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2014年6月21日 (土)

気を付けよう! フィリピンの銀行ATM 入金できた???

フィリピンにも当然 銀行のATMぐらいはあるわけですが、日本人の常識で普通にATMが使えるかと思ったら 大間違いのコンコンチキなんですねえ・・・笑

いやいや、しかし、これは笑いごとじゃありません・・・・

本人にとっては、めっちゃくちゃ 大惨事になっちまうんですねえ・・・

以前 書いたことがあるんですが、

銀行ATMを使って 預金を引き出そうとして、お金が出てこない、カードも吸い込まれたまんま、記録紙だけ引き出したことになっている・・・なんてことにも・・・・

これが銀行の中あるいはすぐ外のATMで、銀行の窓口が開いている時ならば、すぐに駈け込んで 「お金が出ないぞ~~~」 とアピールできるんですが・・・

つまり、最低限、銀行が営業中にそこにあるATMで引き出した方がいいですよ・・ってことですねえ・・・

最近 バギオ在住の日本人の人たちと、この話をしていたところ、日本の常識とは違うことがもうひとつ・・・

フィリピンの銀行の従業員(いろいろな職務のひとたち)は、自分の担当以外の仕事にはまったく興味もなく、責任もないってことです・・・

だから、ATMがまともに動かないと 近くにいる銀行員にいっても まずほとんど相手にされないんですねえ・・・

「私はATMの担当じゃありません・・・・・」

「今は担当がいないから 明日来てください・・・」

・・・・これを鵜呑みにして、明日来たひには、

「そんなこと だれも知りません・・・・・」

になっちゃいますからねえ~~~~~

 

ここで 新情報・・・・・

なんと、フィリピン・バギオのBPI銀行に 「入金可能」なATMが導入されたそうですよ・・・

画期的ですねえ・・・日本じゃ当たり前だけど・・・・

私なんぞは、20年ぐらい前に ATMで自動入金できると思って、お金を入れたら、日本のATMの反応とえらく違って なにも動きがないんで、焦ったことがありますけどねえ・・

その頃は、お金を封筒に入れて ATMの箱の中に 投かんするってことだけだったんですねえ・・・・

銀行員にATMの後ろを開けてもらったら、私が入金したつもりのお札が 箱の中に散らばって落ちておりました・・・

さて、新規導入のBPIの自動入金可能なATMですけど、

経験者からの話では・・・・・

ー 銀行カードを入れる

ー 入金の機能を選ぶ

ー 入金する金額を入力する

ー お金を入れるところが開く

ー お金をそこに入れる

ー ふたが閉まる

・・・・・・・

経験者が焦ったのは この後です・・・・

銀行カードは戻って来たものの・・・・

お金を確かに受け取りましたよという「受領書」が まったく出てこない・・・

・・・・・・

もちろん、その日本人は 銀行の窓口に走りました・・・・

例によって、ATMの担当者を探しだし、納得させ、ちゃんとお金が入金されたことを確認するのに、大汗をかいたとな・・・・・

・・・・

ATMを信用できない方は、毎回 銀行のカウンターでやることですね・・・

 

 

 

 

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「日本人の脳」角田忠信著 - 3  邦楽じゃだめ、西洋音楽で右脳を使え!

 

 

角田忠信著「日本人の脳」を読みながら、自分の脳の中を整理しています・・

 

 

p21

角田「・・・西洋人の例では、とにかくことば以外のものは、みんな

   同じレベルなのです. 一様に. ところが日本人ですと

   クーラーや楽器の音については西洋人と同じですが、そのほかに

   鳥や動物の声、虫の声などがまざっていれば、それははるかに

   高いレベルを示します・・・ことばに近いわけですよ.

   日本人が自然の音に対していかに敏感か・・・」

 

p23

餌取「カンを鋭くし、ひらめきを誘発するためにももっと右の脳

   使ってやらねば・・・」

角田「それには西洋音楽を聴くことですよ. 邦楽では語りが中心だし、

   自然に密着していますから、やはり十分な効果はない・・・」

 

=== つまり、ここで言っているのは、日本人は自然の音を

    言語脳である左脳で処理しちゃうので、直観を鍛えるため

    には音楽脳である右脳を使うように 西洋音楽を聞きなさい

    と言っているんですね・・・

    邦楽はどうしても言葉が入ることが多いからだそうです・・

 

 

p34

「脳の話」

 

側頭葉のジルヴィス溝(外側溝)に接する部分に聴覚の第一次

中枢があり、これの後に続いて聞こえた声を言葉として理解する

ための記憶・理解・認識の働きをする領域がある.

