube.com/watch?v=B_YWPf7LGhM
  ・・・しかし、この映像は、どうやって作られたんでしょうか・・・??  ))

(( ここに凄い映像がありました・・・・
  アメリカからみた【神風特攻隊(kamikazetokko)】第二次世界大戦
  http://www.youtube.com/watch?v=evC_UP-J6ME   ))

p124
新聞記者、高山隆司・・・・・・

「しかし、カミカゼは決して過去の問題ではありません.
・・・9.11のテロを見てもわかるように、今、かつてのカミカゼアタックと
同じ自爆テロが世界を覆っています.・・・・」

「・・・現にアメリカの新聞では昨今の自爆テロのことをカミカゼアタックと
 呼んでいます」

p126
「これははっきり言って殉教精神です. そして彼らの殉教精神こそ、
現代のイスラム過激派の自爆テロと共通するものに他ならない
のです」

「私は、カミカゼアタックの人たちは国家と天皇のために命を捧げる
狂信的な愛国主義者
だと思っています」

p127
「祖父は家族より天皇陛下が大切とは思っていなかったと思います

「あなたはあの時代をよく知らないのです. 戦前の日本は、狂信的な
国家でした. 国民の多くが軍部に洗脳され、天皇陛下のために
死ぬことを何の苦しみとも思わず・・・・」

(( こういう議論は、私はあまり意味がないような気がしますが、
  どちらかと言えば、やはり、この祖父の孫である若い男性の方の
  言っていることが当時の人の感覚としては近いんじゃないかと思うんです

  その当時の軍国主義が一般国民を洗脳したことは事実なのでしょうが、
  ぎりぎりのところで命をかけていた神風特攻の人であればこそ
  身近な人の為に・・となったんじゃないかという気がします  ))

p133
元海軍飛行兵曹長、井崎源次郎を訪ねた・・・・

都内の大学病院に入院中だった・・・・・痩せた老人が正座していた・・・

p136
十七年の2月、数えの二十歳、満で十八歳でした・・・
・・茨城の谷田部で操縦練習生を終えて、・・・最初の一年は戦艦「霧島」・・
操練の試験を受けて航空兵になりました・・・

p137
今にして思うと、海軍に入った理由の後ろには貧しさがあったんだと思います.

対米戦争は前年の十二月に始まっていました.
・・の・翌年、フィリピンのクラーク基地に行きました.
ここはかつての米軍の航空基地でしたが、開戦二日目に台南空の
・・・・34機の零戦隊は 60機の米戦闘機のほとんどを叩き墜としたと言います.
味方の被害は4機だけでした・・・

(( この1941年12月8日、真珠湾攻撃と同じ日の フィリピンへの攻撃
  については、こちらのサイトに詳しく書いてあります.
  しかし、フィリピンで最初に爆撃されたと言われている バギオ市の
  米軍基地 キャンプ・ジョンヘイのことには触れてありません 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1941-1942%E5%B9%B4)

  バギオには、米軍の飛行機はなかったようですが、
  基地内への爆撃の音で、セッション通りが騒然となったことが
  当時のジャパニーズ・バザールで働いていた人によって書き残されています  ))

p140
台南空にもラバウルへの進出命令が来ました.
・・・日本から六千キロも離れた基地です.
南太平洋の最前線の基地になりました.

p150
ラバウルには慰安所がありましたが、慰安所も士官と下士官以下のものでは
違っていました.

p151
撃墜した敵戦闘機の書類にびっくりするようなことが書かれていたと聞いたことが
あります. そこには飛行中に任務遂行をやめて避退してもよい場合として、
「雷雨に遭遇した場合、 ゼロに遭遇した時」と記されていたそうです.

