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2014年3月 8日 (土)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 15追加 Tukhara 「にほんじ」とは??

 

 

シリーズ15で、こんな疑問が残っているんですけど・・・・

 

 

 The Asian Heritage of The Filipinos  第三章 フィリピン人のアジアの遺産

 

 

― 西暦645年、日本じ??(古代の日本の年代記)によれば、

 Tukharaの土地の二人の男と二人の女が九州に流れ着いた

  彼らの船は海で壊れた. もしTukharaというのが、日本の学者が

  言うように、フィリピンのことを指しているとするならば、

  我々の日本との関わりも長期にわたるものということになる.

  琉球の初期の歴史記録により、日本とフィリピンの交易は

  西暦13世紀に繁栄していた.

  冒険好きな日本の倭寇(海賊―貿易商)は東洋の海を航海し、

  多くの倭寇たちが交易や定住の為にフィリピンの海岸へ

  やってきた可能性はある.

 

 

=== そこで、あの手この手で検索をしてみたんですが、

こんな書籍のサイトが引っ掛かってきまして:

 

 

http://books.google.co.jp/books?id=ITLRpPrrcykC&pg=PA41&lpg=PA41&dq=philippine+tukhara+japan&source=bl&ots=JNkOtuaPBq&sig=q9aS3I54MOrA_8nJX9X0hcfB2-0&hl=ja&sa=X&ei=0_wZU7KaO8S7oQTMuYEQ&ved=0CDEQ6AEwAA#v=onepage&q=philippine%20tukhara%20japan&f=false

 

ここに書いてあることが、ほぼ同じなんですが、微妙に違うので

ご紹介しておきます.

 

41ページの「 I. Early Relation with Japan」のところです. 

 

「スペイン人がフィリピンに来るずっと前、日本は既に我が国

 との交易関係を結んでいた. 日本人の年代記の編者であるNIHONJIが、

 ふたつの古代の土地の間の関係の記録を作っていたのだ.

 日本がTukhara(フィリピンのことを日本はこう呼んだ)に近かった

 ことから、二つの国の間の関係が可能となった.

 

 

===などと書いてあるんですねえ・・・

   ますます混乱してきました・・・

   教科書では、NIHONJIというのは「年代記」という書き物のこと

   であるのに、こちらの本

 Philippine History Module-based Learning I' 2002 Ed.

   著者: Ongsotto, Et Alでは、 年代記ではなく「編者」の名前

   ってことになっていますね.

 

 

 

毎週一回授業をしていただいている教授がこの点を明らかにする

資料をお持ちであったら楽しいですけどねえ・・・・

 

 

以下、上記の本から引用:

 

Long before the coming of the Spaniards to the Philippines,

The Japanese had already established trade relation with the

Country. The Japanese chronicler, Nihonji, had made a record

Of the relations between the two ancient lands.

Japan’s proximity to the Tukhara (Japanese name given to the

Philippines) made possible the intercourse between the two

Countries.

 

こんなサイトを見つけて、期待したのですが、

なんとフィリピンは無視されてます・・・・ 

 

 

第3章古代のアジア諸国

http://sb.e100ten.com/courses/VA_sekaishi_kougi/pdf/VA_sekaishi_kougi03-02.pdf

 

スマトラ、ジャワどまりなんですねえ・・・

 

 

 

「ツクハラtukhara」という文字をこんなサイトで発見: 

 

1)A Tukhara of India’s Renewable Energy Industry

(インドの再生可能エネルギー産業の「ツクハラ」)

http://www.asiapacific.ca/thenationalconversationonasia/blog/tukhara-indias-renewable-energy-industry

どういう意味の tukhara なのか不明・・・

 

 

2)こちらのページで国名らしきものを発見:

http://choku70.web.fc2.com/i/samarkand-index.htm

 

金のスーツ(p197)

 高宗が、金のコスチュームのようなぜいたくなものを682年初頭に

トハラTukharaの使節から贈られたが拒絶したことは、ほぼ断言できる。

 

 

3)こちらに かなり有力な「トカラ」の文字を発見:

https://epf.hosei.ac.jp/mahara/artefact/file/download.php?file=38474&view=4268

 

https://epf.hosei.ac.jp/mahara/artefact/file/download.php?file=38474...

