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2013年12月 7日 (土)

フィリピン・バギオでの 第四回アジア太平洋国際平和慰霊祭&フォーラム

アジア太平洋国際平和慰霊祭&フォーラムが始まって、今年で4年目・・・

日本人の映画監督がバギオ周辺の地元の皆さんたちと一緒になって開いている、戦争を学び、平和を考える行事です.

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このイベントは、毎年 真珠湾攻撃(ハワイでは12月7日、日本では12月8日)の日に開かれていて、バギオ市、フィリピン大学バギオ校、NGO団体などが協力しています.

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12月6日には、前夜祭として、「平和映画祭」が フィリピン大学バギオ校の図書館で開かれ、 フィリピン地元山岳地帯のゲリラ部隊であった第66歩兵連隊の映像、アメリカの戦時中のニュース映像、日本制作の軍法会議、同じく日本の元日本兵やフィリピン被害者の証言などの映像が上映されました・・・

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又、フィリピン大学ディリマン校の歴史の教授による 「日本占領期のバギオ市」 の講演会の映像や・・・

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バギオ在住中国系フィリピン人の医師であり、中国人コミュニティーの代表挌である ドクター・チェン の日比戦争中の体験談・・・などなど

( このドクター・チェンは 2013年10月にお亡くなりになりました・・・合掌)

日本でもなかなか聞くことが出来ない貴重なお話が 自由な雰囲気のフィリピンでは 聞くことが出来るんですねえ・・

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 ここは、真珠湾攻撃と同じ日に 日本軍による爆撃がフィリピンで最初に始まったと言われている バギオ市の米軍保養施設 キャンプ・ジョンヘイです・・・

上記のフィリピン大学ディリマン校の教授の話では、その当日 マッカーサーがバギオを訪問する予定があったのだとか・・・・

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 バギオ市の歴史上 唯一人の女性市長であった デ・ギア氏も毎年参加されています・・・ 

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 欠かせないのは、フィリピンのゲリラ部隊であった 地元の退役軍人の方たち・・・

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 参加者全員で 戦争で犠牲になった方々に 祈りを捧げます・・・

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 ドクター・チェンの意思を継いで、バギオの中国人コミュニティーをまとめていらっしゃる ナン氏・・・・

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  ざっくばらんな会ですので、毎回参加しているんですが、今回はたまたま 「永遠のゼロ」 を読んだ直後でもあったので、 神風特攻隊の話を少しだけさせていただきました・・・

 

 映画祭の中でも元日本兵の証言の中にあったのですが、 戦地から生きて帰ったりすると 周りから 「なぜ お国の為に死んでこなかったんだ」 という眼で見られたことや、 特攻で死ななかったら、何度でも死ぬまで飛ばなければならなかったことなど、 フィリピンの人たちには 全く信じられない話だったようです・・・

 

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 8日の午後には、フィリピン大学バギオ校に戻り、フォーラムが開かれました・・・

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 フィリピン・ゲリラの退役軍人、 中国系フィリピン人、 日系人、そして、終戦当時6歳だったという日本人の方の インタビュー映像も上映されました・・・

 

 バギオの韓国人会にも フォーラムへの参加をお願いしたそうですが、参加は遠慮されたそうです・・・

 以前、ちょっと書いたことがありますが、

 日本語が流暢な韓国人の方にバギオで話をしたことがあって、「なぜ韓国人は どの人も 同じように 政治や歴史に関して 韓国政府が言うようなことしか言わないのか」 と尋ねたところ、そうしないと いわゆる村八分みたいにされるからだ・・とのことでした.

 私も こんな場所で 日本人相手に こんな話をしたくはないのだ・・・と.

 ある意味、戦前、戦中の 日本のような世間の雰囲気があるようです.

 そういう人たちに 無理矢理に本音を言えとは 言えませんよね・・

 ・・・今のところ、日本は自由にものが言えますが・・・・・

 日本のニュースを見聞きしていると・・・危ない感じになりそうな・・・・

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 戦後にも 様々にフィリピンで差別された経験を話す 日系人の方・・・・

 

 過去を知ることが、将来の役に立つ・・・と信じます・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月 5日 (木)

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 18 エピローグ (完)

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

p571
550ポンドの爆弾を腹に抱えて、あれほどの動きが出来るなんて、信じられない.
コクピットには、人間ではなく悪魔が乗っていたんだと思う.

p572
ついにゼロが火を噴くのが見えた.
やったぞ、と俺は叫んだ.

ゼロは燃えながら上昇し、・・・背面のまま、逆落としに落ちて来た・・・・

ゼロは飛行甲板の真ん中にぶつかった・・・不発だった・・

甲板にゼロのパイロットのちぎれた上半身があった・・・

p573
艦長は・・・
我々はこの男に敬意を表すべきだと信じる. よって、明朝、水葬に付したい」

日本兵の胸ポケットから 一枚の写真を取り出した・・・

着物を着た女が赤ん坊を抱いている・・・

「一緒に葬ってやれ」

・・・艦長の息子は真珠湾で戦死したと知った・・・・

(( 元日本兵が アメリカを訪問し、元米兵と抱き合って 涙を流したという話を
   見聞きしたことがあります・・・
   お互いに殺し合った仲である元兵士達が、なぜそのような気持ちになるのか
   それは戦後生まれの平和ボケした私なんぞに分かるわけもありません・・

   フィリピンのバギオに来て、私はこの地で、壮絶な戦いがあったことを知り、
   そして、昔日本兵と戦ったというフィリピンの山岳民族のゲリラ兵の
   爺さんにも会いました.
   もう、その爺さんも亡くなってしまいましたが、亡くなる前に
   日本兵の亡霊らしきものが その爺さんに憑りついているいると言うような
   話があって、だれか日本人にその霊を慰めて欲しいとのことで
   毎年慰霊に来ている日本人の方と一緒に その爺さんの家で
   般若心経を読んだものです・・・

   そこには、何年も前に元日本兵の遺族という人たちがやってきて
   慰霊祭を行なった卒塔婆も残されていました・・・
   そういう遺族の訪問を快く受け入れ、お互いに戦った時の話を
   していたようです・・・
   そして、その爺さんの家の庭には、戦った頃の状況を表すジオラマのような
   ものが作られ、日本兵たちの残したものなども並べられ、個人博物館に
   なっていました・・・

   きっとあの爺さんも、死の間際まで、忘れようと思っても忘れられない、
   そして 日本兵の亡霊に纏わりつかれた日々があったのでしょう・・
   だから、あの時の、殺し合った時のことを、同じ戦場で同じ気持ちで
   生と死の間で彷徨った体験を共有できる者同士の 奇妙な、相手を称え合う
   感情が芽生えるのかもしれないと思うんです・・・  ))

youtube アメリカからみた【神風特攻隊(kamikazetokko)】

http://www.youtube.com/watch?v=evC_UP-J6ME

youtube アメリカから見た零戦

http://www.youtube.com/watch?v=P2nxQVH_dZg

 

下の映像は、ちょっと話が飛ぶかもしれませんが、太平洋戦争の概要が分かりやすく解説されていて、日本軍が太平洋のどんな所で戦っていたのかが分かる図もありますので、ご参考まで・・・・(石油会社の出光興産の話ですが・・・)

youtube 偉大な日本人 出光佐三   

http://www.youtube.com/watch?v=1yQ8wh-v3U8

 

この小説は、いろんな立場の、いろんな主義の人たちから、いろんな形で
叩かれているそうです・・・・

それはそれでいのですが、私にとっては、これは平和を希求する人たちに
訴える内容を持っているものとして響きました・・・

坊主憎けりゃ袈裟まで憎し、というようには思いたくはありません・・・

12月21日から・・・ロードショー  見たいなあ~~~~!!
絶対 DVDででもいいから、映画をみたいと思います.