(( ここで言っているのは、零戦に会ったら逃げていいよということなんですね.
   零戦の性能がむちゃくちゃ良いことが分かっていたので、一対一で勝負は
   するなってことですね. 負けると分かった勝負はするなってことです.
   アメリカは無駄死にはするなとしていたわけですね  
   飛行機ももったいないし.  でも日本はそうじゃなかった・・・・ ))

p155
空襲と空戦が終わると、三機は・・敵飛行場の上空で編隊を組み、
そこで宙返りを演じて見せたのです. それも三度・・・
・・更に大胆に高度を下げると、もう一度・・・
驚くのは、この間、敵飛行場からは一発の対空砲火もなかったことです.
・・・それをしなかったのは、彼らの騎士道精神とユーモアでしょう.
これが逆の立場なら、顔面を真っ赤にさせた海兵出の士官が
「撃て、撃て、撃ち落とせ!」 と絶叫していたはずです.

p156
宮部さんがラエにやってきたのは、十七年七月の半ばでした・・・・・

(( さて、ラバウルの近くのラエ・・・ここにやっと宮部の登場です・・・
   ラエとは、ラバウルからさらに南のニューギニアの基地だと書いて
   あります. 
   そして、そのラエには、戦前からオーストラリア人の町があったと. ))

=== つづきは その6 で ====

 

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2013年11月27日 (水)

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 4  転換点のミッドウェー海戦

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

p100

ミッドウェーの作戦は事前に米軍にすべて筒抜けだったのです.
それは暗号が解読されていたからです.

p105
ここらあたりが米軍とまったく違っていました.
・・・我々はアメリカ人というものは陽気なだけの根性のない奴ら
と思っていましたが、そうではなかったのです.

p112
その時、艦首の方から司令部の幕僚たちが退艦して行くのが見えました.
内火艇に南雲長官以下多くの士官が乗って艦を離れて行きました.
・・・司令部が艦を見捨てたのだ・・・・・

p113
上空には帰る母艦を失った零戦がむなしく飛んでいました.
おそらく宮部もその中にいたはずです.

あの戦いも運が悪かったわけではありません・・・
陸上用の爆弾でも何でも、先に敵空母を叩いてしまえば良かったのです.
それをしなかったのは驕りです.

米軍の電撃機は護衛戦闘機なしでやってきました.
・・・それが囮の役目になりました・・・
遅れてやってきた急降下爆撃機にやられたのです.

p114
米軍は・・・準備の整った攻撃隊から順次送り込んだというのです・・・

((  この本には、このミッドウエー海戦をはじめ、いろんな作戦で
  その司令部がどのような采配をふるったのか、そして、だれがどのような
  判断ミスをしたのか、だれが正しい判断をしたのか・・・なども書かれて
  います.  おそらく、戦後 様々な検討が加えられたのでしょう.
  しかし、いずれも後の祭り、結果論で、歴史にタラ・レバはないと
  いうことになります.
  結局は、勝てば官軍という話なのでしょう.

  しかし、この小説の全体をみて感じるのは、日本軍には驕りがあり、
  人を人と思わない思想があり、理詰めでの検討・議論がなされず、
  あるいは、それをやった場合でも、検討の結論が都合が悪い場合には
  その結論はなかったことにして、そこに対する対応策も検討
  されなかった・・・などなど、が書かれているように思います 
  挙句の果てに、上が責任をとらない・・と  ))

p115
国のために命を捨てるのは、日本人だけではありません.
・・・アメリカ人は大統領のために命は捨てられないでしょう.
・・・それは真に国のためだったということではないでしょうか.
・・・日本人もまた、天皇陛下のために命を懸けて戦ったのではありません.
それはやはり愛国の精神なのです.

p119
「熟練搭乗者が特攻に行くのは珍しいのですか」
「特攻で散った多くの搭乗者は予備学生と若い飛行兵でした.  陸海軍は特攻
用に彼らを速成搭乗員にして、体当たりさせたのです

p120
「・・・彼は、妻のために死にたくない、と言ったのです」

== 次回 その5 は 第四章「ラバウル」 です ===

 

 

 

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百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 3 軍人が「死にたくない」 ??

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

p55
第三章 真珠湾

p65
元海軍中尉、伊藤寛次・・・・(四国の松山)の自宅は、大きな家だった.

小柄な老人だった・・・・八十五歳になるはずだが、七十代に見えた.

地元の商工会のかなりの大物らしかった.

p66
「臆病者ですか? -- 宮部がですか」

p67
「たしかに宮部は勇敢なパイロットではなかったと思います.
しかし優秀なパイロットでした」

真珠湾からミッドウェーまで半年以上・・・・二人とも空母「赤城」の
搭乗員
でした.

