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2014年7月 3日 (木)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 39-40 第14回目の授業 - なに! バギオの松の木はアメリカが植えた???

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

毎週一回2時間、教科書を元に教授とのQ&Aと雑談をしています・・・

 

シリーズ39の部分

第六章 メキシコとの関係

 

p96

「メキシコのフィリピン人」

 

― フィリピン人の族長5名がメキシコに追放されたとあるが、

  そこは刑務所のようなところであったのか?

 

この著者はexcile(国外追放・亡命)と書いているが、もっと正しくは

Banished(罰として国外へ追放された)の方が良い.

追放されたメキシコでは、刑務所に入れられたわけではなく、

フィリピン人が集まった村などで生活していた.

 

― ガレオン船からフィリピン人船員が逃亡したとなるが、

  なぜマニラではなくてアカプルコで逃げたのか?

当時のアカプルコは貿易の中継地として大いに栄えていて、

当時としては大都会だったと思われる.

 

― フィリピン人がココナッツ・パームやしから造った酒が

  スペインの醸造産業を脅かしたため、メキシコの全ての

  フィリピン人を逮捕するように嘆願したとあるが、

  経営者がフィリピン人であるわけがないのに、これは

  筋違いではないか?

フィリピン人の中でも酒の造り方を知る者だけがその技法を

メキシコ人あるいはスペイン人に教えただけのことである.

― Coconut Parmsと書いてあるが、coconut の木と parmの木は

  別の木なのではないか?

ココナッツの木は、細くて高い木で、葉っぱは大きくない.

幹からとれるジュースからTUBAという酒がつくられ、

丸い果物のジュースからはBASHIという酒がつくられる.

一方、パームヤシの木は、でっぷり太った木で、その葉っぱは広く

大きいので屋根を葺くのに使われる.

この幹にはジュースがあってそれがTUBAにされる.

― 宗教裁判のところで、白人だけがメキシコへ送還され、

  フィリピン人や中国人はexempted(免除された)とあるが、

  これはスペイン人の寛容さを著者が表そうとしているのか?

フィリピン人や中国人は、メキシコでの宗教裁判所では処理

されずに、フィリピン国内にいた宣教師(多くはメキシコ人)に

よって裁判が行われた.

p98

「ガレオン貿易の廃止」

― ガレオン貿易が廃止された時の貿易の状況はどうなって

  いたのか?

ガレオン貿易には スペイン王室直営の公的なもの(スパニッシュ・

ガレオン)と 民間経営のもの(マニラ・ガレオン)というものが

あって、廃止になったのは公的なものだけである.

アメリカや他のヨーロッパ諸国が行っていた貿易は

ガレオン貿易とは呼ばれていない.

 

シリーズ40の部分

p99

「フィリピンへのメキシコの影響」

― Achueteとは何か?

これはアチュイトではなくアチュエテと読む.

赤い着色をするために種だけを使うもので、パエリアやMEDUDO

などの料理に使われる.

― camachileとはどんなものなのか?

これは果物であり、大きな木に10センチばかりのさやに豆の

ようなものが入っていて、それが熟すとさやが割れて果肉と種が

出てくる. 

 

― magueyとはどんなものか?

マゲイではなくマギーと読む.

マロンガイに似ている木であって、野菜や果物として食べる.

 

― メキシコの花で、フィリピンに多量にあるものは

  ビジネスとしてフィリピンに導入されたものなのか?

メキシコ人がフィリピンの友人にあげたりしたものが広まったと

考えられる・・

カラチュチやアズセナなどの花は 主にお墓に供える花である.

― フィリピンに元々あった植物にはどんなものがあるのか?

ナラ、ヤカール、アピトンなどの堅い木がある.

 

ちなみに、「松の都」として有名なバギオ市の松の木

元々あったものではなく、アメリカがバギオに持ち込んだもので

ある.

(じぇじぇじぇじぇ・・これには驚きました)

教授によれば、それはバギオ市の建設が始まったころの写真を

見れば分かる・・とのことです.

1890年代の写真??