・・・左の脳が人間の言葉や知的な働きに重要であるならば、

右の脳は何を分担しているのであろうか・・・

 

 

p37

左半球には言語中枢があるために、文字を読んで理解し、書き、

口答で正確に答えられるが、右半球では、ある程度の理解は可能

であっても、言葉や文字を使って表現することはできない.

 

p38

文字の代わりに情動刺激として左側の視野にヌードを瞬間的に

見せると、患者さんはクスクス笑うが、自分では何も見えず、 

何で笑ったのかが解らないという. ・・・

 

右脳は言葉を使わない知覚・理解・記憶にすぐれている.

例えば、外形輪郭・触覚・空間的把握・顔の識別のように、

細かな分析よりは、大雑把に全体を把握する能力の特徴を

発揮している.

 

=== この辺りのページには 脳の構造など専門的なことが

    書かれていて・・・かなりすっ飛ばしています・・

    悪しからず・・・

    上の説明から言えば、右脳をよく使える人は

    芸術家であったり、インスピレーションが求められる

    最先端の科学をひっぱる人なのでしょうか・・・

      しかし、クスクス笑って反応しているのに、本人は意識できて

      いないんですねえ・・・ 言葉にならないと認知・理解が出来ない

      ってことでしょうか・・・・・

 

 

p39

「聴覚の左右差」

右耳は左の言語半球(言語脳・優位半球)と対応しているが、

右耳で聴いた場合にだけ言葉がわかって、左耳では解らないという

ことはあり得ない.  左耳からのことばは右脳―脳梁を経て

左脳の言語の中枢に照合できる・・・

 

p41

両方の耳から同時に違った言葉を与えておいて、両方のことばを

できるだけ答えさせるという方法が最も普及している・・・

どちらの耳(脳)が優位であるかを調べる.・・・日本では分離脳 

テストといわれている.

・・・言語半球とは反対側の耳の方が成績が良いことがしられている.

・・・非言語音である音楽のメロディーを使って調べると、

この場合は言葉とは逆に左耳―右脳が優位になる人が多くなる・・・

 

p42

臨床上、脳外科では側頭葉や前頭葉の手術をする場合には、

予め、手術をする側が言語脳かどうかを決めておくことが絶対に

必要になる. ・・・加算問題による分離脳テストは、計算とことば

という言語脳の働きを代表する内容を備えたテストといえよう.

 

・・・より他覚的でいろいろな音が使えるものとして考えついた

のが、この本の骨格となっている電鍵打叩による大脳半球優位性 

テストである.

 

=== この辺りからこの著者が独自に開発したテスト方法などの

    話が出てくるのですが、ややこしいので、興味のある方は

    どうぞ本を買ってお調べ下さい.

 

 

・・と言うことで、次回からは

「日本語の特徴 - 大脳レベルに見出される西欧語と日本語の

 母音認識過程の差 -」

という章に入ります・・・

 

 

=== その4に続く===

 

 

 

 

 

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2014年6月20日 (金)

「日本人の脳」角田忠信著 - 2 日本語の「母音」と虫の音、動物の声が

角田忠信著「日本人の脳」を読みながら、自分の脳の中を整理しています・・

 

「脳の左と右の機能」

p8

 

餌取「脳の左と右というのは、互換性はなかなかないのでしょうか・・」

角田「そうです、一旦卒中をおこしてしまったらもうおしまいです・・」

 

p9

角田「音に関する限り他覚的に、左右のどちらが分担しているかを 

   音の種類によって分類できるんです」

Img_7299

 

p11

角田「日本人の場合には、母音が完全に左、それから雑音や機械音、

   バイオリン、チェロなどの楽器音はすべて右脳になっていました.

   そこで私は、当時これは当然世界中の人々に共通した普遍的な

   現象だと思い込んでいました」

餌取「子音はどうなのですか

角田「もちろん左側です・・・

   アメリカ、カナダ、ヨーロッパで・・・すると・・・

   雑音や純音、子音は一致していましたが、どうも母音だけが 

   全く合わないのです・・」

 

p12

日本人と西洋人との違い

 

餌取「日本人の場合には、母音も子音も左側でコントロールしている・・」

角田「それが西洋人の場合は、母音は、子音を含むような音節単位 

   ですと左側ですが、母音だけですと一定でない・・・」

 

角田「脳の左側のほうを優位半球とか言語脳といい、右側のほうを

   劣位脳・音楽脳といっていますが・・・」

 

p13

角田「ことばと音楽という二種類の情報が同時に入りますと

   これは両方とも左にはいってしまいます. 要するにことばが

   入りますと、左側で言語活動がはじまり、右側の働きを

   おさえてしまうわけで、これは日本人も西洋人にも共通の

   現象です.

