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2014年4月30日 (水)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 27- 30  第10回目の授業 - 大学の図書館にもロクな資料なんてありません・・

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

週に1回の授業では、私の質問に教授が答える形をとっています.

 

 

シリーズ27の部分

 

p78

― マゼランがやってきた時に「友好的な9人のフィリピン人が・・」

  と書いてあるが、本当にそんなことがあったのか.

 

コロンブスが新大陸アメリカ、カリブ海に到着したときのような状況

だったと推測される. 不安と物珍しさなどがあった筈である.

歴史学者コンスタンティーノの本には、「wait and see」だと書いている.

(様子見)ということである.

スペイン人の記録にはこのような記録はない.

 

― マゼランの航海には、「陰謀や抗争、そして疑問符が付きまとう」と

  あるが、これは何故なのか・・・

 

スペイン船で航海をしたが、マゼランはポルトガル人であるため、

スパイではないかなどの噂もあったらしい・・・

 

 

― マゼランがフィリピンの到着した日が 3月16日ではなく、

  フィリピンでの公式なものには 3月17日とされているのは

  なぜか.

 

国定教科書においては、その当時はなかった日付変更線だけを

尊重し、ジュリアン暦からグレゴリオ暦への調整は認めていない.

 

 

 

p80

 

― ホモンホンを離れてブトゥアン湾へ向かったとあるが、

  どこの島なのか・・・

 

ホモンホンはサマール島、ブトゥアンとマサオはミンダナオ島の

北東部にある.

 

― 「血の盟約」とはなにか・・・

 

フィリピン・スタイルの兄弟の契りであって、ココナツの液の中に、

二人が腕に傷をつけて、双方の血を混ぜるように液の中に垂らす.

 

 

― 「血の盟約の初めての記録である」と書いてあるが、これは

  誰による記録なのか.

 

これは、マゼランの記録係である アントニオ・ピガフェッタに

よるものである.

「トラベル オブ マゼラン」という本がある.

 

 

― フィリピンの大学生がこのような時代の研究をしようとした

  場合、どのような資料を、大学の図書館で見ることが可能

 

  なのか..

 

1521~1934年の資料は、スペインであっても困難である.

1935~現在までの歴史資料ならば図書館で探すことができる.

1935年というのは、フィリピンの憲法がつくられて時である.

 

この著者ZAIDEにしても、スペインで研究生活をしたという話は

ない….

 

 

― 土地の占有をしたと書いてあるが、合意書のようなものは

  あったのか

  日本は戦国時代だが、そのような場合なら、契約書が書かれる

  はずである.

 

書かれたものは残っていない.

今でいうならば、許可もなく、勝手に家を建てている

スクワッター(不法居住者)みたいなものであろう.

 

マレーシアやインドネシアは、その当時イスラム圏になっており、

ポルトガルとの間には書いたものが残っている.

 

 

p81

 

― 「セブ島での最初のフィリピン人のクリスチャン」などと

  書いてあるが、本当にクリスチャンになったのか.

 

教育をされたわけでもないので、クリスチャンになったということはない.

 

ちなみに、フィリピンで最初に大学が出来たのは1547年のことで、

それは、セブ島の サン・カルロス大学である. ただし、この大学は、

一時閉鎖されたことがある.

この大学は、スペイン語、ラテン語、キリスト教を教えるためのもので

あったので、この大学で学んだものが本当のクリスチャンになった

ものと考えられる.

 

 

p80の枠の中の記事

枠の中の記事は、この著者ZAIDE氏の説ではなく、ことなる

 学説のものである)

 

― 王国という名称が出てきているが、本当に王国と呼べるような

  ものであったのか.

 

DatuとかRajahと呼ばれるのは、国王というよりも、大家族の長の

ようなイメージである.

従って、 部族長というレベルであり、スルタンも同じようなもので

ある.

 

 

― 「1958年には、国家歴史委員会が、・・・リマサワ島の

  マガラネス村に歴史の記念碑を設置した」とあるが、これは

  妥当なことなのか.