(1905年以降じゃないかと思うが・・・)

=== この話はいささかい信じられない話だったので、検索しました・・

      ありました、ありました・・こんなページが・・・

      http://www.cityofpines.com/history.html

It was sometime in the first half of the 19th century when Spanish colonizers started to explore the mountains of  Northern Luzon. What they saw was a land of fertile valleys, pine-clad hills and mountains, lush vegetation, and  an abundance of minerals such as copper, gold and ore.

これによれば、まだスペイン時代だった19世紀の前半に、ルソン島北部まで手を伸ばそうとしていたとき、そこにスペイン人が見たものは、

「肥沃な谷、松に覆われた丘と山、青々とした植物と豊富な鉱物、例えば銅、金と鉱石」

と書いてあるんですねえ・・・・

・・・だから、アメリカが持ってきたと言う教授の説は・・・・

― メキシコからフィリピンへ入ってきた動物が書いてあるが、

  牛というのはどんな種類か?

牛の中でも、タマラウは元々フィリピンに居たもので、

水牛のカラバオは持ち込まれたものである.

普通の牛はもちろん持ち込まれた種類である.

― 昔からフィリピンにいた動物とは?

鹿はキリノ州周辺にいた. 豚には牙があった.

昔は猿もいた.  フィリピンの元々の犬は白黒のスポットがある.

有名な小さい猿 タルシア(または、ターシャ)

マレーシアとフィリピンで見られる.

 

― 国民性としては、メキシコの影響はどうだったのか?

フィエスタ(お祭り)好きはメキシコからの影響であった.

 

― 第二次大戦中に大切な聖人の像が破壊されたと書いてあるが、

  フィリピンの国宝については、他にどのようなものが破壊

  されたのか?

 

フィリピンでは、国宝にかんする記録がなく、どのようなものが

失われたのはは分からない.

多くは教会に保存されているものである.

 

― 聖人の像への信仰は、日本人が仏像を美術品として鑑賞

  している感覚と少し違うような気がするが、フィリピン人に

  とっての教会にある聖人の像はどんな対象になっているのか?

 

フィリピン人の中にはファナティック(熱狂的、狂信的)な人々

も多い. 

カトリックでは、 

― 神 - イエス - 聖書 であり、

― 教会の中で祈り、崇拝するということを旨としているが、

聖人の像などを熱狂的に信じている人たちもいる.

例えば、聖クリストファーの像は、旅行者の守り神だとされている.

 

フィリピン人は真剣であって、奇跡は起こるものだと思っている.

 

== 続く ===

 

 

 

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2014年6月29日 (日)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 40 メキシコからどんな影響を受けたか

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

6 MEXICAN RELATIONS  第六章 メキシコとの関係

 

p99

「フィリピンへのメキシコの影響」

メキシコは、フィリピンの国と文化生活の開発に貢献しました.

フィリピンの植生はメキシコからの初期のスペイン人植民者たちに

よって導入された新しい植物によって豊かなものとなりました.

                        

 

==== この部分の著者の意味するところが今一つはっきりしません.

     いわゆる外来種の持ち込みによっていろんな植物が

     フィリピンに増えて 楽しいなあ~~ってことなのか??

     例えばどんな植物がその時期に入ったのか??

     はい、ちゃんと書いてあります・・・

 

これらの植物とは、achuete、 カカオ、 トウモロコシ、チコ、

Camachile、 マゲイ、 煙草などです.

 

Achuete アチュイト

http://www.maribehlla.com/vegetables/achuete-fruit/

スペイン料理に使うみたいですけどね・・・

It is most used in recipes that we inherited from the Spaniards like the dish

we call “menudo” or the famous “paella”.