 

角田「音楽、つまり楽器音は本来右脳で聴くものなので、それにことば

   の要素が入ってはいけないんですよ. 音楽会でもシーンとして

   いるでしょう. ・・・音楽に聴き入りながら話はできない

   はずなのです. ・・・」

 

=== 音楽は右脳を使うけれども、言葉が入ってくると左側の脳に

    変わってしまうってことですね・・・

    だから、美的な感覚にはならないそうです・・・

 

p15

角田「何となく虫の声が耳について集中の妨げになるんですよ.

   そこでこの音を分析してみたところ驚いたことに母音に 

   近い・・・左半球で処理される音なんですね.

   ところが、これは日本人特有の反応なんで、西洋人に 

   検査してみると、全く言語的要素はない・・・

   ・・・アメリカ人などでは、虫の声などという感覚は

   全くないですからね・・・雑音としか感じない人が多い

   ようです.

 

=== 「虫の声」は、日本人には「言語」左脳に聞こえるけれど、

    「虫の音」は、アメリカ人には「雑音」右脳なんですね?

       日本人は「虫の声」を「言語」として左脳で聞いているけど、

     西洋人は「雑音」だから音楽と同じ右脳で聞いている・・

 

p16

 

餌取「秋に虫が鳴くのを意識して聞くというのは、そうしてみると

   日本人だけの持つ風流さなのですね」

角田「ええ、中国人にさえ通じないようですよ

 

=== ここは、ちょっと???なんですけど・・・

    虫の声を愛でるなんてのは中国から来た風習なんじゃないんですか?

    たしか、鳥の声なんかは世界中で愛でていますよね?

    ・・・中国人は音楽として聴いているけど、日本人は言語として

    虫の声やら鳥の声を聴いているって話ですか??

 

 

角田「私がいままでに調べたインド人、香港にいる中国人

   東南アジアの一部の人たちーーインドネシア、タイ、ベトナム人

   は、日本人にみられるような型は示していないようです.

 

  「私が興味深く思ったのは朝鮮人で、これは多分日本にとても

   近いだろうと思われたのですが、全然違いました」

 

p17

角田「それはやはり、母音の扱い方の違いだと思いますよ」

 

餌取「たしかに日本語は母音主体のことばですし、それに比べて

   英語などは子音が主体ですね」

角田「速記術の場合なども、英語では母音は省いてしまう、

   それで充分わかるそうです.  日本語だったら子音だけでは 

   まるで意味をなさない・・・   アイウエオそれぞれに 

   意味がある・・・あ、しまった!  とか、 あ、いけない!

   とかいう形のア、 井や胃のイ、鵜のウ、絵と柄などのエ、

   尾のオ・・・・これは他の国の言葉にはない、特殊な事情ですよ.

   たしかに朝鮮語にイ、というのがあったのでしたが・・・」

 

=== ここでふと、試してみたんですけど・・・・

 

    1)RCVD YR MSG THS MRNG, TKS

 

    2)KS TGM W UKTR MSHT ARGT

 

    1)は 英語が分かる人ならすぐに理解できますよね・・

  I received your message this morning, thanks. の文章から

      母音を全部抜いてしまった書き方ですね・・・

      この短縮した書き方はeメールなどでは普通に使われて

      いますしね.

 

    じゃあ、2)は分かりますか?

    上の理屈で書いてみたんです、日本語の文章から母音を消して

    子音だけにしてみたんですけど・・・

 

    まあ、こういう理解でいいのかどうか自信はありませんが、

    なんとなく自分なりに理解できたような気分にはなりますね・・ 

 

    このサンプルの文章をFACEBOOKに書いてみたら、

    日本人には理解できなかったようですが、日本語を勉強している

    フィリピン人の若い人は正解を書いてくれました・・・

    「今朝 手紙を受け取りました、ありがとう」です・・・

 KESA TEGAMI WO UKETORI MASHITA, ARIGATOU..

 

    日本人の場合は、ローマ字で日本語を書くこともほとんど

    ありませんし、それに母音を省略して書くことはまずないですからね.

