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2014年11月 8日 (土)

猫との共存は 色即是空、心頭滅却すれば火もまた涼し・・である

最近 小太郎と同棲しているんです・・・

小太郎は トラちゃんの息子なんですがね・・・

トラちゃんは 小太郎の弟だか妹だかを 出産するときに

出産する体力がなくて、産み落せなくて、

お腹の中に孕んだまま 死んじゃったんです・・・

003

以前は 下宿先に いつも2~3匹は 猫ちゃんたちがいて、

私がちょっかいだす必要もなかったんですけどね・・・・

小太郎は いっぴきぼっちになっちゃって・・・

当初は、白い美人の猫ちゃんが遊びに来ていたんですけど・・・

どうも、女の子とはうまくやれないみたいで・・・

もしかしたらオカマちゃんかもしれないんです・・・

フィリピンですから・・・

・・・で、不憫に思いましてね・・・

部屋に入れてやることにしたんです・・・

010

私は小さな時から 猫と一緒に育ったようなもんですから・・・

猫は大好きなんです・・・・

だから、ソファーに一緒に座って テレビを見たり、

昼寝をしたり することにしたんです・・・・

しかし、外を自由気ままに ほっつき歩いている奴ですからねえ・・・

汚いし・・・・

一番困るのは 痒くなるってことですね・・・

SLEEPING  DIRTY
眠れる森の蚤屋敷 ですからねえ~~

022

小太郎と共存するには 修行が必要なんです・・・

自分の五感は 実在しないのだ、と思わないといけないんです・・

色即是空、心頭滅却すれば火もまた涼し・・・

私が 外に出ていくと、のそっと現れるようになりまして・・・

私が 部屋の入口の網戸を開けて 入ろうとすると、

すっと網戸の下をくぐって 部屋に入ってくるんです・・・

私は、 ベッドルームのドアを さっと締めて、小太郎が入らないようにして、

リビングのソファーで 毛布をかぶって ころがるわけです・・・

そうすると、この頃は、呼ばなくても ソファーに登って来て、

私のお腹のあたりに 座り込むようになったんですねえ~~

可愛いもんです・・・・

しかし、真面目な顔をして こっちの顔を覗き込んでいるんですねえ・・・

朝は、NHKの朝一をいっしょに見て、

午後は、一緒にテレビを見ながら、昼寝をしましてね・・・

だんだん毛布の中で 暖かくなってくると 腹を出してくるんですねえ~~

012

私が 母屋のキッチンで 晩御飯を食べて、

その後も 夜のテレビ番組を 一緒に見て、

別の部屋で パソコンで遊んでいると・・・・

充分に寝て、腹がへったからなんでしょう・・・・

「みゃ~~」 と呼ぶんですねえ・・・

「はい、はい・・・」

と言いながら、入り口の網戸を開けてあげるんですわ・・・

晩御飯を置いてある 廃棄された冷蔵庫の上に 直行するわけです・・・

この前なんかは、シャワーを浴びていたら、シャワー・ルームの

前までやって来て 「みゃ~~」 ですもんね・・・

もうその頃は夜遅くなっていますからね・・

もう今日の共存は終わりなんです・・・

明日の朝 またね!

 

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浮世絵師 ・ 葛飾北斎は マリファナ(大麻)を吸っていた 疑惑???

最近アメリカの州が マリファナ(大麻)を合法化するというニュースがあった・・

「ワシントン(CNN) 4日の米中間選挙に合わせて実施されたオレゴン州、
アラスカ州と首都ワシントンの住民投票で、マリフアナ(乾燥大麻)合法化が
承認される見通しとなった。」
http://www.cnn.co.jp/usa/35056162.html?ref=rss&utm_source=dlvr.it&utm_medium=facebook

某映画監督から聞いた話・

映画監督がアメリカで修行をしていたころ、マリファナというのがどんな
ものなのかに興味をもったらしい・・
アーティストの中には マリファナを吸う者が多いらしい・・・

しかし、ただ試しに吸うだけでは面白くない・・
そこで、自分の脳がどう変化するのかを客観的な尺度で見ることが
できないかと考え、吸っている間 時計をチェックすることにしたのだと言う..

吸ってみた・・・そして、時計を見た・・・
すると、秒針が えらくゆっくりと動いていることに気付いたそうだ・・・

「こりゃあ、まずい・・・」

時計は正確に動いているはずだから、オカシイのは自分の頭に違いない・・・
ゆっくりと動いているってことは、正常な時よりも脳が高速で動いて
ハイ・スピード・カメラのように映像をとらえているに違いない・・と思ったそうです・・

・・・ってことは、もしかして、逆のこともできるんじゃないか・・
そして、意識をその方にもっていくと、なんと案の定、時計がどんどん速くまわる
ようになったのだとか・・・

監督いわく、ビルの7~8階から飛び降りた奴が、死ななかったという話がある・・
要するに、飛び降りた際に、映像がゆっくり動くものだから、自分がどういう
ふうに落ちていっているのかがしっかり見えるのだという・・・
だから、着地の時に 極力怪我をしないように体勢を整えることができたの
だろう・・・

マリファナを吸っている奴は、何時間でも飽きずに同じことをやるそうだ・・
正常な人間がみていると、ボ~~ッとしているように見えるらしい・・
その間 吸っている本人は ハイ・スピードで脳を使っていることになる・・・