映画 「永遠のゼロ」 予告編

http://www.eienno-zero.jp/index.html

日本にいる皆さんは、見られていいですねえ・・・・
羨ましい・・・

 

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2013年12月 4日 (水)

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 17  日本が滅んでしまう・・・

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

さて、いよいよ最終章なんですが、
全部種明かしをすると今から本を読む方に悪いので、今までどおり
私の心に残る部分の言葉だけを拾ってみます・・・

p531

第十二章   流星

p532
飛行課程を終えた時、私たち飛行学生に特攻隊に志願するか否かの用紙が
配られた.
・・・だが本当は志願したくなかった・・・しかし全員が志願した・・・

新聞には、大本営発表の勇ましい記事が載っていた・・・
・・たとえ我が身を失っても、祖国と愛する人を守るためなら、死んでもいいと
思った・・・・

・・その死を意味のあるものにしようと考えたのだ・・・

(( これは確かにそう考えるものだと思います.
   普通の生活をしていても、誰だって自分を否定したくはないですもんね・・・
   誰だって、なにか間違っていたとしても、自己弁護をしたくなるもんです.
   そうでなければ自分自身が耐えられない・・・
   ましてや、生き死にがかかっている時に、それにふさわしい価値を
   自分自身に言い聞かせないと死んでも死にきれないと思います・・・ ))

p535
最初は死を受け入れることは出来なかった・・・
しかしそれが徐々に死を受け入れる気持ちに傾いていった.

・・・あらん限りの苦しみと葛藤を経て、たどり着いた心境だった・・・

説明するには一言では無理だ・・・当時の思考を再現することは出来なかったーーー

あの時ほど、真剣に家族と国のことを思ったことはなかった・・・自分がなき後の、
愛する者の行く末を考えたことはなかった・・・

(( 当時の思考を再現することは出来ない・・・・これも本当だと思います
   極日常的な、ありふれた感情であっても、その時、その場の心の再現が
   出来るもんではないし、 あらん限りの苦しみと葛藤があったその
   極限の瞬間の心の動きなど 他人から語れといわれても
   それは本人も 口に出した瞬間に 言葉にした瞬間に
   「いや そうではない」 と思うようなものじゃないかと感じます・・・
   自分が書いた10年前の日記を読んでみたらそれは分かるんじゃないで
   しょうか・・・ 今の自分と10年前の自分は全くの別人みたいな
   もんですよね・・・  ))

p537
「・・・・広島に落ちたという新型爆弾・・・・」

・・・日本という国は本当に滅んでしまうかもしれないと思った.
・・・祖国を守れるなら、潔く死のうと思った.

p541
私の横に宮部さんの機があった. 操縦席に宮部さんの姿が見えた.

・・・鹿児島湾がきらきらと光るのが見える. ・・・九州の山々が朝日を浴びつつ
緑の色に塗られていく.・・・
この美しい国を守るためなら、死んでも惜しくはないと思った・・・

もう一度生まれることがあるなら、またお母さんの子供に生まれてきたいです・・・

(( 戦後生まれの自分には、いくら想像力を働かせても
   その時の日本人の絶望感は分かりませんが・・・
   そういう時に 日本はどうなってしまうのだろう、この美しい国土を
   山河を守りたい、 そして、母親を思う・・・というのが最後に残るの
   でしょうか・・・ 
   あるいは、小説という架空の物語だからこその センチメンタリズムなの
   でしょうか・・・ ))

p542
ところが・・・・機体の調子がおかしくなった・・・
発動機から潤滑油が噴き出した・・・

隊長は私の風防が真っ黒に染まっているのを見て、「引き返せ」と手で指示した.

p543
機体を軽くするために、爆弾を切り離すべく・・・ところが・・・投下できないように
されていたのだ・・・  これでは不時着さえかなわないではないか・・・

特攻へ出たからには全員死んで来いと言うのが本音だったのだ・・・

(( ひど過ぎる話ですね・・・ 飛行機の不調で帰還せざるを得ないのに、
   爆発するかもしれない爆弾を切り離せなくしてあるってんですから・・・
   無駄死にはさせないという最後の武士の情け、人間性すら軍部は持って
   いなかった・・・))

p544
私は助かった・・・内地に戻り、特攻隊として出撃することに変わりはなかった・・

p545
私は 玉音放送を喜界島で聞いた.

p551
「許して下さい」

「私が代わりに死ねばよかったのです」

「必ず帰ってくると約束したのに」

p555
大阪駅の前には沢山の傷痍軍人がいた.
目を失った男、手を失った男、足を失った男、手も足も失った男などが、
白い傷病衣を着て道に座っていた. 東京でも、至る所に見られた光景だ.

(( 私は戦後生まれですが、私が幼かった頃、多分戦後10年くらい経ったころ
   だと思うんですが、このような光景が 長崎県の佐世保市にもありました.
   「傷病衣」と言うんですね・・・・今の今まで知りませんでした・・・
   幼な心に 繁華街の道端に座っている 古い軍服みたいなものに
   白いものを羽織ったり、手足に包帯を巻いていたり、松葉づえをついて
   いたりした男たちを 「怖い」 と思ったものです・・・・  ))

p559
「・・・宮部さんは私にあなたと清子ちゃんのことを託したのです.
それゆえ私は生かされたのです. もし、それがかなわないなら、
私の人生の意味はありません・・・・」

p563
「あの日、あなたが宮部の外套を着て、家の前に立っているのを見た時、
宮部は約束を守ったのだ、と思いました」

p567
私はあの時、宮部さんの姿を見たんだ. 松乃の横に、飛行服を着た
宮部さんが立っていた. 松乃を迎えに来たのだ・・・・

p569
「大好きな人と結婚しないと、おじいちゃんに怒られちゃうわ」
姉はそう言って涙で濡れた顔で微笑んだ・・・

(( 最後の感動的なシーンは 是非この本を全部読んで お楽しみください
   この姉と弟の最後の心もちにも ほのぼのとした清涼さを
   感じて、あまりにも重い内容の戦争ものに救いを与えてくれる
   かのようです・・・・  

   youtube で 著者の話をお聞きください

   http://www.youtube.com/watch?v=vyck8SujIgo ))

   そして、こんなサイトもありました:

   宮崎駿「永遠の0」を嘘八百と批判!?  

   http://www.j-cast.com/2013/09/26184772.html?p=all

   「?」マーク付き というのがミソのようですけど・・・・・

== 残るは、エピローグ だけです ==

 

 

 

 

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百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 16  教え子が敬礼をして墜ちていく

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

さて、この小説も、いよいよ最終盤に入ってきました・・・
ストーリー的にいうと、最後の種明かしみたいな部分になります.

