« 2014年3月9日 - 2014年3月15日 | トップページ | 2014年3月23日 - 2014年3月29日 »

2014年3月21日 (金)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 26  マゼラン、ポルトガルに愛想をつかす

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

 

5 WESTERN DISCOVERY AND CONQUEST  第五章 西欧による発見と征服

 

 

 

p75

 

― フェルディナンド マゼラン

 

  地理学的な発見と航海の時代の最大の功績は、静かで優れた船乗り

  ―兵士によって成し遂げられ、彼の歴史は今や不滅である -

  それが フェルディナンド マゼラン である.

  ポルトガル・ミンホ県の Ponte de Barcaの町で1480年に生れ、

 Rudy Magellan  Alda de Mosquitaの間の3人兄弟の末っ子であった.

  家族はポルトガルの貴族階級に属していた. 貴族の息子として、

  マゼランはリスボンの王宮で教育を受け、そこでレオノラ女王の

  ボーイとしても仕えた. 

 

p76

 

― 1505年、マゼランが23歳の時、最初のインド総督である

  フランシスコ・デ・アルメイダ が率いるポルトガルの東洋への

  遠征に参加した.

  マゼランは、多くの戦いにおいて、果敢に闘い、・・・・・

 

  モルッカ諸島の探検の間に、Serranoは無人島(おそらくTurtle諸島り 

  と思われる)に難破し、1512年にミンダナオに避難した.

  この確かな文書に記録された出来事によって、Serrano 

  ヨーロッパ人による最初のフィリピン「発見者」であると 

  されている.  彼はまた、マゼランが香料諸島への交易ルートを

  確保するのを力づける責任を担った者たちのひとりでもあった.

 

 

=== the Spice Islands という名称が出てきたんで、てっきり

    香辛料が沢山とれる島があちこちにあるから、その総称なのか

    と思ったら、辞書に出ている「地名」なんですね・・・

    辞書には Moluccas islands(モルッカ諸島・インドネシア)

    とも書いてあるんですが・・・

    それに当のインドネシアでは マルク諸島と呼んでいる

    そうです・・・

 

    地名ってかなりいい加減なんですねえ・・・

    日本だって、ジャパン、にっぽん、にほん、ハポン、ジパング

    ・・・まあ、いろいろあるんでしょうね・・・

 

    昔の日本の地理の教科書に、「奴隷海岸」という国名が

    ありましたが、それは今は「ベナン共和国」ですもんね・・

    昔の世界地図は、ヨーロッパ人が勝手につけた名前で

    作られていたんですねえ・・・

    今もまだ、そういう国名、地名が残っているんでしょうが・・

 

 

    こちらにそのスパイス・アイランズの記事があります:    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AB%E8%AB%B8%E5%B3%B6

 

    「モルッカ諸島(Molucca)またはマルク諸島(インドネシア語

     :Kepulauan Maluku)は、インドネシア共和国のセラム海と

     バンダ海に分布する群島。 スラウェシ島の東、ニューギニア島

     の西、ティモール島の北に位置する。 歴史的に「香料諸島

  (Spice Islands)」として特に西洋人や中国人の間で有名であった。」

 

 

 http://www.geocities.jp/indah6148/style/spice.html

 

    「インドネシアに、古くからスパイス・アイランズ(香料諸島 

 Spice islands)と呼ばれてきたモルッカ諸島 (Molucca Islands)

    あります。」

    「モルッカ諸島はインドネシアでは、マルク諸島 (Maluku Islands)

     と呼ばれます。 マルク諸島は全体で約1,000の島々で構成され、

     人口は約186万人 (1990) です。」

 

    「1600年代を中心に、マルク諸島ではスパイスの権益をめぐり、

     マルク諸島の住民を巻き込んで、ポルトガル、スペイン、

     オランダ、イギリスがこの地で抗争を繰り返しました。 それら

     の抗争は、スパイス戦争(Spice wars)と呼ばれます。 従って、

     マルク諸島でのスパイスの歴史は、多くの島民、西欧人、そして

     日本人の血が流れた歴史でもあります。」

 

=== 日本人もこの「スパイス戦争」にからんでいたんですね.