だから、マリファナを吸った後は、1~2日間寝込んでしまうのだという・・
それだけ、脳をハイ・スピードで 酷使していたことになる・・

監督は、マリファナをやるアーティスト特有の共通した傾向を
かれらの作品の中に感じるのだという・・

「そういうのは私は嫌いだから・・・それ以来 マリファナを吸っていないよ・・」

・・・そこで、私はふっと思い出した・・・

葛飾北斎の あの波・・・

Hokusai_wavethemeandroid311478_480x



http://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/past-exhibition/post-104.html

富士山を背景に 大きな波が その先端で砕ける様子まで
緻密に描いたあの浮世絵・・・
まるで高速度撮影で切り取ったのではないかと思うようなあの絵・・

(実際、随分前だが、NHKでハイ・スピード映像を北斎の絵と比較した)

常人に見えるわけがない、その波形・・・

こりゃあ マリファナをやってたんじゃないか?
それ以外には考えられないだろう・・・

・・・と思ったんです・・・
「葛飾北斎、マリファナ疑惑だ!!」

しかし、一方で、こんなことも考えられるのかな・・

つまり、ビルから飛び降りたマリファナ男が死なずに着地できた・・・
着地といえば、体操選手のフィニッシュだ・・・

もしかしたら、あの体操選手のように、自分の身体をコントロールできる
人間なら 動いている物を 高速度撮影するように 対象物を見ることが
できるんじゃなかろうか・・・

もしかしたら、葛飾北斎は 体操選手のような眼を持っていたのか?

 

 

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2014年11月 7日 (金)

日本語を話す人は 貯蓄にいそしむ? 言語と貯蓄の関係 TED

随分前なんですが、日本語ではまともな議論はできないとか、

紛争の解決には日本語は不向きだとか そんなことを書きました・・・

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2014/02/post-6c6c.html

上記のようなことを思い出すたびに ちょっと日本語に対して

絶望的な気持ちになることがあるんですが、

今日 たまたまfacebookでみつけた面白い話がありました:

5 examples of how the languages we speak can affect the way we think

http://blog.ted.com/2013/02/19/5-examples-of-how-the-languages-we-speak-can-affect-the-way-we-think/

何語を話すかで 思考も変化する・・・・

英語では、誰々が花瓶を壊したと言うが、スペイン語や日本語では
花瓶が壊れたと言う・・・
(日本人の無責任さはここに行きつくのかな???)...
in English, we’ll often say that someone broke a vase even if it was an accident, but Spanish and Japanese speakers tend to say that the vase broke itself.

未来形がない中国語を話していると、英語のように未来形のある言葉を話している国民よりも 預貯金が多い・・??

Chen’s explanation: When we speak about the future as more distinct from the present, it feels more distant — and we’re less motivated to save money now in favor of monetary comfort years down the line.

(日本語には時制はないという学者も多いんですが、
それが預貯金好きな日本人のモチベーションになっているんですかね?)

・・・で、これが日本語で書いてないかと探したところ、

TEDの日本語版を見つけたんです:

キース・チェン:言語が貯蓄能力に与える影響

http://www.ted-ja.com/2013/05/keith-chen-could-your-language-affect-your-ability-to-save-money.html

・・・これを見て・・・こんな側面も 言語にはあって、

それをしっかりデータに基づいて研究している人もいるんだと

嬉しくなりました・・・

世界の平和に貢献できる特性が 日本語にあることを望みたい・・・

 

 

 

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2014年11月 6日 (木)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 第16回目の授業 - オフレコ編

 

 

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 第16回目の授業 - オフレコ編

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

 

 

個人教授をお願いしている政治学・歴史学の元大学教授・・・

15回目の授業の後に、ビールを飲みながら いろいろと話を

しまして・・・

 

メモをとっていないので不確かではあるんですが、記憶に残って

いることをちょっと書いておきます・・・

 

 

― 日本の憲法九条

 

日本は「戦争をしない」と憲法で決め、実際に第二次大戦の後

戦争をしていないので、尊敬されている・・

 

もし、それがなかったら、今のようには尊敬されないだろう・・

 

 

 

― 日本はフィリピンの同盟国である

 

(上とはやや矛盾するんですが・・・)

 

日本とフィリピンは同盟国でなくてはならない・・

最近のフィリピン人は アメリカよりも日本の方が好きなのだ・・

 

フィリピンの中国系の人たちも、最近の中国の動きには

眉をひそめている・・・

 

フィリピンは、紛争の種となっている島などでの

多国間による共同開発を提案しているが、中国はそれを無視して

いる・・・

 

 

 

 

― 日本はフィリピンの大災害時にすばやい行動をとってくれた

http://www.youtube.com/watch?v=tArF3UD3kns&feature=share&list=UULDvy6l_eV-e8yUxIafzeqw&index=6

 

日本はレイテ島の台風による大災害の時に、フィリピン人を

助けてくれた・・・

 

しかし、それよりもちょっと前に、大きな地震があった時にも、

アメリカよりも早く(?)支援をしてくれた・・・

(島の名前を忘れました・・)

 

その地震の時は、イスラエルも支援が早かった.

イスラエルは第二次大戦の時にユダヤ人への迫害があった折に、

ユダヤ人をフィリピンが受け入れたので恩義に感じてくれている

ようだ・・・

 

日本は素晴らしい支援をしてくれるが、それを静かにやっている.

フィリピン人は支援をしたぞと大げさに騒ぐ国は好きではない・・・

 

フィリピン人も恩義を感じる国民である・・

恩義を感じると、奴隷にだってなってしまうのがフィリピン人なのだ・・

 

― 韓国が一番の問題だ

 

日本にとって、今後一番の 政治的・軍事的な大問題になるリスクが

あるのは韓国である..

