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2014年3月21日 (金)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 26  マゼラン、ポルトガルに愛想をつかす

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

 

5 WESTERN DISCOVERY AND CONQUEST  第五章 西欧による発見と征服

 

 

 

p75

 

― フェルディナンド マゼラン

 

  地理学的な発見と航海の時代の最大の功績は、静かで優れた船乗り

  ―兵士によって成し遂げられ、彼の歴史は今や不滅である -

  それが フェルディナンド マゼラン である.

  ポルトガル・ミンホ県の Ponte de Barcaの町で1480年に生れ、

 Rudy Magellan  Alda de Mosquitaの間の3人兄弟の末っ子であった.

  家族はポルトガルの貴族階級に属していた. 貴族の息子として、

  マゼランはリスボンの王宮で教育を受け、そこでレオノラ女王の

  ボーイとしても仕えた. 

 

p76

 

― 1505年、マゼランが23歳の時、最初のインド総督である

  フランシスコ・デ・アルメイダ が率いるポルトガルの東洋への

  遠征に参加した.

  マゼランは、多くの戦いにおいて、果敢に闘い、・・・・・

 

  モルッカ諸島の探検の間に、Serranoは無人島(おそらくTurtle諸島り 

  と思われる)に難破し、1512年にミンダナオに避難した.

  この確かな文書に記録された出来事によって、Serrano 

  ヨーロッパ人による最初のフィリピン「発見者」であると 

  されている.  彼はまた、マゼランが香料諸島への交易ルートを

  確保するのを力づける責任を担った者たちのひとりでもあった.

 

 

=== the Spice Islands という名称が出てきたんで、てっきり

    香辛料が沢山とれる島があちこちにあるから、その総称なのか

    と思ったら、辞書に出ている「地名」なんですね・・・

    辞書には Moluccas islands(モルッカ諸島・インドネシア)

    とも書いてあるんですが・・・

    それに当のインドネシアでは マルク諸島と呼んでいる

    そうです・・・

 

    地名ってかなりいい加減なんですねえ・・・

    日本だって、ジャパン、にっぽん、にほん、ハポン、ジパング

    ・・・まあ、いろいろあるんでしょうね・・・

 

    昔の日本の地理の教科書に、「奴隷海岸」という国名が

    ありましたが、それは今は「ベナン共和国」ですもんね・・

    昔の世界地図は、ヨーロッパ人が勝手につけた名前で

    作られていたんですねえ・・・

    今もまだ、そういう国名、地名が残っているんでしょうが・・

 

 

    こちらにそのスパイス・アイランズの記事があります:    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AB%E8%AB%B8%E5%B3%B6

 

    「モルッカ諸島(Molucca)またはマルク諸島(インドネシア語

     :Kepulauan Maluku)は、インドネシア共和国のセラム海と

     バンダ海に分布する群島。 スラウェシ島の東、ニューギニア島

     の西、ティモール島の北に位置する。 歴史的に「香料諸島

  (Spice Islands)」として特に西洋人や中国人の間で有名であった。」

 

 

 http://www.geocities.jp/indah6148/style/spice.html

 

    「インドネシアに、古くからスパイス・アイランズ(香料諸島 

 Spice islands)と呼ばれてきたモルッカ諸島 (Molucca Islands)

    あります。」

    「モルッカ諸島はインドネシアでは、マルク諸島 (Maluku Islands)

     と呼ばれます。 マルク諸島は全体で約1,000の島々で構成され、

     人口は約186万人 (1990) です。」

 

    「1600年代を中心に、マルク諸島ではスパイスの権益をめぐり、

     マルク諸島の住民を巻き込んで、ポルトガル、スペイン、

     オランダ、イギリスがこの地で抗争を繰り返しました。 それら

     の抗争は、スパイス戦争(Spice wars)と呼ばれます。 従って、

     マルク諸島でのスパイスの歴史は、多くの島民、西欧人、そして

     日本人の血が流れた歴史でもあります。」

 

=== 日本人もこの「スパイス戦争」にからんでいたんですね.

    上のサイトには、フランシスコ・ザビエルのことも書いてあります.

    日本に来る前にここに立ち寄っているようです・・・

 

 

p76

― 1513年、マゼランがマラッカで手に入れたマレーの奴隷エンリケ

  を伴って、マゼランはリスボンに帰った.  その後、彼は、アフリカ

  のムーア人に対するポルトガルの軍事作戦に参加した.

  この作戦中に、彼は敵の槍に刺され、左ひざを負傷した. これによって

  マゼランはその後一生、足をひきずることとなった.

 

 

=== ムーア人とは:

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2%E4%BA%BA

    「ムーア人(英: Moors)は、北西アフリカのイスラム教教徒の

     呼称。主にベルベル人を指して用いられる。」

    「ローマ時代に北西アフリカの住民(ベルベル人)をマウハリムと

     呼んだことに由来する。マウハリムはフェニキア人の言葉で

    「西国の人」を意味する[要出典]

 7世紀以降には北アフリカのイスラム化が進み、イベリア半島に

     定着したアラブ人やベルベル人は原住民からモロと呼ばれるよう

     になる。次第にモロはアラブ、ベルベル、トルコを問わずイスラム

     教徒一般を指す呼称となり、レコンキスタ以降は再び北西アフリカ

     の異教徒住民を指すようなる。」

 

     ・・・なるほど、フィリピンの「モロ民族解放戦線」ってのは

     ここに語源があるんですね・・・Moro National Liberation Front

 http://www.moj.go.jp/ITH/organizations/ES_E-asia_oce/MNLF.html

 

 

― 恩知らずのポルトガル王

 

=== この辺りの文章は、マゼランが戦争から戻ったのに、王様から

    それなりの見返りをもらえず、西回りでスパイス諸島へ行く

    ルートの開拓にも理解を示さなかったことなどが書かれている

    んですが、歴史の教科書というより、なんだか偉人伝みたいな

    内容ですね・・詳しく自分でお読みください・・・・

    このあたりはスキップします・・・

 

 

― マゼラン、スペインへ行く

 

  ポルトガル王に愛想をつかして、マゼランはポルトガルの市民権を

  放棄して、スペインへ向かった.

  セビリアで、彼は、他のポルトガル人に会った. 彼は、Diego

 Barbosaといい、マゼランの父の古い友人であった.

  マゼランは、Barbosaの息子、もう一人の経験のある海洋探検家

  である Duarte、と仲良くなり、Barbosaの奇麗な娘 Beatriz

  結婚した・・・

 

p77

 

― 彼の義理の父と他の影響力を持つ友達の仲介で、マゼランは

  スペイン・バリャドリドにあるチャールズ一世の宮廷に出向く

  ことができた. そして、彼は、モルッカ諸島への新しい航路

  を探すという大胆な冒険を提案した.

 

 

=== そして、この後には、

    「艦隊と乗員」、「航海の始まり」、「船員の反乱」など

     が書いてありまして、

 

    - 1519年8月10日にセビリアを出航、

      11月29日に南アメリカ、ブラジルのParnambuco

      到達したとあります.

 

p78

 

=== このページでは、マゼランの航海の模様が詳しく続きます.

 

    - 「マゼラン海峡の発見」 1520年10月21日

 

    - 「太平洋横断」 3か月と20日間の太平洋横断

 

    - 「グアムのマゼラン」 1521年3月6日に到着

 

    そして、やっと、「フィリピンの再発見」に辿り着きます.

 

 

=== シリーズ27に続く === 

 

 

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