私がいままで引用してきた文章だけでは、全く なんのことだか分からないと
思いますので、ぜひ本を読んでみてください・・・
な~~るほど、という結末が待っています・・・
ここに書いたのは そういう意味では 「ネタばれ」 です.

p503

第十一章  最期

p508
「おじいさんは多くの特攻機を見送って -- その中には自分の教え子も沢山いて、自分一人が生き残ることは出来ないって思ったんじゃないのかな」

p509
かつての海軍鹿屋基地は現在は自衛隊の基地になっていた.

ぼくたちは特攻隊の慰霊塔にお参りをして・・・・

(( 海上自衛隊鹿屋航空基地史料館のサイトがありました・・・・
http://www.mod.go.jp/msdf/kanoya/sryou/msdf-ks/   ))

元海軍一等兵曹、大西保彦の家は鹿児島市内にあった・・・・
・・・大西は小さな旅館を経営していた・・・

p512
私の鹿屋での任務は通信員です・・・
二十年の春からは、特攻機隊の電信を受け取ることが大きな仕事になりました.

フィリピンの時には必ず戦果確認機が出ていましたが、
沖縄戦の頃には、そんなものを出していたら・・・撃墜されてしまう・・・

特攻機隊員は誰にも知られることなく、たった一人で死んでいったのです・・・

p513
空母に突入の際は、(モールス信号の) 超長符を打ちます.
「ツー」を長く伸ばして打つと、「我、タダイマ突入ス」という意味の電信になります・・・

・・・・その音が消えた時が、彼らの命が消えた時です・・・・

我々電信員はその音を聞きながら、戦果確認をしなければならなかったのです.

p515
・・・今でも時々、その同じ「音」を聞くと、体が硬直します・・・
私は音楽を聴くのが苦手です・・・その音が聞こえると・・・

(( 特攻隊員自らが、自分が死にゆく時に、自らモールス信号を打つ・・・
   その「ツー」という音の長さを それを受け取った通信員がチェックして
   途中で撃ち落とされたのか、敵の空母・戦艦に突入できたのかを
   判断する・・・
   誰も本当の戦果を確認できる者はいない・・・・ ))

p516
宮部少尉は・・・
直掩機は特攻機ではありません.  特攻機が無事に敵空母にたどり着けるように
敵戦闘機から特攻機を守る役目です.

「直掩機も特攻隊みたいなものですね」

「全然違います・・・私たちは九死に一生ということがあります.
 ・・・しかし、特攻隊員たちは、十死零生なのです

p517

特攻の中でも一番悲惨だったのは神雷部隊です.
神雷部隊とは桜花部隊です.

一式陸攻を率いて行った野中少佐は 「こんな馬鹿な作戦はない」 と言い残して
出撃したそうです.

「桜花なんて成功するはずがない」
宮部少尉は吐き捨てるように言いました・・・
「特攻機でも機動部隊に近づくことが難しいのに、桜花を抱いた中攻が近づける
はずがない・・・」

(( 現場で指揮をとる人間には 馬鹿げた作戦だと分かっていた・・・
   しかしその上で指揮だけとる者は 現場の意思を聞こうとはしなかった・・
   アメリカが 「馬鹿爆弾」 と呼ぶ前に、現場の指揮官には それが
   馬鹿なことだと分かっていたってことになります・・・・))

p521
「今日の桜花の搭乗員に、筑波での教え子がいた・・・
宮部教官が援護して下さるなら安心ですと言った・・・
・・・俺に敬礼しながら墜ちていった・・・」

p522
「・・彼らが死ぬことで、俺は生き延びている・・・」

(( 教え子が目の前で散っていく・・・その苦悩は、妻の為に死なない、
   家族の為に生き延びるのだと公言していた教官だからこその苦悩なんだと
   思います・・・
   兵隊を いくらでも取り換えがきく ネジ釘の類にしか思っていない
   幹部には、自分の息子にでもそういう運命が現実に来ないかぎりは
   理解できないのでしょうね・・・  
   欧米などの国だと、著名な政治家や貴族に属するような人たちが
   XX戦線に従軍した、なんて話があるみたいですけど・・・・ ))
   

p523
南九州の各地区は航空機と搭乗員のほとんどを北九州の基地に移動しました.
・・特攻部隊が(沖縄へ)送られる時だけ、鹿屋基地を利用したのです・・・

p525
宮部少尉は、一人の予備士官に 「飛行機を換えて下さい」 と頼んだのです.

p526
「自分の腕は一流です. だから二一型に乗っても十分やっていけます」

宮部少尉は二一型に巡り会った時に、古い戦友に会ったような気になった
のかもしれません・・・・

(( 敢えて、旧式の零戦に乗りたいと予備士官にしつこく頼んだ宮部少尉.
  自分が乗るその特攻機を土壇場で換えた理由はなんだったのか・・・
  ここにも今までの章を振り返ると、あちこちに布石が打たれているんですねえ
  この小説の構成は、素晴らしいと思います・・・))

p527
「あの時、・・・一機だけ、エンジントラブルで喜界島に不時着しているのです・・・」

「ええ、そうです. ・・宮部少尉が乗るはずだった飛行機です・・・」

p529
「不時着した搭乗員の名前は何というのですか」

・・・・・「大石賢一郎 -- ぼくたちの、おじいちゃんだ !」

((  そして、元日本兵、特攻要員などの証言の筋とは別に、
   その血のつながった祖父を知る人たちの話を聞いてまわる
   姉と弟のストーリーが流れていて・・・
   ここで 血のつながりの無い もう一人の祖父がいきなり浮上して
   くるんですね・・・・
   見事な筋立てと言うほかはありません・・・
   しかし、事実は小説よりも奇なり・・・と言いますからね・・・ ))

== その17 に続きます ==

 

 

 

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2013年12月 3日 (火)

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 15  十七、八の特攻少年兵

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

p452

第十章  阿修羅

元海軍上等飛行兵曹、景浦介山は・・・・ 元やくざだった.

「俺は奴を憎んでいた」

奴の特攻出撃は覚えている. 俺が直掩機として飛んだからな・・・

重い爆弾を腹に抱えて敵艦隊近くまで行けるはずはない.

俺がラバウルに行ったのは十八年の秋だ.
・・・ラバウル転勤辞令は片道切符と呼ばれたものだ.

p458
二十機以上は撃墜した・・・
公式記録ではない.  ・・海軍は個人の記録を認めなかった・・
部隊として記録されるだけだった・・・
いかにも日本的なやり方だ. 

個人記録・・・無能な士官にとっては具合も悪かろうぜ.

((  つまり、金のある、エリートの家族は、組織の中でそれなりの地位について、無能であっても前線に出ないで、後ろで「指揮官」として生きていられるような仕組みになっていたってことですね・・・・  それじゃあ日本民族は滅びるよなあ・・・・  ))

p459
米国などは・・・・ パイロットは全員士官で、しかも優秀な者が指揮官に
なっていた・・・
個人の撃墜スコアを発表して堂々と表彰していたらしい・・・

帝国海軍では・・・・・ いくら優秀な搭乗員でも下士官は絶対に
指揮官にはなれない・・・

(( 日本は学校からして、個人の表彰というのはあまりやらないみたいですね.
  フィリピンなどは、アメリカ式なのかどうか分かりませんが、
  小学校から なんだかんだと いろんな表彰をやっていますね.