幼い頃から実家の近くにある岩国の海軍航空隊の飛行機を見て育った
私は、飛行機乗りに憧れていた・・・典型的な軍国少年だった・・・
予科練はすごい人気で競争率は百倍くらいありました・・・

p68
なぜ「零戦」と呼ばれたか、ですか.
零戦が正式採用になった皇紀2600年の末尾のゼロをつけたのですよ.
皇紀2600年は昭和15年です.

零戦の正式名称は三菱零式艦上戦闘機です.

((  ゼロ戦のことは、私も子供の頃から知っていて、小学生の頃に
    プラモデルが流行ったときには、私も遅ればせながら、簡単な
    小さい、一番安いゼロ戦のプラモデルを作って、そのボディーに
    日の丸を貼り付けたりした覚えがあります.
    でも、ゼロの意味がこういうことだったっとは知りませんでした.
    単なる製造時の型番みたいなものかと思っていたんです.

    
    飛行機はカッコいいですもんねえ・・・
    そりゃあ憧れますよ. でも、たまたまそれが戦争中だったから
    飛行兵になったってことでしょうね・・・
    平和な時代なら、カッコいい高給取りの国際線パイロットですよ.
    そして、特に、戦闘機のようなものはカッコいいわけです.
    殺人の為に作られたものは、なぜカッコいいんでしょうね・・・・

    空を飛ぶっていうのは、人類の夢だったんじゃないんでしょうか.
    私は、小さい頃には、よくスーパーマンみたいに空を飛んでいました・・・
    もちろん夢の中ですけどね(笑)  

    坂の途中にある我が家の二階の縁側から、飛び立って、鉄道の駅の上を
    通過し、大小の船が浮かぶ佐世保湾を渡り、向こう側にある赤崎岳を
    飛び越えて、夕日に輝く九十九島の海へと飛んだものです・・・
    同じ夢を結構何回も見たものです・・・ 
    もしかしたら、オネショをしたのは、そんな夢を見たときだったかも
    しれませんね・・・笑  ))

p69
零戦はこの二つ(スピードと小回り性能)を併せ持った魔法のような戦闘機
だったのです.

堀越二郎と曾根嘉年という情熱に燃える二人の若い設計者の血のにじむ
ような努力がこれを可能にしたと言われています.

p71
卓越した格闘性能、高速、そして長大な航続距離、零戦はすべてを
兼ね備えた無敵の戦闘機でした.

(( おお、でました・・堀越次郎・・・
   もう映画は見ましたか?  宮崎駿監督の「風立ちぬ」ですね.
   とても爽やかなアニメでした.
   あれは軍国主義の映画だとか、反対に 反戦の映画だとか、
   いろいろと言われているようです・・・・
   私は、基本的に政治的イデオロギーというのは嫌いです...
   イデオロギーというのは、素晴らしとは思うんですが、
   宗教と同じで、勝手に正義をつくりだし、人を殺すための理由にも
   されますからね・・・ ))

p71
工業国として欧米にはるかに劣ると言われていた日本が、
いきなり世界最高水準の戦闘機を作り上げたのです.

私は今でも、零戦に乗って大空を駆け巡ったことは、人生の誇りにしています.

p79
着いたところは択捉島(エトロフ島)の単冠湾(ヒトカップ湾)です.
・・・11月26日、全空母から搭乗員が全員集められ、そこで飛行隊長から
宣戦布告と同時に真珠湾の米艦隊を攻撃する」 と教えられました.

p81
「上海から大村に行く前に、結婚したのです. 新婚生活はたった一週間
でした」

「真珠湾攻撃に参加するとわかっていたら、結婚はしませんでした」

((  大村というのは、長崎県の旧大村空港のことであるようです.
   我が故郷佐世保のちょっと南にあります.
   今の長崎空港は大村湾の中にありますが、旧大村空港は
   湾内ではなく陸地にあって、今は大村.航空基地として海上自衛隊などが
   使っているようです・・・ ))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%A9%BA%E6%B8%AF

p84
私は身震いしました.
実際、本日の未帰還機の多くが自爆したと聞いていました.
我々は、攻撃中に被弾して帰還が困難と思われた時には自爆せよと
命じられていました.
生きて虜囚辱めを受けずと教えられていました・・・

p86
宮部は・・・ぽつりと呟きました 「私は死にたくありません」
・・・こんな言葉が帝国海軍の軍人の口から出るとは思ってもいませんでした.

