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2014年4月11日 (金)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 29 歴史は記録する者によって変わる?

 

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

 

5 WESTERN DISCOVERY AND CONQUEST  第五章 西欧による発見と征服

 

 

 

・・・さて、8回目の授業の中で、教授から教えてもらったんですが、

この教科書の一部に 四角く線で囲われた記事があるんです・・・

この四角で囲われた部分は、著者以外の研究者などによるものらしくて、

内容的には、この著者とは異なる意見もあるとか・・・

・・・しかし、その記事がだれの記事なのか、出所はどこなのか

などについては、書いてないんですねえ・・

 

それが、p80、p81、p82にありますので、その部分を翻訳

してみましょう・・・・

 

 

p80

 

― 最初の王国の重要性

 

1521年にスペインの探検隊がミンダナオ島にやって来たのは

重要なことである. それは、これらの島々で初めてキリスト教徒の

ミサが行われたとして記録されたからと言うだけではなく、

これが、白人の植民地者が遭遇した最初のフィリピンの王国で

あったからである.

 

初期のスペインの年代記編者たちは、スペインが来る前の

古代のフィリピンには、「王国」あるいは「王国群」があったことを 

否定しようとしていたのである.

これは彼らの偏見で、その当時の文明世界にとって、王国とか

君主国というのは統治のあるべき姿だったからである.

君主制を持つというのは、高いレベルの文明の表れであった.

そして、先入観のあるスペイン人にしてみれば、スペイン人が入る

までは、低い段階の文明であったとして、スペイン時代前の

フィリピン人を塗りつぶしたかったのである.

 

しかし、1521年にミンダナオ島マサオにマゼランが上陸した時、

彼は西欧の植民地者を歓迎した最初のフィリピン人住民に会った

のである.  この古代の王国には豊かな黄金、植物、そして動物の

生活があった. そこでは、稲作が行われ、深い森林と湿地、

豊かな交易のコミュニティー、それに立派な停泊地もあったのだ.

マサオ王国は、セブ王国に次ぐ影響力のある王国だと言われていた.

 

 

=== つまり、スペインとしては、この島々に住んでいる

    住民は文明度の低い野蛮人であるから、そこに文明を

    もたらしてあげたのだ・・と記録したかったってこと

    なんでしょうね・・・

    そして、実際に、スペイン時代にそれまでの歴史が

    すべて消し去られることになったようです・・・

 

 

p81

 

― 最初の王国は、どこにあったのか・・・マサオかリマサワか?

 

1521年にマゼランが訪問した最初の王国、そして、フィリピンで

行われた記録上最初のミサがどこであったのかと言うのは、

スペイン時代からずっと論争の的になっている.

1872年に、スペイン人の地域の統治者が、マガラネス、それに

ブテゥアンの中心に大理石の記念碑を建て、マゼランの到着と

最初のミサがあったことを祝った.

一方で、1958年には、国家歴史委員会が、同じことを祝って、 

リマサワ島のマガラネス村に歴史の記念碑を設置した.

 

・・・・

 

リマサワと言うよりもマサオであるという証拠は以下の通りである:

 

.  場所の名前.

  すべての一次資料において、マゼランの航海の年代記編者である

  アントニオ・ピガフェッタの日記を含めて、場所名は3音節で

  あり -MASAO― あるいはそれに近いものであった.

 Limasawaは4音節であり、異なる文字で始まっている.

 

.  ホモンホンからのルート

  再度一次記録によれば、探検隊はホモンホンから20から25

  リーグの距離を移動している.  ホモンホンは最初の上陸地点

  であり、最初のミサが行われた場所へ、西南西へコースを取った.

  もし彼らがリマサワ島にいたとするならば、その距離は

  ほんの14.6リーグにしかならず、距離が半分となる.

  さらに、リマサワ島はホモンホンからはレイテ島の先端によって

  遮られている.

 

. 緯度による位置 -省略―

 

. セブへのルート -省略―

 

. 地理的な特徴 -省略―

 

 (1)-省略―

 (2)The Balanghai: バランガイは最初の王国に滞在した話の

    有名な特徴であった. 王があるバランガイの中の彼らの船に

    やって来たと言われている、そして、ピガフェッタと彼の

    仲間が、その土地の王とともに、バランガイという儀式の

    集まりに参加した. 