  こんなもんメダルや賞状もらってどうすんの・・・と思うほどにやっています.
  大学でも、会社などでも、ちょっとした研修でも、しっかりと
  賞状などを出して、もらった方も大事にしているみたいです.
  就職活動をやる場合に そういうものを有効に使っているらしい.
  なにを学んだか、なにが出来るか、具体的なことが必要みたいです・・

  さすがに先生たちの方でも、やり過ぎじゃないかと思っている人は
  いるようですが・・・・・
  いろんな小さな分野で 個人を褒める、認めるということは 個人の励みには
  なると思いますけどね・・・・))

p461
戦後・・やくざになった・・・やくざに憧れていたわけではない・・・
死に場所を求めて彷徨った果てに、気が付けば無頼の徒になっていた.

p464

母は幼い俺によく言った.
「お前には侍の血が流れている. 武士として立派に生きなさい」と・・・

・・・ただ自分のために戦っていたのだ.

宮部は・・生きるか死ぬかの戦いのただ中にあって、家族のことを何より
考える男だった.
 ・・・今まさに国家の一大事というときに妻と子供が
一番大切という男が許せなかった・・・

しかも空戦の腕は凄腕というのが、許せなかった.

(( この気持ちは分かりますね・・・・
   自分が必死で思っていることを、隣の奴は片手間にやっている・・・
   そりゃあがっくりきますよね・・・  ))

p469
絶対に宮部以上の戦闘機乗りになってやると思った.

p470
俺が米軍の搭乗員なら宮部と空戦が出来るのに、とまで考えた.

p473
宮部も模擬空戦に応じたのだ・・・
・・巴戦・・・英語ではドッグファイトというらしい・・・

・・その時、信じられないことが起こった -- 奴の機が消えたのだ・・・

(( ・・・う~~ん、・・・小説家ってのはやっぱ凄いですねえ・・・
  この空中戦の描写が 微に入り細に入りで、よくまあ まるで自分が
  戦闘機乗りでもあるかのように書けるもんです・・・ 
  どういう取材をしているんでしょうか・・・・  ))

p475
俺はしてはならないことをした・・・
竹刀の剣道試合で負けた時に、相手が背中を向けた瞬間に真剣で
斬りかかったようなものだ・・・

しかし、本当に驚いたのは、次の瞬間だった・・・・
・・・奴は魔物か・・・

p477
奴のあの技は何だったのか・・・
左捻り込み.  日本海軍の戦闘機乗りの秘術と言われていた技だ・・・

p485
特攻を命じる方も最初は我が身が切られるほどに辛かったろうが、
そのうちに事務的に搭乗員割を作っていったのだろう.
それが悪いとは言わん. 人間とはそういうものだ.

しかし特攻に行かされる方はそんなわけにはいかん. 命は一つだからな.

p486
特攻隊には十七、八の少年兵もいた.
きれいな目をした奴らばかりだった.
「喜んで死にます」と勇ましいことを言っていたが、心の底で恐怖と懸命に
戦っているのがわかった.
朝にはたいていの奴が目を腫らしていた・・・・

(( youtube 「その時、きっと母親の顔がみえるだろう・・・・・」
   特攻隊員の本心は なんだったのか・・・・
   http://www.youtube.com/watch?v=oriQ5WXC_vg     ))

奴らの死はまったくの無駄だった.
特攻というのは軍のメンツのための作戦だ.
・・・本来なら、もう戦えないと双手を挙げるべきだったのに・・・・・

p491
六月の末に沖縄は米軍に完全占領された.
陸軍と併せて二千機を超える特攻機が散華した.

p493
p51もグラマンも平気で低空に舞い降りて、地上のあらゆるものを銃撃した.
建物、汽車、車、そして人間、奴らは逃げまどう民間人を平気で撃った.
おそらく日本人など人間と思っていなかったのだろう・・・

p495
二十年の春以降、東京、大阪、名古屋、福岡と日本の主要都市はB29の
絨毯爆撃で焼け野原にされていた・・・

五月にはドイツが降伏した・・・・

p496
八月には広島で新型爆弾が落ちた・・・・
・・まもなく長崎でも・・・  大村は長崎に近かったから、その惨状は
すぐに伝わった.

p498
特攻隊員たちの中に 宮部の姿があるではないかーーー

p499
発動機の調子は戻らなかった・・・俺はみるみる遅れていった・・・
宮部たちの編隊が遠くに消えていく

数日後、戦争が終わった.

=== その16 に続く ===

 

 

 

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百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 14  戦争を起こしたのは新聞社だ

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

p415

第九章 カミカゼアタック

元海軍中尉、武田貴則とは白金のホテルで会った・・・
・・・一部上場企業の社長まで務めた男だった・・・

東大在学中に飛行予備学生となった・・・

p418
「特攻の体験は語りたくない. 特にあなたには」

「私はあなたの新聞社を信用していないからだ」

「あなたの新聞社は戦後変節して人気を勝ち取った. 戦前のすべてを
否定して、大衆に迎合した. そして人々から愛国心を奪った

(( 確かに、この点は、本当なんだろうと思います.
   日本から離れて、海外に住んでいると、どうしても日本国内に
   いる時よりも 「愛国心」というものを意識するようになります・・・

   それは、特に、国旗や国歌でもめている日本に対し、
   フィリピンでは、どんなイベントでもだいたい国旗を揚げ、
   胸に手をあてて国歌をみんなで歌うからです.
   そして、当然のことのように、平凡な、とるにたらない私みたいな者が
   日本の代表みたいに扱われる機会も少なくないからです・・・ ))

p420
「私は愛国者だったが、洗脳はされていない. 死んでいった仲間たちもそうだ」

「私は、特攻はテロだと思っています. ・・・それは彼等の残した遺書を
読めばわかります. 彼らは国のために命を捨てることを嘆くよりも、
むしろ誇りに思っていたのです・・・一種のヒロイズムさえ読みとれます」

p421
馬鹿者! あの遺書が特攻隊員の本心だと思うのか

「当時の手紙類の多くは、上官の検閲があった.
時には日記や遺書さえもだ・・・・
それでも新聞記者か、あんたには想像力、いや人間の心というものがあるのか」

遺族に書く手紙に 「死にたくない! 辛い! 悲しい!」とでも書くのか.
それを読んだ両親がどれほど悲しむかわかるか・・・」

(( youtubeに こんな映像がありました・・・・
   神風特攻隊員たちの遺書
   http://www.youtube.com/watch?v=xrihV_GUQoc    ))

p422
「テロリストだと -- ・・・自爆テロの奴らは一般市民を殺戮の対象にしたものだ.」

p423
「我々が特攻で狙ったのは・・・・爆撃機や戦闘機を積んだ航空母艦だ・・・」

(( 最近のムスリム過激派と呼ばれるものの自爆テロは、確かに
   無差別攻撃ですね・・・ 神風は 巨大な殺人兵器である艦船や空母を
   狙ったものだった・・・
   しかし、それにしても、テロリストの定義はむずかしいですね.
   どこかの国の政治家が、「国会議事堂の周辺でデモをやっている国民は
   テロリストだ」 と言ったとか言わないとか・・・  

   wikipediaによれば、テロリズムには 恐怖政治という意味もあるらしい  ))
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