命が助かることを第一に考えていたら戦闘は成り立ちません.

今ならわかることがあります・・・
・・身内にとっては、大勝利の喜びよりも、家族が亡くなった悲しみの方が
はるかに大きかったということが.

p87
しかしその時はわかりませんでした.
宮部の「死にたくない」という言葉に、ただ激しい嫌悪感を覚えました.

((  この宮部は、戦時にありながら 平時の心を持っていたということ
   なんでしょうね.  平常心と言えるかもしれません.
   しかし、その平時の常識は、戦時の真っただ中では 嫌悪される、国賊だの
   売国奴、臆病者だとか、卑怯者などという言葉で排斥されるのでしょう.  ))

p88
「あの頃、私たち搭乗員は非日常の世界を生きていました.
そこはすでに条理の世界ではありませんでした.
死と隣り合わせの世界というか生の中に死が半分混じり合った世界で
生きていたのです.」

p92
「一部の大使館職員のために我々が「だまし討ち」の汚名を着せられたのです.
いや日本民族そのものが「卑怯きわまりない国民」というレッテルを貼られたのです.

「アメリカの世論は「リメンバー・パールハーバー」の掛け声とともに、
一夜にして「日本撃つべし」と変わり・・・・  」

p98
昭和十七年五月、・・・世界海戦史上初の正規空母同士の戦いです.
ちなみに今日まで、空母対空母の戦いは日米以外にはありません・・・

我が方は・・・「翔鶴」と「瑞鶴」、敵は「レキシントン」と「ヨークタウン」です.

(( さて、真珠湾からこのあたりまでは、日本軍はイケイケだったようですね.
   しかし、これから大きな変化が起こります ))

p100
戦後になって、ミッドウェーの敗北の原因をいろいろ本で読んで知りました.
すべて我が軍の驕りにあったようです・・・・

(( この本には、実に詳細に 空母のことやら、零戦などの当時の航空機
   そして、それらの装備と性能などについて、事細かに書いてあります.
   まさに オタクのごとく調べ上げた知識が次々にでてきます・・・
   その布石が あとの章などに意味をもってくる・・・その展開の
   仕方が実に素晴らしいなあと 一度さらっと読んでみると分かります  ))

019


==== その4 に続きます ===

 

 

 

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百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 2  おまえの爺さんは臆病者だ!!

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」を読んでいます・・・

p07

プロローグ

((  このプロローグと最後のエピローグが、実に洒落ていますよねえ.
表表紙と裏表紙が対になって、米軍の視点から書いてあって、
読者をぐっとつかんでるんですねえ・・・))

電波が放射されていて・・・飛行機を察知した瞬間に爆発する・・・・
それを何百発と撃つんだ. ほとんどのカミカゼは空母に近づく前に吹き飛んだ・・・

p08
死に向かって突っ込んでくるんだ.
こいつらには家族はいないのか、友や恋人はいないのか・・・・

p09
たった一人の日本人のためにアメリカ人が何百人も死ぬ、それは
許せることじゃない.

(( アメリカは、昔から如何にアメリカ人の犠牲者を少なくし、
  敵を何倍も殺すかということを、理屈でしっかり考え、技術をたえず
  更新してきたようですね・・・・
  日本は精神力だった・・・日本人の身体、命と精神は分離されていた・・・
  そして、・・・このあと 元日本兵たちの証言が出てきます・・・・ ))

022



p11
第一章 亡霊

p20
「特攻隊がテロリストというのは違うような気がするけど」

「・・・構造は同じだって. いずれも熱狂的愛国者で、殉教的という共通項が
 あるって言ってたわ」

「特攻隊員の遺書・・・・報国だとか忠孝だとかの文字がずらりと並んで・・・
・・死ぬことを全然怖れていないの. むしろ散華する喜びすら感じている文章もあった.
・・日本にもこんな狂信的な愛国者が大勢いた時代があったのかと思った」

p22
祖父の軍歴は・・・
「宮部久蔵、大正八年・・・昭和九年 海軍に入隊. 昭和二十年 南西諸島沖
 で戦死」

(( 今のイスラム過激派のことを書いているんでしょうが、
   同じだとも、違うとも言い切ることは私にはできません.
   なにせ、どっちもその体験者を 私は知らないわけですから・・・
   しかし、表面的には共通項があるというのは あるのかもしれませんね.
   今の北朝鮮だって、昔の日本軍、軍国主義下の日本国民みたいだという
   ふうにも見えますよね・・・ 少なくとも、戦後生まれの私には、自分の親
   の世代の考え、思い、すら分からない・・