 Butuanは、現在、少なくとも9つの発掘されたバランガイの

    遺跡のサイトである;  これとは反対に、Limasawaには

    顕著な考古学上の遺跡あるいはバランガイの言い伝えはない.

 (3)-省略―

 (4)豊かな黄金: 西欧の探検隊は、マサオとブトゥアンの

    黄金の豊かさに驚いている. ・・・しかし、リマサワに

    黄金はない. ・・・・

 (5)進んでいた定住地: ・・・・マサオの王は、ビサヤや

    ミンダナオの貴族の中で、高い威光を持っており、

    彼らに対して大きな影響力を及ぼしていた.

    その力は、彼がマゼランを紹介したセブの王に匹敵して

    いた.  ・・・

    ブトゥアンは、東南アジアの主要な交易および国際商業

    の中心地であり、ボルネオからの樟脳、モルッカ諸島の

    マルク人の香料、そして、風変りな鳥のようなものを

    扱っていた・・・

 

 

=== これはどういう意味か? A poor cousin of the Warays

  http://en.wikipedia.org/wiki/Waray_people

The Waray are an ethno-liguistic group of people geographically inhabiting

 in the islands of Samar, Leyte and Biliran - commonly referred to as the

Eastern Visayas region of the Philippines.

 

The Warays are descendants of the Austronesian-speaking immigrants who

 came to the Philippines during the Iron Age. In 1521, the Warays were the

 first Filipinos to be sighted by Europeans under the leadership of Ferdinand

Magellan.

 

=== 「一方で、1958年には、国家歴史委員会が、同じことを

     祝って、リマサワ島のマガラネス村に歴史の記念碑を

     設置した.

     と言うのが、何を根拠にそんなことになったのか、

     そっちの方が知りたくなっちゃいますよねえ・・・

     もしかして、政治力???

 

 

=== 上記 5(2)の翻訳が間違っていました.

      第10回の授業で判明:

先の翻訳は間違っている.

正しくは次の通りである:

 

「王が舟にのって、彼ら(スペイン人)の船にやってきた. そして、

ピガフェッタと彼の仲間が、その土地の王とともに、儀式の舟に

乗り、集まりに参加した.

=== シリーズ30へ続きます===

 

 

 

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2014年4月 9日 (水)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ- 22-23 第8回目の授業 バギオ心霊療法の真偽

 

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・・

 

 

教授への質問に答えてもらった内容など・・・

 

 

シリーズ22の授業

 

p69

 

― 宗教

 

  古代のフィリピン人の宗教は非キリスト教(無宗教、多神教)と

  書いてあるが、PAGANとはどのような意味か?

  (辞書によれば、異教徒、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教徒以外

   の多少なりともいかがわしと考えられる宗教の信徒を指す.

   多神教徒、汎神教徒、無神論者など)

 

PAGANとは自然宗教のようなものの信者を言う.

無宗教の場合は ATHEISTと言う. (辞書では、無神論者、不信心者)

タガログ語では、Bathala, Diyos, Pangnoonなどと言う

 

スペイン時代の前には、毎朝・毎夕、太陽を拝む慣習があった

今は、日本人のように初日の出を拝むようなこともない

 

 

― FAITH HEALER フェイス・ヒーラーや HILOT ヒロットなどは

  宗教との関連では、どのように位置づけられているのか?

 

FAITH HEALERは、元々、スペイン時代のキリスト教の信仰を元に

現れた信仰心を前提に病を癒す行為である

フィリピンの伝統的なものではない.

ヒロットとも別ものである.

 

 

HILOT、今現在は、政府にも認められた伝統的助産婦の仕事で

ヒロットとよばれる伝統的なマッサージをする仕事であるが

元々は、フィリピンの伝統的な特殊な能力を神から与えられた者

の意味であった.

 

教授が小さい子供だった頃に、母親の伯母さんがヒロットであって、

その伯母さんの知人の女性が、ある大木を守っていた霊能者のような

女性であった.

ある日、その霊能者が伯母さんに「XXXちゃんが病気だから

行ってあげなさい」と言うので、やって来たら、本当にその

XXXちゃんが高熱を出していて、ヒロットの伯母さんはそれを

治してあげたそうだ・・・そのXXXちゃんというのは教授のことだった.