「夜郎自大とはこのことだ -- 貴様は正義の味方のつもりか.
私は あの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている

・・・反戦を主張したのは徳富蘇峰の国民新聞くらいだった・・・その国民新聞もまた
焼き討ちされた・・・ 」

p424
「・・・五・一五事件だ. ・・・これが軍事クーデターでなくて何だ.
ところが多くの新聞社は彼等を英雄と称え、彼等の減刑を主張した・・・・」

「これ以降、軍部の突出に刃向える者はいなくなった.
政治家もジャーナリストもすべてがだ・・・・軍部をこのような化け物にしたのは、
新聞社であり、それに煽られた国民だったのだ・・
・」

(( 最近のマスコミはどうなんでしょうかねえ・・・
   インターネットなどで、いろんな情報、考え方を読める時代ではあっても、
   日本以外の国の視点、あるいは海外の物言わぬ庶民の考え方を
   知るというのはなかなか難しいですね・・
   どんな時代であっても、煽られない市民でありたいんですが・・・ ))

p426
「特攻隊員の皆さんの苦しみは、特攻隊員でなければわかりません.
私のような特攻要員と彼らとの間には雲泥万里のごとく高い隔たりが
あると思っています」

p428
彼らは英雄でもなければ狂人でもない.
逃れることの出来ない死をいかに受け入れ、その短い生を意味深いものに
しようと悩み苦しんだ人間だ・・・・

彼らは二・二六事件の狂信的な青年将校たちではない.

p429
私の前で笑って飛び立っていった友人を何人も見た.
彼らがそこに至るまでにどれほどの葛藤があったのか. それさえ想像出来ない
人間が、彼らのことを語る資格はない.

p430
我々の中には天皇陛下のために命を捧げたいと思っている者など
一人もいなかった.

(( 「今日はお前が死にに行く番だ」 と言われた人と、
  「近いうちにいずれ死ぬ日がくる」 と言われたのとでは、確かに全く
  違うでしょうね. 今日確実に自殺しなくてはならない、ってことですからね.
  それも、自分のことの為じゃなくて、何か別のものの為なんですから・・・
  自分にとって、一番尊いものの為に・・という理由づけでもないと
  自分を納得させることは出来ないでしょう・・ ))

戦前、新聞は大本営発表をそのまま流し・・・・・戦後・・・GHQの命じるままに
・・・まるで国民全部が無知蒙昧だったという書き方だった.
自分こそが正義と信じ、民衆を見下す態度は吐き気がする.

p431
特攻隊員を祭り上げることによって、自分たちの責任を逃れたのだ・・・・

p432
特攻作戦は大西中将が十九年の十月に提案して採用されたということだが、
はたして本当にそうなのか.
彼自身は特攻を 「統率の外道」 と呼んでいた・・・

p434
特攻に断固反対した美濃部正少佐・・・・
・・・どなりつけた上官に対して 「ここにおられる皆さんに自ら突入出来る方
がいるのか
」 と言い返した.
・・「・・・練習機に乗って攻撃してみられるとよい. 私が全部零戦で
叩き墜としてみせる」 と言った・・・・

美濃部正の名前が多くの日本人に知られていないことこそ、ジャーナリズムの
怠慢だ・・・・

自らの部隊から一機の特攻機も出していない・・・
美濃部正の名前は日本よりもむしろ海外で高く評価されているという.

(( こちらのサイトに その記事がありました:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%BF%83%E9%83%A8%E6%AD%A3
「美濃部は「現場の兵士は誰も死を恐れていません。ただ、指揮官には死に場所に相応しい戦果を与える義務があります。練習機で特攻しても十重二十重と待ち受けるグラマンに
撃墜され、戦果をあげることが出来ないのは明白です。白菊や練習機による特攻を推進なさるなら、ここにいらっしゃる方々が、それに乗って攻撃してみるといいでしょう。
私が零戦一機で全部、撃ち落として見せます」と言った。この反対論を述べた際、美濃部は死刑に処せられることを覚悟していた。」    ))

p436
私は断じて言う. 一部の例外を除き、特攻は命令であった.

p437
私たちの訓練は 零戦で急降下することだけだった・・・

p438
宮部教官の顔から笑いが消えた・・・
「上手くなった者から、戦地へやられます」

p448
基地で夫の死を知らされた若い夫人も見た・・・
国分でも宇佐でも沢山見た. 悲しみと衝撃で立ち上がれなくなってしまう女性もいた.

p449
結婚して驚きました. それは毎夜、あなたがうなされることです.
夜中に突然苦しそうに声を上げるのです.
・・・この人はどれほど苦しい目にあってきたのだろうかと思うと、
涙が止まりませんでした・・・

そんな状態が十年以上続きました・・・

(( ・・以前見せてもらった元日本兵のお爺ちゃんのインタビュー映像でも
  戦後 夜な夜な枕元に立つ血だらけの亡霊に苦しんだという話がありました.

  ある戦記物の本には、ルソン島北部の山岳地帯に逃避行していた経験者が
  顔面をザクロのように負傷した兵隊が それでも走って逃げていたと
  書いていました・・・広島や長崎では、原爆で眼球が飛び出した人たちが
  その眼球を掌に載せて歩いていたとも読んだことがあります・・・

  そのような信じられない悲惨な体験をした人たちにとっては、
  平和な時代に生れた私たちには理解を超えたものがあるのは
  当然だと思うんです・・・
  ただただ、話を聞くことしか出来ないと悟ることになるんじゃないでしょうか・・・ ))

018

=== その15 に続く ===

 

 

 

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百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 13  馬鹿爆弾 桜花

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

p376

第八章 桜花

p378
元海軍少尉、岡部昌男の家は千葉県の成田にあった・・・
・・県会議員を四期も務めた人だった.

p382
ちょこんと座っている小さな老人が元特攻パイロットというイメージとまったく
重ならなかった・・・

p384
昭和十八年になると・・・・理科系の学生を除くすべての大学生が徴兵の対象となりました・・・

十八年の第一回の学徒出陣では十万人を超える学徒兵が生まれました.
・・・特攻隊の多くは、この年の学徒兵の中から選ばれたのです.

p385
特攻で亡くなった人たちは四千四百人以上おられます.
その半分近くがこうした飛行予備学生出身のパイロットたちでした.

p387
私たちは空戦のやり方も爆撃のやり方も何も教えられませんでした.
私たちはただ爆弾を抱いて、敵艦にぶつかるだけなのですから.

p388
私たちは自分たちが特攻要員だとも知らずに、早く一人前の搭乗員となって、
敵機を撃墜すると決意して訓練に励んでいたのですから、滑稽ですね.

不思議なことに、より厳しい戦場から帰ってきた者ほど、戦場のことは話しませんでした.

