« 2014年4月20日 - 2014年4月26日 | トップページ | 2014年6月1日 - 2014年6月7日 »

2014年4月30日 (水)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 27- 30  第10回目の授業 - 大学の図書館にもロクな資料なんてありません・・

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

週に1回の授業では、私の質問に教授が答える形をとっています.

 

 

シリーズ27の部分

 

p78

― マゼランがやってきた時に「友好的な9人のフィリピン人が・・」

  と書いてあるが、本当にそんなことがあったのか.

 

コロンブスが新大陸アメリカ、カリブ海に到着したときのような状況

だったと推測される. 不安と物珍しさなどがあった筈である.

歴史学者コンスタンティーノの本には、「wait and see」だと書いている.

(様子見)ということである.

スペイン人の記録にはこのような記録はない.

 

― マゼランの航海には、「陰謀や抗争、そして疑問符が付きまとう」と

  あるが、これは何故なのか・・・

 

スペイン船で航海をしたが、マゼランはポルトガル人であるため、

スパイではないかなどの噂もあったらしい・・・

 

 

― マゼランがフィリピンの到着した日が 3月16日ではなく、

  フィリピンでの公式なものには 3月17日とされているのは

  なぜか.

 

国定教科書においては、その当時はなかった日付変更線だけを

尊重し、ジュリアン暦からグレゴリオ暦への調整は認めていない.

 

 

 

p80

 

― ホモンホンを離れてブトゥアン湾へ向かったとあるが、

  どこの島なのか・・・

 

ホモンホンはサマール島、ブトゥアンとマサオはミンダナオ島の

北東部にある.

 

― 「血の盟約」とはなにか・・・

 

フィリピン・スタイルの兄弟の契りであって、ココナツの液の中に、

二人が腕に傷をつけて、双方の血を混ぜるように液の中に垂らす.

 

 

― 「血の盟約の初めての記録である」と書いてあるが、これは

  誰による記録なのか.

 

これは、マゼランの記録係である アントニオ・ピガフェッタに

よるものである.

「トラベル オブ マゼラン」という本がある.

 

 

― フィリピンの大学生がこのような時代の研究をしようとした

  場合、どのような資料を、大学の図書館で見ることが可能

 

  なのか..

 

1521~1934年の資料は、スペインであっても困難である.

1935~現在までの歴史資料ならば図書館で探すことができる.

1935年というのは、フィリピンの憲法がつくられて時である.

 

この著者ZAIDEにしても、スペインで研究生活をしたという話は

ない….

 

 

― 土地の占有をしたと書いてあるが、合意書のようなものは

  あったのか

  日本は戦国時代だが、そのような場合なら、契約書が書かれる

  はずである.

 

書かれたものは残っていない.

今でいうならば、許可もなく、勝手に家を建てている

スクワッター(不法居住者)みたいなものであろう.

 

マレーシアやインドネシアは、その当時イスラム圏になっており、

ポルトガルとの間には書いたものが残っている.

 

 

p81

 

― 「セブ島での最初のフィリピン人のクリスチャン」などと

  書いてあるが、本当にクリスチャンになったのか.

 

教育をされたわけでもないので、クリスチャンになったということはない.

 

ちなみに、フィリピンで最初に大学が出来たのは1547年のことで、

それは、セブ島の サン・カルロス大学である. ただし、この大学は、

一時閉鎖されたことがある.

この大学は、スペイン語、ラテン語、キリスト教を教えるためのもので

あったので、この大学で学んだものが本当のクリスチャンになった

ものと考えられる.

 

 

p80の枠の中の記事

枠の中の記事は、この著者ZAIDE氏の説ではなく、ことなる

 学説のものである)

 

― 王国という名称が出てきているが、本当に王国と呼べるような

  ものであったのか.

 

DatuとかRajahと呼ばれるのは、国王というよりも、大家族の長の

ようなイメージである.

従って、 部族長というレベルであり、スルタンも同じようなもので

ある.

 

 

― 「1958年には、国家歴史委員会が、・・・リマサワ島の

  マガラネス村に歴史の記念碑を設置した」とあるが、これは

  妥当なことなのか.

 

これは、この著者である大御所ZAIDE氏が支持したから設置された

のであって、教授の意見はこれとは反対である.

