« 山下財宝 狂想曲!? 博物館? バギオはやっぱり そのメッカ? | トップページ | フィリピンの歴史教科書から学ぶ 10 「猿・カニ合戦」はインドから・・ »

2014年3月 2日 (日)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 09 ジパング黄金の国はどこにあったのか?

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

  The Asian Heritage of The Filipinos  第三章 フィリピン人のアジアの遺産

 

 

p49

― インドとの初期の関係

 

― インド文化のフィリピンへの影響は、Sri Vijaya 及び Majapahit帝国を

  経由して、9世紀から16世紀にかけて、フィルターを通す形で

  入っている.

 

― インドシナ、シャム、マレー半島、スマトラ、ジャワ、そして

  その他のインドネシアの島々から、インド化した移民や

  貿易商などによってもたらされた・・・

 

― スールー(Sulu)の伝承によれば、西暦900年から1,200年

  の間、インドシナのインド化した王国であるチャンパ(Champa

  から移民がスールーに貿易植民地を作った.

 Orang Dampuans(チャンパの人々)として知られ、Sri Vijaya帝国

  の奴隷であった.

 

p50

 

― 何年も後に、ボルネオのBandjarmasinからの移民が

  スールーに定住し、豊かな真珠の取引を活発に行った.

 

― 14世紀の終わりごろ、スールーに最初のイスラム教の

  宣教師がやってきた時、Buranunsの人々がヒンドゥの慣習と

  ベーダの神々を崇拝していることを見ることになった.

 

― ビサイヤの伝承によれば、 パナイは13世紀の中ごろには

  ボルネオ・マレー人によって植民地とされていた・・・

 

― もうひとつのフィリピンとインド化された東南アジアとの

  交わりは、1512-1515年に Tome  Piresによって書かれた

 Suma Oriental と題する原稿の中に見ることができます.

  彼は1512-1517年にマラッカに住んでいました.

 

― この Piresの古写本によれば、Lucoes(ルソンの人々)は

  毎年貿易船をボルネオとマラッカに送り、ボルネオの貿易商も

  ルソンへ出かけては、「金や食料品を同様に買っていた」と

  なっており、それをボルネオ、マラッカ、そして東南アジアの

  他の島々で売ったとなっています.

 

 

=== ほお~~、この頃から ルソン島では金の取引があったん

    ですねえ・・

    今でもバギオ周辺には金鉱があって、大企業はやって

    いないようですが、家族で採掘をやっている家庭も

    まだまだあるようです.

    ただ、金の相場によって稼ぎが大きく上下するので

    なかなか大変みたいですが・・・・

 

    ところで、ジパングというのは日本のことだと定説のように

    言われていますが、実はジパングはフィリピンのこと

    だったんだという説は、どうなったんでしょうかね?

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200709040081.html

 

「特にスペインが手中にしたフィリピンについては、どこで金が取れるかなどの黄金情報があふれていた。一方日本では金がとれるのかなどの情報は見あたらない。地図を見ると日本はかなり北にあり、島ではなく半島との認識もあったこともわかり、「ジパング」はフィリピンを中心とした多島海地域を指したとの考えに的場さんは至った。 」

 

― さらに、この貴重な原稿はMinjam(現在はDing-dingと呼ばれる)

  マラッカの近くに500人からなるフィリピンの貿易居留地が

  あったと述べています.

  そして、フィリピン人定住者のことを高く評価して

 Piresはコメントしています、「彼らは非常に価値のある者たちで、

  良く働く・・・・何人かは重要人物であり良い商人である」

 

 

― フィリピンの考古学の遺跡から発掘されたもの・・・

 Annam(ベトナム)、カンボディア、シャムなどからの磁器類を

  別として:

 

. Agusanの金の像

  1917年にアグサン州エスペランザ町の近郊のWawa川の

  左河岸で発掘された. 

 Beyer教授hあ、シバ神の像であると言い、

 Juan R. Francisco博士は、仏教徒タラであり、密教との関係が

  あって、14世紀から Sri Vijaya帝国が終わる頃までに

  作られたのではないか、としている.

  この像は、現在、シカゴ博物館のジェム・ルームに保管されて

  いる.

 

 

p51

. Mactanのブロンズ像

  1843年に、セブ近郊のマクタンの島で発見された.

 Beyerは、ヒンドゥにシバ紳であるといい、

 Franciscoは、12~13世紀の仏教徒Siamese(シャム)アートに属する 

 Lokesvara像だと言う・・・

 

 

===おやまあ、意見が違ったら、だれが判定するんでしょうか?

 

 

. Ganeshaの銅像 ヒンドゥの像神

  1843年にマクタンで発見.

 Beyerによれば、Majapahit時代のものだという.

  1932年に焼失した・・. 

 

. Calataganの 円形浮彫土器

  バタンガス州カラタガンで1958年に発掘された.

 Franciscoによれば、12~13世紀のBuddhoSiamese(シャム)

  アートに属する工芸品である.

 

. パラワンの 金のGarudaペンダント

  1961年、パラワン州Brooke’s Pointで発見.

 Franciscoによれば、MAJAPAHIT時代のものとする.

 Garudaとは、ヒンドゥのビシュヌ紳の乗り物とされた

  架空の鳥である.

 

. 磁器類

  カンボジア、アナム、シャムのもので、12~15世紀のものである.

  リサール州、バタンガス、ラグナ、ミンドロ、ソルソゴン、パラワン、

  そしてその他の国内の場所で発掘された.

 

== その10 に続く ==

 

 

 

 

 

|

« 山下財宝 狂想曲!? 博物館? バギオはやっぱり そのメッカ? | トップページ | フィリピンの歴史教科書から学ぶ 10 「猿・カニ合戦」はインドから・・ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 山下財宝 狂想曲!? 博物館? バギオはやっぱり そのメッカ? | トップページ | フィリピンの歴史教科書から学ぶ 10 「猿・カニ合戦」はインドから・・ »