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2014年7月12日 (土)

「般若心経」は偽経であって、仏陀の教えとは違う? 苫米地さん凄い

知り合いの人から苫米地英人という天才がいるって聞きまして・・・

さっそく「般若心経」のことを話しているyoutubeを探しました・・・

http://www.youtube.com/watch?v=IG43_Wpttwk

おっしゃっていることは、確かにもっともだと思えます.

まあ、つまり、「般若心経」は 中国で作られた偽のお経だっていうんですね・・

そして、中国で作った人は、どうもお釈迦さんが話したことの根本のところが理解できてないもんだから 「空」についての「般若心経」での表現は 完全に間違っているってことだそうです・・・

「色即是空」は間違いで、「色即是無」でなくちゃいけないって話なんですね・・

なんでかって言うと、「空」という概念には 「色」と「無」が含まれている概念だから・・

だそうです・・・

こちらの本に そのことが詳しく書かれているらしいんですけど・・・

「脳機能学者であり僧籍をもつドクター苫米地は本書で、大胆な試みを行いました。「『般若心経』を『空』の思想として理解しやすいように添削する」というものです。」

http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%80%E7%94%9F%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E8%B6%85%E8%A8%B3%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C-%E8%8B%AB%E7%B1%B3%E5%9C%B0%E8%8B%B1%E4%BA%BA/dp/4054049133

 

まあ、でも、結局のところ、面と向かって相手に合わせた説法をやらないと所詮 お釈迦さんの真意は伝わらないよって言うわけだから 文書に落としちゃったらダメよってことみたいなんですけどねえ・・・・

サンスクリットみたいな書き言葉じゃあ お話にならない、ってのがショックですね.

以前読んだ本の著者も 今までの解説本は間違っていると バッタバッタと切りまくっているんですけど、上の苫米地さんは 「般若心経」そのものをバッサリやってんですもんねえ・・・

宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」(角川ソフィア文庫)を読んでいます。

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/12/post-e49a.html

そして、この著者は、
「これからお話する「般若心経」は、実にこの「真言」を説いた経典なのです。」
と最初に宣言しています。

上記の苫米地さんによれば、 元々お釈迦さんは 呪文の類などはダメよと言っているらしいので、「真言」なんてのはあり得ないって話になりますか?

宮坂宥洪著のこの本・・・気に入っていたんですけどねえ~~~

「般若心経」は、翻訳の問題やらいろいろあることは分かっていましたけど、 そもそもその本自体が 中国で作られた、それも釈迦の真意を理解していない奴が作った偽物だってんだからねえ・・・・

どうすりゃいいのさ・・・笑い

まあ、偽経については、こちらのサイトでご覧ください:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E7%B5%8C

「仏教経典と呼ばれるものが釈迦の教説をそのまま伝えているのではないことは、経典研究の結果、明らかとなっている。」

「『般若心経』が中国撰述であるという説がある。1992年米国のジャン・ナティエ(Jan Nattier、当時インディアナ大学準教授)は、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』などに基づき、玄奘が『般若心経』をまとめ、それを更にサンスクリット訳したという説[1]を発表している。」

こんなサイトがありました・・・・

Dr.苫米地阿闍梨の 『 般若心経 』 批判・・・に勝手に応える

http://rdo-dbang.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/dr-fb82.html

なかなか面白いですよ・・・長いけど・・・

中ほどに「お釈迦さんは何を悟ったのか」が語られています・・・

お経などで書き残されているものはあくまでも「釈迦が悟った内容ではない」とのことです・・・・つまり、「釈迦が語ったこと」と「悟ったこと」とは異なるのです・・・・

キーワードは スコトーマ(心理的盲点)だそうです:

http://www.putimiracle.com/archives/52210113.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「日本人の脳」角田忠信著、日本語は母音言語 ポリネシアと同じ 虫の声を言語脳で処理?

 

 

「日本人の脳」を読んで以来、いろいろと気になっていまして・・・

日本語教師でもあるもんで、日本語の特徴をあちこち検索したりしているん

ですけど・・・

 

今のところ見つかった繋がりはこんな感じです:

 

一応、日本語の起源について 全般的なことは wikipediaに書いてあります.