 

昔の本物のHILOTは、治療をしても、お金を取るようなことはなかった.

お金を取ると、その神から与えられた能力がなくなるという話.

だから、お金ではなく、食事などでお礼をしていた.

 

 

MANGGAGAMOT (マンガガモット)とは、伝統的な薬剤師

ことである・・・

この言葉は 「薬を与える人」という意味である.

フィリピンの様々な植物を使って、薬として使う人である.

中国の漢方とは別物であって、効果はある程度民間治療として

認められているが、政府機関のBFAD 食品・薬品局には

公式には認められていない.

尚、BFADは 漢方も正式の医薬品としては認めていない.

従って、フィリピンの薬局には漢方薬は売っていない.

しかし、マニラのキアポ教会の近くの店には売っている.

また、バギオ市でも一部の店で売っている.

 

 

― MEDIUM 霊媒師のような人はどのような位置づけなのか・・・

 

亡くなった人、先祖の霊などと話ができる人のことは

ESPIRITISTAと呼ばれているが、スペイン時代は霊媒師のような

行為は認められていなかったので、牢屋に入れられていた.

 

 

=== バギオ市は心霊治療で有名だが、どんな人が有名なのか?

 

心霊治療を施す人たちは、FAITH HEALERと呼ばれているが、

本物は少なく、FAKE HEALER(偽物ヒーラー)などと揶揄される.

 

バギオ市で本物の心霊治療者・施術者とされていたのは、

1950年代の AGPAOAという人で、バギオのドミニカン・ヒルに

あった ディプロマット・ホテルで治療をやっていた.

アメリカやドイツなどから多くの患者がやって来た.

 

そのアシスタントが4名いたが、その中の一人がジュン・ラボ

あり、その後4名がそれぞれ独立して治療をしていたが、

これら4名は FAKE HEALERと噂されていた.

ジュン・ラボは一時期 バギオ市長もなった人物であるが、

ロシアで「いんちき治療を行った」として収監されたことがある.

 

 

 

 

 

p69

 

― 埋葬と喪

  古代エジプトのように、防腐処理をされて、奴隷なども一緒に

  埋葬したとあるが、 現在の埋葬の仕方はどうなのか?

 

奴隷なども一緒に埋葬というのは、そのような発掘の証拠がない

ので、信じられない.

 

現在の防腐処理は、例えば正午に死んだ場合は、6~8時間後

には、EMBALMING防腐処理が施される.

 

ENは塗る、BALMは油のことであるので、オイルを塗るという意味.

これが防腐処理ということになった.

 

タイガー・バームのBALMも同じオイルのこと.

 

葬式には、クライヤー CRIERという仕事がある.

いわゆる「泣き女」のことである.

元々中国の慣習かという話もあるが、そうではないらしい.

フィリピン諸島に移住した中国人は、親戚が少なかったため、

地元のフィリピン人の葬式に比べて静かな葬式だったので、

地元の人たちの葬式の賑やかさに負けないようにということで

「泣き女」を使うようになったと言われている.

 

 

p70

 

― 迷信

  いわゆる黒魔術・白魔術と言われているものは何か?

 

BACK MAGIC 黒魔術はあるが、 WHITE MAGIC白魔術と言われるものは

ない・・・

 

MANGKUKULAMは英語ではWitchcraft魔術のことだが

今でも、魔女と言われる人たちが、サマール島やレイテ島の周辺に

居て、その呪術は信じられている.

 

これが黒魔術のことであるが、その呪術の出所を探し出したり、 

効力を止めたりするのが Herbolarcoと呼ばれているが

良い術をかけるわけではないので白魔術という言葉はない.

 

=== 関係するサイトはこちらです・・・

http://en.wikipilipinas.org/index.php?title=Albularyo

 

An albularyo' or hilot is a local medicine man or healer. The albularyo is

knowledgeable in the application of medicinal herbs to cure various illnesses

and their abilities are believed to be either spiritual or supernatural in origin.

 

An earlier Spanish term is herbolario which is related with cuandero and

mediquillo. The title refers to an albularyo's ever-present collection of herbs,

 which he uses to heal maladies. Dispite this, albularyo and hilot are usually

synonymous, even though hilot refers to a person who uses massage

techniques to heal.