教授は、四角の枠の中に書かれている学説が正しいと思っている.

 

もともと、この反対意見は教科書に掲載されていなかったが、

ZAIDEの娘の時代になって、娘が出版する際に、このような 

反対派の意見を掲載するようになった.

 

 

p82の枠の中

 

― 5の(2)の Balanghaiの意味は舟か村のことか?

 

Balanghaiは「バランハイ」と読み、大きな舟のことである.

バランハイは、1~2家族ぐらいが乗れるもので、それで島から

島に渡り、定着したところに村をつくった.

それで、Barangay(バランガイ)という今の最少政治単位である

村の意味の言葉になった.

 

従って、先の翻訳は間違っている. 

正しくは次の通りである:

 

「王が舟にのって、彼ら(スペイン人)の船にやってきた. そして、 

ピガフェッタと彼の仲間が、その土地の王とともに、儀式の舟に 

乗り、集まりに参加した.

 

 

― Butuanで、9つのバランハイが発掘されたことになっているが、

  これは今でも展示などされているのか.

 

これら9つの舟は、博物館にあるが、科学的な年代測定は

実施されていないので、その当時のものかどうかは不明である.

 

 

― モルッカ諸島とは、どのこの島のことを言うのか?

 

モルッカ諸島とは、スパイス諸島という意味であり

マレーシア、インドネシア、パプアニューギニア、フィリピンんを

含む広い範囲の島々のことを指している.

 

=== よって、Moluccanスパイスとは、英日辞書では Moluccan

マルク人とあるが、モルッカ諸島の香辛料とするのが良さそうである.

 

 

 

― セブアノという言葉は、人のことか、言語のことか??

 

セブアノは、セブ島に住んでいる人々のことであり、

又、セブ島を中心にして広く使われているセブアノ語のことでもある.

 

 

― ボルネオからの樟脳というのがあるが、どんなものなのか?

 

モス・ボールの樟脳である.

Camphorは、ミントの木とも呼ばれる.

これを身体に塗って、虫よけにもする.

 

 

 シリーズ30の部分

 

p83

 

― 「サント・ニーニョ」、イエス・キリストの幼い頃の姿と

  言われている像を拝む慣習は、フィリピン独特のものだと

  何かで読んだことがあるが、スペインから来たものでは

  ないのか?

 

マゼランがフィリピン人に残したサント・ニーニョは、今もそこの

教会にあって、セブ島の「サント・ニーニョ・フェスティバル」の

由来の像になっている.

 

このサント・ニーニョは、スペインの慣習ではなく、イタリア、ローマ、

ポルトガルの文化である.

 

 

― マクタンの戦いでマゼランに勝った ラプ・ラプは、

  今のフィリピン人の中では、どのような評価をされているのか.

 

ラプ・ラプは、フィリピンの「国の」英雄になりきれない.

それは、3つの理由からである:

― ラプ・ラプは、クリスチャンではなかった.

― 国のヒーローとは言えず、部族のヒーローというレベルのもので

  ある(日本で言えば、昔の地方の大名みたいなものか)

― スペインが認めなかった.

ラプ・ラプが、フィリピンのヒーローとして現れたのは、

この教科書の著者であるZAIDEが書いてからのことである.

 

 

― なぜ、セブアノ兵は、ラプ・ラプではなく、マゼラン側に

  付いたのか.

 

バギオに近い山岳民族でもあるように、部族間の争いというのは

時々あって、戦争というような規模のものではなかった.

おそらく、部族間の争いのレベルの延長であったろう.

 

 

=== さて、さて、4月の授業が終わりました.

    5月は一か月間 日本に帰国しますので、この歴史の勉強は

    6月に再開します.

    それでは、皆様、ごきげんよう.

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2014年4月27日 (日)

東日本大震災、福島東電原発事故、放射線は子供たちにどう影響するのか ー チェルノブイリから医学的報告

たまたまFACEBOOKで廻ってきた情報なんですけど、
過去にいろいろと見てきた情報とは違って、チェルノブイリの原発事故のその後、
ウクライナの人たちの健康にどのような影響が出てきたかを25年という長い期間に
渡って研究しているお医者さんなどの発言や文献があって、その日本語訳も
見つけましたので、まとまった資料としてじっくり見ておきたい方のために
ここにアップします.