 

日本語の起源

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90

 

 

つまりは、今のところは、「日本語は系統関係の不明な孤立言語の

ひとつであり、系統はいまだ明らかになってはいない。これまでに

いくつかの系統関係に関する理論仮説は出されてきたものの、いまだ

総意を得たものはない」

 

ってことらしいです・・・

 

 

こちらのサイトには、どの言語が上古日本語に近いかという資料が

ありますが、基本的には 

「私たちは、『古事記』『日本書紀』『万葉集』『風土記』よりもまえ

の日本語については、断片 的な資料しかもっていない。」

という事情もあるので、なかなか難しいみたいですね・・・

http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo53.htm

 

 

それで、私が一番 興味をひかれたのは、このサイトなんです:

 

「「日本人の起源を識る」~4.日本語の源流はスンダランド発南方言語。

太平洋におけるC系、O系の塗り重ね構造から明らかになる!」

http://web.joumon.jp.net/blog/2011/11/1344.html

 

 

このサイトによれば、

日本語、ポリネシア語は、世界に稀有な自然音の言語「母音言語」」

 

・・・ってことで、「日本人の脳」「母音言語」「日本とポリネシア」

ってところで繋がるんですねえ・・・

 

これで、角田氏が唱えた説が 少しは信じても良さそうなものに

思えるわけですけど・・・・

 

・・で、このサイトで:

 

「川のせせらぎや虫の音などのような自然の音の成分は、母音と

同じものをたくさん含んでいるようです。つまり、母音言語は、

自然音の言語といえるかもしれません。」

 

と言っているんですね・・・

 

つまり、自然の音ならば、西欧人あたりは雑音として音楽脳で

ある右脳で処理されるのに、角田説では、日本語の母音と同じ

音を持つ虫の声なども 言語脳である左脳で処理されてしまうって

話になるわけです・・・・

 

「日本とポリネシアの間に横たわる、台湾やフィリピンの言語などは、

複雑な子音組織を持つ「子音言語」で、日本語やポリネシアの言語

とは全く異なっています。日本とポリネシアの音韻が近いのは、

やはり偶然かといった感じですが、・・・」

 

というところを読んで、日本語とフィリピン語の関係に期待して

いた私は ガックリしちゃうわけですけど、

・・・そういう結論は まだ早い・・んですねえ・・・

 

このサイトの下の動画を見ると、 .2万年前には

フィリピン、台湾、日本は同じ言語グループの範囲にあった

みたいですね・・・

 

この絵には、インド辺りは入っていないんですけど、

大野晋氏の「日本語の起源は古代タミル語」説とのつながりは

どうなんでしょうかねえ・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E6%99%8B

 

「大野晋はインド南方やスリランカで用いられているタミル語と

日本語との基礎語彙を比較し、日本語が語彙・文法などの点でタミル語

と共通点をもつとの説を唱えるが・・・」

 

ここでは母音・子音の話はなさそうなので、関係ないのかな?

 

まあ、角田説では、日本とポリネシア以外は全て西欧型言語ってこと

になっているから、まあ、いいか・・?

 

 

 

 

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2014年7月11日 (金)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 40-41 第15回目の授業 - クリスマスの慣習いろいろ

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

毎週一回2時間、教科書を元に教授とのQ&Aと雑談をしています・・・

 

シリーズ40の部分

p99

 

― LENTEN レンテンとはどんな慣習なのか?

Lentenというのは季節の行事であって四旬節と言われる.

これは time of reflection (沈思回想の時)とか crucifixion of Jesus

(キリストの磔刑)がキーワードとなる.

 

前者は、罪を許していただくように願うことや、断食をすることなどが

含まれる. また、十字架での磔の行事はパンパンガ州など一部の地域

で行われる.

 

自分で自分を鞭打つ慣習については、フィリピンの全土でみられる

慣習であるが、バギオ市では例外的にオープン・シティーということで

この慣習は見られない.

この鞭打ちは、ルソン島北部の山岳地帯でも行われている.

これは、家の中でも出来るものなので、やっている人は多いと

思われる.

この慣習は、バチカン - メキシコ - フィリピンへと伝わった

ものと考えられる.

 

― クリスマス期間中に家庭でベレン(かいば桶)を飾るなどと

  書いてあるが、このベレンとは何か?

 

ベレン(かいば桶)は 家畜小屋(barn)の中で家畜に餌を与える

時に使われる桶のことである.

キリストが誕生した時にこのかいば桶の中に入れて育てられたことから

クリスマスの飾りのひとつとして その小屋とかいば桶、赤ちゃんで

あるキリストなどが飾られる.

 

=== これはバギオでも見たことがあるような気がします.

