« フィリピンの歴史教科書から学ぶ 29 歴史は記録する者によって変わる? | トップページ | バギオ市の裁判所・・・・・ここでも30分遅れか・・・結婚証明書トラブル »

2014年4月14日 (月)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 30 マゼランの最期 なめんじゃね~ぞ!

 

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

 

5 WESTERN DISCOVERY AND CONQUEST  第五章 西欧による発見と征服

 

 

 

p83

 

― セブアノ(セブ島の人々)は本当にキリスト教を受け入れたのか?

 

マゼランの航海記の中で、フィリピンの王や女王、そしてそのお供の

者たち、フィリピンでの最初のミサに参加していた人たちが「改宗」した

ことは非常に重大だとされた.

800人のフィリイン人がそのミサに参加し、洗礼式を経験したので、

これらはキリスト教に改宗した最初の地元民であるとされたのである.

 

このように、マゼランがその地域に木製の十字架を建て、サント・ニーニョ

(聖なる幼きイエス)の像をジュアナ女王に贈った. 女王は ラハ・

Humabonの妻で(スペインのチャールズ一世の母の名をとって、

洗礼後に改名した)あった. その後、マゼランの探検隊は、その地域の

フィリピンの人々を改宗させたと主張したのである.

 

しかしながら、その最初のカトリックへのフィリピン人改宗者たちが

存続したとは思われなかった.  1565年にセブ島にレガスピが 

到着したとき、その地元民たちの間にそのような信仰があったとは

見ていないからである.  サント・ニーニョのその像は、偶然に

セブ島の地元のリーダーの一人の家で発見されたし、レガスピは

「これらの道に迷った人々は」その像の意味について「無知」だった

と記録していたからである.  あきらかに、彼らはその像を、

地元の偶像と一緒にして、現代でも多くのフィリピン人が行っている

慣習である、幸運を招くお守りのようなものとして、保管していたのである. 

 

 

=== そりゃあそうでしょうねえ・・・

    1521年の3月29日について、31日にミサをやって、

    4月7日にセブ島に上陸して、4月14日にセブでミサを

    やったっていっても、そんな1~2週間でキリスト教を

    理解できるわけがないじゃないですかねえ・・・

    なんだか、変な奴らがきて、へんな人形を置いて行った

    ぐらいのことじゃないですか?

    笑っちゃいます・・・・

 

 

― Mactanの戦い

 

セブ島のラハ・フマボンと他の族長たちは、スペイン人を歓迎した.

フィリピンのリーダーの中で唯一人が白人を拒否した. 

彼は、恐れ知らずのマクタンの王、ラプーラプであった.

マゼランは、イライラして、そのフィリピン人の自主独立の

一番反攻的な者を潰してしまいたかった.

 

1521年4月27日の夜明け、マゼランは3隻の船に

鎧をつけた60人のスペイン人と、30隻のボートに1,000人

のセブアノ兵たちからなる攻撃部隊を引き連れて、マクタンを侵略

した.  その戦闘の前に、マゼランは、フマボンと彼の部下に

対して、ボートに残り、ヨーロッパ人の戦い振りを眺めていろ

と豪語していたのである. 

 

その戦闘は激しい闘いとなった. 

マゼランは、ラプーラプとその部下たちの戦闘力とすさまじい勇敢さ

を過小評価していたことに気が付いたのだが、それは既に遅すぎた.

スペイン人侵略者たちは打ち負かされ、ボートに引き上げざるを

得なかった. マゼランは、毒矢を右足に受け負傷した; 彼の鉄の

ヘルメットは二度も叩き落とされた、そして、マクタンの竹の槍が

彼の顔面に刺さった.  マクタン兵の一人が、マゼランの左足に

切りつけた. マゼランは顔は伏せた、そして、ラプーラプと彼の兵士

たちは、マゼランに襲い掛かり、殺したのである.

 

 

==== あの~~、これって教科書でしたよね・・・

     日本で言ったら、これって歴史小説の類じゃないですか?

     こういうのって、面白いですもんね・・・

     日本の歴史の授業が面白くないのは、このあたりに

     秘密があるのかもしれないですね・・・・あははは

 

     日本史の授業で、織田信長の本能寺をこんな風に

     書いてあったら俄然面白いって思いませんか?

     教壇で、歴史の教師が講談師になったりなんかして・・

 

 

p84

 

― 最初のフィリピンの英雄、 ラプ-ラプ

 

最初の世界一周航海者であるマゼランを打ち負かしたことによって、

ラプ-ラプは、フィリピン初の自由への戦士となった.

西欧の歴史家にとっては、彼は単に海辺の敵対的な地元民の一人に

過ぎなかったかもしれない.  しかし、フィリピン人にとっては、

彼の決定的なマクタンでの勝利は、西欧の武力侵略に対して

彼の領地を首尾よく守ったということは、重要なことであった.

それは、西欧の侵略軍に対するフィリピン軍の大勝利の最初の

記録となった. そして、そのことがこれらの島々への注意を

引くこととなったのである.

 

 

=== この負け戦が、スペインでどのように語られたのか

    非常に興味のあるところですが、

    こちらのサイトでは こんな絵が掲載されています・・

 

Battle of Mactan

http://www.filam.si.edu/curriculum/u2-part-02.html

 

    この絵を見る限り、余程マゼランは過信していたって

    ことなんでしょうね・・・・

    はっきり言って、かっこ悪いですね・・・

 

 

こちらのサイトでは、マゼランが勝ったりしてますけど・・笑

Battle of Mactan:Lapu-Lapu versus Magellan (Magellan's Story)

http://www.youtube.com/watch?v=EUR2V_5uajw

 

 

では、今日の最後は、この動画で締めくくりましょう・・・

お楽しみください・・・

 

Battle of Mactan

http://www.youtube.com/watch?v=ii5HEtmJrew

 

こんなんで負けたっていうのが信じられないくらいですが、

余程なめてかかったってことなんでしょうねえ・・・

 

 

 

 

======= シリーズ31へ続く ===

 

 

 

 

 

 

|

« フィリピンの歴史教科書から学ぶ 29 歴史は記録する者によって変わる? | トップページ | バギオ市の裁判所・・・・・ここでも30分遅れか・・・結婚証明書トラブル »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« フィリピンの歴史教科書から学ぶ 29 歴史は記録する者によって変わる? | トップページ | バギオ市の裁判所・・・・・ここでも30分遅れか・・・結婚証明書トラブル »