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2014年6月29日 (日)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 39  アカプルコはマニラより居心地がよかった?

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

6 MEXICAN RELATIONS  第六章 メキシコとの関係

 

p96

「メキシコのフィリピン人」

 

メキシコに住んだ最初のフィリピン人はマニラからの5人の政治的

国外追放者でした. 彼らは パンダカンの族長 Pedro Balinguit・・・

・・・の5人でした. 1587-1588年のトンド謀議の

共犯者という理由で、メキシコに追放されたのです.

 

p97

多くのフィリピン人船員がガレオン貿易の時代に船から逃亡し、 

アカプルコに永住しました. 彼らはメキシコ女性と結婚し、

フィリピン系メキシコ人としての新しい世代を育てました.

その子孫は今でもアカプルコやメキシコの他の町にも見ることが

出来ます.

 

1619年、アカプルコの隣にフィリピン人の居留地がありました.

前の年にガレオン船 Espiritu Santos から逃亡した74名の船乗りも

含まれていました. フィリピン人たちは、メキシコ人に、アカプルコの

丘に育っていた ココナッツ・パームヤシから 発酵したトゥバ(酒)

を作る方法を教えました. 間もなく、このフィリピンのパーム酒は

メキシコ人の間でも流行るようになりました. それはスペインの酒と

競合するようになりました. スペインの醸造産業を保護するために

メキシコの指揮官 Sebastian de Pinedaは国王フィリップ三世(1598-

1621)に対して、メキシコの全てのフィリピン人を逮捕し、マニラへ

送還するように嘆願しました. しかし、なにも実施されませんでした・・

 

=== 船乗りが脱走したってことなんでしょうねえ・・

    一度マニラからアカプルコを往復するだけで2年間ほどかかった

    という話ですから、何度もやってりゃあ流石に逃げ出したくも

    なるんでしょう・・・しかし、脱走したのがマニラじゃなくて

    アカプルコってのが何故なのか?

    ちょっと興味がありますね・・

 

「宗教裁判」

 

宗教裁判というのは異端の事件を審理する宗教法廷でした.

それは、ヨーロッパのカトリックの王国で中世に創設されたもので、

カトリック教会の教えに挑戦したカトリック教徒の異端的攻撃から

教会を守るためのものでした.

 

宗教裁判は1536年にメキシコ市でも創設されました.

・・・メキシコの宗教裁判は1578年にフィリピンへと拡大され

ました. ・・・・その宗教裁判の司法権はフィリピンの白人

(スペイン人、ポルトガル人、オランダ人、フランス人、イギリス人

など)にのみ適用されたことは特筆すべきでしょう.

フィリピン人と中国人は適用外とされたのです. 教会に対するいかなる

犯罪も、容疑者となった白人は、逮捕され裁判の為にメキシコへ送還

されたのです.

 

=== ・・ってことは、著者はここで何を言いたいのでしょうね?

    スペイン人はフィリピンの地元の人間に対しては寛容であった

    ということなのか、フィリピン人の中には宗教的に

    弾圧するに足るほどの知識人はいなかったということなのか・・

 

p98

「ガレオン貿易の廃止」

 

18世紀も幕を閉じるころ、ガレオン貿易は衰退しました.

アカプルコにおけるアジア製品への需要が減少したのです.

・・・・さらに、合衆国やヨーロッパから次から次に多くの船が

海外からの商品をメキシコへ持ち込むようになったのです.

 

1804年、マニラ当局は国王に対して、アカプルコでガレオン船の

積荷を売ることが困難になったと不満を述べています.

3隻のガレオン船・・・は、1802年にアカプルコで船荷を

売却できないままマニラへ戻っているのです. ・・・

 

1813年9月25日、国王フェルディナンド七世は、ガレオン貿易

の政府独占を廃止しました.  ・・・

 

=== スペイン王室独占のガレオン貿易は、世界的に貿易が

    盛んになることによって、淘汰されることになった

    ようです・・

 

「フィリピン-メキシコ関係への「さようなら」」

 

フィリピンとメキシコの植民地時代の強い繋がりは、メキシコが 

独立を勝ち取った1821年に公式に絶たれました.

その後、スペイン国王はマドリッドから直接フィリピンを統治しました.

・・・・

=== メキシコが独立した後も、その新国のリーダーは

    フィリピンとの貿易を継続したかったようですが、

    さすがにスペインはこれに怒ったと書いてあります・・

    メキシコの独立革命については、こちら:    「http://www.weblio.jp/content/%E3%83%A1%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B3%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E9%9D%A9%E5%91%BD

    「http://www.pahoo.org/culture/numbers/year/j1810-csa.shtm

 

=== その40へ続く ===

 

 

 

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