パエリアに使うものですか??

achueteというのが検索してもなかなか見つかりません・・

 Achioteのことなんでしょうか? 

https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=hts&oq=&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4PRFD_enPH560PH560&q=achiote

 

これも似ているような気がする・・・

http://en.wikipedia.org/wiki/Bixa_orellana   )

 

camachileもよくわかりませんが・・・

http://ejje.weblio.jp/content/camachile

マゲイというのは、リュウゼツランの仲間だそうで、

日本では観賞用の蘭ですけど、いろんな用途があるとか・・

http://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%82%B2%E3%82%A4

 

明るい黄色のキャンドル・ブッシュ・フラワー(cassia alata)は

フィリピンでは11月から1月にかけて咲くもので、メキシコから

やってきたものです. アカプルコからやってきたものなので、

通常はアカプルコと呼ばれています.

その他のメキシコの花で、フィリピンに多量にあるものは、

アマリージャ(マリゴールド)、Cadena de amor(chain of love)

Calachuchi それと azucena です・・・

 

Candle Bush Flower ってこれのことかな?

http://davesgarden.com/guides/pf/go/371/

http://www.onalee.com/catalog.php/onaleeisrael/pd1741737

日本語では ゴールデン・キャンドルと呼んでいるのかな??

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB

Cadena de amorはここにありました:

http://stuartxchange.com/CadenaDeAmor.html

「カデナ・デ・アモール」と検索したら、こんなものが・・・

http://ja.aliexpress.com/popular/cadena-de-amor.html

似てるって言えば、似てないこともないかなあ・・・苦しい・・・

 

おお、ありました・・・日本語では・・

http://plaza.rakuten.co.jp/dolcepiano/diary/200808010000/

cadena de amoreニトベカズラ)の花です

 

calachuchi (カラチュチ?  プリメリア?)

http://maniladiary.tokyo23.org/open.cgi?jun04&671054pm44

azucena (アズセナ) は これです・・・

http://blog.livedoor.jp/cubanito/archives/433061.html

植物の名前はいろいろあって日本でどう呼ばれているのかを

探すのは一苦労ですねえ・・・

 

ある動物もメキシコからフィリピンへ入ってきました.

例えば、牛、馬、羊、そして闘鶏の鶏などです・・・ 

=== ここで牛 cattleと言っているのは、あの水牛は

    含まれているんでしょうかね?

    闘鶏の鶏もメキシコなんですか?

    なんかイメージ的にはアジアの中国辺りからやって

    きてもよさそうなもんですけどね・・・ 

    それと、昔からフィリピンにいた動物ってなんでしょうか?

 

現在のフィリピンの家族の中には、その血脈の中にメキシコの

血筋を持つ人たちもいます. そのような人たちは、メキシコの

役人や兵士の子孫であり、植民地時代にフィリピンの女性と

国際結婚をしたのです. このような人たちは、メキシコの

血族の人たちと同じスペインの姓を名のっています.

例えば、Amaya, De la Torres, Flores, Guzman, Lopez, Orozco,

Navarro, Velasquez, そして Zaldivarなどの苗字です.

・・・・

=== このメキシコの血というのは、国民性にどんな影響が

    あるんでしょうね?  いわゆるラテン系ですかね?

 

メキシコはフィリピン人に対して、教会で崇敬されている聖人たち

の多くの像を与えました.

それらの中には、 Our Lady of Peace及び Good Voyage of Antipolo,

Black Nazarene of Quiapo, そして、Our Lady of Guadalupeなどが

あります. 最初の Our Lady of Guadalupeの像は、ラグナのPagsanjan

後援によるもので、1687年にメキシコから到着したものです.

この像はその町で258年間崇拝されていました.

しかし、1945年3月15日に、当時日本軍に占領されていた 

その町をアメリカの飛行機が爆撃した時に破壊されてしまいました.

・・・・・

=== まあ、これは日本で言えば、中国、朝鮮半島あたりから

    もたらされた仏像に似た感覚なんでしょうか?

    だだ、日本の場合は「美術品」になってしまって「鑑賞」

    するという感覚だから、フィリピンの教会での信仰の

    対象という感覚とはちょっと違うのかもしれませんね.

 

メキシコの影響の痕跡はフィリピンの民謡にもみられます.