   分かっているのは、 母は軍国少女だった、父は満州で満鉄関連の商社で
   石炭を扱っていたということ. そして、その父は、満州で赤紙が来て、
   徴兵検査にいったところ その検査の時に 緊張のあまり古傷のあった
   指が動かなくなり 検査不合格となったこと. 兵隊にはならなかった. 
   ・・・それで、私が今生きている・・・ ))

p27
第二章 臆病者

元海軍少尉、・・・小さな農家だった・・・・みずぼらしい家だった・・

p28
やせ細った老人・・・どきっとした・・・左半袖部分からは先に腕がなかった・・・

p30
「奴は海軍航空隊一の臆病者だった」

p31
宮部久蔵は・・奴はいつも逃げ回っていた. 勝つことよりも己の命が助かる
ことが奴の一番の望みだった」

p32
「あんたは学校で何を習ってきたんだ. 世界の歴史を学ばなかったのか.
人類の歴史は戦争の歴史だ・・・・・・ だれも戦争をなくせない」

「戦場に出れば、目の前の敵を討つ. それが兵士の務めだ.
和平や停戦は政治家の仕事だ.」

p34
「高等小学校を卒業すると、口減らしのために奉公に出された.
 ・・・・主人には何度も殴られた・・・店を飛び出し・・・・
 もう行くところは軍隊しかなかった・・・」

p36
「いったい日本の軍隊ほど人を殴るところはないだろう・・・
 ・・・いざ前線にでると、弾は前から飛んで来るとは限らない.
 あまりに恨みを買うと、戦場で後ろから撃たれるということもあったらし・・・」

p38
「年が明けて3月、わしは第三航空隊に転属となり、ボルネオへ行った.
前年にフィリピンの米軍基地を台南航空隊が撃滅してから、・・・
東南アジアから蘭印を次々に支配下に置いていった.」

(( これは、真珠湾攻撃と同じ日の フィリピンへの爆撃ですね. その第一撃は、私が住んでいるバギオ市の米軍施設 キャンプ・ジョンヘイだったのです ))

p45
「戦場にあって、「生きて帰りたい」だとーー.
毎日のように戦友が未帰還になり、それでも皆が必死で戦っている中で、
自分一人が助かりたいとは、どういう神経だ

p48
「奴は落下傘で降下中の米兵を撃ち殺したのだ・・
戦場にも武士の情けというものがあるだろう・・・」

p51
国に命を捧げて片腕を失ったわしに世間は冷たかった.
・・・片腕の男にやる仕事はなかった・・・」

p52
「わしも特攻で死にたかった. 五体満足であれば必ず志願していただろう」

p54
「元特攻隊員っていうから、もっと勇ましい人かと思っていたら、臆病者だった
なんてーー・・・・・がっかりしたわ」

((  これが 一人目の元日本兵の証言者なわけですが・・・
   お爺さんのことを知りたくて 元飛行兵に会ったら、さんざんなことを
   言われてしまったってことですね・・・・

   話を聞きにいったこの姉は、「皆が逃げ回れば戦争は起きない」なんて
   ことを言っていたのに、自分の爺さんが「臆病者だ」」と言われて
   がっかりしているわけです.
   反戦思想の持ち主である 平和な時代の 御嬢さんでも
   自分のお爺ちゃんが 「逃げ回っていた臆病者」 などと言われると
   しょぼんとしてしまうわけです・・・

   さて、これが一人目なのですが、 この後次々に証言者が出て
   きます・・・・ これはまるで、「羅生門」のような感じです.
   証言者の言うことが 視点が、全く違ってくるのです・・・・  ))

=== 3 に続く ===

 

 

 

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2013年11月26日 (火)

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 1  ・・・・じっくり読みます・・・

私が小説を凄い・・・と言うよりその小説家を凄い・・と思ったのは
ホセ・リサールが最初だったように思います.

