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2014年6月12日 (木)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 30-32  第11回目の授業 - フィリピンは国名を変更するつもりはないのか!?

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

週に1回の授業では、私の質問に教授が答える形をとっています.

 

 

脱線授業の後、まじめに授業を再開・・・・・

 

 

p84

 

― 英雄ラプーラプについて、どのように位置づけられているのか?

 

フィリピンの英雄と言えば、

1 - ホセ・リサール

2 - ボニファシオ (近年 評価が上昇中)

3 - その他いろいろ

    (ここは意見が分かれるところで、初代大統領の

     アギナルドはあまり評判がよろしくない)

 

ラプ・ラプについては、上記とはまったくカテゴリーが異なる

扱いとなっている.

フィリピン最初の英雄」というのがその扱い方である.

しかし、極せまい範囲での英雄であって、フィリピン全土という

ものではない.

 

 

p85

 

― スペインとポルトガルの植民地争いの中で、

  1494年のトリデシリャス条約と 1529年の

  ザラゴザ条約は どのような内容・関係にあるのか・・・

 

1494年のトリデシリャス条約は、

スペインとポルトガルの間で、お互いの植民地には侵略をしない

ようにしようという条約である.

 

その後、1521年にマゼランがフィリピンに到着し、

1564年に レガスピがフィリピンの植民化を開始している.

 

1529年のザラゴザ条約は、

世界を二つに線引きして、スペインとポルトガルで支配しようと

いう合意をしている.

 

東(中東からアジア方面)は ポルトガルの植民地、

 

西(ヨーロッパからアメリカ方面)は スペインの植民地とする.

 

そして、その時点で、既にフィリピンは、スペインが到着して

いたので、スペインが権利を持っていたが、これをポルトガルに

売り渡すという合意もしている.

 

ああ、それなのに、権利を買ったポルトガルは、その後も

 

フィリピンには来なかった・・・それがミステリーだとなっている.

 

もし、ポルトガルになっていたら、その後オランダが来て、フィリピン

は大変なことになっていただろう・・・・

 

 

― オランダは残忍な植民者だと書いてあり、スペインは

 

  寛容な植民者だとしてあるが、これは本当なのか?

 

このテキストに書いてあることは、本当である.

スペイン人はフィリピン人との結婚や教育もしたが、

オランダ人の植民地では現地の人々は動物扱いされた.

 

参考までに、こちらのサイトをご覧ください:

http://kenjya.org/ajia1.html

●オランダのインドネシアに行った植民地政策は、愚民政策・貧民

政策だった。そのため貧困にあえぐインドネシア人の平均寿命は、

35才にまで低下したといわれる。  

●オランダの植民地支配の残酷さ…

◇蚊に刺されて化膿し、血や膿を全身に流して働く現地人に、薬ひとつ

与えなかった。

◇性病が蔓延して、街ゆく男たちの鼻骨が露出しているのは珍しく

なかったが、衛生教育ひとつ行わなかった。(オランダ人だけは

完璧に衛生的な環境で生活していた)

 

・・こちらのサイトもご参考まで・・・

1596年にインドネシアにに進出したオランダ。

以後350年、オランダのインドネシア支配が続く。

この350年の間のオランダ支配史を政策ごとに述べながら辿りたい。

http://www3.nsknet.or.jp/~yoji-yoko/blog/zenpan/dokuritumae.htm

 

 

 

p86

 

― フィリピンの国名が スペイン王の名前に由来することに

  関して、フィリピンが独立した後に 国名を変更しようという

 

  動きはあったのか?

 

 

1960年代に国名を変更しようではないかという議論が

フィリピン大学の中で行われたことがあったが、

結局適当な代替案が見つからず、国名変更に労力を使うよりも

経済成長などの政治課題の方がもっと大事だということになった.

 

一般人にアンケートやインタビューなどが行われたことも

あったが、反応はあまりよくなく、「どうでもよい」という

 

無関心派が多数である.

 

― フィリピンの国名の由来の中に、

  「馬を愛する地」という意味もあるとインターネットで知ったが、

  これは本当なのか?

 

段階的に説明すれば 次のようである:

Felypys = ラテン語で「馬の名手」などの意味がある

Felipe = スペイン語やイタリア語でこの形に変化 人名

Philip = 英語表記 人名

Philippines = 英語表記での国名

 

(ちなみに、辞書で調べると:

Philip

【名詞】

1 フィリップ 《男性名; 愛称 Phil.

2 [St. Philip] 【聖書】 ()ピリポ 《キリスト十二使徒の一人》.

 

国名の由来については、こちら:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%9A2%E4%B8%96_(%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E7%8E%8B)

現在のフィリピン共和国、フィリピン諸島などの「フィリピン」は、

1542年、スペイン人のコンキスタドールによってラス・フィリピナス

諸島と命名されたことに起源を発するが、これは、当時アストゥリアス公

だったフェリペの名に由来する。

フェリペは1556116日、父の退位によりオーストリアを除く領土を

受け継ぎ、スペイン王フェリペ2世として即位した。)

 

 

最初に命名された国名は、 ISLAS FILIPINAS であるが、

これは フェリペ王の島々という意味である.

