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2014年7月 6日 (日)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 41 星占い師がフィリピンを経営していたの?

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

 

7  MEXICAN RELATIONS  第七章 スペインの植民地体制

 

 

さて、フィリピンの歴史にとって、一番重要な部分ではないかと

思うところに入ります・・・

 

p102

スペインは近世において巨大な植民勢力として立ち上がった最初の

ヨーロッパの国であった.  16世紀にその栄光と威厳の絶頂にあって、

そのSiglo de oro(黄金の世紀)と呼ばれ、スペインは広範囲に植民地

を持った、アフリカ、新世界(中南米及びアジア) - 歴史上最初の

地球規模の植民帝国 - であるので、国王フィリップ二世は、太陽の 

沈まない国と豪語する最初の帝王であった. 

そのような広範囲に及ぶ領土を治めるため、スペインは植民地法の

最初の規則を編纂した. それは Leyes de Indias(新大陸の法律)と呼ばれ、

植民地主義に関する近世の権威はこれを称賛して「すべての植民帝国

のために出版された中で最も慈愛深く最も包括的な法律である」と言った.

しかしながら、フィリピンはスペインから遠く、又 特に19世紀において、

スペイン人役人と修道士の汚職や退廃の為に、これらの植民地法は

公正には適用されず、植民地に恩恵をもたらすには至らなかった.

 

 

=== フィリップ二世に関しては こちら:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%9A2%E4%B8%96_(%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E7%8E%8B)

 

1580年のポルトガル併合によって、フェリペ2世はインディアス(新大陸)、フィリピン、ネーデルラント、ミラノ公国、フランシュ=コンテ

(以上カスティーリャ王国領)、サルデーニャ島、シチリア島、ナポリ王国

(以上アラゴン連合王国領)、ブラジル、アフリカ大陸の南西部、インドの

西海岸、マラッカ、ボルネオ島(以上ポルトガル王国領)という広大な領土

を手に入れ、「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれるスペイン最盛期を迎えた。

1584年には日本から来た天正遣欧少年使節を歓待している。」

 

=== Leyes de Indias をどう翻訳すべきか迷っていましたが、

    そのまんまだと 「インドの法律」ですが、インドだと思った

    大陸は アメリカだったという話みたいなので、ここでは

    「新大陸」とするのが妥当なんですね・・・

 

インディアス法については こちら:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%B9%E6%9E%A2%E6%A9%9F%E4%BC%9A%E8%AD%B0

 

=== 権威が絶賛したというのがどういうことかは

    分かりませんが・・・・

 

 

スペインの植民地化の狙い

 

スペインの海外(フィリピンを含む)植民地化の狙いは、

三つのGで強調できるであろう - 神、黄金そして栄光である.

植民地化の一番目の主たる狙いはカトリックのキリスト教の伝播であり、

このことは、イザベル女王の「カトリック」(1479-1504年)の

遺書及び「新大陸の法律」のキリスト教徒の精神によって証明される.

この理由によって、発見、探検、征服の航海にはそれぞれキリスト教の

宣教師が同乗していたのである.  スペインの植民地化に関する

著名なドイツの権威である Wilhelm Roscher博士は、「スペインの

植民地化の主たる狙いは 異教の人々をキリスト教に改宗させる

ことであった」と主張している.

 

二番目の狙いは、黄金あるいは経済的富への願望であった.

この狙いは、ヨーロッパ勢力の間での、東洋の香辛料貿易の独占

や富を獲得しようとする争いの中から発生した.

その当時(現在も同じだが)、物質的な富は国々の中での偉大さの

判断基準であった.

 

三番目の狙いは、世界の中で最大の帝国になるというスペインの

野心から生まれたものである.  多くの植民地(フィリピンを含む)

を獲得することによって、スペインは帝国主義者の野心を実現した

のである. 

 

=== う~~ん、ここは権威がそう言うのならそうなんでしょうが、

    日本人的 ノンポリ的、無宗教的感覚から言えば、経済的願望が

    第一で、その活動を補完するものとして宗教じゃないかと

    思ってしまうんですが、どうなんですかねえ?

    三番目の理由というのは ちょっと抽象的だし、

    結果としてついてくるものだと思うんですが・・・

    軍事的狙いっていうんならもっと分かりやすいんですけど.

    その当時は植民地取り放題で そこまで行っていなかったん

    でしょうか・・・

 

p103

 

全体的に言って、第一の植民地化の狙い(キリスト教の伝播)は、

最も成功をおさめ、永続的なものとなった.

スペインが植民地化した全ての国が現在はキリスト教国となっている.

スペインはフィリピンやその他の国々を植民地化することに

よって経済的成功を収めることには失敗した.

そして、そのように多くの植民地を獲得する中で、スペインの栄光は

永久に続くことはなかった. 19世紀にはスペインの栄光は消えて、

世界の勢力としては衰退していったからである.

 

 

 

経済的損失にもかかわらずフィリピンを離さなかったスペイン

 

 

植民地としては、フィリピンはスペインの国庫にとっては

経済的な負担であった. このため、国王フィリピン二世の助言者は

フィリピンを捨てることを進言した. 王は彼らの助言を聞き入れ

なかった. 王は、スペインの植民地政策の主たる目的はキリスト教を

広めることであり、フィリピン人を改宗させるために「Indiesの全て

の富」を使っても惜しくないと話したのである.