(( おそらく本当に恐ろしい戦場を経験した人ほど、何も語りたくはないのでしょうね.
   バギオで、小さい頃に戦争を体験された日系人の方が何人かいらっしゃいます.
   3~4年前のことですが、戦争中の話を演劇にしてもらったことがあります.
   その演劇をみていたある方は、見ている間に気分が悪くなって見ていられなく
   なり、途中で会場を出ていかれました.

   又、戦争体験を聞き取りたいとある人が日本からやってきて日系人の方に
   インタビューをされた折、途中から泣き出され、インタビューが結局できな
   かったという話も聞きました・・・
   
   おそらく、親兄弟が目の前で殺されたり、今の我々には想像も及ばない
   凄惨なことがあって、その時の恐怖が昨日のことのように甦ってくるの
   だと思います.  ))

p389
宮部教官は・・・非常に厳し教官でした・・・・
なかなか私たちに合格点をくれない教官として有名でした.

・・・やがて宮部教官は教官を外されました・・・

p391
「教官・・・わたくしが上手になるのが不満なのでしょうか?」

「正直に言いますと、岡部学生の操縦は全然駄目だと思っています」

「多くの若い搭乗員が十分な訓練を積めないままに実戦に投入されました.
そしてそのほとんどが初陣で戦死しました」

(( 自分の教え子たちが、特攻に使われるということを知っている教官
   ・・・・出来る限り戦場へは送りたくない・・・
   
   この小説がどこまで史実を語っているのかは分かりませんが、
   このように苦しみながら教えていた教官が少なくなかったと
   信じたいところです・・・ ))

p397
しかし今、確信します. (特攻を)「志願せず」と書いた男たちは本当に立派だった・・

p398
軍部は特攻隊を志願しない者を決して許さなかったでしょう.
実際にそうした噂も聞きました.

p403
特攻隊員に選ばれ・・・・朗らかに明るく振舞っていました.
それが本心であるはずはありません. 彼らがそうした笑顔を見せていたのは、
私たちのことを思ってのことなのです. 死を前にして、後に残る者たちの
心を慮るーーー

(( 順々に特攻に選ばれていく同期の飛行兵たち
   送られる方も、送る方も、気遣いながら、本心を言えない
   苦しみがあったのだと思います ))

p405
私は・・・茨城県の神之池基地に配属され、そこで桜花の搭乗員となりました.
・・・桜花・・・人間が操縦するロケット爆弾です・・・
・・・・上空から敵艦に向かって飛んでいくだけの人間ロケットです・・・

p407
七月に、私は桜花隊員として長崎の大村基地に行きました.
その頃は鹿児島や宮崎などの南九州の基地群は空襲でやられて基地としての
機能はほぼ失っていました.
・・・特攻出撃する時にだけ使われていたのです.

((  零戦による特攻よりも さらに非人間的なこんな爆弾があるとは
    知りませんでした・・・
    人間魚雷というのは聞いたことがあるんですけど・・・ ))

(( 鹿児島の知覧は 特攻の基地として有名です・・・

  http://www.chiran-tokkou.jp/about/heiwakaikan/index.html  ))

戦争が終わった時の気持ち・・・

自分だけが生き残ってしまったという後悔のような気持ちと、
先に死んだ友人たちに申し訳ないという気持ちでした.
・・・今も消えていません・・・

p408
アメリカに旅行に行った時、スミソニアン博物館で目にしたのです・・・
桜花は天井から吊るされていました・・・
・・・何と書かれていたか・・・・ バカボムです.
すなわち バカ爆弾です・・・

哀れで、哀れで、涙が止まらなかったのです

p410
桜花を考えた人たちは航空戦の実態を何も知らない人だったのでしょう

(( 馬鹿爆弾とは・・・・
   確かにそう言われてもしょうがないモノじゃあありますが、
   ・・・そこに生身の人間が乗っていたってことを考えないんですかね?
   デリカシーが無い と言うより、本当に情けっちゅうもんが無いですね 

   http://www.youtube.com/watch?v=uSEzyWua4a0     ))

p413
たとえ自分が死んでも、祖国と家族を守れるなら、その死は無意味ではない.
そう信じて戦ったのです.

・・・そう思うことが出来なければ、どうして特攻で死ねますか.
・・・死んでいった友に、お前の死は犬死だったとは死んでも言えません.

p414
特攻は十死零生の作戦です. アメリカのB17爆撃機搭乗員たちも多くの
戦死者を出しましたが、彼等には生きて帰れる可能性がありました.
だからこそ勇敢に戦ったのです. 必ず死ぬ作戦は作戦ではありません.

(( おそらく私もその当時に生れていたら、
   「祖国と家族を守れるなら、死んでもいい」と信じると思います.
  今の時代だから「馬鹿げている」と言えるんだと思うんです.
  私なんぞは、若い頃は真面目一方の男でしたんで、がちがちの
  軍国少年になったことでしょうね.
  学校の枠にはまらないような不良っぽい連中こそが
  おそらく世の中を広い視野でしっかり見ているんだと思います ))

== その14 へ続く ==

 

 

 

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2013年12月 2日 (月)

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 12  騙し討ちした日本人

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

p355

第七章 狂気  つづき

戦争が終わって村に帰ると、村の人々のわしを見る目が変わっていた.
穢れたものでも見るような目で眺め、誰もわしに近寄ろうとはしなかった・・・
・・・子供たちが 「戦犯が歩きよる」 と言ってわしに向かって石を投げた.

昨日まで 「鬼畜米英」と言っていた連中は一転して、
「アメリカ万歳」「民主主義万歳」と言っていた・・・

兄は明らかにわしを厄介者扱いした・・・

わしは加江をつれて故郷を後にした・・・

戦後の人々は戦前の人々とはまるで違う人たちだった・
・・・戦争で死んだ戦友たちを思い出し、彼等の方が幸せかもしれないと
思ったこともあった・・・

・・・しかし、それは終戦直後の混乱と貧困による一時的なものだった.
多くの日本人には人を哀れむ心があり、暖かい心を持っていた.

(( ・・ああ、最後の言葉で ほっとしました・・・
   私の母は、戦時中はまさしく軍国少女だったらしいのですが、
   戦後東京に出て、学校で勉強し、その時に世の中の変化に
   ショックを受けたらしく、キリスト教の洗礼を受けたと聞きました.
   その後、結婚して、浄土真宗になったんですけど・・・  ))

p359
二十年三月から始まった沖縄特攻では熟練搭乗員は出さなくなっていた.
・・・教育や本土防衛に必要だったからだ・・・

p360
卑怯なのは、俺も後から行くと言って多くの部下に特攻を命じておいて
戦争が終わるとのうのうと生き延びた男たちだ・・・

p364
戦争に行った人の話を聞いていると、本当に兵士たちは
使い捨てられたって気がする・・・

「昔の兵隊さんは、上官に、お前たちより馬の方が大事なんだって
言われたって、お前たちなんかは一銭五厘でいくらでも代わりがあるって.」

「赤紙、つまりハガキ一枚の値段よ.・・・」

(( まあ、私の親父にもこの赤紙は来たんですけど、
  前に書いたとおりで、徴兵検査で不合格になったんです・・・

  その当時の満州で、妻は病死をした後で、幼子を含めて4人の子供が
  いたんです・・・だから、自分が兵隊になってしまったら、
  この子供4人がどうなるのかを 心底心配だったらしい.

