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2014年3月 6日 (木)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ - 3回目の授業 7から10まで

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

3回目の授業のおしゃべりをお届けします・・・・

 

― インドによる海洋進出のところなんですが、

  東南アジアのインド化の頃に、フィリピン諸島にインド文化などを

  伝えた有名な人物などはいたのか?

  例えば、日本の歴史教科書などでいうならば、玄奘三蔵みたいな

  インドから仏教を伝えたような人物は・・

 

  == 特別に人名が残っているような人はいない・・

 

― 当時の文化的勢力範囲として、インドと中国はどの程度

  競合していたのか・・・

 

  == タイはしっかりした王国があったので、インドの

     サンスクリット語ではなく、仏典などもタイ語に翻訳して

     いたと思われるが、その他の カンボジア、ベトナムなど

     のインドシナの国々は中国の影響が大きかったと

     思われる・・・

 

  == Sri Vijaja Majapahit帝国は、マレーシア、インドネシアから、

     ミンダナオ辺りまでコントロールしていたという説も

     あるが、フィリピンの学者からはあまり支持されていない.

 

― サンスクリットの文字で書かれた文書というのは現存しているのか?

 

  == 1980年代に ビサイヤ地方で多くの文書が発見されたが、

     その中に ALIBADA(アリバダ)と呼ばれるイスラムの言葉

     があるのだが、その中にサンスクリット文字のような

     ものが見られる. しかし、本当にサンスクリットなのかと

     いう議論があって定まっていない.

 

  == ここに教授からもらった その文字の一例をご案内・・・

     こういう文字のようなものが30弱あるらしいが、

     本当に文字なのかどうかの確認はされていないそうな・・・

002

ちなみに、サンスクリット文字ってのがどんなものかを

チェックしてみますと・・・・

http://toxa.cocolog-nifty.com/phonetika/2004/09/skt_rmn_d854.html

・・・どうですかね? 似ていますか??

 

 

― フィリピンではどこの機関、大学などが フィリピンの正史を

  作るセンターとなっているのか?

 

  == 残念ながら そのような政府機関や文化委員会みたいな

     ものはない. 個人的に書かれたものを教科書として

     採用するかどうかだけである.

 

― フィリピンは前述の二つの帝国に支配されてはいなかった

  ことが「積極的に検証されている」とあるが、

  その根拠は何か?

 

  == フィリピン諸島に近い、南にあるボルネオやマレーシアの

     北部地域にはそのような支配は及んでいなかったこと.

     さらに、p48にあるように、中国王朝の歴史書にも

     フィリピン諸島が Sri Vijaya帝国の属国だったという

     記録はないからである・・・

 

― インドネシアの故スカルノ大統領が、昔はフィリピン諸島は

  インドネシアの一部であったなどと言う発言を教科書に書いて

  あるのは どういうことなのか?

  日本の教科書にこのような「政治的な」ことを記載するなど

  考えられないのだが・・・・

 

  == そのような事実はなかったことは明確であるので、

     学校の中での学生の議論の材料とされているだけである.

 

 

― フィリピンと近隣諸国との間に 領土問題はあるのか?

  (中国との現在の問題以外に)

 

  == ミンダナオ島に昔 King Kiramの王国があって、

     ボルネオの北部地域も支配していた.

     英国がその地域を植民地にしていた時代に Kiram王国は

     その地域を貸していたのだが、今でもその「サバ」と

     呼ばれる地域は賃借料を、マレーシア、ボルネオから

     支払ってもらっている・・・ただし、これは国と国との

     支払関係ではなく、Kiram王国の末裔への個人的契約である.

 

  == その「サバ」地域は、スールー島の南の先端の小島から

     マレーシアの小島にパスポートやビザなしで住民が

     行き来できる(密航)ようになっているが、そのマレーシア

     側にフィリピン人とマレーシア人が半々住んでいて、

     石油も採れることから賑わっていて、自由でもある.

 

  == これらのミンダナオ島の南部地域は、

     フィリピンの Back Door(裏口)とも呼ばれていて、

     密輸や密航などでは有名である.

     政治家などが、フィリピンから脱出したりする場合にも

     この裏口が使われてきた・・・

     中国人などは、この裏口を使って、関税を逃れているが、

     日本人は真面目にマニラで関税を払っている・・・笑

 

 

― フィリピンにもユネスコの世界遺産となっているところが

  いくつかあるが、フィリピン政府が指定し、助成金などを

  出して保護している歴史的な遺産はあるのか?

 

  == 残念ながら、そういうものは無い.

     教会などは、フィリピン政府による管理とは別に貴重な

     ものはスペインなどに持ち出している・・・

     フィリピン政府は、UST(サント・トーマス大学)が

     最古の大学であると言っているが、始まった時期だけで

     言えば、セブにあるサン・カルロス大学が30年ほど古い.

     しかし、そのような歴史的な大学などを保護管理すること

     はない・・・・

 

 

― 今の日本では、安倍首相が「愛国主義」への傾向を中国や韓国、

  さらにはアメリカなどからも懸念されているが、

  フィリピンでは「愛国主義」というのは、どのようにとらえ

  られているのか?