ギター、フルート、ドラム、トランペット、そしてバイオリン

植民地時代にメキシコからフィリピンへもたらされたものです・・

フィリピンのフォーク・ダンスの中でメキシコに起源をもつものは

Jarabe, Kuratsa そして Pandango sa Sambalilo などがあります.

 

El Jarabe Tapatio

http://www.youtube.com/watch?v=7GHcbFnpfsw

Kuratsa

http://www.youtube.com/watch?v=_Ig24-dYruA

 

Pandango sa Sambalilo 

http://www.youtube.com/watch?v=Gx0zShSSL3g

 

YOUTUBEは便利ですねえ・・・踊りが見られるのはいいですね・・

これは、あくまでもメキシコからであって、スペインではないん

でしょうかね??

 

多くのフィリピンの人々の慣習がメキシコに起源をもっています.

フィリピンの町や村での色鮮やかなお祭り(fiestas)のお祝い、市の日

ferias)を設けること、そして、鞭打ちの四旬節(lenten)の慣習など

はメキシコの影響がありました.

さらに、メキシコ起源のものは、聖職者による動物や植物への慣習上の

祝福、クリスマス期間中に家庭でベレン(かいば桶)、そして、

特定の宗教的お祭りの期間中に通りに色とりどりの提灯、食べ物、

人物や動物の色鮮やかな人形を掲げる慣習などがあります.

フィリピンのクリスマスのpanawaganの慣習は、メキシコのposada

由来するものです.

 

=== panagawaの意味がはっきりしませんが、

    英語では calling of names / summons となっていまして、

    名前を呼ぶこと /呼び出し などとなりますが、

    結局どういうことか分かりません・・

 

 Posadaについては、こちらにありました:

    「http://en.wikipedia.org/wiki/Las_Posadas

 Las Posadas is a nine-day celebration with origins in Spain, now

 celebrated chiefly in Mexico, Guatemala and parts of the Southwestern

 United States,[1][2] beginning December 16 and ending December 24,

  on evenings (about 8 or 10 PM).

    結局スペイン由来のもののようですね・・・

 

    しかし、ここに書きだしてある慣習は、なんだか日本の

    お盆の慣習に似ていませんか? もしかして中国あたりから

    入ってきたものがあるんじゃないかと感じますけど・・

 

 

p100

多くのメキシコの言葉がフィリピン語(タガログ語)の中に見られる.

・・・・ 

メキシコの国への今も続く記憶としては、パンパンガ州のメキシコ

の町でしょう. この町は、メキシコ人のアウグスティヌス派の

宣教師であり町の創設者であった Mateo de Peralta神父の

メキシコにちなんだ命名によるものです.

 

「メキシコへのフィリピンの貢献」

フィリピンもメキシコの生活や文化になんらかの影響を与えました.

メキシコの人々が植民地の遺産として大事にしている多くの東洋の品物

はマニラのガレオン船によってアカプルコへもたらされたものでした.

例えば、中国の磁器の花瓶、・・・中国の絹ショール・・・中国の

象牙がはめ込まれた家具・・Indian muslims(?)・・ペルシャ絨毯、

日本の漆細工、フィリピンの土製の壺や木彫り.

 

=== なるほど・・・日本の漆製品はマニラ経由でメキシコに

    渡っていたんですね・・・

        indian muslimsってのが意味不明なんですけど・・・

 

 

p101

フィリピンからメキシコへ入った植物もありました.

例えば、アカプルコの丘に豊かに育ったココナッツ; mangas de

Manilaと呼ばれる大きくて甘いマンゴ; lakatanとして知られる

大きくて美味しいバナナ・・・; ・・・

 

最後に、フィリピンは革命家に必要な資金を供給することによって、

独立の為のメキシコ革命(1810-1821年)の成功に貢献

しました.  ・・・資金を調達するために、彼はマニラへ向かう予定の

ガレオン船に船積みされるメキシコからサン・ブラス行きのロバの

行列に積まれていた 500万メキシコ銀ペソの金庫を没収した

のである・・・

 

=== これって貢献したって言うのかなあ・・・

    兵隊に給料が払えなくなったんで、強盗を働いたってことじゃ

    ないですか?  それがフィリピンがメキシコの革命に

    貢献したってことになるのかな?