 

韓国人は 自分の国が嫌いな国民が多い・・・

だから、カナダ、アメリカ、オーストラリア、日本などに

流出してしまっている・・

 

北朝鮮や中国が動けば、アジアの中で一番危ない地域は

韓国ということになるので、日本には大きな危機がせまるだろう・・

 

 

 

― 英語学校の校長であった経験から

 

日本から英語留学で来た生徒は、おしなべて静かである.

一方、韓国人はその逆である.

 

日本人も韓国人も そうとうなストレスを抱えている場合が多い.

フィリピンは、そういうストレスを癒す場としても最適な国だ・・

韓国の自殺率が10年連続トップ、OECD平均の2.4倍という「不名誉」

http://news.searchina.net/id/1536865

ただし、別のデータでは、自殺率は 韓国3位、日本13位になっています:

107か国中 フィリピンは94位ですね:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%AE%BA%E7%8E%87%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88

 

 

― 最近のフィリピンの大学での歴史の授業

 

最近の大学での歴史の授業では、主に3人の著者が書いた本を教科書

にしている・・

 

ザイデ、 オーランディン と コンスタンティーノ である.

 

1988年ごろに 必須科目であったスペイン語はなくなり、

選択科目になったので、それ以降の大学生は 専門でない限り

スペイン語で歴史の資料を読むことはできなくなっている・・・

 

今は、殆どの資料が英語に翻訳されている・・

 

某大学で学術データベースを使っているそうだが、

おそらくたいした資料はないと思う・・・

Wikipediaなどの資料を使っているのではないだろうか・・・

 

大御所であった ザイデの本の場合は 本に書かれていることを

覚えて勉強するというやり方だったが、

最近の授業のやり方は、オーランディンやコンスタンティーノの

書籍をもとに 学生同士がディスカッションをするという形式に

変わっている・・・

 

日本の東京大学に相当するフィリピイン大学のディリマン校で

そのディスカッション方式が始められ、それをフィリピン中の

大学の歴史の教授が取りいれてやるようになった・・

 

 

・・・他にもいろいろと面白い話題があったんですが、

残念ながら思い出せません・・・

次回は 少しでもメモをとっておかないといけませんね・・・

 

 

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 42-44 第16回目の授業 - フィリピンの荘園制度

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

 

日比友好月間の7月からずるずると10月まで授業を休んでいましたが、

久々に教授との授業を再開・・・

毎週一回2時間、教科書を元に教授とのQ&Aと雑談をしていきます・・・

毎週できるかははなはだ疑問ですが・・・

 

シリーズ42の部分

 

「第七章 スペインの植民地体制」 のところです・・・

 

 

p104

 

― Indias インディアス を「新大陸」と翻訳したが、本来は

  どのような意味合いの言葉なのか?

 

Indiasは 「新しく獲得した領土」というぐらいの意味である.

 

 

― 総督には強大な権力があって、中国、日本、シャム、その他の

  国々との間で戦争の宣言も出すことができたとあるが、

  この時代にそのような紛争や戦争はあったのか?

 

この時代には、すでにほぼ欧米列強の縄張りは終わっていたので

紛争などはなかった.

 

― 総督は スペインからの国王令や法律に対しても

  拒否権を行使することが出来たとあるが、

  どのようなことで拒否権を発動できたのか?

 

実際には国王に対して拒否権を使えるわけがなかった・・

This veto power was called cumplase.  と書いてあるが、

英語のveto 拒否と スペイン語の cumplase コンプラッセは

ニュアンスが異なる・・cumplaseの意味は

法律はあるが、それに従わず、ずるずると遅らせる、先延ばしに

するという意味である.

 

 

― Residencia レジデンシア と visitadorビジタドールは

  どういう意味なのか、翻訳が難しい・・・

 

Residencia は trial in your office  職場での裁判

 

Visitadorは 調査官、オンブズマンの意味である.

 

スペイン語の辞典・翻訳では residencia residence住まい

Visitador  Visitor訪問者 と出るんですが、

ここでの意味は 上のように、あくまでも裁判、調査の意味である.

 

 

p105

 

― 総督と判事の間に軋轢があった・・とあるが、

  どのような問題での軋轢だったのか?

 

メキシコとマニラの間のガレオン貿易や 宣教師関係のトラブル

などである.

 

― 王室聴聞会(マニラの最高裁判所)は

  現職の総督の死去などの折には総督として機能したとあるが、

  あとで出てくる大司教などの教会が総督をやるという話とは

  どういう関係にあるのか?

 

教会が総督の機能をするというのはあくまでも「代行」を

一時的にやるだけであって、最高裁判所が全権を持つのとは

異なる・・・

 

 

― autos acordados と呼ばれるフィリピン内での独自の法律

  の中に 中国人移民の制限 というのがあるが、

  これはどのようなものだったのか?

 

autos acordados とは 自動的に合意されたものという意味で

総督と最高裁判所で合意して実施されたもの.

中国人移民はフィリピンに隣接していた台湾からの

 

台湾人(タイペン)の流入であった、17世紀ごろに

船でどんどん入ってきていた・・

 

 

 

シリーズ43の部分

 

 

― フィリピンにはスペイン時代に奴隷制度があったのか?

 

スペインがやって来る前から、フィリピンの王国の中で

奴隷がいた.  スペインの法律では奴隷を所有してはいけない

ことになっていたが、植民地になった初期には奴隷を所有する

スペイン人がいたので、教会関係者などの反対で

禁止されることになった.