  商社の石炭係だった父は、社宅の世話をしていた女性に
  4人の子供のことを、
  「もしこのまま、兵隊にとられてしまったら、後のことを頼む」と
  言って、徴兵検査に臨んだらしい・・・ ))

p365
「海軍の将官クラスの弱気なことよ」

「ガダルカナル・・・ニューギニア・・マリアナ・・・レイテ・・・インパール・・・
作戦を考えた大本営や軍令部の人たちにとっては、自分が死ぬ心配が
一切ない作戦だったことよ」

「兵隊が死ぬ作戦なら、いくらでも無茶苦茶な作戦を立てられるわけか」

「・・・自分が前線の指揮官になって、自分が死ぬ可能性がある時は、
 逆にものすごく弱気になる・・・・」

(( このあたりのページに、いろいろと不可解な撤退のことなどが
  書かれているんです・・・
  フィリピンのレイテ沖での栗田艦隊の謎の反転も入っています・・・ ))

p368

「実は海軍は日本海海戦から四十年近くも海戦をしていないのよ.
つまり長官クラスは海軍に入ってから、太平洋戦争までずっと海戦を
ひとつも経験せずに、海軍内での出世競争の世界だけで生きてきた・・・・」

「卒業成績が一生を決めるってことだね」

「つまり試験の優等生がそのまま出世していくのよ.
今の官僚と同じね・・・・」

「・・・優等生って・・・・自分の考えが間違っていると思わない・・・」

p369

「アメリカはどうなの?」

「いざ戦争になったら、戦闘の指揮に優れた人物が抜擢されるらしいの.
太平洋艦隊司令長官のニミッツは何十人とごぼう抜きしたわ.
もちろん失敗の責任もしっかり取らされる. ・・・・・」

p370
「・・・帝国陸軍も同じだったみたいよ.
・・・かつての日本の軍隊について調べれば調べるほど、今の日本の
官僚組織に通じるところがあるような気がしたからなの.」

「日本海軍の高級士官たち・・・・作戦を失敗しても誰も責任を取らされなかった.」

p371
「責任を取らされないのは、エリート同士が相互にかばい合っているせいなのね」

(( このあたりには、その日本軍の無責任な事例がたくさん書いてあります.
  アメリカ軍の人事制度の方が、これを読む限り、勝って成程という雰囲気ですね

  最近の政治の中でも、日本の官僚の支配ということが時々問題に
  されますけど、民主党が政権をとっている間も官僚の思いのままだった
  みたいだし、今仮に中国と戦争になっちゃったら 負けるんでしょうね・・・ 
  だれも責任を取ろうとはしないわけだから・・・・ 

  マスコミはマスコミで、 つまらんスキャンダルは書き立てるけど、
  国民を真の意味で啓蒙するような民主主義の守護神みたいには
  なれないみたいだし・・・・ それが日本の根本的な部分での弱さになって
  いるのかもしれません   ))

p372
真珠湾攻撃の時、山本五十六長官が 「くれぐれもだまし討ちにならぬように」
と言い残して出撃したにもかかわらず、宣戦布告の手交が遅れて・・・・

・・・そのミスのせいで 「日本人は卑怯な騙し討ちをする民族」 という
耐え難い汚名を着せられた・・・・

当時の高級官僚は誰も責任を取らされていないばかりか・・・
戦後 外務省の事務次官にまで上り詰めている・・・・

p374
今に至るも外務省は公式にミスを認めていないから、国際的には、
真珠湾攻撃は日本人のだまし討ちということになっている・・・

「日本て、何て国なの?」

=== その13 に続く ===

 

 

 

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百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 講談社文庫 ー 11 神風特別攻撃隊

百田尚樹 著 「永遠のゼロ」 を読んでいます・・・

p335

第七章 狂気  つづき

「・・・今後は、米軍に対して必殺の特別攻撃を行う」

体当たり攻撃せよというのだ・・・

p336

「志願する者は一歩前へ出ろ!」

「行くのか、行かないのか!」

・・・わしも気がつけば皆に合わせていた・・・

上官の言葉に反射的に従ったようなものだ・・・

(( ここは、特攻は志願だったのか命令だったのか・・・という議論があるところ
   なんだそうです・・・が、「命令ではない命令」というのが真相だったのでしょうね ))

p337
死を覚悟して出撃することと、死ぬと定めて出撃することはまったく別ものだった・・・

p339
特別攻撃隊は「神風特別攻撃隊」と名付けられた.
カミカゼではない、その時は 「しんぷう」 と読んだ.

隊ごとに「敷島隊」「大和に隊」「朝日隊」「山桜隊」と命名された. これは本居宣長の
「敷島の大和心を人とはば朝日にほふ山桜花」という歌を由来にしたものだった.

(( 神風発祥の地とされている マバラカットの慰霊碑は こちらのサイトにあります
   http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2007/10/post_8f89.html
   これとは別に近所には、地元の人が個人的に博物館のようなものを
   作っているそうです
   http://www.geocities.jp/kamikazes_site/gaikoku_kamikaze/kamikaze_philipine.html ))

p340
特別攻撃は、レイテ湾突入の水上部隊を側面より援護するためのものだった・・・

(( つい先日の台風30号 YOLANDAで歴史的な大被害を被った
   タクロバン市のあるレイテ島です.
   「アイ・シャル・リターン」で有名なマッカーサーが、再上陸してきた時の
   様子を その上陸地点である海岸に 記念像として残してあります

   youtube 神風特別攻撃隊大和隊 

   http://www.youtube.com/watch?v=3Ok_Dh-HVWw ))

p341
関大尉は・・・出撃前に・・・
自分は国のために死ぬのではない. 愛する妻のために死ぬのだ」
と語ったそうだ・・・・

p344
関大尉は軍神として日本中にその名を轟かせた.
・・・一人息子を失った母は軍神の母としてもてはやされたという.
しかし戦後は一転して戦争犯罪人の母として、人々から村八分のような扱いを
受け、行商で細々と暮らし、・・・・・一人寂しく亡くなったという.

戦後の民主主義の世相は、祖国のために散華した特攻隊員を戦犯扱い
にして、墓を建てることさえ許さなかったのだ・・・

(( 兵士を送り出す時には、日の丸を振って、英雄に祭り上げ、
   そして、生きて戻ったら 、負けて戻ったら、これですもんねえ・・・
   日本人の精神構造はどうなっているんでしょうか・・・

   微妙な問題ですけど、私は靖国神社はあっていいと思います.
   国を守るために「靖国で会おう」と言って亡くなった人たちですからね.
   徴兵で泣く泣く戦場に行って帰らぬ人たちが多いんですから.
   ただ、国際問題となるトップの責任のある人は別ですが・・・ 
   国民に対しても責任を取るべきですし.    ))

p348
特攻が一人歩きを始めたのだ. 長官たちが狂気に取り憑かれたのか・・・

マバラカットからも連日、特攻機が出撃した・・・

((  youtube 神風特別攻撃隊 マバラカット

   http://www.youtube.com/watch?v=umky9Ut8f1I  ))

p350
戦後、特攻のことが書かれた本で、敷島隊の特攻が全軍に布告された時、
全搭乗員の士気は大いに上がったと書かれたものも少なくないが、
決してそんなことはない. 搭乗員の士気は明らかに下がった.
当たり前だ !

