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2014年6月19日 (木)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 33-35 第12回目の授業 - なに? フィリピンで大砲を造っていたの??

 

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

週に1回の授業では、私の質問に教授が答える形をとっています.

 

 

シリーズ33から35までの部分の授業です・・・

 

 

― セブアノというのはどこの範囲の人たちのことか?

 

セブアノはセブ島の人たちのことである.

ラプラプは、セブアノではなく、セブ島の東にあるマクタン諸島の英雄である.

 

 

― 「最初のスペイン人の入植」とあるが、これはどのようなスペイン人で

  あったのか?

 

まず兵士がやってきたが、これはほとんどがメキシコ人であった.

その後、宣教師たちがやってきて、これはスペイン人である.

一般のスペイン人がやってきたわけではない.

 

フィリピンで最初に創られた大学はUniversity of San Carlosであり

セブ島に16世紀に開校したが、一度閉鎖された.

この大学は、元々フィリピン諸島の人たちはスペイン語が分かる

わけでもなかったため、キリスト教を理解できるはずもなかった

ので、キリスト教の布教の為にも必要であった.

 

=== これについては、このサイトに詳細が書いてあります・・・

San Carlos traces its roots to the Colegio de San Ildefonso founded by the

 Spanish Jesuits fathers Antonio Sedeno, Pedro Chirino and Antonio Pereira

on August 1, 1595.

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_San_Carlos

 

 

― この教科書には、キリスト教への改宗など、日本の教科書では

  考えられないほど 長々と書いてあるが、フィリピンにおいては

  「政教分離」は憲法との関係でどのように規定されているのか?

 

フィリピンも「政教分離」が保障されている.

教会は「アドバイス」をすることがあるが、政党はない.

パンパンガ州の神父が州知事になったが、知事になる前に神父を辞めた.

 

イグレシア・ニ・クリストは、フィリピンの独自の宗派であるが、

いろいろと政治、賄賂がらみの話はある.

しかし、この宗派にしても政党は持っていない.

 

イグレシア・ニ・クリストやボーン・アゲインなどの宗派は

異端とされている.

 

ちなみに、フィリピンへやってきている韓国人の中には

キリスト教の宣教師のビザで来ている人も多いが、

あれは宗教活動が無税であることが主な理由であって、

実態は 商売をしているのが多い.

 

 

― バギオ市周辺におけるキリスト教の事情は?

 

バギオでの宗派の大きさで言えば、

. カトリック  2. アングリカン(聖公会) 3. ルター派

の順である.

しかし、これらは世界教会運動(エキュメニカル運動)によって

連帯している.

 

最初にバギオにやってきたのはアングリカンであった.

この宗派がBrent International Schoolを創設した.

 

セント・ルイス大学(SLU)はカトリックの大学であって、

カトリックの中の宣教師グループの名称から CICM-SLUなどと

書かれている.  ベルギー人が開いた大学である.

 

これらの大学では、イスラム教徒の学生も勉強をしていて、

実際にイラン人の学生なども多い.  宗教的な差別は無い.

 

 

― スペイン人がフィリピンにやってきた頃の宗教事情は

  どうだったのか?

 

マニラ周辺からセブ島、そしてミンダナオ島などはイスラム教

であったが、 ビコール周辺にはヒンドゥ教もあった.

(ビコール周辺には インドの言語などのなごりもある)

 

ミンダナオ島の特に南西部海岸周辺などでは、アラビア語

出来る人たちも多い. これはコーランを読むためである.

この地域では、政府軍との交戦があるが、自治が認められる

方向にある. しかし、この地域にはキリスト教徒も多く、

虐殺事件があったマギンダナオ市でも50%はキリスト教徒である.

 

 

 

シリーズ34の部分

p89

 

― 「1570年に・・・パナイ島の村々を餌食にしていた

   モロ民族の海賊を罰するため・・」とあるが、

  当時の住民も同じイスラム教であるのに 同じイスラムの

  海賊ということが本当にあったのか?

 

海賊というのは、いろいろな者たちがいたであろうし、

当時は海賊は商売みたいなものであったと思われる.

 

 

― 「当時、マニラは・・・イスラム王国であった.

   イスラムの文明化されたOUTPOSTであった」

  と書いてあるが、このOUTPOSTというのはどういう意味か?

 

大きな町への入り口にあるような、検問所的な開拓地である.

 

― 「激しい戦闘の末に、MAYNILADを占拠した」というのは

  今のマニラのことか?