 

 

― インディオ(フィリピン人)をエンコミエンダに

  割り当てたとあるが、これは奴隷なのか?

 

奴隷ではない・・・

 

 

― エンコミエンダは 2世代あるいは3世代までで

  その後は スペイン国王に返すことになっているが

  その通りに返還されたのか・・・

 

実際には子や孫の代に 延長されている.

 

エンコミエンダは スペイン国王から褒美として

その地域の運営を「委託」されたものであるが、

その他に HACIENDA(ハシエンダ)というものがあって、

これはスペイン国王がスペイン人に土地の所有権を与えたものだった.

Haciendaは 大領地というほどの意味である.

(日本の荘園制度みたいなものか?)

 

ハシエンダで現在でも有名な人名は、コファンコ、オスメニア、

クリマコなどの有力者である.

ちなみにコファンコ・ファミリーは アキノ大統領の

ファミリーである.

 

そういう現実があるから、フィリピンの農地改革は失敗した.

 

元々 ハシエンダやエンコミエンダは スペイン人や

メキシコ人に与えられたものであるが、子孫がいなかった

地域では、労働者として熱心に働いていた中国人に多くが

 

引き継がれることになった.

中国系フィリピン人の力が現在も強大なのはこれに由来する.

 

 

― エンコミエンダは 貢物(税)を課していたとあるが、

  現在でもあるのか?

 

現在は 土地をレンタルするという形になっている.

 

 

 

シリーズ44の部分

 

p107

 

― エンコミエンダで働くフィリピン人は 年貢以外に

  税金などを市町村などにも払ったのか?

 

農民などは、エンコミエンダへの年貢以外にも

市や州にも税金を支払った.

 

 

― エンコミエンダは、法律によって居住者の福利を増進

  しなくてはならなかったとあるが、

  それは自治体の役割とは別なのか?

 

エンコミエンダはあくまでも私的なものであるので、

私設の軍隊や私設の警察を持っていた・・・

自治体の警察や軍とは別である.

(今でも、フィリピンの一部の地域では 時々問題になって

 いるようです・・・)

 

 

― 1591年に 257のエンコミエンダに

  60万人超の総人口がいたとあるが、その当時のフィリピン

  全土での人口はどの程度だったのか?

 

スペイン時代にフィリピン全土が統治されていたわけではない

ので、全土での人口の統計データはない.

(ちなみに、バギオを含むルソン島北部山岳地帯はスペインの

 統治は及んでいなかった)

 

 

― 1884年に年貢が廃止され、cedula tax証明書(登録)税

  で置き換えられたとあるが、この税金は今でもあるのか?

 

名称は コミュニティー・タックスと変わっているが現在もある.

しかし、現在のこの登録税は、強制的なものではなく、

パスポートを作ったり、銀行でローンを組むときなど

コミュニティー・タックス証明書が必要な人が支払っている.

 

 

― エンコミエンデロたちが、年貢を徴収する時に、

  家具を強奪し、豚や水牛までも盗んだとあるが、なぜ

  そんなことをしたのか?

 

これは、フィリピン人はお金の方が大事だったので

お金を取られるぐらいなら家畜を取られる方がよかったからである.

 

 

― 年貢に反対する反乱があったと書いてあるが、

  どのような人がどの程度の規模でやったのか?

 

ごく普通のエンコミエンダの農民で、農具を使った反乱であり、

大規模に組織されたものではない・・

酒に酔っぱらって、そのいきおいでやったぐらいの反乱である.

 

 

=== これが久々の授業で、私の質問に対して

    教授に答えてもらった内容です・・・

    一応授業が終わった後に、ビールを飲みながら

    いろいろと面白い話を聞かせていただきましたが、

    それはまたいずれ・・・  =====

===  シリーズ45は こちらです:

       http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2014/11/45-55cd.html

 

 

 

 

 

 

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2014年11月 5日 (水)

それって「ちがくない」、「きれくない」 ??   日本語教師症候群

最近とっても気になること・・
NHKテレビのレポーターや出演者が・・・

違(ちが)く見えるんですけど・・・」
 動詞 「違う、違います、違っています、違いました・・・」
  だから 「ちがって見えるんですけど・・」じゃないかなあ~~

きれくないですか?」
 な形容詞(又は形容動詞) 
  「きれいな人、きれいです、 きれいではない、 きれいじゃない・・・」

   「高くないですか?」のように い形容詞の場合だったら
   「高い服、 高いです、 高くない、・・・」だから
   「XXくないですか?」でいいんだけど・・

   これと同じ間違いが 「好きな」ですね・・・
   な形容詞なのに、「好きじゃない」が 「好きくない」に
   なっちゃってるし・・・

まあ、日本語教師の病気なんですけどね・・・
正しい日本語は そうなんだけど、
日本人は 「めちゃくちゃしゃべっているからね」って教えるしかないんだなあ・・・

   

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2014年11月 4日 (火)

仕事か家族か  フィリピンの万聖節・万霊節にインターネットが・・

仕事か家族か  フィリピンの万聖節・万霊節にインターネットが・・

11月1日(土)が万聖節(all saints' day)で 2日(日)が万霊節(all souls' day)で、
日本で言えば お盆のように フィリピン全土が渋滞になる季節なんです・・・

・・で、ゆっくりとのんびりと、ブログの更新でもやろうかなあ~~と思っていたら・・
なんと、2日の朝から インターネット・ケーブルがうんともすんとも言わない・・・

ヘルパーのお兄ちゃんに
「インターネットの接続が駄目みたいだけど~~」
と 調べてもらったら・・・
「電話も発信音がありまっせ~~ん」

私の下宿は PLDT(フィリピン・ロング・ディスタンス・テレフォン会社)のケーブルで
インターネット接続しているんですけどね・・
日本で言えば NTTみたいな会社です・・