もちろん その前にも それなりに小説は読んではいたのですが、
どちらかと言えば、思想、哲学、宗教、評論みたいなものを多く
読んでいたんです.
読み方も遅かったし、数も少なかったんで、文学少年というわけでもなし...

そういう私が、50歳前後になって、フィリピンと関わり、
フィリピンの英雄と呼ばれる ホセ・リサールが書いた、「ノリメタンヘレ」
邦訳の古本を読んだんです.

その時、初めて、100年も前のフィリピンを描き出している そのディーテールな、
臨場感のある筆運びに 生まれて初めて 小説家の才能の凄さに
気づいたんです.  遅すぎますけどね.

その次に 同じような思いになったのは、
つい先日他界された 山崎豊子氏の 「二つの祖国」でした.
その調査能力と構成、もちろん描写の緻密さに、やっぱりこういう人は天才だ、
と思ったものです.

018

そして、今回の 百田尚樹氏の「永遠のゼロ」.
読書家の皆さんから見ての評価はいろいろあるでしょうし、私には
誰が一番だとかいう比較はまったく出来ませんが、
この小説は、戦争のこと、フィリピンでの神風特攻隊の事、そして、戦争に
直接兵隊として戦った様々な戦争観、極限での兵士の心理、戦争中の国の
体制、戦中・戦後の世の中の変わり様、そして現在にまで引きずられている
トラウマとも言える心情、などなど. 元日本兵の証言を紡いでいくような
詳細な描写に 吸い込まれました.

そこで、 一度さらっと読んだこの本を、もう一度じっくりと読みながら、
ー それぞれの元日本兵の証言の中で 心に響いた言葉
ー フィリピンとの関連で見つけた戦時中の出来事

このふたつの観点から、気になった部分を抜き書きしていきたいと思います.

まあ、そういうことですから、この小説の文学的意味だとか、その評価みたいな話
じゃなくて、言葉のメモとして 書いていこうと考えています.

御用とお急ぎでないかたは、お付き合いください.

・・っというか、自分でこの本を読んだ方が早いですけどね・・・(笑)

 

 

 

 

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2013年11月24日 (日)

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 読み始めました・・・

最初のページから、この本は ぐぐっと引き付けます.

一気に最後まで読みたいところですが、結構分厚いです.

「ぼくの心にも祖父が臆病者だったという台詞はずっしりと残っていた.
祖父は命大事に空を逃げ回っていた男だったのだ.
その時、初めて 「臆病者」 という言葉は自分に向かって言われた言葉
として受け止めていたことに気が付いた.
なぜならぼく自身がいつも逃げていたからだ.
ぼくには祖父の血が流れていたのか. 」

司法試験になんども失敗し、いわゆるニート状態にある男が、
神風特攻隊として戦死したという祖父の話を、戦時中の飛行兵から
聞かされて、ショックを受け、インタビューをした姉と 夕暮れの田舎道を
歩いて帰るシーンである.

「生きて還る」という言葉は、平和な時代なら当たり前のように受け取られる
言葉であるが、戦闘の最中にあって それは許されない.
「逃げ回る」ということは、他の日本人を犠牲にすることであると・・・

とにかく、相手を殺すことが戦争であると.

話がどのように展開していくのか・・・興味深々です.

 

 

  

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さだまさし著 「かすてぃら」・・・・我が父への50年の疑念

私は、長崎県の和菓子屋に生れた.
茶道のお茶会などで出されるような和菓子もつくっていたし、四季折々の行事、例えば、雛祭り、端午の節句、お盆、お彼岸など、それに冠婚葬祭用の引き出物、
そして、年の暮には、餅つきなどもやっていた.
さらには、当時国鉄だった鉄道の駅の売店にも、土産物のお菓子も作って出していた.

そして、このカステラもあった.

002

wikipediaのサイトによれば、
ポルトガルから伝わった南蛮菓子を元に日本で独自に発展した和菓子である
と書いてある.