    上のサイトには、フランシスコ・ザビエルのことも書いてあります.

    日本に来る前にここに立ち寄っているようです・・・

 

 

p76

― 1513年、マゼランがマラッカで手に入れたマレーの奴隷エンリケ

  を伴って、マゼランはリスボンに帰った.  その後、彼は、アフリカ

  のムーア人に対するポルトガルの軍事作戦に参加した.

  この作戦中に、彼は敵の槍に刺され、左ひざを負傷した. これによって

  マゼランはその後一生、足をひきずることとなった.

 

 

=== ムーア人とは:

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2%E4%BA%BA

    「ムーア人(英: Moors)は、北西アフリカのイスラム教教徒の

     呼称。主にベルベル人を指して用いられる。」

    「ローマ時代に北西アフリカの住民(ベルベル人)をマウハリムと

     呼んだことに由来する。マウハリムはフェニキア人の言葉で

    「西国の人」を意味する[要出典]

 7世紀以降には北アフリカのイスラム化が進み、イベリア半島に

     定着したアラブ人やベルベル人は原住民からモロと呼ばれるよう

     になる。次第にモロはアラブ、ベルベル、トルコを問わずイスラム

     教徒一般を指す呼称となり、レコンキスタ以降は再び北西アフリカ

     の異教徒住民を指すようなる。」

 

     ・・・なるほど、フィリピンの「モロ民族解放戦線」ってのは

     ここに語源があるんですね・・・Moro National Liberation Front

 http://www.moj.go.jp/ITH/organizations/ES_E-asia_oce/MNLF.html

 

 

― 恩知らずのポルトガル王

 

=== この辺りの文章は、マゼランが戦争から戻ったのに、王様から

    それなりの見返りをもらえず、西回りでスパイス諸島へ行く

    ルートの開拓にも理解を示さなかったことなどが書かれている

    んですが、歴史の教科書というより、なんだか偉人伝みたいな

    内容ですね・・詳しく自分でお読みください・・・・

    このあたりはスキップします・・・

 

 

― マゼラン、スペインへ行く

 

  ポルトガル王に愛想をつかして、マゼランはポルトガルの市民権を

  放棄して、スペインへ向かった.

  セビリアで、彼は、他のポルトガル人に会った. 彼は、Diego

 Barbosaといい、マゼランの父の古い友人であった.

  マゼランは、Barbosaの息子、もう一人の経験のある海洋探検家

  である Duarte、と仲良くなり、Barbosaの奇麗な娘 Beatriz

  結婚した・・・

 

p77

 

― 彼の義理の父と他の影響力を持つ友達の仲介で、マゼランは

  スペイン・バリャドリドにあるチャールズ一世の宮廷に出向く

  ことができた. そして、彼は、モルッカ諸島への新しい航路

  を探すという大胆な冒険を提案した.

 

 

=== そして、この後には、

    「艦隊と乗員」、「航海の始まり」、「船員の反乱」など

     が書いてありまして、

 

    - 1519年8月10日にセビリアを出航、

      11月29日に南アメリカ、ブラジルのParnambuco

      到達したとあります.

 

p78

 

=== このページでは、マゼランの航海の模様が詳しく続きます.

 

    - 「マゼラン海峡の発見」 1520年10月21日

 

    - 「太平洋横断」 3か月と20日間の太平洋横断

 

    - 「グアムのマゼラン」 1521年3月6日に到着

 

    そして、やっと、「フィリピンの再発見」に辿り着きます.

 

 

=== シリーズ27に続く === 

 

 

| | コメント (0)

2014年3月20日 (木)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 25  スペイン時代のフィリピン/マゼラン登場

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

 

5 WESTERN DISCOVERY AND CONQUEST  第五章 西欧による発見と征服

 

 

さて、いよいよ、フィリピンの歴史、記録に残るフィリピンの歴史が

始まります….

スペインによる記録をフィリピンの教科書がどのように学校で教えて

いるのか、その点に注目しながら、読んでいきたいと思います.