「もしかして、PLDTのお兄ちゃんたち お盆休みかな?」
「そうかもね・・・24時間から48時間は覚悟しといた方がよさそうですね・・」

・・てな具合でして・・

そこでふと思い出したのが、日本語の教材に出てきた例文・・・

「仕事と家族とどちらが大切ですか」
「・・どちらも大切だと思います」

思います・・の使い方の練習なんですけどね・・

それで、私の生徒たちに聞いてみたんです・・・

「xxxさんは 仕事と家族と どちらが大切ですか」

「家族が大切だと思います」

・・・だったんです・・・一人だけじゃありませんよ・・

なるほどなあ~~、さすがにフィリピン人・・・家族の為に仕事を選ぶ・・・

その一方で、さすがに日本語のテキストだなあ~~、ってね、思ったわけです・・

その内容の主義主張は別として、
日本語、日本の生活習慣文化を学ぶという意味では、
「どちらも大切だと思います」
・・でなくてはならんわけですね・・・

などと思っていた時に、NHKでこんな番組をやっていました・・・
TEDS 「地球幸福度指数」
http://www.ted.com/talks/nic_marks_the_happy_planet_index?language=ja

これがどんな内容の指数かといいますと:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E5%BA%A6%E6%8C%87%E6%95%B0

上記を読んでいただけば分かることですが、要するに、

「人間が本来人生に最も望む幸福と健康の度合いを測るものではなく、金銭的発展
度合いを測るだけの指標であり人間生活の真の豊かさの度合いを表したものでは
ないという批判に答え、人間活動である特に文明の活動が将来にわたって持続
できるかどうかを表す概念である持続可能性を組み込んだ国の幸福度を測る

新たな指標である。」

このデータで 2009年の順位をみると、
フィリピンは 14位、 日本は 75位なんですね・・・

トップグループには 中南米の国が多い・・・
アジアで一番はベトナムなんですねえ・・・

その国の人たちの幸福の度合いと、その国が地球に与えている負荷の
マトリックスで順位をつけているらしいです・・・

つまり、地球にやさしくないことをやって経済的に豊かになっても、人間は幸せには
なれないって話ですね・・・

人間の最終的な目標が幸せであることだとするならば、
地球の天然資源ができるだけ長い年数に渡って使える程度にちびちび
使うだけでいいじゃないかっていう指数なんですね・・・

そういう意味で、フィリピンの人たちは 日本人よりもずっと幸せな生活を
過ごしているということになります・・・

それは、私自身もフィリピンのバギオに過去10年ほど住んできて
ことあるごとにつくづく感じていることなので、この指数が必ずしも
「変な」指数ではないと思うわけです・・・

経済にふりまわされ、将来の経済的生活の不安に押しつぶされ、
周囲に気を使ってばかり、子供に過剰な期待をかけ、社員を追い詰め、
うつ病を助長し、自殺に追い込むような経済大国に何の意味があるんだろうって
・・そう思うわけです・・

 

 

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2014年11月 3日 (月)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 49 スペインは宗教に熱心で経済に失敗した?

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

8 OUR ECONOMY UNDER SPAIN  第八章 スペインの下のフィリピン経済

 

p112

スペインは、植民地化の宗教的側面に力を注ぎ、フィリピンの経済的

開発の推進を無視していた. 植民地の経済的繁栄に関わる多くの

優れた法律や政策にもかかわらず、国は惨めに衰退した. それは

スペイン人役人と修道士の汚職、無知と怠惰によるものであった.

最後には、スペインは、スペイン自身が所有するものしか与える

ことが出来なかった: スペイン帝国が衰退した時、スペインの

植民地も苦しむこととなった. 皮肉なことに、19世紀の急激

な経済的成長の時期に、重要な発展の分け前を確かなものに

したいと思い、スペイン人との平等を主張したいと思うようになった

フィリピン人の政治的啓蒙をもたらした.

 

 

=== ここで、修道士(friar)の汚職・・という言葉が出て

    くるんですが、今迄のところで盛んに使われてきた

 Priest(司祭、神父)とはどのような違いがあるんでしょうか.

    修道士は聖職者の中の下級の者、priestは上級の者という

    ような意味合いがあるんでしょうか?

 

 

「スペインの経済政策」

スペインの下でのフィリピンの経済的開発の歩みは全体的に

遅いものだった. それは、スペインが、イングランド、オランダ

あるいはアメリカのような企業家精神のある商人や実利主義的意欲

に欠けていたからであった. 皮肉にも、これはフィリピン人に

対しては有難い偽装であった. 

スペインはフィリピンの豊富な天然資源を十分に搾取したで

あろうか.  これらの資源はフィリピンのためでなく、スペインの利益

の為だけに、もっと急速に枯渇したであろう. 

それ故に、スペインの厳しい批判が、経済開発を「怠っている」と

スペインを槍玉にあげた一方で、植民地の非効率性がフィリピンの

将来の世代のための世襲遺産の保全を確かなものにしたのである.

 

 

=== なるほどねえ・・・

    うまく収奪していればスペイン帝国も没落することも

    なかっただろうに・・ってことでしょうか?