和菓子で間違いないらしい・・・・

店は家内工業であった.
つまりは、父ちゃん母ちゃん企業・・零細企業である.
私がまだ小学校にあがるか上がらないかぐらいの時には、それでも、2~3人の
職人が住み込みだったと記憶している.

この さだまさし著の 「かすてぃら」 と言う言葉には、今も忘れない些細な思い出がある.  

我が家は、住宅街にあって、戦争中には焼夷弾が屋根を貫通し、二階建ての途中で
ひっかかり不発弾として留まったという古い家で、およそ和菓子屋らしい表づらも
ないような店構えであった.

そんな家の、当時汲み取り式だったトイレの汲み取り口へ入るボロい木の扉の
上に、小さい看板が掛かっていて、「和菓子、まるぼーろ、カスティラ」などという
言葉が並んでいた.

私は、その「カスティラ」という言葉づかいに疑念を抱いたのである.

「これは カステラ だろう・・・ カステラじゃないのか!?」

と、自分の親父が書いたであろう名称に不満だったのである.

普通は 「長崎カステラ」 、「カステラ」 と呼ばれるお菓子であるものだと
思い込んでいた.
・・・・今まで ず~~っと、そうだったのだ. 50年の疑念である.

それが、この本のタイトルは、なんと 「かすてぃら」 じゃないか・・・・

wikipediaによれば、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9
カステラ、かすていら、カステーラ、カステイラ などと呼ぶ.
「名前の由来は一般的には、スペイの地方名カスティーリャのポルトガル発音である
カステーラと言われている.」

なんと些細な・・・
しかし、おそらくこれは、私の親父に対する疑念だったのだろう.

「おやじ、こんな普通じゃない変な用語を使って、大丈夫か?」

という気持ちだったのだと思う.
それが、このタイトルを見て、今頃湧き上がってきたのだ.

・・・しかし、今考えてみれば、アイデア・マンであった親父は、なにかちょっと
違う言葉を使いたかったのであろう.

それは、日本を10年ほど離れフィリピンに住む今の自分だから、
日本語を教え、言葉は一定ではないということが理解できた自分だから、
同じ英語でも 世界中に様々な発音のバリエーションがあることを経験した自分だから、やっとそのことが腑に落ちたのだ.

さだまさしの この本は、さらさらと 軽妙に、あの「今夜も生でさだまさし」のように
読める本である. 
つまり、ほとんど、落語を聞くような、何も考えなくていい、気楽な、何も残らない
本である・
・・・難しいことは・・・

しかし、しっかり心に残ることがある.

それは、さだまさしの父親の描写、エピソードである.

戦争中に戦場にあったその父は、戦後の命は もうけものという気持ちだったんじゃ
ないかと感じた.

ヤクザの恫喝に対して、逆にヤクザの親分をひれ伏させるようなことをやっている.

それに、怒らせると手におえない父だったらしく、
商売で騙された時の報復が物凄い.
物凄いというのは、暴力的という意味ではなく、知恵者という意味である.

この父親、この人だったからこそ出来る技である.

これを真似ようと思っても常人にはできない・・
・・だから、この本を読んでも「何も残らない」と上に書いた.

その父親の、酒も飲まない父親の、好物が 「かすてぃら」 だったのだ.

さだまさしは、その父親のお蔭で、立派な 「かすてぃら」を ちょくちょく食べた
らしい・・・

私は、「かすてぃら」を作っていた和菓子屋の息子であった.
しかし、かすてぃら は高級品であったのだ.
和菓子屋の息子は、真ん中を食べることは ほとんどなかった.
大きな、ずっしりとして、見るからにお菓子の王様のような その「かすてぃら」の
切れ端を ずいぶん食べたものである.

さだまさし著の この本には、その切れ端が美味しかったと書いてある.
私は、和菓子屋の息子だった責任において、これに同意する・・・・笑

・・・しかし、ひとつだけ、さだまさしさんに聞きたいことがある.

なぜ、タイトルは 「かすてぃら」 なのに、本文の中では 全部 「カステラ」 と
書いてあるの??

003

なな、なんと、これをほぼ書き終わった今、
「今夜も生でさだまさし」 のテレビ放送が 始まった・・・・・

もちろん、見ます.

 

 

 

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