 

 

p75

 

― マゼランが生まれるずっと前から、フィリピンには、我々の先祖が

  住んでいました.  1521年にマゼランがフィリピンの海岸に

  やってきたことは、西洋人にとっては「発見」でしたが、

  フィリピン人にとっては、再発見以上のものでした.

 

 

― ヨーロッパ人のアジアとの交易

 

  有史以前の時から、アジアの製品、とりわけ絹や香辛料は、

  いくつかの隊商や海上ルートを通じて、ヨーロッパの市場への

  道を見つけ出していました.  東洋は、その頃、ヨーロッパ人に

  とっては、不可思議な地域であって、彼らは、アジアのわくわくする

  ような財宝の驚くべき物語によってかき回されていました.

  その物語というのは、十字軍や中世の旅行者 - マルコ・ポーロ、

 Plano Carpinoのジョン神父、Rubruckのウィリアム神父、Perdenoni

  オドリック神父や Giovanni Marignolli神父によって語られたもの

  でした.

 

 

― 地理学的な発見と探検

 

  コンスタンチノープルの陥落(1453年)とオスマン・トルコの

  興隆により、従来の東洋への交易ルートは閉ざされ; これにより

  ヨーロッパの冒険的な海洋探検家が、海を渡る新しいルートを

  開拓し始めました.

 

=== オスマン・トルコについては、こちらでどうぞ:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD

 

  オスマン帝国は、後世の歴史伝承において始祖オスマン1世が

  アナトリア(小アジア)西北部に勢力を確立し新政権の王位に

  ついたとされる1299年を建国年とするのが通例であり、帝制が

  廃止されてメフメト6世が廃位された1922年が滅亡年とされる。

  もっとも、オスマン朝の初期時代については同時代の史料に乏しく、

  史実と伝説が渾然としているので、正確な建国年を特定することは

  難しい[4]

 

=== コンスタンチノープルについては、こちら:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AB%E3%81%AE%E9%99%A5%E8%90%BD

 

  コンスタンティノープルの陥落(コンスタンティノープルのかんらく)

  とは、1453529日、オスマン帝国のメフメト2世によって

  東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブル)が

  陥落した事件である。この事件により東ローマ帝国は滅亡、古代から

  のローマ帝国は最終的に滅亡した[1]

 

 

― ポルトガルとスペインは、地理学的発見において、他のヨーロッパ

  諸国を凌駕していました.  海洋探検家であるヘンリー王子の

  見事なまでのリーダーシップによって、ポルトガルの船長たちは

  新しい土地を次々に発見しました.

  1441年に、Antonio Gonzalvezは アフリカのCape Blancoを廻り、

  最初の黒人奴隷をヨーロッパにもたらしました; ・・・・・

  ・・・1498年に バスコ・ダ・ガマ は、ケープを廻って、

  インドのカルカッタに到達し、東洋への東回りルートを開きました.

 

 

― スペインは、ポルトガルに負けることなく、海運の名誉を獲得し

  ました.  1492年10月12日に、コロンブスはスペインの

  為に、アメリカを発見しました.

  コロンブスの航海は、新しい栄光の高みへとスペインを引き上げ

  ました. 1499年から1503年までの間、Amerigo Vespucci

  は、スペインの為に、新世界を開拓したのです.

  アメリカという名前は彼の名前をとって名付けられたものです.

  1513年9月25日には、Balboaが太平洋を発見し、

  「南の海」と呼びました.

 

 

=== おおおお、これは知らなかった・・・

    アメリカという大陸名は、アメリゴ・ヴェスプッチさんの名前を

    もらったもんだったんですか・・・・

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%83%E3%83%81

 

    「アメリゴ・ヴェスプッチ (: Amerigo Vespucci145439 

 - 1512222) は、アメリカ州を探検したイタリアの探検家

    にして地理学者。フィレンツェ生まれ。」

 

    ・・・しかし、スペイン人じゃなくて、イタリア人だったん

    ですね・・・・

 

 

    「1507年、南ドイツの地理学者マルティーン・ヴァルトゼー

     ミュラーがアメリゴの『新世界』を収録した『世界誌入門』

    (Cosmographiae Introductio)を出版した。その付録の世界地図に

     アメリゴのラテン語名アメリクス・ウェスプキウス (Americus

  Vespucius) の女性形からこの新大陸にアメリカという名前が

     付けた。これがアメリカ大陸という名を用いた最初の例となった。

 

 

・・・・なるほどねえ~~.

