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2014年4月18日 (金)

Ubuntu ウブントゥ 誰かがいるから私がいる ボイド・バーティ氏の講演 TED

NHKのスーパー・プレゼンテーション TEDをたまたま見ました.
ネルソン・マンデラ氏の話です.

http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/140402.html

「誰かがいるから私がいる」

「象のグループだって足の悪い子象を助けながらゆっくり歩く」

そんな内容でした・・・

「誰かがいるから私がいる」っていうのはブッダが言ったという「相依り」みたいな
ことなんじゃないかとふと思いました・・・

そして、たまたま、先日 FACEBOOKでこんな情報が廻って来ました.

フィリピンが世界の中でもっとも人種差別をする国のひとつとされた
Philippines Named as One of the Most Racist Countries in the World
http://www.wheninmanila.com/philippines-named-as-one-of-the-most-racist-countries-in-the-world

これを読んだとき、私の最初の印象は 「嘘だよ!」 というものでした.
このデータは、 以下のような質問に対する各国の人々の答えから作られています.

This survey basically asked people what kinds of people they wouldn’t want to live
near and then counted the amount of people who chose ‘people of a different race’
for each country.

「どんな人たちの近くに一緒に住みたくないか」

その中で、「異なる人種の人たちとは近くに住みたくない」
と答えた人たちの割合を表しています.

While the country with the most racially intolerant people is Jordan, with 51.4% not wanting
to live near another race, India is close behind with 43.5%.
The Philippines lies in the 20 to 29.9% bracket along with other countries like Thailand,
France, Malaysia, Bangladesh and Hong Kong; only below counties such as Egypt, Saudi
Arabia, Iran, Vietnam, Indonesia, South Korea in the 30-39.% bracket.

The most racially tolerant countries are mostly Western countries, such as Britain,
Canada, Australia and the U.S. In fact, only 3.8% of U.S. residents are reluctant to live
near another race.

そして、その結果が世界地図の中に色分けしてあるんです.

上の文章を読むと、

51.4%  ヨルダン
43.5%  インド
30-39%  エジプト、サウジアラビア、イラン、ベトナム、インドネシア、韓国
20-29%  フィリピン、タイ、フランス、マレーシア、バングラディシュ、香港
0-4.9%  英国、カナダ、オーストラリア、アメリカ(3.8%)

日本はと目をこらすと、その色から判断して、10-14.9%でしょうか.

表題に「フィリピンは・・・・」と書いてあるのは、このデータから言えば
「人種差別がひどい」国とは言い過ぎだと思ったわけです・・・・

逆に、日本が低い割合だというのは、腑に落ちません.
もうずいぶん前の話ですが、フィリピンからの研修生の為のアパート探しに
苦労した経験から、日本人が外国人を表向きはともかく、いざとなると
敬遠することを知っていたからです.

アメリカの3.8%というのは非常に低い数字ですが、
おそらく元々が移民の国でもあるし、歴史的に人種差別が政治的課題として
重大問題であり、法律の上でもしっかり整備され、教育が十分にされている
のでしょう.

その点、日本はずいぶんぬるま湯の中にあるし、現実感もあまりないのでしょう.

このデータのことを、フィリピン人男性と酒の上で話し合ったのですが、
意外な反応が返ってきました.
20歳代と30歳代の男性二人です.

彼らはこんな話をしてくれました:

「フィリピン人には確かに人種差別がある」

「肌の色が白い、黒いに関して、非常に敏感である」

「アメリカで生活しているフィリピン人の中には、フィリピン系アメリカ人だと
 偽る者たちもいる」

「メスティーソ(混血、特に白人系)を望む者も多い」

最初の言葉には、フィリピンには多くの言語があって、現在でもタガログ語を元
にしたフィリピン語と英語が公用語とはなっているものの、日常語は全く
ことなる言語であることなどによって、同じフィリピン人の間でも差別意識が
あるという意味も含まれています.

私自身は外国人ですから、その辺りの微妙な意識までは分かりませんが、
私自身がフィリピンの中で差別されたというように感じたことはありません.
それはもしかしたら、20代からずっとアメリカ系の企業で働き、又、その後
日本語教師として、アフリカを含めて、いろいろな国の人たちと交流してきた
という、日本人としてはある意味特殊な経験をしてきたからなのかもしれません.

日本の中でも、いろいろな差別があると聞きます.
しかし、元々ぼんやりしている性格のせいか、あるいは不勉強のためか、
自分の周りに差別の対象とされている人たちがいなかった、あるいは、
気付かなかったせいか、私はそのような経験がありません.

フィリピンは、スペイン、アメリカ、日本などに植民地とされた国ですし、
それ以外でも様々な人種が混じり合った国だと思います.
特に経済的には中国系フィリピン人が牛耳っているとも聞きます.
そういう意味では、外国人には慣れているとも言えるでしょう.

「動物だって弱いものを守りながら生活している・・・」

「誰かがいるから私がいる」

未開の地でこそ、人々の助け合いは、水の一滴でも分かち合うほど素晴らしい
慣習になっていると見たことがあります.