. 慶州仏国寺で発見された. 無垢浄光大陀羅尼経(751?) トカラ(Tukhara).

則天武后が法蔵とトカラからの渡来僧・弥陀山. に無垢浄光大陀羅尼経を

重訳させる(701). 無垢浄光大陀羅尼経の東伝 ...

 

 

4)こちらのサイトの「とがら」を読むと、フィリピンではなさそうです:

http://ameblo.jp/sonosuji/entry-11538852477.html

 

月支  都貨羅(とがら)(Tukhara)といい、迦膩色迦(かにしか)王

Kaniska)の支配せし国。すなわちケン駄羅王国(Gendhara)のこと。

この国の種族はもと支那の祈連山(きれんざん)と敦煌(とんこう)と

の間におったのであるが、紀元前二世紀に匈奴に追われて、熱河の南方に

のがれて、これを第二の根拠地とし、間もなく、また烏孫(うそん)族の

ために追われてサマルカンドの附近にのがれ、茲に大夏国を滅ぼして

第三の根拠地とした。

 

 

 

5) トカラ列島

 

結局この「吐噶喇列島」のことじゃないかという可能性が一番高そう.

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%A9%E5%88%97%E5%B3%B6

 

 南西諸島のうち、鹿児島県側の薩南諸島に属する島嶼群。

すべての島で鹿児島県鹿児島郡十島村の行政区域をなす。

天気予報区分では奄美地方の一部としている。

 

地名の由来については諸説あるものの、「沖の海原」を指す「トハラ」

から転訛したという説が有力。

 

699819日(文武天皇3年七月辛未)に、多褹、夜久、菴美、

度感の人が物を貢いだことが、『続日本紀』に記されている(それぞれ

種子島、屋久島、奄美大島、トカラにあたる)。同書によればこれが

度感(徳之島との説もある)が日本と通じた始まりであった。

 

 

==== これでほぼ、tukharaというのは「トカラ列島」

     ことだなと、納得なんですが、フィリピンじゃなかった

     ことが少し残念・・・・

 

     しかし、なお、「NIHONJI」の謎が残りますね・・・

     もしかして、これは上に書いてある『続日本紀』のことか??

 

 

 

==== と思ったら、『続日本紀』というのは、

『続日本紀』(しょくにほんぎ)は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らが延暦16年(797年)に完成した。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%9A%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B4%80

・・・・ってことなので、645年の事は書いてないってことになります・・・

 

 

ってことは、「日本書紀」しかないわけですね・・・・

http://www.seisaku.bz/shoki_index.html

「日本書紀は、日本紀とも呼ばれ、720年に勅修された日本の歴史書。

いわゆる正史であって、神代から持統天皇までをその記述対象と

しています。」

 

日本書紀=日本記ってことになると、Nihonji の最後の ji が ki の

間違いだったってことなら辻褄が合いますね.

Nihonji 改め Nihonki ・・・・ タイプライター、キーボードの上では、

K と J は隣同士ですから、タイプミスってことになりますか??

・・・と、ここで、気になって確認したら、

にほんぎ 【日本紀】

日本書紀のこと。
日本の歴史を記した書物。特に、六国史(りっこくし)のこと。

・・・ってことで、「NIHONKI」じゃなくて、「NIHONGI」と読むんでした・・

「J」と「G」のタイプミスなのか、発音が似ているからの間違いか・・・

日本紀』(しょくにほんぎ)は「GI」だし、

日本紀略(にほんきりゃく)は 「KI」だし・・・

日本語自体がめんどくさっ!!!

