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2014年2月17日 (月)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 07 インド文化と仏教、ヒンドゥー教

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

  The Asian Heritage of The Filipinos  第三章 フィリピン人のアジアの遺産

 

 

p46

西欧の植民化勢力が来る前にも、フィリピンにはアジアの大きな文明化

の波が押し寄せていた. - すなわち、インド、中国、日本 そして 

アラビアである.

西欧及び白人諸国が暗黒の時代(西暦476-1000年)を過ごして

いた頃、そしてヨーロッパが異邦人によって侵略されていた頃、

東方の褐色のアジア人は、燦然と輝く富、文化そして征服による恩恵に

浴していた.

貿易や合意によって、古代のインド、中国、日本そしてアラブは、

フィリピンの人々の文化遺産を豊かなものにした.

 

=== さすがに、フィリピンは東南アジアの国なんですねえ.

    日本史はもっぱら中国と朝鮮半島あたりの話しか出てきません

    けど、インドやアラブというのが実に新鮮な感じです.

    そして、ここには、影響を受けながらも、スペインが来るまでは

    全体として侵略をされることもなく平穏であったとあります.

 

    その当時のヨーロッパや、インド、中国、アラブって

    どんな時代でしたっけねえ・・・

    高校時代は、世界史も、日本史も好きじゃなかったからなあ・・

 

    中世ヨーロッパの暗黒時代については、こちらです:

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E9%BB%92%E6%99%82%E4%BB%A3

    「ヨーロッパにおいては、西ローマ帝国滅亡後、ルネサンスの前

     までの中世を指して暗黒時代とも言われる。」

    「 現在では、1000年頃までの中世初期を暗黒時代と呼ぶことが 

 多いが、それもまた一面的であるとの批判もある。」

    「一般には、西ローマ帝国は、47694日にオドアケルが

     ロムルス・アウグストゥルス帝を廃した時に滅んだとする。」

    要するに、5世紀から10世紀ころまでが暗黒時代ってこと

  かな?

 

 

― 東南アジアのインド化

西暦1世紀、インドの貿易商、植民地勢力、そして宣教師は、

東南アジア諸国への集団脱出を始めていた.

それは、黄金、栄光、そしてより良い生活を求め、インドシナ、

ビルマ、シャム(タイ)、マレー半島、ジャワ、スマトラ、そして

その他の東南アジアの土地へのインド船に乗って海を渡るものだった.

当時は、インド洋は、インドの湖のようなもので、海運や海上交通路は

まだ中国やアラブの支配を受けてはいなかった.

 

=== ここでは、インドによる海洋進出のことが書いてありまして、

    インド化した王国などがインドシナ半島の南海岸にあった

    そうです.  それは1世紀のころで、ヒンドゥーの王子様が

    地元のお姫様をもらったそうな・・・

    6世紀までつづいた王国だそうですよ、立派なもんです.

    その王国の廃墟に立ち上がったのが、カンボジアで、

    例のクメール人のアンコール・ワットで有名になったとあります.

 

 

p47

他にインド化した王国は、東南アジアにあって、

南ベトナムのチャンパ、 ビルマのPromePaganそしてThaton

マレー半島の・・・、ジャワの・・・、スマトラの・・・、

ボルネオの・・・.

 

 

インド文明の伝播は、インドの植民者だけによって影響されたもの

ではなく、東南アジアの人々自身がそれを行っていた.

 

東南アジアの支配者が、インドに学者を派遣し、文化を観察し、

サンスクリット語での著作を確保した.

例えば、・・・ジャワの学者が持ち帰った書物の中には、

Mahabharataも含まれ、古代マレー語に翻訳されている. 

そして、それが、ジャワ文学の始まりだとされた.

 

=== そして、ここには Sri Vijaja と Majapahit帝国のことが

    書いてあります・・・初めて聞きましたが・・・

    インド-マラヤンの海洋帝国とありまして、前者は 683-

    1377年、後者は 1293-1528年に栄えたようです.

    そして、これらの国は、国はマレー、文化はインド風、

    宗教はMahayana仏教だったり、ヒンドゥー教だったりした

    そうです.

 

    それで、5世紀から10世紀ごろのインドなんですけど、

 Wikipediaでみると:          

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

北インドは、「6世紀後半の北インドは政治的分裂の時代にあったが、7世紀初頭になってハルシャ・ヴァルダナ(戒日王)が現れ、カナウジを都としてヴァルダナ朝を創始した。ハルシャ王は、仏教とヒンドゥー教を保護し、地方有力者には領土を封ずるかたちでの統治を推進し、また、カナウジはその後北インドの政治の中心となって発展した。ハルシャ王の時代、唐僧の玄奘がインドに訪れ、ナーランダ僧院で教典研究にいそしみ、多数の仏典を持ち帰ってその後の漢訳仏教の基礎が固められた。」

 

南インドは、「6世紀から8世紀にかけての前期チャールキヤ朝には、7世紀のプラケーシン2世や8世紀のヴィクラマディーティヤ2世などの君主が現れ、とくにヒンドゥー教建築の隆盛は顕著で、チャールキヤ朝のさらに南にあってそれと対峙したタミル人王朝パッラヴァ朝の建築は高水準をほこった。パッラヴァ朝時代の建築としてはマハーバリプラムの建造物群が著名で、その技術はヴィクラマディーティヤ2世によってチャールキヤ朝に伝えられ、首都バーダーミ(英語版)や「戴冠の都」パッタダカルに数多くの寺院建築を生んだ。」

 

つまり、北インドでは、玄奘三蔵さんが西遊記をやっていたころなんですねえ~~

 

しかし、それにしても、日本からの影響ってなんなの??

 

日本史の1992年発行のふる~~い教科書から年表をみますと:

5世紀には、 倭国、宋に遣使を送っていた時代から、

10世紀は、菅原道真、唐が滅んだころまでなんですねえ・・

この間に日本はフィリピンになんか関係ありましたっけね???

 

 

== その8 に続きます ==

 

 

 

 

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