そんな人間が、頭が良くなるほどに、理由を探して戦争をするというのが
実に不条理だと思えて仕方がありません・・・・

 

 

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2014年4月15日 (火)

バギオ市の裁判所・・・・・ここでも30分遅れか・・・結婚証明書トラブル

結婚証明書関連の問題が日本の入管に指摘され、それをバギオ市の裁判所で
訂正するという内容の裁判だったんです・・・・

004a

たまたま私が、日本の行政書士が書いたバギオの弁護士さん宛ての手紙を
翻訳した行きがかり上、その翻訳について証人として出廷するようにとの
依頼が来たんです・・・

バギオ裁判所の5番法廷で、3PMに始まりますと案内があったんです・・
2:40PMごろ裁判所に着きました・・・・
法廷の中にはだ~~れもいません・・・
10分前にも だ~~れもいません・・・

日本人ですねえ・・・
「まだ 誰も来てないんだけど、大丈夫?」
事務所に連絡を入れちゃいました・・・

3PM、男性が一人現れました・・・私のお客さんでした・・・初対面.

法廷の中で、ふたりでぼんやりと座って待ちます・・・

001

女性が二人、お弁当箱みたいなものを抱えて、法廷に入ってきました・・・
どうも、この法廷の秘書か書記みたいな女性たち・・・

男性が「・・・・・」と話すと・・・

「えっ、そうなの?」 という感じで出て行きました・・・

おそらく、3PMなんで、おやつの時間だったんでしょう・・・

3:20PM、ちょっと背の高い、利発そうな女性が現われました・・・
男性と話しています・
弁護士さんなんですね・・・

「この前、宣誓供述書を書きましたよね?」

「はい、読みました」

「このハンコと署名は あなたのですか?」

「はい、間違いありません・・・」

「これに沿って話を進めますから、お願いしますね」

「はい、どうぞ・・・・」

3:30PM、さっきの二人の女性のうちの一人が、男性と一緒に入って
来ました・・・・

女性は、書記・・・速記者ですね・・
男性は、裁判官でした.

裁判官席に座るのかな・・・っと思ったら、
我々が座っているテーブルを囲むように、裁判官と書記が座って、
なんだか社内会議みたいな雰囲気・・・・

数年前にベンゲット州の裁判所で、似たような裁判に証人として出廷した
時には、普通に裁判所の法廷らしい座り方と進め方でしたけどね・・・

随分リラックスムードの裁判です・・・

裁判官が、それでも、立ち上がって、私も立つように促します・・・
裁判官が右手を挙げたんで、私も挙げます・・・

宣誓ですね・・・

わたしは、「はい」と言うだけです・・・

進行役は、弁護士さんでした・・・
弁護士さんが作ったストーリーに合わせて、こちらは 「はい」と言えばいいんです.

トラブルの説明を弁護士さんが小さい声で、早口でしゃべります・・・
裁判官はすぐその隣に座ってますから、大声もマイクも要りません・・・

速記者は、カセット・テープで録音しながら

・カセット・テープ!!!!
録音しながら、鉛筆で速記をしています・・・

カセットがカチャッと音を立ててとまると、弁護士さんの話も止まりました・・・
カセットを裏返しするんです・・・
しかし、随分短いカセット・テープだな・・・10分くらいしか経ってないけど・・・

「日本の行政書士のだれそれが・・・・」

私が翻訳した文章の話になってきました・・・・

「宣誓供述書を実行しましたね?」

「・・・・・」

「宣誓供述書です・・・・」

「・・・ああ、はい、書きました」

「署名と捺印は、あなたのものですか?」

「はい、私のものです・・・」

・・・・そして、弁護士の早口が続き・・・・・

裁判官が、書類をひとつひとつチェックしながら、なにやら書き込み、

一連の話は終わりました・・・・

終了時刻 3:52pm

原告の男性は、ほっとしたような笑み・・・・・

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非常に事務的な法廷は終わり、何事もなかったように、仕事終了・・・・

しかしなあ・・・・あの文書には、去年の9月から起算して、6ヶ月以内に
日本に入管に再提出しないとダメって書いてあったよなあ・・・・

6ヶ月以内っていったら、3月で期限切れなんだけどなあ~~~~.
今はもう4月中旬だし・・・・

原告さん、お疲れ様・・・・

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2014年4月14日 (月)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 30 マゼランの最期 なめんじゃね~ぞ!

 

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

 

5 WESTERN DISCOVERY AND CONQUEST  第五章 西欧による発見と征服

 

 

 

p83

 

― セブアノ(セブ島の人々)は本当にキリスト教を受け入れたのか?

 

マゼランの航海記の中で、フィリピンの王や女王、そしてそのお供の

者たち、フィリピンでの最初のミサに参加していた人たちが「改宗」した

ことは非常に重大だとされた.

800人のフィリイン人がそのミサに参加し、洗礼式を経験したので、

これらはキリスト教に改宗した最初の地元民であるとされたのである.