 

p18

角田「したがって、日本人の脳だけが、母音に対して特殊な反応形式を

   示すと考えられます・・・動物の声のようなものはみんな左側

   にいってしまうんです. けれども楽器の音のように整然とした

   ものは右側へ行きます. これはどうも脳幹にあるスイッチの

   ような機能の作用らしくて・・・」

 

角田「厳密に音節単位のものでなければ拾わない・・単純な音の場合 

   には右側に入ってしまってますからね、西洋人の場合は・・・

   自然界の音などは、楽器や機械音と同じように無意味音として

   処理されます」

 

=== この辺りは、日本語と英語しか知らない私にとっては、

    なんともその真偽は分かりません・・・

    ともあれ、日本語は母音が主体だから、それが原因で

    虫の声なども言語脳である左脳で処理されているみたいだ

    ってことになるようですね.

    それに、その母音のひとつひとつに「意味」があるから言語脳

    である左脳にいっちゃう・・・

    他の国の言語は、子音が主体なので、もちろん左脳だけど・・

 

    それに、以前読んだ本では、日本語学の中で、

    日本語には擬態語・擬声語が特異なものとして多いそうです.

    「サラサラ、シズシズ、ワクワク、シクシク、ギャフン・・・」

    などなど、漫画なんかで最近は外国人にも認知されている

    みたいですけど・・・

 

    こういう音が言葉になっているのは、ポリネシアあたりに 

    日本語と共通するものがあるという本も読んだことがあります.

    こちらにその時の話を書いています:

    「http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/12/post-732e.html

     「 私はかつて東南アジア語の一つであった原ポリネシア語が

     縄文時代に日本列島に入って縄文語となり、これと弥生時代以降

     に日本列島に入ってきた大陸・半島系の民族が持ち

     込んだ言語が融合・発展して、現在の日本語になったと考えて

     います。 

 

p19

餌取「西洋人のほうが、論理的なものを非常に厳しく選別しているとも

   いえますでしょう. そのへんが、日本人は感覚的で西洋人は

   論理的だ、という点につながってくるのかもしれませんね」

 

角田「しかも、教育を受けたから論理的になる、というものでも

   ないのです. その分野だけは論理的になりますけれども

   本質は変わらない.

 

=== じぇじぇじぇじぇ、ですね.

    日本人は、脳の働き方からいって、情緒的、感覚的、感情的

    なんだそうです・・・困ったね・・・

 

== その3に続く==

 

 

 

 

 

 

 

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「日本人の脳」角田忠信著 - 1 「日本語の音」が脳の働きを決めてしまう!

「日本人の脳」角田忠信著 を読み始めました・・・

Img_7299a


どうしても読みたい本なので、「フィリピンの歴史の教科書」と

しばらく平行して読んで行きます・・・続けられるかどうか・・・

 

以前にも、日本語と日本人の脳の関係についていくつか読んだ

ことがあるんですが、この本の著者のように医学的立場の人が

書いたものは初めて読みます・・

 

日本語教師としても非常に興味深い内容ですので、

気になる文章を引用しながら思うところを書いていこうと思います.

お付合いください・・・

 

「はしがき」のivページ・・・・

 

「この研究を通じて新しい研究領域をひらくには既成の論理の

追求だけではなく、これに右脳的な非論理的な直観と絶え間のない

実験という研究対象への働きかけが必要であることを痛感した.

 

===つまり、実験という科学的な方法を通しての日本語論に

   なりそうな内容なんですね・・・

 

 

「日本人の情動のメカニズムは日本語によって作られ、それが

日本の文化の発達に非常な影響を及ぼしていることを中心に

して・・・・

例えば日本人とポリネシア人とは脳の働きの型は一致しているが、

現在もっている文化はそれぞれのおかれた環境に影響されること

が大きい.

 

「東のなかでも日本人だけに特異な点が注目されているという

ことである.

 

=== 一度ざっと目を通したところでは、脳の構造が違う

    というような話ではなく、「日本語の音」

    脳の働き方とどうも関係しているということのようなの

    です・・・脳の働き方を決めているというような話の

    ようなのです・・・

 

Viiiページ

 

「「日本人の脳」という題名のためか、今でも人種の優位性を

論じたものと誤解されることがある. 特に、欧米では、本は

読まずに、人種差別論として不当に攻撃されることが多かった.

内容は、九歳までの母国語の差によって、左右の脳の優位性が

日本語型と非日本語型に分かれ、遺伝とは無関係であることを

実験的に証明した最初の本である.

・・・音楽は右脳、言葉は左脳に明示された画像が登場した

時には大変な衝撃を受けた・・・」

 

「私が今でもツノダテストに拘り続けているのは、脳のスイッチ

機構を発見したからである.  ・・・脳幹には・・・

左右の脳に振り分ける脳幹自動選別スイッチ機構がある・・・」

 

=== このように、遺伝などには無関係に、9歳までに

    母国語として育った言語が日本語である場合に

    その他の言語とは異なる脳の動きが決められることを

    実験的に確認できたということです・・・

 

 

p4 「対談 脳の左と右」

 

餌取「先生は、もともとは耳鼻科専門のお医者さまでいらしたそうですね.