 

― 聖職者による動物や植物への慣習上の祝福、と書いてあるが

  これはどんなことなのか?

メキシコから来た慣習とあるが、これはフィリピンではあまり

見ないものである.

 

― 通りに色とりどりの提灯、食べ物、人物や動物の人形を飾る、と

  書いてあるが、これは 日本のお盆の慣習にも似ているし、

  中国から来たものではないのか?

 

提灯や食べ物については、メキシコというよりも、中国から伝わった

慣習であると思われる.

人形については、メキシコからの慣習である.

 

― 提灯と星形のパロルとの関係は?

 

元々は中国の提灯であった.

教授自身が子供の頃はほとんどが中国式の提灯であった.

1970年ごろから星形の灯りパロルが登場した.

PAROLは灯りのことであり、元々メキシコではparolaは灯台という意味である.

 

この星形パロルは、ターラック州やパンパンガ州の名産になっている.

小学校などでも竹を使ってパロルの作り方を教えたりしている.

尚、september, October, November, December berが付く月

フィリピンではクリスマスの季節とされており、9月1日から

パロルの季節であり、クリスマス・ソングも流れ出す.

 

― panawagan(パナワガン)の慣習というのはどんなものか?

パナワガンは、イエス・キリストが誕生したことをアナウンスする、

知らせる、エンジェルたちが人々に知らせる、という意味である.

教会で12月16日から24日までの間に行われる.

メキシコのPasadasと同じである.

 

p100

― メキシコの言葉がフィリピンの中に見られる、とあるが、

  メキシコの国語と公用語の違いはどうだったのか?

ちなみに、国語はnational languageで、公用語はofficial languageであるが、

メキシコはスペイン国の一部であったので、スペイン語が公用語であった.

 

=== Wikipediaによれば・・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B3

「公用語は定められていないが、事実上の公用語はスペイン語(メキシコ・

スペイン語)であり、先住民族の65言語(ナワトル語、サポテカ語、

マヤ語など)も政府が認めている。メキシコは世界最大のスペイン語人口

を擁する国家である。」

 

フィリピンでは、法律がスペイン語であるため、当然スペイン語が

法律的に認められた公用語であった.

なお、アメリカ時代には法律が英語になったため、今でも法律を学ぶ 

ものはスペイン語と英語が必要である.

 

=== ちなみに、フィリピンの場合は・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3#.E8.A8.80.E8.AA.9E

国語はフィリピン語 (Filipino)、公用語はフィリピン語と英語であるが、

母語として使われる言語は、合計172に及ぶ。これらのほとんどは

アウストロネシア語族に分類されるが、アウストロネシア語族の言語間にも

ほとんど意志の疎通が図れないほどの違いがある。他に使われる言語には

スペイン植民地の歴史を反映してスペイン語(フィリピンのスペイン語)

やチャバカノ語(スペイン語とそのクレオール言語)、中国語(北京語や

福建語)、イスラム教徒の間で使われるアラビア語がある。」

 

=== これを見ると、フィリピンの言語事情は想像以上に複雑

ですねえ・・・・一応公用語は英語とフィリピン語で、国語として

フィリピン語(実質はタガログ語)も決めてあるんですね・・・

 

― 「メキシコへのフィリピンの貢献」の中に

  様々な物品に混じって indian muslimsというのが書いてあるが、

  これは何のことなのか?

教授にも意味が分からない・・・

そのまま言葉どおりに理解すれば、イスラム教徒のインド人ということ

になるので、もしかしたら奴隷あるいは商品として売られた人たちが

いたのかもしれない・・・

 

p101

― 「フィリピンはメキシコの革命家に必要な資金を供給することに

   よってメキシコ革命に貢献した」というようなことが

  書いてあるが、内容をみるとただ単に強盗を働いただけに 

  思えるのだが、教授はどう思うか?

この部分はこの著者とは考え方が違う・・・

メキシコの独立の為にフィリピンが貢献したとは思わない.

他の歴史の教科書では、この部分については削除されているものが

多い・・・・

ただし、フィリピンに住んでいたスペイン人(=メキシコ人)の

中に、母国メキシコの独立を支持していたものはいたと考えられるので、

その意味においては資金を援助した可能性はある.

 

シリーズ41の部分

「第七章スペインの植民地体制」

 

p102

― Leyes de Indias という法律はどのような訳語が適切か?

