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2014年10月 6日 (月)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 42 フィリピンの総督は日本と戦争をすることも出来た?

 

7月から9月まで、いろいろなイベントやら日本語教室に忙しくて歴史の教科書にむかう時間も気力もありませんでしたが、やっとひと心地つきましたので、ぼちぼち再開します・・・

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をしています・・

 

 

7 MEXICAN RELATIONS  第七章 スペインの植民地体制

 

p104

 

 

新大陸の法律

 

スペインの植民地を治める数多くの法律が編纂され、Recopilacion de

Leyes de las Indiasという名称の使いやすい植民地規則として出版された.

これは一般には単純に新大陸の法律(Leyes de Indias)として知られている.

 

 

総督

 

スペイン時代のフィリピンの最高責任者は、長官であり総司令官であった.

これが正式の職位であった. しかし、普通は総督と呼ばれていた.

最高責任者として、スペインからの国王令とその他の法律を施行していた.

彼は、植民地軍の最高司令官であった. 彼は植民地の役人を指名し、又

解任した. しかし、国王が指名した者は例外であった.

 

1861年まで Royal Audiencia(最高裁判所)の長官を務めていた.

植民地における国王の代理人として、王室の副後援者を務め、

教会教区の聖職者を指名する権威を持ち、又、宗教権威者間のの論争

に介入した.

 

スペインはフィリピンから遠く離れていたため、総督は君主としての

力を行使した. 総督は東洋においては、中国、日本、シャム、その他の

国々との間で、戦争かあるいは平和かの宣言も出すことが出来た.

彼は、フィリピンばかりではなく、マリアナ諸島、カロリン諸島、

そしてパラオ(太平洋の諸島)も監督していた.

 

スペイン時代には、これらの島々はフィリピンの一部であると見なされて

いた. 

最終的には、この総督は、スペインからの国王令や法律に対しても

拒否権を行使することが出来た.

 

 

===拒否権があるってのが トラブルの元でしょうかねえ・・・

 

 

総督 gubernatorialの権力に対するチェック

 

絶大な力を持つ総督は以下によってチェックされます:

(1)スペイン時代の最高裁であった王室聴聞会

(2)国王の法廷において影響力のあった大司教や聖職者

(3)部下である公職者および市民から国王への直訴

(4)在住者、 出国する総督やその他のスペイン人公職者の審理で、

   在職中の彼らの行為についての釈明を求められた.

(5)訪問者、 国王あるいはメキシコ総督がフィリピンの状況を

   調査するために植民地に派遣した調査官.

 

=== 一応 いくつかのチェック体制はあったようですが、

    実際には どのていど機能したのか・・・・

 

 

p105

 

王室聴聞会

 

これはスペイン時代の最高裁判所でした. これは1583年5月15日に

国王の命令で設置されたもので、最初の会議は1584年6月15日にマニラで

開催されました.

 

 

初代の王室聴聞会の議長は総督のサンティアゴ・デ・ベラでした.

総督と判事の間にある種の軋轢があったため、1595年に再設置されるまで

1589年に廃止されてしまいました. 

 

 

=== なるほど、当然 そういうトラブルはあるでしょうね・・・

    フィリピンは メキシコ総督の監督下にあったし、

    スペインの国王からは遠かったでしょうから・・・・

 

王室聴聞会は訴えられたすべての刑事および民事事件を下級法廷で審理しました.

その土地の最高裁として、司法の機能とは別に、行政と立法の機能も果たしていました.

 

1719年まで、王室聴聞会は、現職の総督の死去や無能力の為に不在となった場合はいつも総督として機能しました. スペイン時代6回に渡って、王室聴聞会は国を支配しました - 1606-08年、1616-18年、1632-33年、

1689-90年、そして1715-17年です.

 

=== 無能な総督もいたってことになりますか?

 

 

王室聴聞会は又、その植民地の一定の法律を発布します. これらの法律は

autos acordados (合意された法令)と呼ばれますが、これはこれらの法令が

総督と王室聴聞会のメンバーとの合意に基づいて実施されることによります.

 

王室聴聞会によって許可された法令の例としては、中国人移民の制限、

主要な必需品の価格の決定、法的義務を遵守させるための命令などです.

 

さらに、王室聴聞会は、植民政府の総監査役としての役割もありました.

政府の毎年の支出を監査したのです.

 

=== 中国からの移民を制限したというのは いつごろの話なんでしょうか・・

    その原因も知りたいところですが・・・

 

 

=== シリーズ43へ続きます ===

 

 

 

 

 

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