 

さてと・・・・

このサイトの中の「日本書紀巻24/皇極天皇(642-645年)」に

書いてあるかどうかですね・・・・

 

このページの中で「吐噶喇」(とから)を検索しましたが

「吐」がひとつヒットしただけで、あえなく沈没・・・

 

==== あった、あった、発見・・・・

 

日本書紀巻25/孝徳天皇(645-654年)

 http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_25.html

 

「日本書紀 巻第二十五 孝徳天皇紀寶、今年共使人歸。」

 夏四月、吐火羅國男二人・女二人・舍衞女一人、被風流來于日向。」

 

 

しかし、漢字表記が「吐噶喇」ではなく、「吐火羅」になっていますね・・・・

 

・・・・これで、フィリピンではなく、南西諸島の国ってことに

 なってしまいました・・・・

 

=== と思ったら・・・・こんなサイトが・・・

 

日本書紀が記録する吐火羅と舎衞

 http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28187169.html

 

「実際、日本書紀が記す吐火羅と舎衞とは、どんなものなのか、

 検討してみたい。」

 

・・・・おおおおお、いろいろと議論の的になっているんですね・・・

 

「①白雉五年とは西暦654年のことになる。夏四月に、

吐火羅國の男二人と女二人、それに舎衞(國)の女一人が風に

流されて日向(國)に漂着した。」

 

 ・・・おっとっと・・・年が645年じゃなく、654年に

 なっているじゃないですか・・・・あやややや・・・

 

 

「○これらを読んで、誰が、吐火羅国や舎衞国が中国の西域の国

であるとか、タイやビルマやインドの国であると判断するであろうか。

もちろん、日本書紀の記述には多少の混乱があることも確かである。

しかし、日本書紀に於ける吐火羅国や舎衞国の扱いは、おおよそ高麗

や百濟、新羅と同様であることが判る。そうであるならば、吐火羅国

や舎衞国が日本近隣の国々であることは間違いないはずだ。吐火羅

や舎衞の文字に眩惑されて、史実を取り違えてはならない。」

 

 

「それなのに、吐火羅国や舎衞国が中国の西域の国であるとか、

タイやビルマやインドの国であるとする岩波古典文学大系本の補注

には、全く同調出来ない。日本書紀を読む限り、やはり、吐火羅が

土噶喇諸島であることは動かし難いのではないか。

 

 

 

・・・ここで議論になっているのは、中国方面の国だという

定説に対して、そりゃあオカシイ、やっぱり南西諸島だろうと

言っているようですね・・・

 

残念ながら、ここでもフィリピン説は出てきません・・・・

 

 

 

 

=== しかし、しかし、しかし!!!

    こんなところに、こんな説が・・・

 

 http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28176565.html

「岩波古典文学大系本「日本書紀」には、『吐火羅と舎衞』の補注

があって、次のように記す。」

 

「吐火羅について西域の吐火羅、即ちウズベック共和国のボハラ

のあたりとする説が古くからあり、別に九州の南の土噶喇諸島とする説

ビルマのイラワジ河の中流、プロムを中心として栄えていた驃国とする説

がある。驃国については新唐書の南蛮伝、驃国の条に、属国十八として、

その中に舎衞がみえるからである。しかし、吐火羅はおそらく、

今のタイ国、メコン河下流の王国、ドヴァラヴァティであろう。」

 

 「、③の「吐火羅人、共妻舎衞婦人來」の「妻」を舎衞に結びつけて

メサエとし、フィリッピンのヴィサヤ島とする説も唱えられた

これは、吐火羅を九州の土噶喇諸島とする説と結びついたもので

その場合、舎衞がインドの舎衞では遠すぎるからである。しかし、

吐火羅が、ドヴァラヴァティであれば、舎衞はインドのそれとみて一向

に差し支えあるまい。」

 

 

「タイやビルマやインドの婦人であれば、日本政府は当然、妻を

日本に留めることなどしなかったはずである。タイやビルマや

インドから夫が再び迎えに日本に訪れることなど、誰も信用する

はずがない。つい隣国であるから、夫が再び迎えに日本に訪れること

を日本政府は信用したのであろう。妻だって、そんなことを承知する

はずがない。夫に置き去りにされることを望む妻などいない。」

 

 

=== 歴史家ってのは、こういう議論を延々とやっている

    んでしょうかねえ・・・まるでミステリー作家、

    探偵小説みたいですねえ・・・

 

 

    しかし、ここに至って、やっと、もしかしたら

    フィリピンも可能性があるのかも・・という気持ちに

    なりました・・・

 

 

みなさん、何か「これだ!」という資料があったら 教えてください・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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