 

  === フィリピン人には「愛国主義」と言えるものは特にない.

      戦争になったとしても、アメリカの為には戦っても、

      フィリピンの為に戦う者は少ないだろう・・・

      (アメリカは年金が高い・・、アメリカに住む者も

       多い・・・)

 

  === しかし、フィリピン人としての連帯意識はある.

      それが発揮されるのは、ボクシング王者のパッキャオが

      活躍する時であり、タレントなどが世界の舞台で

      華々しい活躍をテレビなどを通して見せるときである.

 

 

― フィリピンという国名は スペインの「フィリップ王」の国という

  意味であるが、これを愛国的な意味合いで、変更しようという

  議論はないのか?

 

  === 議論はある.

      例えば、1225-1521年にミンドロ島を中心に

      琉球や大和とも貿易を行っていた Mai (マイ・イー王国)

      があったので、その名称などが候補になった・・・

 

  じぇじぇじぇじぇじぇ~~~

  琉球王国・大和と貿易!!!

 

  さっそくwikipediaでチェック・・・

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E7%8E%8B%E5%9B%BD

  琉球は明に冊封されることで、倭寇の取締りを尻目に、海禁政策を

  行っていた中国とアジア諸国の間での東シナ海中継貿易の中心の1

  を担うようになり、経済基盤をつくり上げた。貿易範囲は日本の他、

  主に中国・朝鮮やベトナム、タイなど東南アジア諸国であった。

 

  更に戦国時代に戦費調達のため鉱山開発が進んだ日本が、安土桃山時代

  から江戸時代初頭にかけて、豊富な銀を持って東南アジア領域に進出し、

  多数の日本人町を形成するほど貿易の中心となり、琉球の中継貿易は

  衰退した。

 

  === へえ~~~、日本もこの頃東南アジアとの貿易を

      やっていたんですねえ・・・

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82

日本とフィリピンはスペインによるフィリピンの植民地化(1592年)

以前より関係があったようであるが、両国が本格的に貿易を始めたのは

1592年、豊臣秀吉によって朱印船貿易がおこなわれるようになってから

である。

 

  === スペイン時代よりも前に交流があったのは間違い

      なさそうです・・・

 

 

― p49に

  インドシナのインド化して王国であるチャンパから

  移民がスールー島に貿易植民地を作った・・

 Sri Vijaya帝国の奴隷であった・・・とあるが、これはどんな

  「奴隷」であったのか?

 

  === 管理されている人々であって、いわゆる「奴隷」

      ではない・・・これらの人々にも階層があった.

 

 

― p50に

  「スールー島に最初のイスラム教の宣教師が来た」とあるが、

  その名前は有名ではないのか?

 

  === イスラム教の人にとっては有名であるだろうが、

      キリスト教徒が多いフィリピンの教科書には

      その名前は無い・・・

 

― パナイ島は13世紀の中ごろには ボルネオ・マレー人に

  よって植民地とされていた・・とあるが、これは前述の

  「支配されたことはない」と矛盾しないか?

 

  ===このボルネオ・マレー人というのは

 King Kiram (キンキラン)による支配と考えられる

     ので、それは元々 ミンダナオの王国である.

 

― Piresの古写本によれば、Lucoes(ルコーエス=ルソンの人々)

  という名称が書かれているが、スペイン時代の前には

  フィリピン人はどのような呼び方をされていたのか?

 

  === ルコーエスというのは、スペイン時代の前の

      呼び方ではなく、スペイン的な呼び方である.

      その前には、フィリピン諸島にはあちこちに

      王国があったので、「XX王国の人」というような

      呼び方をされていた.

      例えば、Mai王国の人であれば Maianである.

 

― ジパングというのは日本ではなく、フィリピンのことである

  という議論が最近でているが、そのことは知っているか?

 

  === 知らないが、その可能性はある.

 

 

 

― フィリピンの考古学的遺跡から発掘されたものについて、

  なぜ教科書に写真すら掲載されていないのか?

 

  === この教科書を書いた ZAIDE氏は 実物を確認

      したこともないからであろう・・・

      実際、ここに紹介されているものはどこの博物館

      などに保存されているかも不明である.

      (シカゴの博物館を除く)

      フィリピン政府はそのような保存管理などは

      実施していない.

 

 

― フィリピンにおけるインドの影響について、

  ヒンドゥ教が実際に信仰されていたのか・・?

 

  === 宗教としてのヒンドゥ教が入ってきたのではなく、

      ヒンドゥの文化のみが入ってきたと考えられている.

 

― Bathalaというタガログの神と書いてあるが、

  これは何のことか?

 

  === バタラというのは多神教で神のことだが、

      この言葉だけが「神」という意味で残っている.

 

― Paganの意味は・・・?

 

  === 非クリスチャンの全てを言う.

      宗教を信じない無神論者も仏教徒も同じ・・・

 

今回の授業は、琉球王国との貿易、日本との貿易があったこと、

それから 愛国主義についての話が なかなか面白い発見でした・・・

「裏口」の話も初耳でしたが、フィリピンの南の方は日本人には

「危ない」というイメージばかりが強いですね・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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