Laws of New Worldぐらいがいいのではないか・・

Indiasというのはアメリカの新大陸だけではなく、スペインから

アメリカ大陸を経て、フィリピンからインドまでの間に

発見された新しい植民地をすべて含む 新世界であるから・・

 

― Laws と code という言葉の関係が分からない・・・ 

Lawsは個々の法律のことであり、codeというのは個々の法律を

まとめて編纂した集合体としての本である.

例えば、Legal Code(法律大全集)みたいなものの中に

様々な法律が綴じられているようなものを言う.

 

― この時代に、メキシコの法律とフィリピンの法律はどういう

  関係にあったのか?

 

メキシコはスペインの一部として スペインの法律がそのまま

適用されていたが、フィリピンは上記の「新世界の法律」が

適用されていた.

 

― 「すべての植民帝国のために出版された中で最も慈愛深く

   最も包括的な法律」と言っているが、具体的には

   どういう内容だったのか? 

法律の上では、奴隷をなくそうということも書いてあった.

ただし、現実は別である.

 

― 「スペインの植民地化の狙い」に「神、黄金、栄光」の順に

  書いてあるが、普通に考えれば 黄金が先にくるのではないか?

 

教授としては、栄光、黄金、神の順だと考える.

世界の覇者としての栄光が第一番に考えられる.

 

ポルトガルの植民地化の目的は、もっぱらアジアの香辛料が

欲しかったと考えられ、経済的な目的が明らかであるし、

植民地の人々を改宗させようとはしていない・・

例えば、マレーシアやインドネシア・・・

 

― 軍事的な意味はなかったのか? 

当時はスペインとポルトガルが世界を二つに分けようとしていたが、

そもそもヨーロッパの王家はほとんどが親戚筋であって

元を辿ればひとつである.

 

p103

― スペインは・・植民地化することによって経済的成功を

  治めることには失敗した、とあるが、本当にそうなのか?

 

教授はこの見解には反対である.

スペイン人や、(当時スペイン人と呼ばれていた)メキシコ人は

フィリピンから経済的な成功を収めているはずである.

王室の貿易がどうだったかという話とは別に・・・

 

― crown colony 直轄植民地という言葉が出ているが、

  例えば フィリピン人が生まれた時には それが登録されて

  いたのか? 

メキシコ独立の前でも後でも、スペイン王の名の下に経営されて

いたので、フィリピン人にも出征証明書などがあった.

ただし、役所が発行するものではなく、教会の管理の下にあった.

 

=== さてさて、この教科書の400ページの内の100ページに

    やっと辿りついたわけですが・・・

    およそ4ヶ月で4分の一ですか・・・先は長いなあ・・・

027


=== シリーズ42へ続く ===

=== 授業の16回目は こちら ===

 

 

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2014年7月 6日 (日)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 41 星占い師がフィリピンを経営していたの?

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

 

7  MEXICAN RELATIONS  第七章 スペインの植民地体制

 

 

さて、フィリピンの歴史にとって、一番重要な部分ではないかと

思うところに入ります・・・

 

p102

スペインは近世において巨大な植民勢力として立ち上がった最初の

ヨーロッパの国であった.  16世紀にその栄光と威厳の絶頂にあって、

そのSiglo de oro(黄金の世紀)と呼ばれ、スペインは広範囲に植民地

を持った、アフリカ、新世界(中南米及びアジア) - 歴史上最初の

地球規模の植民帝国 - であるので、国王フィリップ二世は、太陽の 

沈まない国と豪語する最初の帝王であった. 

そのような広範囲に及ぶ領土を治めるため、スペインは植民地法の

最初の規則を編纂した. それは Leyes de Indias(新大陸の法律)と呼ばれ、

植民地主義に関する近世の権威はこれを称賛して「すべての植民帝国

のために出版された中で最も慈愛深く最も包括的な法律である」と言った.

しかしながら、フィリピンはスペインから遠く、又 特に19世紀において、

スペイン人役人と修道士の汚職や退廃の為に、これらの植民地法は

公正には適用されず、植民地に恩恵をもたらすには至らなかった.