角田「・・・ある現象をつきつめて追究していくと、・・・脳に問題を

   求めることになるわけです・・・」

 

p5

餌取「・・つまり左側の脳で、言語のコントロールをしている・・」

角田「・・・逆に右側の脳はやられていても、失語症にはならない・・」

 

p7

餌取「物事の判断をする能力というのも、やはりことばの機能と

   関係があるわけですね」

角田「密接にあります. ・・・一桁の足し算さえできなくなって

   しまうのですから・・・」

 

=== 左脳は言語の脳であり、又、論理的判断にはなくてはならない

    部分であるということですね・・・左脳がなければ考える

    ことができない・・・

 

    以前にTEDという番組を見て、こんなことを引用しました.

    「http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/12/post-b6f6.html 

    「この大きくなった自分を 再び小さな体の中に

     押し込めるのは無理だろうなと思ったのを覚えています 

     意図して 左脳から右脳へと歩み寄りこの平安を見出すことが

    できるのだと」

 

=== その2に続きます ===

 

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2014年6月19日 (木)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 33-35 第12回目の授業 - なに? フィリピンで大砲を造っていたの??

 

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

週に1回の授業では、私の質問に教授が答える形をとっています.

 

 

シリーズ33から35までの部分の授業です・・・

 

 

― セブアノというのはどこの範囲の人たちのことか?

 

セブアノはセブ島の人たちのことである.

ラプラプは、セブアノではなく、セブ島の東にあるマクタン諸島の英雄である.

 

 

― 「最初のスペイン人の入植」とあるが、これはどのようなスペイン人で

  あったのか?

 

まず兵士がやってきたが、これはほとんどがメキシコ人であった.

その後、宣教師たちがやってきて、これはスペイン人である.

一般のスペイン人がやってきたわけではない.

 

フィリピンで最初に創られた大学はUniversity of San Carlosであり

セブ島に16世紀に開校したが、一度閉鎖された.

この大学は、元々フィリピン諸島の人たちはスペイン語が分かる

わけでもなかったため、キリスト教を理解できるはずもなかった

ので、キリスト教の布教の為にも必要であった.

 

=== これについては、このサイトに詳細が書いてあります・・・

San Carlos traces its roots to the Colegio de San Ildefonso founded by the

 Spanish Jesuits fathers Antonio Sedeno, Pedro Chirino and Antonio Pereira

on August 1, 1595.

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_San_Carlos

 

 

― この教科書には、キリスト教への改宗など、日本の教科書では

  考えられないほど 長々と書いてあるが、フィリピンにおいては

  「政教分離」は憲法との関係でどのように規定されているのか?

 

フィリピンも「政教分離」が保障されている.

教会は「アドバイス」をすることがあるが、政党はない.

パンパンガ州の神父が州知事になったが、知事になる前に神父を辞めた.

 

イグレシア・ニ・クリストは、フィリピンの独自の宗派であるが、

いろいろと政治、賄賂がらみの話はある.

しかし、この宗派にしても政党は持っていない.

 

イグレシア・ニ・クリストやボーン・アゲインなどの宗派は

異端とされている.

 

ちなみに、フィリピンへやってきている韓国人の中には

キリスト教の宣教師のビザで来ている人も多いが、

あれは宗教活動が無税であることが主な理由であって、

実態は 商売をしているのが多い.

 

 

― バギオ市周辺におけるキリスト教の事情は?

 

バギオでの宗派の大きさで言えば、

. カトリック  2. アングリカン(聖公会) 3. ルター派

の順である.

しかし、これらは世界教会運動(エキュメニカル運動)によって

連帯している.

 

最初にバギオにやってきたのはアングリカンであった.

この宗派がBrent International Schoolを創設した.

 

セント・ルイス大学(SLU)はカトリックの大学であって、

カトリックの中の宣教師グループの名称から CICM-SLUなどと

書かれている.  ベルギー人が開いた大学である.

 

これらの大学では、イスラム教徒の学生も勉強をしていて、

実際にイラン人の学生なども多い.  宗教的な差別は無い.

 

 

― スペイン人がフィリピンにやってきた頃の宗教事情は

  どうだったのか?

 

マニラ周辺からセブ島、そしてミンダナオ島などはイスラム教

であったが、 ビコール周辺にはヒンドゥ教もあった.