日本の世界史の教科書には、こういう話は出てくるのかな?

 

なかなか面白くなってきましたね・・・・

 

ところで、「日本」とか、「日本海」って誰が最初に名付けたんですかね?

 

 

 

=== シリーズ26へ続く ===

 

 

| | コメント (0)

2014年3月19日 (水)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ - 17~19の授業 酔っ払いは柱に縛り付ける

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・・

 

教授への質問に答えてもらった内容など・・・

 

p63からの部分の授業です・・・・

― 衣服やアクセサリーについて、かなり贅沢なものが書かれて

 いるが、これはどういう階層なのか・・・

これは貴族階層だけの話である. 

 

― 刺青に対するフィリピン人の人たちの感覚はどのようなものか?

フィリピンでは、刺青というと、大きく言えば4つの区分ができる.

1- 山岳民族などの伝統的な刺青

2- 犯罪者が刑務所などで彫った刺青

3- 日本のヤクザ

4- 若者がやっているアートとしての刺青

 

1は、男の場合は、戦争で敵を殺した際の勲章みたいなもので、

  敵の家、部族などのシンボルを彫る.

  ボントック族やイフガオ族の刺青が有名.

  男女を問わずある刺青は、裕福であることを示したり、

  どの家の家族であるかを示すデザインになっている.

2は、犯罪者のグループや個人の名前を彫ることが多い.

  又、キリストの像などを彫っているのは犯罪者なので注意を

  要する.

 

3は、もちろん日本のヤクザの刺青だが、マニラなどに逃亡した

  後に、フィリピン人女性と結婚するなどして、地方に住み、

  そこでお金をばら撒いたりするので、怖い存在とはあまり

  思われていない.

  ちなみに、Yakuza という言葉に対して、それをもじった Takuza 

  という言葉がある・・これは、 takot sa asawa 恐妻家という

  意味の言葉である.

4は、バギオのお祭りなどの時にも見られるように、

  あとで消すことが出来る、自然に消える刺青がある.

 HENNA TATOOと言われるものがその例.

 http://henna.st/tattoo.htm

  本物の刺青は、子供たちに許さない親が多い.

 

p64

― 「礼儀として二人はPutong(ターバン)を脱いだ」という

  文章があるが、これは不自然じゃないか?

 

ターバンと書いてあるが、これは、荷物を頭に載せたりするときに

使われる頭にのせたクッションのようなものである.

よって、すぐに外せる・・・

 

― 男が女の後ろを歩く慣習があると書いてあるが、

  これは本当に女性に対する尊敬の表れなのか?

 

結婚前に好きな女性に対しては、確かにそのようにするが、

結婚後に女が前を歩くというのは、主人である男の「露払い」みたいな

ものであって、女に対する尊敬というようなものではない.

実際に、女はいろいろな物を持って前を歩き、男は何も持たずに、

お金だけを持って、後ろを歩くのである. 「俺が殿様だ」という感じ.

 

― 「髪の毛をgogoと水で定期的に洗った」と書いてあるが、

  このgogoとは何か・・・

Gogoというのは、ココナツの木の幹の部分を短冊状に切って乾かしたものである. 髪の毛を洗う時に、それを水でもどし、絞ると、ココナツミルクのような液体がしぼりだされる.

これをつけて洗うと、髪の毛が滑らかになる.

 

― この教科書には、古代のフィリピンの歴史であるのに、

  まるで見てきたように古代フィリピン人の気質、性格、習慣、

  国民性みたいなものを書いてあるが、歴史の教科書としては

  違和感を感じる・・・・

元々、フィリピンの教育の中では、歴史と社会研究を分けて教えるという考えはなく、Social Studiesの中に歴史と社会研究の二つがあるという位置づけである.