    しかし、それにしても、その将来の世代の為に保全された

    という世襲遺産は、今のフィリピン経済で活かされて

    いるんでしょうかねえ・・・多いに疑問です・・

 

 

植民地政府は、フィリピンの未開発の経済のため、その費用を

支えることができず、毎年損失に悩まされた. マニラ当局の

財政的懸念を軽減するために、国王フィリップ3世は1606年に

毎年の補助金制度(real situado)を作った. 

 

 

第七章で見てきたように、毎年の補助金はメキシコの国庫及び

ガレオン貿易で賄われたが、その金額は年平均で25万ペソとなった.

しかし、いくつかの経済的な成果もスペイン時代に実現した.

これらの経済的成果は次のようなものであった:

 

(1)メキシコからの新しい植物や動物の導入;(2)新しい産業

の設立;(3)マニラ-アカプルコ貿易の開設;(4)国の支持者

の経済団体の創設;(5)煙草専売;(6)フィリピンの王立企業

の創立;そして、(7)フィリピンの世界貿易への開放.

 

 

=== 随分昔の話ですが、私が1992年ごろからフィリピン出張

    でバギオへ来るようになってから、フィリピンの仕事仲間と

    酒を飲みながら様々なことを話したことがありました.

    その中で、スペインの植民地でフィリピンはどういう影響を

    受けたのかを尋ねたのですが、その仲間は、

    今のスペイン、メキシコ、フィリピンなどスペインの植民地

    だった国の現状を見れば分かるでしょうと笑ったものです.

    そして、そのおまけに、

    日本がもし、戦争に負けずにずっとフィリピンにいたら、

    今頃フィリピンもハイテクの国になっていただろうにねえ・・

    などとお世辞まで言ってくれたものです・・

 

 

    フィリピンとは離れますが、

    私が西アフリカのベナン共和国で日本語を教えていた頃、

    アフリカ諸国の中で、どんな国が経済的に発展しているか

    という話になったことがあります.

    その時に旧宗主国として挙げられたのはフランスと英国

    でしたが、ベナン人曰く、英国の植民地だった国は

    今割と発展しているが、フランスが宗主国だった国は

    今でも駄目だということでした.

    どこの国に植民地とされたかによって、その後遺症の

    大小は 少なからずあるのかもしれません・・・

 

=== 次回シリーズ50では、上記の「成果」をもう少し

    詳しく読んでいきましょう ===

=== シリーズ49の授業は こちら ===

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 48  教会がフィリピンを支配した

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

7 SPANISH COLONIAL SYSTEM  第七章 スペインの植民地体制

 

 

p110

「教会の組織」

 

 

民間政府と並行して、且つ密接に関連して、教会の組織があった.

この組織のトップには、マニラの大司教がいて、スペイン国王の

推薦によって教皇が指名していた.  大司教の下には司教がおり、

教区の長であった. そして、その司教の下に、教区の司祭がいて、

教区の管理をしていた.

 

 

教会は独自の法廷を持ち、大司教の法廷と呼ばれたが、

そこでは、教会法に関連する訴訟や聖職者に関わる訴訟を

裁いていた.

 

マニラのbishopric(司教の職)は1578年に教皇グレゴリー十二世に

よって作られた. 最初のマニラ司教は、ドミンゴ・デ・サラザール大司教

であった. 1595年に 教皇クレメント8世が、マニラを大司教に

昇格させた. そして、同時に、セブ、ヌエバ・セゴビア、そしてヌエバ・

カセレスを大司教補佐とした. 

サラザール司教は、スペインを訪問中に大司教と命名されたのである.

(以下省略)

 

 

p111

「教会と国の結合」

 

 

スペイン時代に、フィリピンでは、教会と国の政治的結合があった.

カトリックのキリスト教が国教であった. 民間と教会の権威は

神と国王に仕えた. その結合によって、聖職者は植民地における

政治的影響力をふるうこととなった.

 

 

町では、教区の司祭が権力を行使した. 司祭はスペイン王族を代表

する者であった. 地方の選挙、教育、慈善事業、モラル及び課税を

監督した. 

 

 

1762年まで、司教と大司教は、州知事(総督)の地位が空席の場合、

総督として代行した.  大司教フランシスコ・デ・ラ・クエスタ

(1719-21年)、司教ファン・デ・アレチェデラ(1745-

50年)、・・・(以下省略)などであった.

 

=== 上記で「州知事の地位が空席の場合」と翻訳したのですが、

    原文は in cases of vacancy in the gubernatorial office となっていて、

 Gubernatorial を辞書で調べると「(州)知事の」となって

    いるのでそう訳したのですが、その後に acted as governors

 General  「総督として代行した」となるので、ちょっと

    変なんです・・・

    州知事の空席の場合に総督として代行するってのは

    どう考えてもおかしい・・・

    その後に大司教云々となっているので、おそらくここは

    州知事の空席ではなく 総督の空席とすべきところなの

    でしょう・・・

    ってことは、gubernatorial  officeは総督の席ということに

    しなければいけませんね・・・

 

    そこで、遡ってこのシリーズを読んでみたところ、

    シリーズ42で 以下のように翻訳していました:

    「総督 gubernatorialの権力に対するチェック」

    従って、やっぱり英和辞書にある訳である州知事ではなく

    総督としなくてはいけませんでした・・・

 

 

=== さて、前回47で 受験参考書の日本の歴史を参考にしたん

    ですが、この時期の日本への宣教師の進出が気になるので

    もう少し読んでみます:

 

 

「ザビエルは・・・・・

 1549年、一行6人とともに鹿児島に来航した・・・

 ザビエルは平戸・山口・堺をへて京都に入ったが、布教の目的を

 達することができず、山口でしばらく布教ののち、豊後日出(大分県)

 からインドに去った. かれの滞日期間は約2年3か月であった.