(ビコール周辺には インドの言語などのなごりもある)

 

ミンダナオ島の特に南西部海岸周辺などでは、アラビア語

出来る人たちも多い. これはコーランを読むためである.

この地域では、政府軍との交戦があるが、自治が認められる

方向にある. しかし、この地域にはキリスト教徒も多く、

虐殺事件があったマギンダナオ市でも50%はキリスト教徒である.

 

 

 

シリーズ34の部分

p89

 

― 「1570年に・・・パナイ島の村々を餌食にしていた

   モロ民族の海賊を罰するため・・」とあるが、

  当時の住民も同じイスラム教であるのに 同じイスラムの

  海賊ということが本当にあったのか?

 

海賊というのは、いろいろな者たちがいたであろうし、

当時は海賊は商売みたいなものであったと思われる.

 

 

― 「当時、マニラは・・・イスラム王国であった.

   イスラムの文明化されたOUTPOSTであった」

  と書いてあるが、このOUTPOSTというのはどういう意味か?

 

大きな町への入り口にあるような、検問所的な開拓地である.

 

― 「激しい戦闘の末に、MAYNILADを占拠した」というのは

  今のマニラのことか?

 

今のマニラの元になった名前で、イントラムロスの周辺地域のことである.

 

 

― 「戦利品の中に、パンパンガ人の大砲製造者である・・・」

  とあるが、本当に大砲の製造が出来たのか?

 

大砲を発明したのではなく、「最初のメーカー」とされている.

又、鉄などを使ったものではなく、硬い土で造られており、

1~2発撃つと壊れるようなものであった.

砲身は70~80センチメートルほどの長さで、

弾は小さな石ころであって、射程距離は最長でも100メートル

ぐらいであったが、敵を脅かすにはある程度の効果はあったものと

思われる.

 

パンパンガ州のアラヤット山周辺で火薬にできる鉱物が採れていた.

 

― p90の英文を

  「トンドの最後の王 Lakan Dula と Sulaymanの伯父は・・」

  と翻訳したが、ここの andはどう掛かっているのか・・・

  「トンドの最後の王でありSulaymanの伯父でもある Lakan Dula

  とすべきである. 一人の人物のことを指している.

  (前回の翻訳を ここで訂正します)

 

 

シリーズ35の部分

p90

 

― 「マニラ湾での初めての戦い」に参加した兵士たちは

  今のどの辺りの地域から参加したのか?

 

MACABEBEはマニラ、BATISHAGONOYはブラカン州、NAVOTAS

マニラである.

これらの地名はすべて 古いフィリピンの地名である.

 

― 1537年・・・小艦隊はBankusayの水路を下り・・」

  とあるが、この場所はどの辺りなのか?

 

今のマニラとトンドの間であった.

 

― 「マニラに対し coat-of-armsを授与した」とあるが、

  これはどんなものか?

 

これは単なるタイトル(名称)であって、物ではない.

 

 

― 「フィリピンの adelantado であったレガスピ・・・」

  この称号はどういう意味か?

 

Adelantadoとは FORERUNNER(先駆者)あるいは

First messenger (最初の使者)という意味である.

 

 

― 「Juan de Salcedo船長で、レガスピの立派な孫であった」

  とあるが、どのような人物だったのか?

 

レガスピの孫ではあるがメキシコ人である.(スペイン系メキシコ人)

CAVALIERというのは horse riding leader 馬に乗った指揮官という意味.

 

― PARACALEの金鉱山というのはどこにあったのか?

 

リサール州にあった.

 

― 「1573年に、ビコール地方やカタンドゥアン地方を征服」

  というのはどの辺りのことか・・・

 

カタンドゥアン地方は、ビコール州の東にある島である.

 

 

― Lim-Ah-Hong林鳳の侵略から防衛」とあるのは

  具体的にどのようなことをやったのか?

 

海賊の林鳳と Salcedoの戦いがあったわけではなく、

「侵略」ということでもない.

海賊が時々やってきたので、海岸線の防備を固めたというだけの

話である.

 

― フィリピンのアニメで「ウルドゥハ姫」の中に

  この林鳳が登場するが、この昔話は史実なのか?

  アニメには、倭寇は出てくるが、スペイン人は出てこない.

 

歴史家は ウルドゥハ姫の存在を史実としては認めていない.

アニメの時代背景としては、おそらくスペイン人が来る前の

1570年以前の話となろう.