    それも、その後 その所有者の息子が返済をメキシコ大統領

    に求めたけれど払ってもらえなかったそうなんですけど・・

    まあ、物語としちゃあ少しは面白いけど、国の歴史の

    教科書に書かなきゃいけない内容ですかね?

 

 

次回からは「第七章 スペインの植民地制度」に入ります.

 

 

=== シリーズ 41へ続きます ===

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 39  アカプルコはマニラより居心地がよかった?

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

6 MEXICAN RELATIONS  第六章 メキシコとの関係

 

p96

「メキシコのフィリピン人」

 

メキシコに住んだ最初のフィリピン人はマニラからの5人の政治的

国外追放者でした. 彼らは パンダカンの族長 Pedro Balinguit・・・

・・・の5人でした. 1587-1588年のトンド謀議の

共犯者という理由で、メキシコに追放されたのです.

 

p97

多くのフィリピン人船員がガレオン貿易の時代に船から逃亡し、 

アカプルコに永住しました. 彼らはメキシコ女性と結婚し、

フィリピン系メキシコ人としての新しい世代を育てました.

その子孫は今でもアカプルコやメキシコの他の町にも見ることが

出来ます.

 

1619年、アカプルコの隣にフィリピン人の居留地がありました.

前の年にガレオン船 Espiritu Santos から逃亡した74名の船乗りも

含まれていました. フィリピン人たちは、メキシコ人に、アカプルコの

丘に育っていた ココナッツ・パームヤシから 発酵したトゥバ(酒)

を作る方法を教えました. 間もなく、このフィリピンのパーム酒は

メキシコ人の間でも流行るようになりました. それはスペインの酒と

競合するようになりました. スペインの醸造産業を保護するために

メキシコの指揮官 Sebastian de Pinedaは国王フィリップ三世(1598-

1621)に対して、メキシコの全てのフィリピン人を逮捕し、マニラへ

送還するように嘆願しました. しかし、なにも実施されませんでした・・

 

=== 船乗りが脱走したってことなんでしょうねえ・・

    一度マニラからアカプルコを往復するだけで2年間ほどかかった

    という話ですから、何度もやってりゃあ流石に逃げ出したくも

    なるんでしょう・・・しかし、脱走したのがマニラじゃなくて

    アカプルコってのが何故なのか?

    ちょっと興味がありますね・・

 

「宗教裁判」

 

宗教裁判というのは異端の事件を審理する宗教法廷でした.

それは、ヨーロッパのカトリックの王国で中世に創設されたもので、

カトリック教会の教えに挑戦したカトリック教徒の異端的攻撃から

教会を守るためのものでした.

 

宗教裁判は1536年にメキシコ市でも創設されました.

・・・メキシコの宗教裁判は1578年にフィリピンへと拡大され

ました. ・・・・その宗教裁判の司法権はフィリピンの白人

(スペイン人、ポルトガル人、オランダ人、フランス人、イギリス人

など)にのみ適用されたことは特筆すべきでしょう.

フィリピン人と中国人は適用外とされたのです. 教会に対するいかなる

犯罪も、容疑者となった白人は、逮捕され裁判の為にメキシコへ送還

されたのです.

 

=== ・・ってことは、著者はここで何を言いたいのでしょうね?

    スペイン人はフィリピンの地元の人間に対しては寛容であった

    ということなのか、フィリピン人の中には宗教的に

    弾圧するに足るほどの知識人はいなかったということなのか・・

 

p98

「ガレオン貿易の廃止」

 

18世紀も幕を閉じるころ、ガレオン貿易は衰退しました.

アカプルコにおけるアジア製品への需要が減少したのです.

・・・・さらに、合衆国やヨーロッパから次から次に多くの船が

海外からの商品をメキシコへ持ち込むようになったのです.

 

1804年、マニラ当局は国王に対して、アカプルコでガレオン船の

積荷を売ることが困難になったと不満を述べています.