 

これは、この著者である大御所ZAIDE氏が支持したから設置された

のであって、教授の意見はこれとは反対である.

教授は、四角の枠の中に書かれている学説が正しいと思っている.

 

もともと、この反対意見は教科書に掲載されていなかったが、

ZAIDEの娘の時代になって、娘が出版する際に、このような 

反対派の意見を掲載するようになった.

 

 

p82の枠の中

 

― 5の(2)の Balanghaiの意味は舟か村のことか?

 

Balanghaiは「バランハイ」と読み、大きな舟のことである.

バランハイは、1~2家族ぐらいが乗れるもので、それで島から

島に渡り、定着したところに村をつくった.

それで、Barangay(バランガイ)という今の最少政治単位である

村の意味の言葉になった.

 

従って、先の翻訳は間違っている. 

正しくは次の通りである:

 

「王が舟にのって、彼ら(スペイン人)の船にやってきた. そして、 

ピガフェッタと彼の仲間が、その土地の王とともに、儀式の舟に 

乗り、集まりに参加した.

 

 

― Butuanで、9つのバランハイが発掘されたことになっているが、

  これは今でも展示などされているのか.

 

これら9つの舟は、博物館にあるが、科学的な年代測定は

実施されていないので、その当時のものかどうかは不明である.

 

 

― モルッカ諸島とは、どのこの島のことを言うのか?

 

モルッカ諸島とは、スパイス諸島という意味であり

マレーシア、インドネシア、パプアニューギニア、フィリピンんを

含む広い範囲の島々のことを指している.

 

=== よって、Moluccanスパイスとは、英日辞書では Moluccan

マルク人とあるが、モルッカ諸島の香辛料とするのが良さそうである.

 

 

 

― セブアノという言葉は、人のことか、言語のことか??

 

セブアノは、セブ島に住んでいる人々のことであり、

又、セブ島を中心にして広く使われているセブアノ語のことでもある.

 

 

― ボルネオからの樟脳というのがあるが、どんなものなのか?

 

モス・ボールの樟脳である.

Camphorは、ミントの木とも呼ばれる.

これを身体に塗って、虫よけにもする.

 

 

 シリーズ30の部分

 

p83

 

― 「サント・ニーニョ」、イエス・キリストの幼い頃の姿と

  言われている像を拝む慣習は、フィリピン独特のものだと

  何かで読んだことがあるが、スペインから来たものでは

  ないのか?

 

マゼランがフィリピン人に残したサント・ニーニョは、今もそこの

教会にあって、セブ島の「サント・ニーニョ・フェスティバル」の

由来の像になっている.

 

このサント・ニーニョは、スペインの慣習ではなく、イタリア、ローマ、

ポルトガルの文化である.

 

 

― マクタンの戦いでマゼランに勝った ラプ・ラプは、

  今のフィリピン人の中では、どのような評価をされているのか.

 

ラプ・ラプは、フィリピンの「国の」英雄になりきれない.

それは、3つの理由からである:

― ラプ・ラプは、クリスチャンではなかった.

― 国のヒーローとは言えず、部族のヒーローというレベルのもので

  ある(日本で言えば、昔の地方の大名みたいなものか)

― スペインが認めなかった.

ラプ・ラプが、フィリピンのヒーローとして現れたのは、

この教科書の著者であるZAIDEが書いてからのことである.

 

 

― なぜ、セブアノ兵は、ラプ・ラプではなく、マゼラン側に

  付いたのか.

 

バギオに近い山岳民族でもあるように、部族間の争いというのは

時々あって、戦争というような規模のものではなかった.

おそらく、部族間の争いのレベルの延長であったろう.

 

 

=== さて、さて、4月の授業が終わりました.

    5月は一か月間 日本に帰国しますので、この歴史の勉強は

    6月に再開します.

    それでは、皆様、ごきげんよう.

 

 

 

 

 

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