(海賊の林鳳は スペイン人SALCEDOよりも前から時々

 リンガエン湾あたりに出没していたと考える)

 

 

p92

― 「10人ばかりのスペイン人が村に入ると、その原住民 

  はすぐに、自分たちの手を縛って家から出てきて、平安を 

  懇願するのです」

  ・・・この部分を「十字架の力」と書いてあるのはどうかと

  思うが. その前に余程恐ろしい武力による残虐行為があったと

  考えるのが普通ではないか?

 

当時のフィリピン諸島の人間は、スペイン語を理解できても

いなかったであろうし、キリスト教の宣教師が言うことが

理解できたとも考えられないので、当然のことながら

最初は武力で脅して、死を選ぶか、服従を選ぶかを迫った

はずである.

 

この教科書の著者ZAIDEは、この点においては、いささか

歴史家としては偏りがある.

(教授自身も)このZAIDE氏の教科書で歴史を教えられてきたが、

ある意味で「危険」であると思う.

今は、ZAIDE以外の歴史の本もあるので、選択が可能である.

 

 

=== シリーズ36へ続きます ===

 

 

 

 

 

 

 

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2014年6月16日 (月)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 35 フィリピン人はキリスト教に弱かった?

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

5 WESTERN DISCOVERY AND CONQUEST  第五章 西欧による発見と征服

 

p90

 

― BUNKUSAY、マニラ湾での初めての戦い

 

Sulaymanと Lakan Dulaは彼らの王国を諦めてレガスピの友人になった

のだが、ルソン島中央部のフィリピン人たちはスペインに反抗した.

勇猛なパンパンガのBambalitoと言われた将軍(Sulaymanではない)は

Macabebe(彼の出身地)、BatisHagonoyNavotas、及び他の

村落の戦士たちを結集し、スペインの侵略者への抵抗を敢行した.

 

Bambalitoは、彼の軍を組織したNavatasに彼の野営地を造った.

ある日、彼はトンドに行き、Lakan DulaRaha Sulayman

相談をし、彼の主張を支持するように頼んだ.

二人の土地の元統治者たちは、彼に同調しなかった. なぜなら、

彼らはスペインとの平和を維持する旨 レガスピと誓約を結んで

いたからであり、名誉ある人物としてその誓約を破棄することは

できなかった.  しかしながら、Lakan Dulaの息子と二人の甥、

そしてSulaymanの兵士の幾人かは彼の軍隊に参加した.

 

1537年6月3日、Bambalitoの軍船の小艦隊はBankusayの水路を

下り、マニラ湾の北岸沖に出て、Goiti元帥の軍隊と激しい海戦に

突入した. 血生臭い海戦の最中に、Bambalitoは戦士した.

彼の死によって、彼の軍は士気が落ちてしまった.

指揮官を失い、彼の軍は敗走した.

このようにして、マニラ湾での最初の戦いはスペインの勝利で終わった.

 

p91

 

 マニラ市の創設

 

1571年6月24日、洗礼派の聖ヨハネの祝祭日に、レガスピは

マニラをフィリピンの首都であると宣言し、市政府を設立した.

この日は、現在でも「マニラ市の創立記念日」として毎年祝賀が

行われている.

 

Sulayman王のムスリム王国の廃墟の上に、レガスピはスペインの市を

マニラに建設した. 

何年か後に、国王フィリップ二世は、1574年6月1日の国王令に

よって、マニラを Insigne y Siempre Leal Ciudad (優れた、常に気高い市)

と命名した.  その後、1596年3月20日の国王令によって

同国王は マニラに対し coat-of-arms(美しい盾形の紋章)を授与した.

 

― レガスピの死

 

1572年8月20日、最初のスペインの長官であり フィリピンの

Adelantado(称号)であったレガスピが、マニラで心臓麻痺の為に死去した.

・・・・ レガスピのフィリピンでの7年に及ぶ逗留の間の仕事は

「植民地開拓者の偉人の一人としての地位を与えるに足る」ものである.

 

=== さて、この辺りから、スペイン時代になって、スペイン語の

    言葉がちょこちょこと入ってくるので ややこしくなって

    きました・・・

    それに、スペイン時代にはいる時点でのフィリピンは、

    日本で言えば群雄割拠のような状態で、地方の豪族たちが

    お互いに競っていたような感じだったんじゃないでしょうかね.

    教授の話でも、親戚一同が作ったような村落が王国みたいな

    名称になっているってことでしたから・・・

    だから 王様といっても豪族、王国といっても日本の小さい藩

    みたいなものなんでしょうね・・・

 

― Salcedo、最後のスペインのコンキスタドール(征服者)

 

スペインの征服の最も偉大な軍の英雄は Juan de Salcedo船長で、

レガスピの立派な孫であった.