3隻のガレオン船・・・は、1802年にアカプルコで船荷を

売却できないままマニラへ戻っているのです. ・・・

 

1813年9月25日、国王フェルディナンド七世は、ガレオン貿易

の政府独占を廃止しました.  ・・・

 

=== スペイン王室独占のガレオン貿易は、世界的に貿易が

    盛んになることによって、淘汰されることになった

    ようです・・

 

「フィリピン-メキシコ関係への「さようなら」」

 

フィリピンとメキシコの植民地時代の強い繋がりは、メキシコが 

独立を勝ち取った1821年に公式に絶たれました.

その後、スペイン国王はマドリッドから直接フィリピンを統治しました.

・・・・

=== メキシコが独立した後も、その新国のリーダーは

    フィリピンとの貿易を継続したかったようですが、

    さすがにスペインはこれに怒ったと書いてあります・・

    メキシコの独立革命については、こちら:    「http://www.weblio.jp/content/%E3%83%A1%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B3%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E9%9D%A9%E5%91%BD

    「http://www.pahoo.org/culture/numbers/year/j1810-csa.shtm

 

=== その40へ続く ===

 

 

 

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「日本人の脳」 角田忠信著- 19(完) アーティストは酒も煙草もダメ!!

角田忠信著「日本人の脳」を読みながら、自分の脳の中を整理しています・・

 

「創造性を阻害する因子」

P369

ギルフォードの行った大規模かつ実証的な人間の知性の研究によって、

収束的思考と発散的思考という精神的活動過程の存在が明らかに

された. 収束的思考は論理的思考と等価のもので、一つの問題に

対して一個、または普遍妥当性の大きな一定個数の回答を、既成の

論理に基づいて追求するものである.

発散的思考やこれと等価の超論理的思考・想像力は、一つの問題に

ついて、多数の回答を独自の観点から求めてゆく精神過程であると

説明されている.

 

P370

オースチンは収束型と発散型の人に分類して、前者は論理的分析

秀れるが、空想力や心の流動性を必要とするテストには不向きで、

物理・科学の領域に専門化する傾向がある.

一方、後者は芸術に傾くと述べている.

 

P371

・・・西欧人の右と左の脳の働きの差を想い浮かべることができよう.

収束的思考や収束的人間は左の言語脳的特性と合致するし、

発散型思考は右の非言語脳的特性をよく表現している.

 

日本人の場合には情動的働きが左脳優位と考えられるから、

より左脳に依存していて・・・右脳で直観的に閃いたイメージを

左脳で論理化するという過程で情動的な働きがどのように作用する

のか、日本人の創造のメカニズムについてはわからないことが多い.

 

=== 結局、西欧人の場合は、はっきりと右脳と左脳の働き

    が分かれているので、どちらの脳が優位かによって

    論理的か芸術的かに傾く度合が決まるみたいですが、

    日本人の場合は、自然音が母音と共に左脳で処理

    されるのでその情動的なものが創造性という面で

    どんな作用をしているのか分からんってことでしょうか?

 

 

私は多くの日本人を対象として聴覚の優位性を測定してきた.

・・・正常者と考えられる人々のなかに、すべての音が言語脳 

だけで処理され、これを裏付けるように、片耳に異常に利耳が

片寄った例を見出すことができた.

・・・これらの人々は より知的に傾いた人々に見出される

特徴があり、知的作業から解放され、スイッチ機構が元に戻って、

両脳の統合的働きが要求されるときになっても、言語脳にロック 

された鍵が自動的には戻らないのである.

・・・これは長期間の学習による言語脳の負荷による偏りであって

病的徴候は意味しないといえよう.

 

P373

日本のインテリの多くは、膨大な知識を蓄えても、それを活用

して創造へと振り向ける酵母を失ってしまうという現象の

大脳生理学的な説明にならないだろうか・・・ 

=== ここは随分恐ろしいことを書いてありますね・・・

    知的仕事ばっかりしている人は、左脳にロックして

    収束型が固定してしまうので、その点では凄いんだけど、

    右脳でのインスピレーションというものが湧かないので

    せっかくの知性が生きてこないってことを言っている

    みたいですね・・・

 

日本人の持つ脳の特異性は情動メカニズムが左脳に依存して

いることにあるが、優位性パターンでみた限りでは、嗅覚刺激・ 

喫煙・飲酒・トランキライザー・鎮痛剤などの使用によって 

容易に言語脳依存型に変わってしまう.