(( 戦記物、歴史ものは、私もいろいろ読みましたが、なかなか難しいですね.
  本人の個人的体験も大事だし、客観的な事実と言われるものも大事だし、
  でも、どういうものにしても、結局そこには著者の視点が入るし、
  史料となっているものにしても、兵士だった人たちの本音が書いてあるとは
  当時の世相を考えれば そのまま受け取るわけにもいかないし・・・ )) 

「志願するものは前へ!」

しかし宮部は一歩も動かなかった.

今まで戦ってきたのは死ぬためではない

・・・この宮部の言葉こそ、ほとんどの搭乗員たちの心の底にある真実の思いだった.

p355
二十年の三月からは南九州から多くの特攻機が沖縄に飛んだ.
終戦末期は「全機特攻」が叫ばれていた・・・

(( これは小説ですから、本当に戦場でこういう言葉を言える人がいたとは
   考えにくいですけど、言った人がいたとしたら 本当に冷静な、理知的な
   人でしょうね.  
   「戦争なんだから、自分が死ぬのではなく、長く生き残って、
    敵を一人でも多く殺すのが仕事だろう」
   と言うのが当たり前の理屈のはずですけどね・・・・  ))

  
== その12 へ続きます ==

 

 

 

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2013年12月 1日 (日)

「ボニファシオ・デイ」 フィリピンの祝日 11月30日 日本からの革命支援は?

1863年11月30日に、フィリピンの革命の父と呼ばれている アンドレス・ボニファシオが生まれています.

036

ボニファシオは、カティプナンという組織を作り、スペイン植民地であったフィリピンの
独立のために、革命を起こそうとしました.

037

カティプナンは KKKとも呼ばれていまして、日本人としてはアメリカのKKKを
思い出すので、ちょっと「ギョッ」としますね・・・・

フィリピンのKKKは
Its official revolutionary name was Kataas-taasan, Kagalang-galangang Katipunan
ng̃ mg̃á Anak ng̃ Bayan
(English: Highest and Most Honorable Society of the
Children of the Nation)
http://en.wikipedia.org/wiki/Katipunan

と言うことで、正式名称の省略形ですね.
敢えて訳すと、「最高のそして最も名誉ある、国家の子供たちの結社」 とでも
なるでしょうか・・・

一部の支持者からは、アギナルドではなく、ボニファシオこそがフィリピンの最初の大統領だと考えられているそうです.

2013年11月30日、所用があって、バギオ大学の近くに行ったところ、
学生の姿がほとんどなく、タクシーがすいすいと進んでいきます・・・

なんでこんなに学生が少ないんだ・・・と思っていたら、イベントの打ち合わせのためにカフェに来てくれたバギオ大学の学生さんが・・・

今日は ボニファシオ・デイで 祭日ですよ
と教えてくれました・・・・・・・ああ、そうだったのか・・・

そして、別件で会った日本人の知人から、
「今日は、なにか面白いことをやるらしいよ・・・・」
という情報で、夕方ここに駆けつけました.

バギオ市のセッション通りから、バギオ大学方面へ入る路地をちょっと進むと、
左側に工事中みたいな、変な形をした建物があります・・・

043

キドラット・タヒミックという世界的に有名な映画監督・アーティストの家族が
建築中のアートスペース&カフェです.
工事中なんで、名前はあるんだか、ないんだか、分かりません・・・ (笑)
ずいぶん前に、一度、建築中の「仮オープン」ってのをやったような気がします・・・

052

日本人の映画監督と私が一緒にビールを飲んでいたところ、
そのキドラット・タヒミック監督が声を掛けてきて、ボニファシオの話になりまして・・・

私の方から・・・

ボニファシオは、革命の為に、日本人に支援を求めたらしいですね・・・」

と言ったところ、

「おお、そんなことがあったのか・・・なんで知ってるの?」

「私が読んだ、古い歴史の本に、そんなことが書いてありましたよ・・・」

「ほう、そうなのか・・・ぜひ、詳しいことを教えてくれないか・・」

・・・ってことで、さっそくインターネットで検索しました・・・
便利でいいねえ~~、インターネットは・・・

読んだ本には、ちょっと触れてある程度なので、
こちらのサイトの方が、よく分かります・・・

045

いくつかの英語と日本語のサイトの情報を年表のようにまとめてみると
下のようになりました:

ボニファシオと初代大統領のアギナルドとの関係から見てみると:

1892年 アンドレス・ボニファシオが中心となり秘密結社「カティプナン」を結成

1896年5月4日  ボニファシオが 世良田享艦長に援助を要請
            フィリピンに寄港した日本海軍の練習艦「金剛」に乗船していた
            日本軍人との接触を求め、5月4日にはボニファシオら
            幹部が世良田亮艦長と会談し革命への援助を要請した。

1896年5月??日  フィリピンの代表団が明治天皇と会うために送りだされた

1896年8月  武装蜂起。
        その時アギナルドは現カヴィテ市にあたる町で町長を務めていたが、
        カティプナンの戦列に加わった。

同年10月  アギナルドがカビテで支配を確立・独自の勢力形成
同年12月  ホセ・リサール処刑
1897年5月 アギナルドがボニファシオを処刑
         ボニファシオ派の離反を恐れたアギナルドは彼らを捕らえて1897年
         5月10日兄弟ともに処刑、独立派の全権を掌握した。

1898年6月 ポンセが日本の村田銃を買い付け
         武器購入のため「革命委員会」から日本に派遣されたポンセ・
         リチャウコらは、フィリピン独立活動の実情を日本の知識人・政治家
         に宣伝し中古武器(村田銃)の買い付けに成功した。

1899年7月 布引丸沈没
         武器を積み込み日本を出航した布引丸は上海沖で台風にあい
         7月21日沈没
した(布引丸事件)。

この流れで考えてみると、日本からの支援を求めるという考えは、
ボニファシオのもので、 その後 アギナルドが引き継いだ可能性がありそうです

ただし、ボニファシオが最初に接触した日本軍人 世良田享艦長との関係と、
ボニファシオが1897年に死んだ後の、1898年以降のポンセの日本行きが
どう繋がったのかは書いてありません.

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E9%9D%A9%E5%91%BD

日本語サイトでは、上記のように、1896年5月4日に世良田享艦長に会談と
ありますが、英語サイトには、以下のように、1896年5月に代表団が明治天皇と
会うために送られたとあります:

http://en.wikipedia.org/wiki/Katipunan
In May 1896, a delegation was sent to the Emperor Meiji to solicit funds and military
arms. The Katipunan's existence was revealed to Spanish authorities after a
member named Teodoro Patiño confessed the Katipunan's illegal activities to
his sister, and finally to the other portress of Mandaluyong Orphanage. Seven days
later, on 26 August 1896, Bonifacio and his men tore their cédulas in the famous
Cry of Balintawak that started the Philippine Revolution.

・・・いずれにせよ、1800年代の最後に、
フィリピンの革命家たちは、日本からの支援を求めていたのです.

058

 

 

 

 

 

 

 

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