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2014年3月12日 (水)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ ― 10から12までの授業 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

授業は、私の質問に教授が応える形で進めています.

 

p52

 

― フィリピンの神話と民話

 

― マウンテン州のボントック町の名称が、教科書では Bontokと書いて

あるが、これは元々は Bundok(山)という言葉であったのが、

Bontok となり、その後 今のBontoc になったそうだ.

 

― マウンテン州のilim hudhud については、歌が多いが、

その内容は、ナレーションでありチャントという音楽であり、

今もお祭りなどで聞くことができる.

 

― これらの民話などは、今の学校の授業などで教えられているのか?

 

学校では、ほとんど教えられていない.

上記のHudhudを例にあげれば、教授自身がコピーを配布されて

知っただけであった. 本などにまとめられてはいない.

 

従って、学生は、ほとんど読んだことはない. しかし、上記のように、

お祭りなどで聞くチャンスはある.

ただし、元々の古い言葉は現代人には理解できないので、

意味不明な箇所については、文脈から判断して、適当な現代の言葉で

カバーされている.

 

これらの話については、バギオ・ミッドランド新聞の民族学の先生が、

教授自身の先生であったそうだ.

 

 

― 「猿と亀の話」などの寓話について、日本では、今も

「猿カニ合戦」のような話が、絵本などになって、小さい子供たち

に教えられているが、フィリピンでもそのような絵本などは

あるのか?

 

フィリピンのこういう話は、スペイン時代、アメリカ時代の中で

失われてきた.

しかし、教授のお婆さん、お母さんの時代ぐらいまでは、

まだ家庭の中で語られていた.

当時は、子だくさんで、1家族に十数名の子供がいたので、

親が寝る前に話を聞かせていた.

 

昨今は、このような寓話に代わって、日本のポケモン、マジンガー、

アメリカのヒーローなど、アニメや漫画から大きな影響を

受けている.

 

 

p53

 

― 古代フィリピンからの慣習や伝統について、

今でも残っているものがあるか?

 

母の時代までは、教科書に書いてあるような慣習がほぼ100%

残っていた.  今でも、地方によってはかなり残っている.

 

― 花婿が花嫁に持参金を渡したり、花嫁の両親の家でお世話をする

ことは、特に山岳地帯のイゴロットと呼ばれる人たちの中では、

今でもやっている.

 

例えば、持参金は、牛や豚をその家の経済状況に応じて、

花婿と花嫁が同数を出し合わなくてはいけない.

2~3頭の場合もあれば、数十頭の場合もあり、結婚式は

それらを全部食べ終わるまで何日も続く.

 

花婿が花嫁の家で義理の両親の世話をするというのは、

結婚前の話で、1~2週間お手伝いのようなことをして、

それで気に入られなかった場合は破談となることもある.

 

― ビンロウの実などを出して、お客を接待するという慣習は、

BUYOと呼ばれるが、これは、ナッツ(betel nut 又は beetle nut

をライムの粉末と一緒に、ikmoというビンロウの葉で包み、

これを噛むものであり、辛いもので、身体がほかほかと熱くなって、

少し酔ったようになるが、食べてはいけない.

(妊婦の堕胎のために、食べたりしたこともあったらしい)

噛んだ後に、赤いナッツをぺっぺっぺと吐き出すので、

都市部などでは迷惑がられ、慣習もほとんど残っていないが、

田舎などでは今でも広く行われている.

中毒にはならないが、習慣性はある.

バギオ市からさらに山に入った地域では、 momaとか ngangaなどと

呼ばれている.

 

― 子供に恵まれない夫婦がお参りに行く場所は、今でもある.

 

バギオの近郊であれば、 tam-awan村やイトゴンの滝などである.

スペイン時代からの場所としては、ブラカン州のobandoという所の

サンタ・クララの祭りでは、娘たちが踊って、子宝に恵まれる

ように祈る.

 

 

― 日本では、下の乳歯が抜けたら、屋根の上に投げたりするが、

フィリピンでも乳歯が抜けたときに どこか特別な所に捨てたり

するのか?

 

フィリピンの場合は、抜けた乳歯を、竹の穴など、小さな穴に

入れて、ネズミの王様に、「新しい歯をください」と祈る.

 

 

p54

 

― 古代のフィリピンの文字はインドのサンスクリット文字に近いと

されているが、これは、ルソン島の山岳地帯の場合はどうか?

 

バギオ周辺の山岳地帯の古代の文字は、フィリピン南部の文字とは

まったく異なる.

台湾の山岳民族の方に近いとされ、言語自体が台湾とルソン島は

近い.

 

― フィリピン人の5%は、インド人の血が流れていると書いて

あるが、フィリピンのどこの話か?

 

おそらく、イロイロ島のことであると思われる.

イロイロ島には、鼻筋がすっと高い人が多い.

 

 

p55

 

― 中国との関係の部分は、教科書に書かれている中国の地名や

人名を基に検索すると非常に難しい.

ローマ字表記の名前を、フィリピンではどのように扱っているのか?

 

この教科書は、スペイン語の発音を基に書かれているので、

例えば、英語では zhouとするところを chouと表記している.

zhou dynasty = 周王朝)

世界全体で歴史資料をみると、英語表記が多数である.

 

 

― 中国の「三国志」は、日本では非常に有名であるが、

フィリピンではどうなのか?

 

全然 有名ではない.

この教科書には、紀元前、3世紀、10世紀ごろに中国とフィリピンの

交流があったと書いているが、そもそも確定的な資料はない.

 

西暦982年に Ma-i王国が広東に行ったというようなことが

書いてあるが、これにしても、実際に書かれたのは14世紀である.

 

 

p55

 

― バギオ周辺で見られる gangsasガンサと呼ばれる銅鑼(どら)は、

この教科書では中国からもたらされたとあるが、実際はどうなのか?

 

山岳地帯のガンサは、地元で作っているものであって、中国との

交易で入ったものではない.

フィリピン南部の銅鑼は、インド風のものであって、中国からとは

考えにくい. 

 

― 1225年に、Chau Ju-Kua(趙汝适)が著した Chu-fan-chi

(諸蕃志)というのがあると書いてあるが、この本の英語版はあるのか?

 

書名が知られているだけで、英語版などは見たことがない.

 

 

 

・・・・ところで、フィリピンの民話の本があるのか・・という

話なんですが、バギオ市でこんな本が作られています:

 

The Golden Arrow of Mt. Makilkilang and other Cordillera Folktales

 

この本は、日系のNGO、環境NGOである Cordillera Green Network

が発行したもので、ルソン島北部山岳地帯の4つの民話が収められて

います.

Cgn_1

教育の現場にも影響を与えそうですね.

 

 

日本側では、フィリピンの民話を絵本にしたりという試みも

あるみたいですけどね・・・

http://www.ehon-narabe.com/archives/indiv/488.php

 

 

こういう絵本がいずれ、フィリピンへ逆輸入されるのでしょうか?

しかし、日本のこういう絵本の元になっているものがフィリピン側に

なにかあるはずですよね・・・

 

その糸口になりそうなものが見つかりました・・・

http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000071822

 

「火野葦平がフィリピンの民話を邦訳した本があると聞きました。」

「『比島民譚集』という資料で、・・・・・・。

フィリピン従軍中の葦平は、その地の歴史・民情・文学などを知るために、マニラ国立図書館より何冊かの図書を借用したそうです。
その中に『PHILLIPINO POPULAR TALES』いう民話研究書があり、彼はそれを仕事の合間に訳し続け、かなりの分量に達したとのこと。」

 

少なくとも、戦争以前に出版された本があったんです・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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