煙草一本で一時間以上にわたって、両脳の働く正常な状態に

戻らないから、・・・非言語脳はその働きが全く阻止されてしまって

いることになる・・・

 

=== 要するに、上に書いてある刺激物は、左脳依存を

    ますます高めるから、右脳のインスピレーションが

    使えないよって言っているわけですね・・・

    アーティストは酒とたばこはダメだってよ!!

 

    逆に言えば、私の屁理屈が絶好調になるのは

    酒と煙草をやっている時ってことかな?

 

P374

日本に煙草が伝えられたのは、天正12年(1584年)に初めて

日本に来港したスペイン船によるもので、・・・

享保10年(1725年)に諸大名の財政窮乏援助のため、

煙草の栽培が奨励されるようになって、喫煙の習慣が広まる

ようになったとされている.

 

=== ほお~~~、スペインの陰謀だったか・・・

    日本人の創造性を阻止するための・・・

 

日本の伝統的な、華道・茶道・弓道などの道的技芸や禅などは

非言語的な特徴を持ち、我々の情動のコントロールに役立つ

ばかりでなく、想像力や、判断力などの知恵をはぐくむのに

役立つに違いない・・・

 

西欧人は理性中心の態度を反省して、東洋の思想に目を向け

はじめている. この東洋の思想というのも実は、日本人の

脳のメカニズムのうちに、日本人の文化の窓枠として、日本語が

続く限り、宿命として、仕組まれているのである.

 

 

=== さて、読み終わりました・・・

    著者は最後に 日本の伝統的な文化に創造性の根源を

    期待しているようです・・・そこに日本人がもっと

    右脳の働きを求め、世界の中でも独特の創造性を

    花咲かせることを夢見ているんですね・・・

    この著者の研究がその後 どのように継承されているのか

    そこが知りたいところです.

 

こちらのサイトに「角田法」に関連する文献がありました:

興味をお持ちの方はどうぞ・・・専門的すぎて私には無理ですが・・・

[PDF]

聴覚情報処理機能の生体工学的研究 菊池吉晃 - 東京大学学術 ...

repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/.../1/247527-1.pdf

http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=2&ved=0CCIQFjAB&url=http%3A%2F%2Frepository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp%2Fdspace%2Fbitstream%2F2261%2F50728%2F1%2F247527-1.pdf&ei=zPiuU8ORHZDi8AXvvYHADw&usg=AFQjCNHg5kecl-N2nyOpuK2TP74kovlPtA

 

菊池吉晃  - ‎1990

聴覚情報処理機能の生体工学的研究. 一機能的非対称性を中心としてー. 菊池吉晃. 東京医科歯科大学班治疾患研究所政党機能疾忠山門 ...... <DAF効果)を利用した、角田法 (key-tappi ng tcsLによる大脳半球. 優位性候査)と呼ばれる方法がliIJ発された ...

 

 

「日英語の相違とその自然的社会的背景」

武本, 昌三

http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/2274/1/RLA_56_84-111.pdf

 

「日本人の自然に対する感覚は,一般に狭いが鋭敏であることはすでに述べた◎

したがって日本人のものの見方は,微視的であり,具体的であり,且つ個別的

になりやすい。英米人は,これに対して,巨視的であり,類型的であり, ,そし

ておそらく,抽象的である。」

 

「日本の科学者が,サルの顔を見て個体識別が出来るのに,西洋の学者にそれ

が出来ないというのは,彼等には,サルが類型的にしか見えないからに違いな

い。類型的なものの中から,ある個体を識別するためには,だから,イレズミ

が必要になったりする。」

 

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=== 完 ===

 

 

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