 

 

「ザビエルは日本をよく観察し、布教のために人物・識見ともに

 すぐれた宣教師の派遣をローマ教会に進言したので、その後も

 多くの有能な宣教師が渡来して、布教はめざましく進展した・・」

 

 

「なかでも1579年(天正7)来日した巡察使バリニャーニの

 組織的活動の功に帰するところが大きい. ・・・少年使節(天正

 遣欧使節)をローマ教皇のもとに派遣したことである.

 このような努力によって信者も急激に増加し、16世紀末ころには

 10数万人をかぞえた.

 

 

「貿易の利益とも結びついて・・・洗礼を受けてキリシタン大名と

 よばれるものもあり、近畿地方でも摂津高槻の高山右近(1552

 -1614)、丹後宮津の細川忠興(夫人はガラシア)、・・・

 など数多く現れた」

 

 

=== この日本の参考書にはフィリピンからの宣教師のことは

    書いてありませんが、このシリーズの37で以下のような

    ことを書いていました:

 

    ザビエルが来航したのが1549年ですし、上記の巡察使

    バリニャーニは1579年ですから、

    マニラから来た1596年のフランシスコ会員フェリペ・

    デ・ヘスースは さらに遅かったんですね・・・

 

      サン=フェリペ号事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%9A%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

      「1596年(文禄5年)7月、フィリピンのマニラを出航

       したスペインのガレオン船サン=フェリペ号がメキシコ

       を目指して太平洋横断の途についた。同船の船長は

       マティアス・デ・ランデーチョであり、船員以外に当時

       の航海の通例として七名の司祭(フランシスコ会員フェリペ・

       デ・ヘスースとファン・ポーブレ、四名のアウグスティノ

       会員、一名のドミニコ会員)が乗り組んでいた。サン=

       フェリペ号は東シナ海で複数の台風に襲われ、甚大な

       被害を受けた。」 

 

      「スペイン人たちは海賊であり、ペルー、メキシコ

      (ノビスパニア)、フィリピンを武力制圧したように日本

       でもそれを行うため、測量に来たに違いない。このこと

       は都にいる3名のポルトガル人ほか数名に聞いた」と

       いう秀吉の書状を告げた。」

 

=== この部分を日本の受験参考書で読んでみると:

 

「・・・イエズス会との対立がはげしくなった.

 1596年(慶長元)年9月、土佐に漂着したイスパニア船

 サン・フェリペ号事件を契機に、おわゆる26聖人殉教事件

 がおこり、禁教はいっそうきびしいものになった.

 

 

つまり、秀吉の時代だったので、マニラからたまたま渡った

宣教師は殉教することになったわけですね・・・

 

 

=== さて、次回49からは「スペインの下での経済」に入ります ===

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ – (番外)ええっ? 教科書は使わないの?

 

 

先日たまたま 某日本人留学生と話をすることがありまして・・

彼はバギオの中でも有名な大学で経済・経営関係の学部で勉強をしているん

ですが、その話がなかなか面白い・・

 

 

教科のひとつとしてフィリピンの歴史をとっているというので、

どんな教科書を使っているのか興味があったんです・・

 

ところが、

 

「教科書は使っていないんですよ.

「ええっ!? 教科書使ってないの??」

 

「はい、教授がべらべらしゃべるだけなんです」

「しゃべるだけ? 」

 

「はい、それも、フィリピン語、スペイン語、英語がごちゃごちゃ

 混ざっているから 大変なんですよ・・」

 

 

「そうだよねえ・・・歴史の教科書を翻訳しているんだけど、

 スペイン語の言葉がいろいろ出てくるからその単語を理解する

 だけでも大変じゃないの・・・」

「そうなんですよ、さっぱり分からないんです・・・」

 

 

「教科書がないって言っても、なんか資料ぐらいは配るんじゃないの?」

「それもほとんどなくて、インターネットで調べろって指示があるんです」

 

 

「あららら・・ まあ、確かに教科書は割と高いし、資料が掲載

 されているような本とか、憲法とか法律なんかも専門書は

 めちゃくちゃ高いだろうから、フィリピン人は買えないよね・・・」

 

 

「そうなんですよ・・・歴史の授業でも、フィリピンの憲法とかが

 書いてある本なんかは 数センチ~10センチぐらいもある

 分厚い本ですからねえ・・・こんな分厚いんですよ・・」

 

 

「インターネットで調べるのかあ~~」

 

「はい、自分でパソコンやらiPADなんかで、みんなやってますよ」

 

 

「それにしても、スペイン語なんかがどんどん出てくるし、

 法律なんかもスペイン語が分からないとだめらしいね・・・」

 

 

「エンコミエンダとかいう言葉も出てきたんですけど、

 翻訳している教科書には出てきましたか?」

 

 

「ああ、丁度 昨日翻訳したところに出てきたよ・・

 英和辞書にはないから、インターネットで調べるしかないし・・」

 

 

「どんな歴史の教科書を翻訳しているんですか・・」

 

 

「ザイデというフィリピンでは歴史の大御所が書いた本.

