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2014年3月 8日 (土)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 17 ご先祖の生活習慣は理想、目標なのか?

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

 OUR  EARLY ANCESTORS  第四章 我らの初期の祖先

 

 

p63

 

― 衣服の様態

 

男は、襟なしの Kanganと呼ばれた短い袖のジャケットと bahag

言う布きれをまとい、ウエストと足の間を包んでいた.

そのジャケット(kangan)は、ウエストの少し下まであった.

それは、青か黒に染め(tinina)られていたが、首長だけは例外で

赤であった.

帽子の代わりに、男はputongを使い、頭に布を巻いていた.

靴は無かった. 

彼らは宝石を持っていて、金のネックレス、kalombigasと呼ばれる

金の腕輪、そして、メノウを敷き詰めた金の足首の飾り、

カーネリアン(紅玉、ルビー)やその他の色つきのガラスであった.

 

 

女は、baroという、幅広袖のジャケットを着ていた.

スカートは patadyongと呼ばれるもので、綿の布を腰に巻いて、

足まで垂らしていた.

宝石は、金のネックレス、金のブレスレット、大きな金の

イヤリング、そして金の輪っかであった.

これらの宝石は、メノウ、ルビー、真珠その他の宝玉で埋められて

いた・・・

 

 

― 刺青

 

初期のフィリピン人は、動物、鳥、花、そして幾何学的な形の

デザインで身体に刺青をした.

刺青には2つの目的があった:

(1)身体を一層美しく見せるため、

(2)戦闘の記録を示すため.

戦闘で、より多くの男を殺したものは、刺青の数が多かった.

女たちは、男よりも刺青は少なかった.

子供たちは、刺青は全くしなかった.

 

 

p64

 

― 自然な礼儀正しさと親切さ

 

我々フィリピン人の祖先たちは、礼儀正しく親切であった.

例えば、同じランクの二人が路上で会うと、礼儀として

二人はPutong(ターバン)を脱いだ.

目上に会った時には、自分のputongを脱ぎ、左の肩にタオル

のように掛け、そして低くお辞儀をした.

そして、目上に対しては、その言葉に「poポ」をつけた.

「ポ」は「sirサー」と同じ意味である. 丁寧な話し方である.

 

 

女性はどこでも礼儀をもって扱われた.

男女が一緒に歩く場合は、男は常に女の後ろを歩いた.

男が同伴する女性の前を歩くのは礼儀がないと考えられていた.

家族全員で歩く場合も、母と娘が先に歩き、父と息子は

その後ろを歩くことになっていた.

 

===  おおおおおお!!!!

     こりゃあ~~、まったく、日本とは正反対じゃ

     ないですか・・・・

     この慣習は、どこにその起源を持っているんでしょうか.

 

     今のフィリピンで女性の社会進出がアジアで一番と

     いうのは、この辺りにもその原動力があるのでしょうか.

     日本は女性の社会進出では、アジアの中でも

     最低レベルですもんねえ・・・・

 

     アメリカ辺りからやってきた「レディー・ファースト」

     かと思っていたら、そうじゃなかったんだ・・・

 

 

― 清潔さと整然さ

 

我々の祖先たちは、一人一人が清潔できちんとした傾向があった.

毎日水浴びをしていた. 毎日の仕事の後、夕暮れ時に、川で

水浴びをするのが好きであった.

 

髪の毛は gogoと水で定期的に洗った.

そして、ココナツ・オイルやその他のローションを塗った.

朝起きると、口をすすぎ、歯を磨いた.

歯が平らに並ぶように、やすりで磨いたりもした.

そして、歯に色をつけ、強くする、buyoを噛んだ.

 

=== buyoというのは、こちらにあるようなもので、

    辞書でbetelをひいてみると、

    「ベテル・チューイング◆ビンロウの実(betel nut)に石灰を

     混ぜたものをキンマの葉(betel leaf)でくるんでかむ東南

     アジアの習慣。紀元前から行われているもので、麻酔作用

     があり習慣化しやすい.」 

http://www.lasieexotique.com/mag_betel/mag_betel.html

このサイトを読むと、これをすることがお客に対する礼儀で

あると書いてあります:

Elderly people in the Philippines invariably remember a time in their

youth when offering a tray of buyo or hitso (native terms for the betel

chew) was the essence of urbanity, an act of courtesy and politeness

in every house especially in the homes of the wealthy.

A homeowner would never fail to offer betel to anyone who entered

 his house for to do so would be a serious breach of hospitality.

 

これには、フィリピンでは、南から北の山岳地帯まで広く

行われているようです.

私もバギオ周辺の田舎で これを噛んでいる人を見たことが

あります・・・・口が真っ赤っかになるんですけどねええ・・・

ホテルやレストランでは禁止されているところもある

ようです・・・

The practice of betel chewing used to be prevalent throughout the

Philippines from the mountains in the north to the Muslim communities

in the south. The tribal people of the Cordillera, commonly called Igorots,

carry their containers around their waists or in little specially made

baskets. Most of the men, especially the older ones, chew betel constantly.

The Igorots believe that the chewing of betel staves off hunger and tiredness

as they work long hours in their rice fields.

 

 

=== これを読んでいると、古代の人たちが如何に奇麗好きで、

    きちんとしていて、礼儀正しく、きちんとしていたかを、

    敢えて書くことで、将来を担う若者たちに、そうなって

    ちょうだいね・・と言っているのでしょうか・・・・

 

    それにしても、日本の教科書で、「昔の日本人は立派だった」

    ってなことを書いてありましたっけね??

    国民性としての評価ですよ・・・偉人伝じゃなくてね・・・

 

 

=== シリーズ18へ続く ===    

 

 

 

 

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