日本の被ばくの基準である 年間20ミリシーベルトという数値が、
このウクライナでの25年間の研究報告に照らし合わせて妥当なのかどうかを
判断する基礎にできるかと思います.
ちなみに報告書の中で、ウクライナの法律では、5ミリシーベルト以上は
「強制的移住ゾーン」であるとされています・・・

まず、この動画をご覧ください.
これだけでも、いわゆる「低線量被ばく」がどのような健康障害を起こすのかが
理解できます:

映像報告「チェルノブイリ・28年目の子どもたち」
https://www.youtube.com/watch?v=3hv-5bW17Rs

そして、上のビデオの中で紹介されている書籍を探してみました.
http://un.org.ua/en/information-centre/news/1221

Twenty-five Years after Chernobyl Accident:
Safety for the Future
National Report of Ukraine

ウクライナ政府(緊急事態省)報告書
『チェルノブイリ事故から25年 “Safety for the Future”』より
(2011年4月20-22日、チェルノブイリ25周年国際科学会議資料)
http://archives.shiminkagaku.org/archives/csijnewsletter_010_ukuraine_01.pdf

この中の一節を抜き出しますと:

3.2.2 小児期に時事故に遭い、避難した人々の健康状態

小児期と思春期の身体は、機能的にも形態学的にも成人として識別しうる大人と
比べて、負の外的な要素に対してより感受性が高いことが知られている。
子どもおよび思春期の人々であってチェルノブイリ30kmゾーンから避難した男性と
女性の(基本的な病気を)発症する絶対リスクの評価によると、1993~2007年の
間で、最高の絶対リスクを示した病気は、神経系、消化器系、循環器系の疾患であった。

放射性ヨウ素ならびにチェルノブイリ事故によるその他の好ましくないファクターに曝露した子どもたちの健康状態の変化

チェルノブイリ事故の早期段階(1986.04.26~1986.09.01)の初期の日々に
チェルノブイリ原発の立ち入り禁止地域から避難した子どもたちは、口中に金属味が
するという喉の感覚による刺激(55.7%)、頻発な空咳(31.1%)、疲労(50.1%)、
頭痛(39.3%)、めまい感(27.8%)、睡眠障害(18.0%)、失神(9.8%)吐き気と
嘔吐(8.0%)、排便障害(6.9%)を訴えた。

次の5 年(1992-1996 年)は、慢性の身体的病気における機能障害への移行
いうことによって特徴づけられた。30km ゾーンから避難した子どもと汚染地域にすむ
子どもの両方で、健康な子どもの数が減少し、慢性的な病気の子どもの数が増加した。
健康のレベルの最も低い子どもは、甲状腺の被曝量が2.0Gy(グレイ)を超えていた。(図3.26)

1997-2001 年には、チェルノブイリ原発30km ゾーンから避難した子どもと汚染地域にすむ子どもの両方で、健康な子どもの減少というはっきりした傾向が観察された。

母親の甲状腺被曝線量、母親と/あるいは父親の全身被曝線量と、彼らの子どもの
免疫不足状態の進展は、相関の可能性がある。

国内で最も汚染されたところと最も汚染の低いところの間での発症数レベルの有意さ
(小児で2.5倍、ティーンエイジャーで1.9倍)は維持されており、ウクライナでのチェルノブイリ惨事から24年後の事実と言う証拠はハイリスクグループの人々における甲状腺ガンの発症数は放射線の影響が維持されているということである。

・・・ところで、日本での現状ですが、こんな報道がありました・・・

「政府は結果の説明をしないまま4月1日に初めて田村市の避難指示を解除したが、過半の調査地点で個人線量の推測値は平常時の被曝限度の年1ミリシーベルト(毎時0・23マイクロシーベルト)を超えていた。

除染の長期目標は毎時0・23マイクロだが、達成できない所が多く、帰還を不安視する避難住民が多い。」

http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/15/fukushima-exposed-dose_n_5156254.html?utm_hp_ref=japan&ir=Japan#gunosy

・・・以上、参考になれば幸いです・・・・

 

 

 

 

| | コメント (0)

« 2014年4月20日 - 2014年4月26日 | トップページ | 2014年6月1日 - 2014年6月7日 »