 

英語表記では、FがPとなって、PHILIPPINESとなった.

しかし、フィリピンの男、フィリピンの女の意味の言葉は、

FILIPINO と FILIPINA であり、Fが残っている.

 

 

ところで、フィリピンの現在の国旗は、独立の時に作られたもので、

戦争の時と平和な時に掲揚の仕方が上下、左右が逆になるのは 

フィリピンとアメリカの戦争の折に、当時の軍などによって始められ

た慣行である.

http://tospa-flags.com/ajia-philippines.html

http://www.abysse.co.jp/world/flag/asia/philippines.html

 

 

 

=== シリーズ 35へ続く ===

 

 

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 30-32  第11回目の授業 - フィリピンのお墓事情

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 週に1回の授業では、私の質問に教授が答える形をとっています.

さて、5月は一か月間 日本に一時帰国していたので、

久々に予習をして授業に臨みました・・・

たまたま、一時帰国中に、両親の墓参りのため長崎県に行ったのですが、

ふと授業中にフィリピンのお墓事情はどうなんだ?・・と思いまして.

教授にいろいろと尋ねてみました・・・

 

― 英語で grave yard という言葉と cemetery という言葉があるが

  フィリピンではどのように使い分けているのか.

Grave yard は元々英語であり、cemetery は米語である.

Cemeteryは元はスペイン語から来ている言葉である.

フィリピンでは、grave yardは 自宅近くに個人的につくられて

いる小さな墓地をいい、cemeteryは市営墓地や民間の霊園

ようなものを言う.

ヨーロッパの教会では、元来、教会の建物の地下に聖職者の墓地が造られ、裏庭に一般人の墓地が造られたので、grave yard呼ばれたのであろう.

(ちなみに、辞書で調べると次のように書いてありました:

cemetery」の英語での表現 

(通例教会墓地でない)共同墓地

 

― フィリピンでの伝統的な埋葬方法にはどんなものがあるのか.

バギオ周辺の山岳民族の間では、伝統的にコフィンCoffin(棺桶)を

洞窟に入れたり、崖に吊るしたりしていた・・

木の棺桶のことをタガログ語では KABAONGと呼び、

イロカノ語では LUNGONなどと言う.

この木の棺桶は、丸太を切り抜いたもので、遺体を中に納めて

蓋をし、崖に吊るしたりした・・・ハンギング・コフィンと呼ばれる.

よって、墓地のことは、 grave place,   grave hill,  grave rock などと呼ぶ.

 

― 最近の埋葬方法はどのようになっているのか.

通常は土葬で、遺体を棺桶に納め、棺桶を2メートルほどの深さに

地面を掘った穴に入れ、上から土をかける.

同じ穴に上から棺桶を重ねて納めることもできるが、7年以上の

間隔をあけることが慣行として行われる.

ひとつの穴には、最多では3~4の棺桶を重ねることになる.

お金持ちの場合は、この穴はセメントで壁面や蓋を覆う.

                            

― 火葬の場合はどのようになるのか.

最近は火葬も多くなった. CREMATIONと呼ぶ.

日本では骨の形を残しているが、フィリピンの火葬ではほとんど

灰になるまで火葬する.

その灰は 壺(Urn)に入れられ、教会などの納骨堂(Ossuary

収納される.

骨(灰?)壺は瀬戸物や金属などいくつか種類がある.

材料や装飾などによって金額はいろいろである.

一般的に言えば、教会の納骨堂に納める方が 普通の墓地に

土葬するよりも高いものとなっている.

特に教会の納骨堂は高く 10~15万ペソほど掛かる.

これは25年間有効である.

おそらく教会の敷地内ということで、霊験あらたかなのであろう(笑).

一方、墓地での埋葬の場合は、5万ペソ程度から場所や大きさに

よっていろいろあるが、有効期間は50年となっている.

・・・・以上、授業再開でいきなりの脱線授業となりました.

 

フィリピンの歴史の授業は この後にすぐにアップします・・・

 

 

 

 

 

 

 

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2014年6月10日 (火)

廃車復活!  フィリピン・バギオで大活躍の「廃車 in Japan」

フィリピンのあちこちで 日本の中古車をよく見かけるわけですが、

乗用車、トラックはもちろん こんなものも しっかり第二の人生?を 頑張っています・・

001

トラックは 「いすず」さん・・・・

004

パワー・ショベルは 日立さん・・・

・・・そして・・・・

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そして、その日本での持ち主は 「大維建設(株)」さん・・でした・・・

熊本県天草市の会社みたいですね・・・

http://keishin.ullet.com/43-001513/bs.html#toppage

残念ながら会社の公式ホームページは見つかりませんが・・・

006

この 日本の中古が どこで頑張っていたかといいますと・・・

バギオ市にある 日系人団体の会館 アボンの目の前の工事現場でして、

こんなところにホテルおよびベーカリーみたいなものが出来るんだそうです・・

路地なんですけどねえ~~~

聞くところによれば、サンシャイン・スーパーマートが施工主らしいです.

いずれにせよ、日本の中古車・中古重機 頑張れ!!

(と言っても、めちゃ古いという感じでもないですけどね・・・)

 


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