 

 

日本語では、黒魔術=邪術であると書いてあります:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E8%A1%93

 

 

 

― 迷信のところに、「GAYUMA」という妙薬があると書いてあるが、

  本物だったら買ってみたい・・笑

 

いわゆる惚れ薬で、小さな瓶に入れた液体で売っている.

マニラのキアポ教会の近くや、アポ山、セブ島などでも売っている.

コーヒーなどに混ぜて、意中の相手に飲ませる.

今でも、割と信じられている迷信である.

 

 

 

シリーズ23の部分

p70

 

― 言語

  フィリピンの言語は「ひとつの言語を学べば、他の言語を

  知ることは比較的容易なことである」と書かれているが、

  フィリピンにはいくつの言語があるのか?

  また、それは方言といえるのか、異なる言語なのか?

 

教授は、この著者の意見には反対である.

フィリピンには157言語があり、例えばバギオの周辺の

カンカナイ語とイバロイ語は方言とするにはあまりにも 

異なる言語である.

 

 

― タガログ語をめちゃくちゃ褒めているが、本当にそんなに

  世界的にみて素晴らしい言語なのか・・・

 

教授は、この意見にも反対・・

多分 タガログ語が易しかったから そう言ったのであろう.

 

 

p71

 

― 文書

  ミンドロ島やパラワン島で、古代の文字を今でも使っていると

  書いてあるが、これは本当か?

 

これは違う・・・一部の人たちは読めるかもしれないが、

「使って」いるわけではない.

地元の言語、タガログ語や英語が教育され、使われている.

 

 

ちなみに、パラワン島の南の地域では、英語が達者な人たちが

多く、英語のコールセンターの会社が多い.

 

また、ミンダナオ島のサンボアンガ地域では、 

チャバカノ語という地元の言葉と、スペイン語が優勢である.

チャバカノ語はおよそ80%にスペイン語の影響がある.

これは、スペイン時代に、フィリピンの中の都市が、

マニラ、セブ、サンボアンガの順に大きい都市であった歴史が

関係している.

 

スペイン語の教育は、1985年に終わった・・・

 

 

― 教育

  パナイ島のBOTHOANというバランガイ学校はどんな

  学校だったのか?

 

学校と呼べるほどのものではない.

BOTHOANとは、賢人とか哲学者というくらいの意味の言葉で、

村の長老のような人のことを言う.

 

学校らしい学校は、スペイン時代になってからのことである.

 

 

=== いかさまな医療行為を含めて、フィリピンには様々な

    医療行為、まじない、迷信、お守り、魔除け、魔術などが

    あるのが分かりましたが、

    たとえば HILOTという言葉ひとつをとっても、

    聞く人によって その定義が微妙に違うことがあります.

    また、インターネットで関連を調べても、言葉の違いを

    しっかり、はっきりと区別して定義しているサイトも

    ないようです.

 

 

 

 

 

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バギオ市にどんな福祉施設があるんだろうと役所に尋ねたら・・・

ある日本篤志家の方にバギオ市での福祉の現状をお伝えしたくて、
バギオ市の社会福祉開発事務所と、フィリピンの国の出先機関である
社会福祉開発事務所に行ってみたんです・・・

「バギオ市周辺の孤児院はいくつぐらいあるんでしょうか?」

「バギオ市にはありません.」

「なぜ無いんでしょうか?」

「この地域は山岳民族の昔からの慣習で、伝統的に親をなくした子供たちは
その親戚が面倒をみるんですよ・・・

「それじゃあ、例えば心身障害児などの施設はどうでしょう・・」

「障害児や生れてすぐに捨てられたりした赤ちゃんなどの施設は数カ所ありますよ」

「その施設のリストみたいなのはありませんか?」

リストはありませんねえ・・・」

「国の社会福祉開発事務所に行けばありますかね?」

「はい、すぐこの裏にありますから、そこで聞いてください・・・」

・・・ってことで、国の事務所へ・・・・・

「ある日本の団体が、バギオ周辺で子供たちのための福祉団体を作りたいと
考えていらっしゃるので、その為の情報収集をしているんですが、
何か情報をまとめた年報のようなパンフレットはありませんか?」