 

p64

― 「家族の生活」のところで、「母親は、子供たちに名付ける特権を

  持っていた」とあるが、これは現在でもそうなのか?

 

現在は、若い両親が相談して決めている.

しかし、2~3世代前、教授自身が子供だったころには、まだそういう

慣習が残っていた.

カトリックのカレンダーには、毎日の暦に、聖者の名前が書いてあって、

赤ちゃんが生まれたその日の聖者の名前をつけることが多い.

 

― フィリピンは母系社会なのか父系社会なのか?

 

昔は、兄弟姉妹の内の末っ子が、親の家を継いだ.

今は、土地などを含め、兄弟姉妹が等しく分割するので、いつのまにか

財産がなくなってしまう.

ちなみに、昔は8人兄弟姉妹は少ない方で、十数人、二十人というのが

普通だった.

大きな家に子供の人数分の部屋が作られ、それぞれの子供がその部屋で家族を持つ形であったので、一軒の家に大家族が出来た.

 

― フィリピン人の友達に聞くと、「いとこ」と呼ばれる人たちが

  めちゃくちゃ多いように思うが、これはどういうことか?

 

フィリピンの場合は、親の兄弟姉妹の子供の間が「いとこ」である以外に、親の兄弟姉妹の結婚した相手の兄弟姉妹の子供まで含めての広い「いとこ」までを指している.. Extended Family(拡大家族)と呼んで、家族のイベントがあるときには、この大家族が集まったりする.

 

p65

― 貴族のことを MAHARLIKASと呼んだとあるが、バギオ市の中心部

  にある MAHARLIKAビルというのはどういう意味か?

 

同じ意味で、「高い階級のビル」「高貴なビル」という意味である.  ちなみに、あのビルは、計画段階では二十数階建てになる予定だった.

 

 

― 貴族と自由人の間で、階級の入れ替わりも可能で、かなり

  自由な制度のように思えるが、本当にそうだったのか?

 

実際にはそんなことはなく、貴族と自由人の間、自由人と奴隷の間の

格差はかなり大きかったと思われる.

 

― 奴隷は ALIPINと呼ばれていたとあるが、バギオ市選出の

  国会議員の ALIPING氏の名前は 昔奴隷だった家系というような

  関連があるのか?

 

それは全く違う. 「G」が最後についている.

国会議員の氏は 元々は ALIPINGという名前だったと考えられる.

この「-」が付いているのは、元々が台湾系の山岳民族と同じであると

考えられている. マウンテン州のボントックなどに多い.

「-」が名前についていると、山岳民族だとすぐに分かって、

マニラなどのフィリピン人に蔑まれるという事情などもあり、

名前から「-」を外すことが多くなった.

通常は、「-」でつないだ前後の名前は、父と母の名前になっている.

ところで、国会議員の名前としては、この名前は悪くない・・・

「奴隷のごとく国民の為に働きます」という意味にできる.

つまり「公僕」ということになる.

 

― 奴隷の種類に alipin namamahay と alipin saguiguilid の二つ 

  があると書いてあるが、この意味は?

 

前者の namamahayは、「家付き」という意味で、

後者のsaguiguilidは、「どこにでも」=「家がない」という意味である.

 

 

p65

― 「女たちは男と同等であると認め」とあるが、

  これは本当だったのか?

 

これは上流階級の中だけの話である. 

 

― 文学などに使われたKAWI語(カウイ語)というのがあったと

  資料にあったが、これはフィリピン語と関連があるのか?

 

ミンダナオあたりの言語と似ている. 

 

― 娯楽のところに、「我を忘れるほどに酔うことはなかった」

  などと書いてあるが、現在のバギオ市周辺、山岳地帯での酒の席

  でのエチケットはどんなものがあるのか・・・

 

元々、酒の席というのは、村の祭りなどの時に用意されるもので、

ひとつの杯を廻して飲むものであるから、そんなに我を忘れるほど

には飲まない.

部族間の争いがある時などは、両者の首長同士が酒を酌み交わして、腹蔵なく言いたいことを話し合うようにしていた.

