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2014年6月 6日 (金)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 32 マゼランからレガスピまで

027

一か月間の一時帰国でお休みしていた歴史のお勉強・・・

バギオに戻りましたので、さっそく予習をしなくてはなりません・・・

一時帰国中の話もいろいろブログにアップしたいのですが、

それは暇ができてから・・・(できるかな・・・)

 HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

5 WESTERN DISCOVERY AND CONQUEST  第五章 西欧による発見と征服

p86

― 「マゼラン後の遠征」

マゼランの後、スペインによって出資された5回の航海があった.

それは、一見して、植民地とするべき新しい東洋の島々を発見し

所有するミッションとしては不可能と思えるものであった.

冒険のスリルと黄金や精神的な施しに誘惑されて、西欧の征服者たち

は、未知の東洋への旅のリスクを負ったのである.

以下は、スペインの遠征、そのリーダー、そして結果である:

(以下は要点のみ翻訳)

. Loaisa遠征 (1525年)

  フィリピンに到着できず失敗.

. Cabot遠征 (1526年)

  マゼラン海峡を発見できず、失敗.

. Saavedra遠征 (1527年)

  ミンダナオに到着したが、植民地化は失敗.

 

. Villalobos遠征 (1542年)

  ミンダナオに到着したが、植民地化は失敗.

 Vilalobosがフィリピンを、スペイン王チャールズ一世の名の下に

  「フィリピナス諸島」と命名した.

. Legazpi遠征 (1564年)

  船長: Miguel Lopez de Legazpi、兵士、法律家及び監督者

  派遣部隊: 4隻 380名

  結果: 植民地化に成功

=== これを読んでいると、なんだか地球から月に人間を

    送り込むための挑戦のような雰囲気がありますね.

    マゼランが1521年にフィリピンに到着してから、

    40年以上掛かって当初の目的を達成したという話に

    なりますね・・

    今の時代の感覚ではなかなか理解しがたい気の長い

    経済プロジェクトではあります.

    今の時代に、特に日本に、そのような長期のプロジェクトが

    あるんだろうか・・・それが気になる

p87

「レガスピの遠征(1564年)」

1556年に国王チャールズ一世(同時に、ドイツの皇帝チャールズ五世)

がスペインの国王を退位し、その息子が国王フィリップ二世(1556-

1598)としてスペイン国王となった. 

3年後、1559年9月24日に、フィリップ二世はメキシコの 

Viceroy Velascoに対し、フィリピンの征服と植民地化の為に遠征を 

準備するように命じた. 

この遠征の司令は、Miguel Lopez de Legazpiに与えられた.

このレガスピは、スペイン生まれの兵士であり、法律家、そして

メキシコ市政府の前書記官でもあった.

 === MiguelLopezは今のフィリピン人の有名な人名であり、

 Legazpiは地名でもあるわけですね・・・

    それだけ、スペイン人とフィリピン人との婚姻関係が

    進んだということでしょうか・・・

    翻って、日本人の名前やら地名にも、中国や朝鮮半島から

    入ってきたものがたくさんあるんでしょうね.

    日本人がそういうものをほとんど意識しないように、

    フィリピンの人たちも当たり前のことと受け止めているの

    でしょう・・・

    渡来人ゆかりの地名

 http://baba72885.exblog.jp/7717494

    人名にも朝鮮半島由来のものがある

 http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/55/kami/main.html

 

=== それでは、フィリップという他国の国王の名前をもらって

    フィリピン共和国という国の名前にしたというような

    外国由来の国名というのは世界にどれくらいあるもの

    なんでしょうかねえ・・

    日本の場合は、一応日本人が自分たちで決めたことのように

    思いこんでいますけど・・・ 

    国名の由来 日本/アメリカ/オランダ/エクアドル

 http://manapedia.jp/text/index?text_id=329 

    語源を元に国名を書いた地図が話題に

 http://i.imgur.com/S2P1G.jpg 

    上のリンクで、フィリピンが「馬を愛する地」なんて

    書いてありますけど、「フィリップ国王の島々」という

    意味合いの国名のもっと奥にある由来がそれなんですかね?? 

― 遠征の準備中に、メキシコ政府は資金が底をついてしまった.

レガスピは私財を投じて準備を完了した. 

4隻の船団と380名(ほとんどがメキシコ人)とともに、1564年 

11月21日にメキシコのNatividadを出航した.

レガスピは、Urdaneta神父(船長代行)、Felipe de Salcedo船長

(レガスピの孫)、Guido de Lavezaris、 Melchor de Legazpi

(船団会計係、レガスピの息子)そして五名のアウグスティノ修道会

の宣教師を伴っていた.

 

=== URDANETAという名前は、マニラからバギオに行く途中の

    町の名前になっていますね・・

 

― 太平洋を西へと進み、レガスピはグアム島で停泊し、水と食料

を手に入れた.  航海を続け、レガスピは1565年2月13日に 

セブ島の近くに錨を降ろした. セブアノの抵抗にあい、この島に

上陸できず、隣の島へと向かった.

サマール島で、レガスピはUrraoという友好的な族長に迎えられた.

レガスピはその族長と、2月22日に血の盟約を結んだ.

3月9日、レガスピはLimasawaに上陸し、そこの若い王である

Bankawはレガスピを温かく迎えた.

その後、レガスピはボホール島に上陸し、・・・・・・

・・・・

=== 1564年11月21日にメキシコを出航して

    1565年の2月13日にセブ島の近くに到着しているって

    ことは、2ヶ月と20日間くらい掛かって到着したんですね.

    マゼランの時は、1519年9月20日に出港し、

    フィリピンに到着したのが1521年3月16日に

    サマール島を発見とありますから、なんと1年半くらい

    掛かっていたわけですから、かなり航海術なども進歩して

    いたんでしょうね・・・

 

=== 次回 33へ続きます === 

 

 

 

 

 

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