 

今のマニラの元になった名前で、イントラムロスの周辺地域のことである.

 

 

― 「戦利品の中に、パンパンガ人の大砲製造者である・・・」

  とあるが、本当に大砲の製造が出来たのか?

 

大砲を発明したのではなく、「最初のメーカー」とされている.

又、鉄などを使ったものではなく、硬い土で造られており、

1~2発撃つと壊れるようなものであった.

砲身は70~80センチメートルほどの長さで、

弾は小さな石ころであって、射程距離は最長でも100メートル

ぐらいであったが、敵を脅かすにはある程度の効果はあったものと

思われる.

 

パンパンガ州のアラヤット山周辺で火薬にできる鉱物が採れていた.

 

― p90の英文を

  「トンドの最後の王 Lakan Dula と Sulaymanの伯父は・・」

  と翻訳したが、ここの andはどう掛かっているのか・・・

  「トンドの最後の王でありSulaymanの伯父でもある Lakan Dula

  とすべきである. 一人の人物のことを指している.

  (前回の翻訳を ここで訂正します)

 

 

シリーズ35の部分

p90

 

― 「マニラ湾での初めての戦い」に参加した兵士たちは

  今のどの辺りの地域から参加したのか?

 

MACABEBEはマニラ、BATISHAGONOYはブラカン州、NAVOTAS

マニラである.

これらの地名はすべて 古いフィリピンの地名である.

 

― 1537年・・・小艦隊はBankusayの水路を下り・・」

  とあるが、この場所はどの辺りなのか?

 

今のマニラとトンドの間であった.

 

― 「マニラに対し coat-of-armsを授与した」とあるが、

  これはどんなものか?

 

これは単なるタイトル(名称)であって、物ではない.

 

 

― 「フィリピンの adelantado であったレガスピ・・・」

  この称号はどういう意味か?

 

Adelantadoとは FORERUNNER(先駆者)あるいは

First messenger (最初の使者)という意味である.

 

 

― 「Juan de Salcedo船長で、レガスピの立派な孫であった」

  とあるが、どのような人物だったのか?

 

レガスピの孫ではあるがメキシコ人である.(スペイン系メキシコ人)

CAVALIERというのは horse riding leader 馬に乗った指揮官という意味.

 

― PARACALEの金鉱山というのはどこにあったのか?

 

リサール州にあった.

 

― 「1573年に、ビコール地方やカタンドゥアン地方を征服」

  というのはどの辺りのことか・・・

 

カタンドゥアン地方は、ビコール州の東にある島である.

 

 

― Lim-Ah-Hong林鳳の侵略から防衛」とあるのは

  具体的にどのようなことをやったのか?

 

海賊の林鳳と Salcedoの戦いがあったわけではなく、

「侵略」ということでもない.

海賊が時々やってきたので、海岸線の防備を固めたというだけの

話である.

 

― フィリピンのアニメで「ウルドゥハ姫」の中に

  この林鳳が登場するが、この昔話は史実なのか?

  アニメには、倭寇は出てくるが、スペイン人は出てこない.

 

歴史家は ウルドゥハ姫の存在を史実としては認めていない.

アニメの時代背景としては、おそらくスペイン人が来る前の

1570年以前の話となろう.

(海賊の林鳳は スペイン人SALCEDOよりも前から時々

 リンガエン湾あたりに出没していたと考える)

 

 

p92

― 「10人ばかりのスペイン人が村に入ると、その原住民 

  はすぐに、自分たちの手を縛って家から出てきて、平安を 

  懇願するのです」

  ・・・この部分を「十字架の力」と書いてあるのはどうかと

  思うが. その前に余程恐ろしい武力による残虐行為があったと

  考えるのが普通ではないか?

 

当時のフィリピン諸島の人間は、スペイン語を理解できても

いなかったであろうし、キリスト教の宣教師が言うことが

理解できたとも考えられないので、当然のことながら

最初は武力で脅して、死を選ぶか、服従を選ぶかを迫った

はずである.

 

この教科書の著者ZAIDEは、この点においては、いささか

歴史家としては偏りがある.

(教授自身も)このZAIDE氏の教科書で歴史を教えられてきたが、

ある意味で「危険」であると思う.

今は、ZAIDE以外の歴史の本もあるので、選択が可能である.

 

 

=== シリーズ36へ続きます ===

 

 

 

 

 

 

 

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