家族の中から、人に迷惑をかけるような飲み方をする者がでる

場合は、最初から飲ませないようにしたり、あるいは、

そろそろこいつは暴れそうだという時には、柱にしばりつけて動けないようにしたり、奇声を発するような者は、家の中に閉じ込めたりした.

 

===まあ、おそらく、フィリピンは大家族なんで、

   兄弟がちゃんと始末をつけるんでしょうね..

   「お兄ちゃん、もういい加減にしときなさい!」とかね.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2014年3月18日 (火)

コスプレは文化か? はたまた 風俗か??  バギオの事情・・

まあ、日本人のフツーの感覚なら、日本では コスプレは「フーゾク」って感覚なんでしょうね

私自身も、日本にいたら、そういう感覚なんで、おそらくコスプレに興味を持ったりはしなかっただろうと思うんです・・・

A_japan_fusion_by_kk_011

バギオで JAP FUSION (日本フュージョン)なるイベントが開かれたんです・・

この JAP っていう言い方も、ひじょ~~~に抵抗感があるんですけど、 この主催者は、バギオ大学の公認にコスプレ・サークルでして、日本文化「命」みたいな大学生の集まりですから・・・・時代は変わったんですね・・・・

C_japan_fusion_by_kk_020

会場は、中心に、こんな舞台が出来まして・・・・

この会場は、バギオの中心、目抜き通りのセッション通りに面していて、Puso Ng Baguioというビルなんですが、この持ち主は バギオ大聖堂、つまりキリスト教の教会なんですね

