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2014年11月 6日 (木)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 42-44 第16回目の授業 - フィリピンの荘園制度

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

 

日比友好月間の7月からずるずると10月まで授業を休んでいましたが、

久々に教授との授業を再開・・・

毎週一回2時間、教科書を元に教授とのQ&Aと雑談をしていきます・・・

毎週できるかははなはだ疑問ですが・・・

 

シリーズ42の部分

 

「第七章 スペインの植民地体制」 のところです・・・

 

 

p104

 

― Indias インディアス を「新大陸」と翻訳したが、本来は

  どのような意味合いの言葉なのか?

 

Indiasは 「新しく獲得した領土」というぐらいの意味である.

 

 

― 総督には強大な権力があって、中国、日本、シャム、その他の

  国々との間で戦争の宣言も出すことができたとあるが、

  この時代にそのような紛争や戦争はあったのか?

 

この時代には、すでにほぼ欧米列強の縄張りは終わっていたので

紛争などはなかった.

 

― 総督は スペインからの国王令や法律に対しても

  拒否権を行使することが出来たとあるが、

  どのようなことで拒否権を発動できたのか?

 

実際には国王に対して拒否権を使えるわけがなかった・・

This veto power was called cumplase.  と書いてあるが、

英語のveto 拒否と スペイン語の cumplase コンプラッセは

ニュアンスが異なる・・cumplaseの意味は

法律はあるが、それに従わず、ずるずると遅らせる、先延ばしに

するという意味である.

 

 

― Residencia レジデンシア と visitadorビジタドールは

  どういう意味なのか、翻訳が難しい・・・

 

Residencia は trial in your office  職場での裁判

 

Visitadorは 調査官、オンブズマンの意味である.

 

スペイン語の辞典・翻訳では residencia residence住まい

Visitador  Visitor訪問者 と出るんですが、

ここでの意味は 上のように、あくまでも裁判、調査の意味である.

 

 

p105

 

― 総督と判事の間に軋轢があった・・とあるが、

  どのような問題での軋轢だったのか?

 

メキシコとマニラの間のガレオン貿易や 宣教師関係のトラブル

などである.

 

― 王室聴聞会(マニラの最高裁判所)は

  現職の総督の死去などの折には総督として機能したとあるが、

  あとで出てくる大司教などの教会が総督をやるという話とは

  どういう関係にあるのか?

 

教会が総督の機能をするというのはあくまでも「代行」を

一時的にやるだけであって、最高裁判所が全権を持つのとは

異なる・・・

 

 

― autos acordados と呼ばれるフィリピン内での独自の法律

  の中に 中国人移民の制限 というのがあるが、

  これはどのようなものだったのか?

 

autos acordados とは 自動的に合意されたものという意味で

総督と最高裁判所で合意して実施されたもの.

中国人移民はフィリピンに隣接していた台湾からの

 

台湾人(タイペン)の流入であった、17世紀ごろに

船でどんどん入ってきていた・・

 

 

 

シリーズ43の部分

 

 

― フィリピンにはスペイン時代に奴隷制度があったのか?

 

スペインがやって来る前から、フィリピンの王国の中で

奴隷がいた.  スペインの法律では奴隷を所有してはいけない

ことになっていたが、植民地になった初期には奴隷を所有する

スペイン人がいたので、教会関係者などの反対で

禁止されることになった.

 

 

― インディオ(フィリピン人)をエンコミエンダに

  割り当てたとあるが、これは奴隷なのか?

 

奴隷ではない・・・

 

 

― エンコミエンダは 2世代あるいは3世代までで

  その後は スペイン国王に返すことになっているが

  その通りに返還されたのか・・・

 

実際には子や孫の代に 延長されている.

 

エンコミエンダは スペイン国王から褒美として

その地域の運営を「委託」されたものであるが、

その他に HACIENDA(ハシエンダ)というものがあって、

これはスペイン国王がスペイン人に土地の所有権を与えたものだった.

Haciendaは 大領地というほどの意味である.

(日本の荘園制度みたいなものか?)

 

ハシエンダで現在でも有名な人名は、コファンコ、オスメニア、

クリマコなどの有力者である.

ちなみにコファンコ・ファミリーは アキノ大統領の

ファミリーである.

 

そういう現実があるから、フィリピンの農地改革は失敗した.

 

元々 ハシエンダやエンコミエンダは スペイン人や

メキシコ人に与えられたものであるが、子孫がいなかった

地域では、労働者として熱心に働いていた中国人に多くが

 

引き継がれることになった.

中国系フィリピン人の力が現在も強大なのはこれに由来する.

 

 

― エンコミエンダは 貢物(税)を課していたとあるが、

  現在でもあるのか?

 

現在は 土地をレンタルするという形になっている.

 

 

 

シリーズ44の部分

 

p107

 

― エンコミエンダで働くフィリピン人は 年貢以外に

  税金などを市町村などにも払ったのか?

 

農民などは、エンコミエンダへの年貢以外にも

市や州にも税金を支払った.

 

 

― エンコミエンダは、法律によって居住者の福利を増進

  しなくてはならなかったとあるが、

  それは自治体の役割とは別なのか?

 

エンコミエンダはあくまでも私的なものであるので、

私設の軍隊や私設の警察を持っていた・・・

自治体の警察や軍とは別である.

(今でも、フィリピンの一部の地域では 時々問題になって

 いるようです・・・)

 

 

― 1591年に 257のエンコミエンダに

  60万人超の総人口がいたとあるが、その当時のフィリピン

  全土での人口はどの程度だったのか?

 

スペイン時代にフィリピン全土が統治されていたわけではない

ので、全土での人口の統計データはない.

(ちなみに、バギオを含むルソン島北部山岳地帯はスペインの

 統治は及んでいなかった)

 

 

― 1884年に年貢が廃止され、cedula tax証明書(登録)税

  で置き換えられたとあるが、この税金は今でもあるのか?

 

名称は コミュニティー・タックスと変わっているが現在もある.

しかし、現在のこの登録税は、強制的なものではなく、

パスポートを作ったり、銀行でローンを組むときなど

コミュニティー・タックス証明書が必要な人が支払っている.

 

 

― エンコミエンデロたちが、年貢を徴収する時に、

  家具を強奪し、豚や水牛までも盗んだとあるが、なぜ

  そんなことをしたのか?

 

これは、フィリピン人はお金の方が大事だったので

お金を取られるぐらいなら家畜を取られる方がよかったからである.

 

 

― 年貢に反対する反乱があったと書いてあるが、

  どのような人がどの程度の規模でやったのか?

 

ごく普通のエンコミエンダの農民で、農具を使った反乱であり、

大規模に組織されたものではない・・

酒に酔っぱらって、そのいきおいでやったぐらいの反乱である.

 

 

=== これが久々の授業で、私の質問に対して

    教授に答えてもらった内容です・・・

    一応授業が終わった後に、ビールを飲みながら

    いろいろと面白い話を聞かせていただきましたが、

    それはまたいずれ・・・  =====

===  シリーズ45は こちらです:

       http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2014/11/45-55cd.html

 

 

 

 

 

 

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