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2014年3月 7日 (金)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 15 怪しげな Tukhara 「にほんじ」 645年??

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

 The Asian Heritage of The Filipinos  第三章 フィリピン人のアジアの遺産

 

 

― 日本との初期の関係

 

― 西暦645年、日本じ??(古代の日本の年代記)によれば、

 Tukharaの土地の二人の男と二人の女が九州に流れ着いた

  彼らの船は海で壊れた. もしTukharaというのが、日本の学者が

  言うように、フィリピンのことを指しているとするならば、

  我々の日本との関わりも長期にわたるものということになる.

  琉球の初期の歴史記録により、日本とフィリピンの交易は

  西暦13世紀に繁栄していた.

  冒険好きな日本の倭寇(海賊―貿易商)は東洋の海を航海し、

  多くの倭寇たちが交易や定住の為にフィリピンの海岸へ

  やってきた可能性はある.

 

=== なんですかね、この「日本じ」とか言う年代記は??

    古事記でも日本書紀でもないですもんね・・??

    それに、645年というと、

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7

    「645年(大化元年) 中大兄皇子と中臣鎌足によって、

     蘇我氏宗家が滅ぼされる(乙巳の変)。大化の改新始まる。」

    というような時代ですし、

 

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98

    古事記(こじき、ふることふみ)は、日本最古[1]の歴史書である。

    その序によれば、712年(和銅5年)に太朝臣安萬侶

    (おほのあそみやすまろ)(太安万侶とも表記)によって献上された。

 

=== いろいろ検索してみましたが、「日本じ」とかtukharaという

    言葉は出てきませんね・・・

    これは教授にしっかり その年代記の正確な名前などを

    確認する必要がありますね・・・・・

 

=== もしかして、西欧人が書いた歴史書が元なんでしょうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%9B%B8%E4%B8%80%E8%A6%A7

こんなのがありますけどね・・・・・・・・・・・・・・・

西洋人による日本記述

― スペイン時代よりも前に日本人が定住した地域は、カガヤン河の

  デルタ地帯、リンガエン湾地域、そしてマニラであった.

  リンガエン湾の海岸にあるアゴオの町は、日本との交易が

  盛んなセンターとなっていて、(後にやってきた)スペイン人

  たちは、そこを「プエルト・デ・ジャポン」(日本の港)と

  呼んだのである.

 

  1570年に、Marshal de Goitiは、マニラに20人の日本人が

  既に住んでいるのを見つけた・・・

 

 

― 日本の文化的影響

 

― フィリピンの生活の中で、日本と中国の影響を区別することは

  難しいかもしれない.

  それは、先住のフィリピン人は、そのような区別をしたとは

  考えられないからである.

 

― 日本人は、武具や道具の製法、鹿の皮のなめし方、

  アヒルと魚の人工的な繁殖方法などの産業を教えた.

  ・・・(この繁殖方法は)、スペイン人も大いに

  印象づけられ、その当時のヨーロッパの動物文化にも勝る

  と認めていた.

 

 

 

=== 日本については、たったの12行しか書いてありませんね.

    まあ、つまり、秀吉の時代にならないと、しっかりした

    記録はないってことのようですね.

 

 

 

― 結論 (第三章の結論)

 

― 西欧から白人がやってきて植民地にし、影響を与えた

  その随分前から、フィリピンがアジアの文明化と

  関係があったことは事実である..

 

― 東南アジアの中でも、島国であり比較的遠くにあったので、

  フィリピンは多くは孤立し続けていたようである.

 

― フィリピンに対して、何等かの意図を持っていたのは

  中国だけであったが、それも短期間で、悪意の無いもので

  あった・・・・

 

― イスラム教の拡大も、もっぱら文化的なものだった・・・

 

― このようにして、すべてのアジア人の中で、今日のフィリピン人は、

  もっとも温和でフレンドリーだとの評判がある.

 

 

=== 次回からは 「第四章 我らの初期の祖先」へ入ります.

 

 

 

 

=== シリーズ 16へ 続く===

 

 

 

 

 

 

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