それで、主催者のリーダーに、

「ここのレンタル料はいくらなの?」

って、まあ、ダイレクトに聞くと、

「5,000ペソなんですよ・・・

何も売らなければ、只で貸してもらえるんですけど、やっぱりいろいろブースで売りたいじゃないですか・・・」

「5千ペソかあ・・・やっぱり高いなあ・・・」

「それに、教会が持ち主なので、いろいろと規則がうるさくて・・・

変な事はやっちゃいけないとか、売るものは このビルの店舗で売っているようなものとバッティングしちゃいけなくて、ユニークなものでないといけないとか・・・・」

B_japan_fusion_by_kk_001

・・・まあ、なんだかんだ言いながら、この会場が決まり、日程が決まるまでにも、二転三転がありましたからねえ・・・・

やっと、ここに決まって、イベント前日7pmには、20名ほどの大学生たちが集まって、準備が始まっていました・・・・

B_japan_fusion_by_kk_014

こんな、手作りのゲーム版があったり・・・・

B_japan_fusion_by_kk_016

自作の漫画を売ったり・・・・

B_japan_fusion_by_kk_024

マニラ辺りで仕入れてきた 日本のアニメや漫画の関連グッズのブースだったり・・

B_japan_fusion_by_kk_041

コスプレーヤーたちの 撮影コーナーだったり・・・・

B_japan_fusion_by_kk_052

手作りの、だんご、どら焼き、カキ氷屋さんだったり・・・・

B_japan_fusion_by_kk_009

・・・で、とりあえず、北ルソン日本人会(JANL)は、

「是非 何かを出してくれませんか?」

というご招待があって、こういう準備をやりまして・・・・

A_japan_fusion_by_kk_044

浮世絵の塗り絵のブースを出すことになったんです・・・・

A_japan_fusion_by_kk_048

・・・はっきり、正直に言って、

「この地味なブースに、お客は来ないだろうなあ~~~」

って思ってたんですよ・・・

10席も椅子を用意したって、まあ、ポツリポツリと2~3人来てくれたら

御の字だなってね・・・・

E_japan_fusion_by_kk_037

・・・なんのなんの・・・とんでもない見込み違いでした・・・・

E_japan_fusion_by_kk_047

朝10時に開場だったんですけど、10:30amには、もう満席・・・・

E_japan_fusion_by_kk_082

次から次にお客さんが来ちゃって・・・・

英語留学中の日本人の人たちにボランティアに来てもらって、助かりましたよ・・・

E_japan_fusion_by_kk_090

若い子たちも、おじさんも、男の子も、女の子も・・・・

まあ、興味を持ってくれているんですねえ・・・・・

E_japan_fusion_by_kk_061

・・・もっとも、浮世絵ばっかりじゃ、どうかな・・・って気もあったんで、

こういうのもありですけどね・・・・

これじゃあ、椅子にも座れんなってことで、ランチタイムは・・・・

Japan_fusion_by_kk_084

・・・これ、行かせていただきまして・・・ちょっと休憩・・・・

C_japan_fusion_by_kk_050

会場では、コスプレだったり、ロリータ・ファッションだったり、浴衣姿だったり、賑やかでした・・・

C_japan_fusion_by_kk_107

それをお目当てのカメラマンがぎっしり・・・・・

C_japan_fusion_by_kk_128

このファッションショーですけどね・・・

やっぱり、フィリピンの人たちって、こういうのが好きなんですね・・・

途中で笑っちゃったんですけど、このファッションショーのモデルの女の子たちを紹介するアナウンスが、夜のフーゾク系のお店の それにそっくりだったんですねえ・・・

フィリピンじゃあ、小学校の時から、パレード大好きで、バンドの音楽に合わせて、いろんな衣装で、腰をふったりして踊ってますからねえ・・・

まさに、海外でエンターテイナーをやるために、小学校からその訓練をやっているようなもんなんですねえ・・・

少なくとも、同じことを日本でやったとしても、

あんなに小さい子供たちに、あんな腰の振り方はさせませんねえ・・笑

小学校の子供たちですよ・・・・

だから、文化なんですね・・・

日本人の感覚とは やっぱりそこが違う・・・・

C_japan_fusion_by_kk_145

ある日本人女性が言ったんです・・・

「友達を一緒に連れてくるのに、コスプレのイベントだって言えなかったんですよ 日本だったら、コスプレって 凄くオタクだから、普通の人は 引いちゃうじゃないですか・・・」

・・・はい、確かに、日本だったら 引いちゃうと思います・・・

私みたいな、元々の堅物は、特にそうです・・・

日本だったら、絶対興味は持たなかったと思いますよ・・・

でも、ここはフィリピンなんですねえ・・・

・・・

去年、日本に一時帰国したときに、秋葉原でコスプレの人がいないかなって、写真を撮りにいったんですけど・・・・

あれは、ほとんどがフーゾク系ですね・・・

写真を撮ろうとすると、顔を隠すんですねえ・・・

バギオじゃ違いますよ・・・

「撮ってちょうだ~~い」

って感じで、ポーズをしてくれますからね・・・

まさに、「健康的」なコスプレです・・・

なんたって、大学公認のコスプレ・サークルですから・・・

C_japan_fusion_by_kk_154

・・・もちろん、こういうコスプレ・ブームを、フィリピンの夜のお店も取り入れているとは思うんですが、日本のような「暗さ」はないと思います・・・

それは、やっぱり フィリピン人の明るい国民性からくるのかもしれませんが・・・

E_japan_fusion_by_kk_165

・・さて、浮世絵のブースも、5pmを迎えるころ・・・

そろそろ、店じまいを始めようというころに、このコスプレの二人が塗り絵に来てくれました・・・

この右のコスプレ美女ですが・・・

グループの中でもリーダー挌の一人で、

先のバギオ・フラワー・フェスティバルの折の コスプレ・パレードでは、

「あんた達! だらだら歩かないで、ちゃんと整列して歩きなさいよ!!」

などと100人ぐらいもいたコスプレの連中に 激 を飛ばしていましたからねえ・・

かなり気合の入った女性です・・・

彼らの、想像力、創造力、企画力、運営力には、いつも感心するばかりです・・・

・・・

そして、日本文化をここまでリスペクトしてくれるフィリピンの若者たちに

頭を下げたい気持ちです・・・・

===============

ところで、このイベントの 「表」 情報は、こちらのサイトでどうぞ:

http://janl.exblog.jp/19580765/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

« 2014年3月9日 - 2014年3月15日 | トップページ | 2014年3月23日 - 2014年3月29日 »