「いいえ、そういうものはありませんが・・・」

「この地域で、社会福祉開発事務所がどのような活動をしているのかを
まとめた資料を一般の人に広報として印刷したりはしていないんですか?」

「はい、そういう印刷物はありません

「じゃあ、バギオ市周辺の子供たちのための施設のリストとか、
そういう施設にいる子供たちの人数とか、そういう情報をいただけませんか?」

「そういう情報なら バギオ市の社会福祉開発事務所からもらってください」

「今、その事務所から、国の事務所に行って聞いてくれと言われて来たんですけど・・」

「いや、そういう情報は、各自治体から上がってきたものをこちらでまとめている
だけですから、市の事務所の方が詳しいですよ・・・」

「いや、だから・・・バギオ市だけじゃなくって、隣町あたりの情報も欲しいので・・・」

「そういうことなら、正式のレターを書いて、バギオ市と隣町の役所に提出して
もらわないといけませんね・・・」

「・・・・・・・・・」

「ああ、このいただいた名刺だと、日系人会をご存じなんですね・・・」

「はい、日本人会の事務所はそこに置いていますから・・・」

「じゃあ・・・その日系人会の職員のXXXXさんに尋ねてみてください・・・
彼女はソーシャル・ワーカーですから・・・」

・・・・ってことで、いつもお世話になっている日系人会の事務所へ・・・

「こんにちは~~、 XXXXさん.  ソーシャル・ワーカーのお話を聞きたいんだけど・・」

「はい、なんですか?」

「んん~~もう、役所の連中は頭が固くてねえ・・・・ちょっと情報が知りたいだけ
なのに、正式の手紙を書けって言うんだよ・・・」

「あははは・・・なにを聞いたんですか?」

「実は、これこれ それそれ あれあれ・・で・・・・」

ああ、それだったら、このリストをみてください・・・」

・・・・なな・・・なんと!!
私が欲しいと思っていた福祉施設のリストではないの!!

「こういうのを欲しいと言ったのに、市も国もデータをくれないんだよ」

「あら、そうなの・・・それじゃ、これ見せない・・・あははは」

「迷惑を掛けちゃいけないから、必要なところだけ抜き書きさせて・・お願い・・」

「はい、いいですよ、どうぞ・・・」

このソーシャル・ワーカーの女性にいろいろ話を聞いてみたところ、
バギオ市、ベンゲット州などを含む、この山岳行政地域には、およそ100以上の
福祉関係の団体
があるらしいのですが、その中で活動を維持できているのは
半数以下の団体なんだそうです・・・

それも、ほとんどが、財政的には苦しく、海外を含めて様々なところからの
支援がないと継続できない状況にあるんだそうで・・・・

子供たちへの支援ということに関して話を聞いたところ、
バギオ周辺には数カ所の団体があるとのこと・・・

その内容は:
- 奨学金支援 - 被災による困窮家族の子供 
- 山岳民族関係の貧しい家庭の子供支援
- 心身障害児支援  - 犯罪や暴力を受けた子供の支援
- 捨て子
   - 盲学校  - 路上生活の子供支援

・・・・

「ところで、なんで XXXXさんを 国の社会福祉開発事務所の人が良く知っているの?」

「ああ、あそこの仕事もしているんですよ・・・」

「あらら、ダブル・インカムなの??  あははは」

「違いますよ、ボランティアでいろいろやっているんです」

・・・・・・

しかし、まあ・・・ やっぱり現場を知っている人は強いねえ・・・

役所の連中は、上がってくるデータを何に使っているんでしょうねえ・・・

それに、税金で飯を喰っている組織が、まとまった情報を
国民にフィードバックするという広報もやっていないって・・・どういうこと???

 

 

 

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2014年4月 7日 (月)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 28 そんなんでスペイン領になるわけ?

  

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

 

5 WESTERN DISCOVERY AND CONQUEST  第五章 西欧による発見と征服

 

 

p80

 

― フィリピンでの最初のミサ

 

1521年3月25日月曜日の午後、マゼランはホモンホンを離れた.

嵐のため、彼は南へ行かざるを得なかった. ミンダナオ島の北東

の先端に沿って、ブトゥアン湾へ向かった. そこには台風からの

避難場所があった. 聖木曜日の3月28日に、その船団は、アグサン・

デル・ノーテのブトゥアン・マサオに上陸した. そこは、肥沃な、

深い森に包まれた、裕福な王、ラハ・コランブと呼ばれる王に

支配されている山の多いの王国であった.