 

 

=== フィリップ二世に関しては こちら:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%9A2%E4%B8%96_(%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E7%8E%8B)

 

1580年のポルトガル併合によって、フェリペ2世はインディアス(新大陸)、フィリピン、ネーデルラント、ミラノ公国、フランシュ=コンテ

(以上カスティーリャ王国領)、サルデーニャ島、シチリア島、ナポリ王国

(以上アラゴン連合王国領)、ブラジル、アフリカ大陸の南西部、インドの

西海岸、マラッカ、ボルネオ島(以上ポルトガル王国領)という広大な領土

を手に入れ、「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれるスペイン最盛期を迎えた。

1584年には日本から来た天正遣欧少年使節を歓待している。」

 

=== Leyes de Indias をどう翻訳すべきか迷っていましたが、

    そのまんまだと 「インドの法律」ですが、インドだと思った

    大陸は アメリカだったという話みたいなので、ここでは

    「新大陸」とするのが妥当なんですね・・・

 

インディアス法については こちら:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%B9%E6%9E%A2%E6%A9%9F%E4%BC%9A%E8%AD%B0

 

=== 権威が絶賛したというのがどういうことかは

    分かりませんが・・・・

 

 

スペインの植民地化の狙い

 

スペインの海外(フィリピンを含む)植民地化の狙いは、

三つのGで強調できるであろう - 神、黄金そして栄光である.

植民地化の一番目の主たる狙いはカトリックのキリスト教の伝播であり、

このことは、イザベル女王の「カトリック」(1479-1504年)の

遺書及び「新大陸の法律」のキリスト教徒の精神によって証明される.

この理由によって、発見、探検、征服の航海にはそれぞれキリスト教の

宣教師が同乗していたのである.  スペインの植民地化に関する

著名なドイツの権威である Wilhelm Roscher博士は、「スペインの

植民地化の主たる狙いは 異教の人々をキリスト教に改宗させる

ことであった」と主張している.

 

二番目の狙いは、黄金あるいは経済的富への願望であった.

この狙いは、ヨーロッパ勢力の間での、東洋の香辛料貿易の独占

や富を獲得しようとする争いの中から発生した.

その当時(現在も同じだが)、物質的な富は国々の中での偉大さの

判断基準であった.

 

三番目の狙いは、世界の中で最大の帝国になるというスペインの

野心から生まれたものである.  多くの植民地(フィリピンを含む)

を獲得することによって、スペインは帝国主義者の野心を実現した

のである. 

 

=== う~~ん、ここは権威がそう言うのならそうなんでしょうが、

    日本人的 ノンポリ的、無宗教的感覚から言えば、経済的願望が

    第一で、その活動を補完するものとして宗教じゃないかと

    思ってしまうんですが、どうなんですかねえ?

    三番目の理由というのは ちょっと抽象的だし、

    結果としてついてくるものだと思うんですが・・・

    軍事的狙いっていうんならもっと分かりやすいんですけど.

    その当時は植民地取り放題で そこまで行っていなかったん

    でしょうか・・・

 

p103

 

全体的に言って、第一の植民地化の狙い(キリスト教の伝播)は、

最も成功をおさめ、永続的なものとなった.

スペインが植民地化した全ての国が現在はキリスト教国となっている.

スペインはフィリピンやその他の国々を植民地化することに

よって経済的成功を収めることには失敗した.

そして、そのように多くの植民地を獲得する中で、スペインの栄光は

永久に続くことはなかった. 19世紀にはスペインの栄光は消えて、

世界の勢力としては衰退していったからである.

 

 

 

経済的損失にもかかわらずフィリピンを離さなかったスペイン

 

 

植民地としては、フィリピンはスペインの国庫にとっては

経済的な負担であった. このため、国王フィリピン二世の助言者は

フィリピンを捨てることを進言した. 王は彼らの助言を聞き入れ

なかった. 王は、スペインの植民地政策の主たる目的はキリスト教を

広めることであり、フィリピン人を改宗させるために「Indiesの全て

の富」を使っても惜しくないと話したのである.

 

=== ここでIndiesをどう翻訳すべきか困ってしまいますね.

    フィリピンだけならすでに赤字経営であるわけだから

    メキシコなど新大陸を含む植民地全体のことを言って

    いるんでしょうか・・・

 

    しかし、仮にキリスト教を広めるためというのが一番の

    目的だとしても、その動機は何だったのでしょうか.

    他の宗派などとの競争があったのでしょうか?

 

 

直轄植民地としてのフィリピン

 

フィリピンは、スペインの王に属していたという意味において

国王直轄の植民地であった. スペイン統治の最初から1821年まで、

フィリピンはメキシコの保護領であり、スペイン王の名の下に、

メキシコ総督によって直接に統治されていたのである.