 

このように、マゼランがその地域に木製の十字架を建て、サント・ニーニョ

(聖なる幼きイエス)の像をジュアナ女王に贈った. 女王は ラハ・

Humabonの妻で(スペインのチャールズ一世の母の名をとって、

洗礼後に改名した)あった. その後、マゼランの探検隊は、その地域の

フィリピンの人々を改宗させたと主張したのである.

 

しかしながら、その最初のカトリックへのフィリピン人改宗者たちが

存続したとは思われなかった.  1565年にセブ島にレガスピが 

到着したとき、その地元民たちの間にそのような信仰があったとは

見ていないからである.  サント・ニーニョのその像は、偶然に

セブ島の地元のリーダーの一人の家で発見されたし、レガスピは

「これらの道に迷った人々は」その像の意味について「無知」だった

と記録していたからである.  あきらかに、彼らはその像を、

地元の偶像と一緒にして、現代でも多くのフィリピン人が行っている

慣習である、幸運を招くお守りのようなものとして、保管していたのである. 

 

 

=== そりゃあそうでしょうねえ・・・

    1521年の3月29日について、31日にミサをやって、

    4月7日にセブ島に上陸して、4月14日にセブでミサを

    やったっていっても、そんな1~2週間でキリスト教を

    理解できるわけがないじゃないですかねえ・・・

    なんだか、変な奴らがきて、へんな人形を置いて行った

    ぐらいのことじゃないですか?

    笑っちゃいます・・・・

 

 

― Mactanの戦い

 

セブ島のラハ・フマボンと他の族長たちは、スペイン人を歓迎した.

フィリピンのリーダーの中で唯一人が白人を拒否した. 

彼は、恐れ知らずのマクタンの王、ラプーラプであった.

マゼランは、イライラして、そのフィリピン人の自主独立の

一番反攻的な者を潰してしまいたかった.

 

1521年4月27日の夜明け、マゼランは3隻の船に

鎧をつけた60人のスペイン人と、30隻のボートに1,000人

のセブアノ兵たちからなる攻撃部隊を引き連れて、マクタンを侵略

した.  その戦闘の前に、マゼランは、フマボンと彼の部下に

対して、ボートに残り、ヨーロッパ人の戦い振りを眺めていろ

と豪語していたのである. 

 

その戦闘は激しい闘いとなった. 

マゼランは、ラプーラプとその部下たちの戦闘力とすさまじい勇敢さ

を過小評価していたことに気が付いたのだが、それは既に遅すぎた.

スペイン人侵略者たちは打ち負かされ、ボートに引き上げざるを

得なかった. マゼランは、毒矢を右足に受け負傷した; 彼の鉄の

ヘルメットは二度も叩き落とされた、そして、マクタンの竹の槍が

彼の顔面に刺さった.  マクタン兵の一人が、マゼランの左足に

切りつけた. マゼランは顔は伏せた、そして、ラプーラプと彼の兵士

たちは、マゼランに襲い掛かり、殺したのである.

 

 

==== あの~~、これって教科書でしたよね・・・

     日本で言ったら、これって歴史小説の類じゃないですか?

     こういうのって、面白いですもんね・・・

     日本の歴史の授業が面白くないのは、このあたりに

     秘密があるのかもしれないですね・・・・あははは

 

     日本史の授業で、織田信長の本能寺をこんな風に

     書いてあったら俄然面白いって思いませんか?

     教壇で、歴史の教師が講談師になったりなんかして・・

 

 

p84

 

― 最初のフィリピンの英雄、 ラプ-ラプ

 

最初の世界一周航海者であるマゼランを打ち負かしたことによって、

ラプ-ラプは、フィリピン初の自由への戦士となった.

西欧の歴史家にとっては、彼は単に海辺の敵対的な地元民の一人に

過ぎなかったかもしれない.  しかし、フィリピン人にとっては、

彼の決定的なマクタンでの勝利は、西欧の武力侵略に対して

彼の領地を首尾よく守ったということは、重要なことであった.

それは、西欧の侵略軍に対するフィリピン軍の大勝利の最初の

記録となった. そして、そのことがこれらの島々への注意を

引くこととなったのである.

 

 

=== この負け戦が、スペインでどのように語られたのか

    非常に興味のあるところですが、

    こちらのサイトでは こんな絵が掲載されています・・

 

Battle of Mactan

http://www.filam.si.edu/curriculum/u2-part-02.html

 

    この絵を見る限り、余程マゼランは過信していたって

    ことなんでしょうね・・・・

    はっきり言って、かっこ悪いですね・・・

 

 

こちらのサイトでは、マゼランが勝ったりしてますけど・・笑

Battle of Mactan:Lapu-Lapu versus Magellan (Magellan's Story)

http://www.youtube.com/watch?v=EUR2V_5uajw

 

 

では、今日の最後は、この動画で締めくくりましょう・・・

お楽しみください・・・

 

Battle of Mactan

http://www.youtube.com/watch?v=ii5HEtmJrew

 

こんなんで負けたっていうのが信じられないくらいですが、

余程なめてかかったってことなんでしょうねえ・・・

 

 

 

 

======= シリーズ31へ続く ===

 

 

 

 

 

 

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