マゼランが到着したとき、コマンブは弟(または兄)と狩りをしていた.

その兄弟は、ラハ・シアグ(シアウイ)で、ブトゥアンの王であった.

 

コマンブはマゼランを歓迎した. 彼らは、1521年3月29日の

聖金曜日に、血の盟約を行い、新たな友好関係と兄弟関係の調印

をした.  これは我が国の年間記録における、血の盟約の初めての

記録である. 

 

復活祭の日曜日、1521年3月31日に、マサオの海岸で、ミサが

執り行われた. これが、フィリピンにおける最初のカトリックのミサ

である. これは、船団の宗教儀式係りの Pedro de Valderrama師に

よって司宰され、マゼラン、コランブ王、シアグ王、スペイン人の

航海者たちとフィリピン人が参加した.

 

 

=== さすがに、キリスト教の国フィリピンですね.

    フィリピンで最初に行われたミサというのがそんなに大事

    なんですね・・・逆に言えば、スペインによって書かれ、

    残された記録しかないから、こういう事を歴史のひとこま

    として教科書で教えるというのが必要なのかもしれません.

 

 

― 土地の占有

 

ミサの後、マゼランはマサオの人々を楽しませることをした.

それは、彼の探検隊の一番の剣客たちによる、ヨーロッパ式の

勝ち抜き戦での見事なステージ・ショーであった.

人々は、彼らの武器の扱いの技能に驚嘆した.

 

同日の日没時、マゼランは、スペイン人とフィリピン人が立ち会う

中で、海を見下ろす丘の上に大きな木の十字架を厳粛に立てた.

彼は、スペインの名のもとに、その土地の所有を行った.

彼は、その国を「Archipelago of St. Lazarus」(聖ラザラス群島)と

名付けた. 

 

 

=== Wikipediaをみると、フィリピンの国名については、

    いろんなことが書いてあって、大変そう・・・

http://en.wikipedia.org/wiki/Name_of_the_Philippines

 

こちらのサイトには、「マイ-イ」王国の名前がでてますが、

中国からの貿易商が好んでいた名前なんですね・・・

その意味は「黄金の土地」なんですねえ・・もしかしてジパング?

On the other hand, traders from China favored the name "Ma-yi", which

means "Land of Gold" as a name for our archipelago.

 In 1512, the islands were given the name "Archipelago of St. Lazarus"

 by Ferdinand Magellan because his group arrived on the islands during the

 Feast of St. Lazarus.

http://www.shvoong.com/humanities/1833713-origin-philippines/

 

 

=== なんか簡単に「ここは俺んちの土地」ってやったような

    書き方してますけど、これでここはスペインの土地だ

    ってことになっちゃったんですかね??

 

p81

 

― セブ島での最初のフィリピン人クリスチャン

 

マゼラン船団の者たちは、マサオの人々が稲を刈り取るのを手伝った.

収穫が終わり、コランブ王は船団をセブ島へ案内し、ラハ・フマボンの

王国を見せてまわった. 

マゼランは、1521年4月7日にセブ島に上陸し、同日に

フマボンと血の盟約を行った.

その当時、セブは既に東洋貿易の中継地であった.

マゼランは、そこで、シャムの商人に会っている.

 

 

=== シャムというのは今のタイですね.

    すでに、この地域は、王国があって、東南アジアのあちこちと

    貿易をしていたんですね・・・

 

    この頃、日本は何をやっていたかっていうと・・・・

    1512年: 対馬の宗氏、朝鮮との貿易協定

    1523年: 寧波の乱(にんぽーのらん・ねいはのらん)

       とは、1523年(明では嘉靖2年、日本では室町時代の

       大永3年)に、明の寧波において日本人が起した事件

       である。寧波争貢事件、明州の乱、宗設の乱とも。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%A7%E6%B3%A2%E3%81%AE%E4%B9%B1

       大内氏と細川氏が貿易で争っていたんですねえ・・

    1532年 畿内各地に一向一揆・法華一揆

    ・・・黒田官兵衛は1546年生まれだから、まだですね・・

 

 

===シリーズ29へ続く===

 

 

 

 

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