 

=== ここでIndiesをどう翻訳すべきか困ってしまいますね.

    フィリピンだけならすでに赤字経営であるわけだから

    メキシコなど新大陸を含む植民地全体のことを言って

    いるんでしょうか・・・

 

    しかし、仮にキリスト教を広めるためというのが一番の

    目的だとしても、その動機は何だったのでしょうか.

    他の宗派などとの競争があったのでしょうか?

 

 

直轄植民地としてのフィリピン

 

フィリピンは、スペインの王に属していたという意味において

国王直轄の植民地であった. スペイン統治の最初から1821年まで、

フィリピンはメキシコの保護領であり、スペイン王の名の下に、

メキシコ総督によって直接に統治されていたのである.

1821年にメキシコがスペインから離れた後、フィリピンは

マドリッドから直接統治されることとなった. そして、この処置は

1898年まで続いたのである. 

 

=== crown colony を辞書でひいてみたところ直轄植民地と

    ありました・・・この著者の文章の書き方からして

    著者自身がそう思ったのか、それともスペイン自体が

    そのような呼び方をしていのかがいささか疑問です・・・

    それから、ここで「保護領」と訳しましたが、英文では

 Dependencyを使っているんですねえ・・

    「属国」とするか「保護領」とするかちょっと悩んだんです

    が、当時のフィリピンは独立してはいない訳だから

    「属国」とは言えないんでしょうね・・・

    辞書には「依存関係, 被保護国, 従属, 属国, 従属国, 属領, 寄食,

    付庸, 附庸, 隷属国」などいろいろありますが・・・・

 

 

 

Indies(新大陸)の評議会

 

国王が植民地を統治するのを補佐すべく、新大陸の評議会は1524年

8月1日の国王令の中で国王チャールズ一世(同時にドイツの皇帝

チャールズ五世)によって設けられた.

この評議会はスペイン帝国の植民地に関するすべての事柄を取り扱って

おり、権力を持った組織であった. その構成員は、議長、四名の

評議員で法律家か聖職者、書記、会計、(国王の代理人)、出納官、

歴史家、宇宙構造学者、数学の教授、式部官であった.

最初の議長は Fray Garcia Jofre de Loaisaで、ドミニコ修道会の総神父

でありセビリアの大司教であった.

 

=== この構成員の中に、cosmographer というのがいるんですが

    辞書によれば宇宙構造学者とあるんですが、星占いでも

    やるんでしょうかねえ?

    それと分からないのが  usherなんですが、教会などの

    案内係、高位の人の先に立って歩く先導役、法廷の守衛、

    受付などとあるんですが、おそらく国王の式典、儀礼に

    関することをやるのだろうということで式部官としました.

 

=== Indiesという言葉が気になってインターネットで検索:

 

Council of the Indies について:

http://www.britannica.com/EBchecked/topic/286135/Council-of-the-Indies

 

Council of the Indies, Spanish Consejo De Indias, supreme governing body of

Spain’s colonies in America (1524–1834). Composed of between 6 and 10

councillors appointed by the king, the council prepared and issued all legislation

governing the colonies in the king’s name, approved all important acts and

expenditures by colonial officials, and acted as a court of last resort in civil

suits appealed from colonial courts. It lost much of its importance in the 18th century.

 

これを読むと、スペイン国王に指名された評議員の集まりで、

アメリカにおけるスペインの植民地の政府みたいな役割のようですね.

メキシコもこの組織によって統治され、そのメキシコの総督が

フィリピンを統治していたという位置づけでしょうか・・

 

 

p104

後に、新大陸評議会は女王イサベル二世によって1863年に解体された.

この女王が、1863年5月20日の国王令を発令し、その評議会を

植民地省によって置き換えた. この省は植民地大臣が率いて、

フィリピン評議会がこれを補佐した.

この評議会は、植民地副大臣、職権上のメンバーとして植民地省の局長、

そして、フィリピンの事情に詳しいということで、国王によって指名された

12名の常勤メンバーで構成された.

 

=== イサベル2世 についてはこちら:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%99%E3%83%AB2%E4%B8%96_(%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%A5%B3%E7%8E%8B)

 

「議会および主要政党のモデラート党(カスティーリャ保守党)、進歩党は、

イサベルの即位をフェルナンド7世時代の絶対君主制を覆し、カディス憲法

と議会に基づく政府を再建する機会ととらえ、女王を支持し、復古的な絶対

王政を主張するカルロスに反対した。」

 

7年間に及ぶ内戦、カルリスタ戦争が勃発した。最初はカルリスタ軍が

優勢であったが、議会はイエズス会などの教会組織を解体、その財産を

没収してカルリスタの基盤を崩すとともに、政府の財務建て直しを目指した。

・・・1839年に休戦を迎え、イサベルの王位が確定した。」

 

=== 王位継承問題で7年間も内戦があったり、教会組織を

    解体したり・・スペインではいろいろともめていたんですね・・

    1821年にメキシコが独立して、フィリピンはスペインの

    直接統治になっているんですけど、スペイン国内では内戦、

    フィリピンでは赤字・・・それでスペインは衰退したのかな?

 

 

 

=== シリーズ42へ続く ===

 

 

 

 

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