1821年にメキシコがスペインから離れた後、フィリピンは

マドリッドから直接統治されることとなった. そして、この処置は

1898年まで続いたのである. 

 

=== crown colony を辞書でひいてみたところ直轄植民地と

    ありました・・・この著者の文章の書き方からして

    著者自身がそう思ったのか、それともスペイン自体が

    そのような呼び方をしていのかがいささか疑問です・・・

    それから、ここで「保護領」と訳しましたが、英文では

 Dependencyを使っているんですねえ・・

    「属国」とするか「保護領」とするかちょっと悩んだんです

    が、当時のフィリピンは独立してはいない訳だから

    「属国」とは言えないんでしょうね・・・

    辞書には「依存関係, 被保護国, 従属, 属国, 従属国, 属領, 寄食,

    付庸, 附庸, 隷属国」などいろいろありますが・・・・

 

 

 

Indies(新大陸)の評議会

 

国王が植民地を統治するのを補佐すべく、新大陸の評議会は1524年

8月1日の国王令の中で国王チャールズ一世(同時にドイツの皇帝

チャールズ五世)によって設けられた.

この評議会はスペイン帝国の植民地に関するすべての事柄を取り扱って

おり、権力を持った組織であった. その構成員は、議長、四名の

評議員で法律家か聖職者、書記、会計、(国王の代理人)、出納官、

歴史家、宇宙構造学者、数学の教授、式部官であった.

最初の議長は Fray Garcia Jofre de Loaisaで、ドミニコ修道会の総神父

でありセビリアの大司教であった.

 

=== この構成員の中に、cosmographer というのがいるんですが

    辞書によれば宇宙構造学者とあるんですが、星占いでも

    やるんでしょうかねえ?

    それと分からないのが  usherなんですが、教会などの

    案内係、高位の人の先に立って歩く先導役、法廷の守衛、

    受付などとあるんですが、おそらく国王の式典、儀礼に

    関することをやるのだろうということで式部官としました.

 

=== Indiesという言葉が気になってインターネットで検索:

 

Council of the Indies について:

http://www.britannica.com/EBchecked/topic/286135/Council-of-the-Indies

 

Council of the Indies, Spanish Consejo De Indias, supreme governing body of

Spain’s colonies in America (1524–1834). Composed of between 6 and 10

councillors appointed by the king, the council prepared and issued all legislation

governing the colonies in the king’s name, approved all important acts and

expenditures by colonial officials, and acted as a court of last resort in civil

suits appealed from colonial courts. It lost much of its importance in the 18th century.

 

これを読むと、スペイン国王に指名された評議員の集まりで、

アメリカにおけるスペインの植民地の政府みたいな役割のようですね.

メキシコもこの組織によって統治され、そのメキシコの総督が

フィリピンを統治していたという位置づけでしょうか・・

 

 

p104

後に、新大陸評議会は女王イサベル二世によって1863年に解体された.

この女王が、1863年5月20日の国王令を発令し、その評議会を

植民地省によって置き換えた. この省は植民地大臣が率いて、

フィリピン評議会がこれを補佐した.

この評議会は、植民地副大臣、職権上のメンバーとして植民地省の局長、

そして、フィリピンの事情に詳しいということで、国王によって指名された

12名の常勤メンバーで構成された.

 

=== イサベル2世 についてはこちら:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%99%E3%83%AB2%E4%B8%96_(%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%A5%B3%E7%8E%8B)

 

「議会および主要政党のモデラート党(カスティーリャ保守党)、進歩党は、

イサベルの即位をフェルナンド7世時代の絶対君主制を覆し、カディス憲法

と議会に基づく政府を再建する機会ととらえ、女王を支持し、復古的な絶対

王政を主張するカルロスに反対した。」

 

7年間に及ぶ内戦、カルリスタ戦争が勃発した。最初はカルリスタ軍が

優勢であったが、議会はイエズス会などの教会組織を解体、その財産を

没収してカルリスタの基盤を崩すとともに、政府の財務建て直しを目指した。

・・・1839年に休戦を迎え、イサベルの王位が確定した。」

 

=== 王位継承問題で7年間も内戦があったり、教会組織を

    解体したり・・スペインではいろいろともめていたんですね・・

    1821年にメキシコが独立して、フィリピンはスペインの

    直接統治になっているんですけど、スペイン国内では内戦、

    フィリピンでは赤字・・・それでスペインは衰退したのかな?

 

 

 

=== シリーズ42へ続く ===

 

 

 

 

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