彼は若さに溢れた、威勢のよいメキシコの騎士であった.

彼は、ラグナ湾沿いの地域を鎮圧し; Paracaleの金鉱山を発見し;

それから、北へ進んで、イロカノ地方やカガヤン地方を平定し;

そしてその後、1573年に、ビコール地方やカタンドゥアン地方

を征服した.  ・・・・・

 

彼のスペインに対する最後の仕事は、フィリピンを

Lim-Ah-Hongの侵略(1574-75年)から防衛することであった.

彼は、27歳の時、1576年3月11日にビガンで熱病のために

死去した.

 

=== おお、Lim-Ah-Hong 林鳳 【りんほう】 が出てきましたね・・・

英語のサイトはこちら:

http://en.wikipedia.org/wiki/Limahong

 

日本語のサイトはこちら:

http://kotobank.jp/word/%E6%9E%97%E9%B3%B3

 

私が以前バギオの映画館でみた フィリピンのアニメで

パンガシナン州の昔話・伝説がアニメ映画「Urduja姫」に

なっています:

このアニメにこの林鳳が出てくるんですねえ・・・

スペイン人の軍隊に撃退されたっていう話はありませんでしたけど・・

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/04/daisuke-49b0.html 

 

― フィリピン征服における十字架

 

スペインの武力とレガスピ、GoitiSalcedo及びその他のコンキスタドール

の戦功は征服をする上で大いに力となった.

しかし、宣教師たちの能弁な教育と自己犠牲の労働なしには、

スペインの植民地政策は継続的な成功を収めることはできなかった

であろう. なぜなら、一握りのスペイン兵がフィリピン人によって

簡単に全滅させられてもいたからである.

 

キリスト教を受け入れることによって、フィリピン人はスペインの

国王の臣民となったのである.

 

 

Thomas de Comynは次のように書いている:

「宣教師のローマ教皇の熱意がレガスピらの努力を支援していなかった

ならば、あるいは又 その事業を強化していなかったならば、

レガスピとその立派な仲間のその武勇と堅固な意志によるところは少なく、

フィリピン諸島の現地人を克服することはできなかったであろう.

宣教師は真の征服者であった; 彼らは武器もなく、しかし、その

善行によって、フィリピン諸島の原住民の好意を獲得したのである.

 

p92

 

フィリピンの全体的な征服が 刀よりも十字架によって達成された

というのは、歴史にあって信じがたい事実のひとつである.

また、他の植民地よりも比較的早いペースでフィリピン人が

カトリック(最初に到着したキリスト教の宗派)に改宗したのも

同様である.

 

・・・・

 

聖アウグスティヌス派のカトリック宣教師であり歴史家でもある

Martin de Radaは、1569年に、メキシコの総督に宛てた

手紙の中で、次のように書いている:

 

「彼ら(初期のフィリピン人)は簡単に改宗し、我々の信仰を

受け入れることができる…. 神が彼らに示唆する神に対する恐れは

偉大なものである、 いかにその村が大きい村であっても、

10人ばかりのスペイン人が村に入ると、その原住民はすぐに

自分たちの手を縛って家から出てきて、平安を懇願するのです」

 

・・・・

 

このようにして、カトリックのスペインがこれらの諸島にやって

来たことは、フィリピンがその最大の役割― クリスチャンの西欧と

非クリスチャンの東洋の間の扉となることを準備することになった

のである.

 

=== う~~ん、ここは微妙ですよねえ・・・

 

    「10人ばかりのスペイン人が村に入ると、その原住民は

    すぐに自分たちの手を縛って家から出てきて、平安を懇願

    するのです」

 

    今のフィリピンはキリスト教の国ですから、過去の歴史を

    自分なりに正当化せざるを得ないこともあるでしょうね.

    しかし、この表現をみると、その前に余程恐ろしい目に

    あっていて、スペインに従わざるを得なかったという

    背景があるように思えますよね・・ 

 

    たまたま、私の日本語の生徒で、以前 大学の先生が

    不在の時に、先生に代わってフィリピンの歴史の授業を

    やったことがあるというフィリピン人女性から聞いたの

    ですが、今大学で使っている歴史の教科書には

    アメリカ追随の教科書と反アメリカの教科書があって

    大学の教授によってそれぞれ使い分けているんだそうです.

 

 

    ちなみに、今私が読んでいる教科書は、アメリカ追随の

    本なんだそうです.

 

さて、やっと、第五章を終わりました・・・

 

次回からは 第六章の 「メキシコとの関係」に入ります.

 

 

 

 

 

== 次回 シリーズ36 に続く ===

 

 

 

 

 

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