 今まで歴史教育で使われてきた中では、一番ポピュラーな本

 らしいよ・・・最近は他の著者の本も使われているそうだけど・・

 翻訳したやつをブログにアップしているから参考にしたら?」

 

 

「ああ、はい・・・読ませてもらいます・・・」

 

 

「そのベラベラしゃべってばかりの教授に突っ込みを入れたら、

 おっ、この日本人留学生は出来るな・・って思われるかもよ・・

 あはははは・・」

 

 

・・・・

 

 

教科書を使わないという話を聞いたのは初めてのことで、

フィリピン人の若い人からは教科書を使ったと聞いたので、

おそらくその教授独自の教え方なのかと思いますが、

教科書を使わず、インターネットを使って学生一人一人が

調べて勉強するというのは もしかしたら力が付く方法かも

しれませんね・・

 

日本みたいに、なにからなにまで揃っている教材に囲まれると

かえってその狭い範囲の知識に押し込められるという弊害が

出るかもしれません・・・

 

 

インタネットでそれぞれが調べるということになると、

いろんな情報、異なる視点の情報を得ることになるでしょうから

学生が書くレポートもいろいろなものが期待できるかも・・・

 

もちろん、インターネットの情報は 玉石混交ですから、

どんな情報にぶつかるかで いわゆる一般常識的な本流の

歴史解釈になったり、異端的なものに出会ったり、キワモノの

歴史だったりと、大学の授業で議論するには かえって

もってこいの材料が集まるかもしれませんね・・

 

 

そういうのがあってこそ、面白い授業になるでしょうから、

教科書がないというのは あながち悪いことじゃないのかも

しれません・・・

 

 

=== と、ここまで想像を膨らませて書いたところで、

    同じ大学で以前勉強していたフィリピン人に話を聞きまして・・

 

 

「歴史の教授は、私はXXという著者が書いたXXという本を基本に

 話をします・・・」

と言うようなことを最初に言うそうで、

その教科書を買うかどうかは、学生に任されているそうです・・

 

 

「いろいろ調べる時は、大学の図書館で蔵書を読んだり、

 図書館の中に設置してあるコンピューターで資料を調べたり

 するようになっているんです・・」

 

「ああ、なるほど、大学のコンピューターを使えるんだ・・」

 

「でも、大学のは、スピードが遅いし、学生が多いし、

 それに第一 facebookが使えないんで、みんな好きじゃなくて、

 インターネット・カフェなんかでやっているわけ・・」

 

「インターネットだと、いろんな資料があるんだろうけど、

 いい加減な資料も多いんじゃないの?」

 

 

「大学がABSCOっていう歴史資料のデータベースにお金を

 払っていて、学生はアカウントをもらって そこでいろいろ

 調べるんですよ・・」

 

 

「へえ~~、なるほど、それはフィリピンの教育省かなにかが

 管理しているの?」

 

「いやいや、たぶんアメリカの組織だと思うけど、

 インターナショナルな学術データベースですよ・・・

 大学は高いお金を払っているわけです・・・」

 

 

「ああ、学術的なデータベースなんだ・・」

 

「ええ、だから、そこに掲載されている資料は ちゃんと

 それなりに内容をチェックされたものばかりなんです」

 

「ふ~~ん、データソースがちゃんとわかるんだ・・」

 

「はい、だから、大学の教授も学生がレポートを書いたりする

 時に、どこからもってきた資料なのかを 明記させるわけ・・」

 

 

=== さてさて、こういう話を聞くと、逆に

    最近の日本の歴史教育はどうなってんだろう・・

    と思っちゃいますね・・・

 

    おそらく、インターネットやいろんなデータベースは

    もちろん使っているとは思うんですが、

    どのように使われているんでしょうか・・・

    それに、どの程度インターナショナルなデータに

    なっているんでしょうか・・

 

 ABSCOという学術データベースには、

    英語やスペイン語が もちろん使われていて

    それをフィリピンの大学生たちは資料として

    使っているんだそうです・・・

 

    日本の大学生・・・大丈夫かな??

 

    日本の大学生には、いろんな国の人が書いた歴史資料を

    幅広く勉強して欲しいですね・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 47 おやっ? ザビエルの方が早かったの?

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

います・・

 

7 SPANISH COLONIAL SYSTEM  第七章 スペインの植民地体制

 

 

 

p109

「町村政府」

 

州はpueblos(町)に分割された. それぞれのpueblo

Gobernadorcillo ゴベルナドルシロという下級知事(町長)によって

管理された. その町長は普通は capitanカピタンと呼ばれ、

その妻は capitanaと呼ばれた. 

最初は、その町長は毎年 その町のすべての既婚男性によって

選ばれていた; しかしその後、19世紀には、町長は、退任する

町長によって率いられた13人の選挙人によって選ばれた.

 

その他の町長以外の町の職員は teniente mayorchief lieutenant助役?),

Juez de sementeras (justice of the fieds フィールドの司法官?), 

Juez de ganados (justice of cattle 畜牛の司法官???),

Juez de policia (justice of police 警察の司法官)

そして、directorcillo(municipal secretary 市町村書記官) であった.

 

 

=== そのスペイン語での役職名には参っちゃいますね・・

 Field(野原)の司法官とか cattle(牛)の司法官とか

    ・・これ何???

    日本の市役所とか町役場でこれに該当する役職がないことには

    翻訳のしようがないんだよなあ・・・

 

p110

それぞれの町は、バランガイ(バリオ)に分けられ、バランガイは

Cabeza de barangay の下に置かれた.

 

 

=== cabeza de barangay って 今で言う バランガイ・キャプテン

    のことなんでしょうか?

    バランガイっていうのは、昔々バランガイと呼ばれる船で

    一族郎党が 他の島からやってきて辿り着いたところで

    村落を作ったそうで、その地区のことをバランガイと呼ぶ

    ようになったようです・・・

    今でも、このバランガイが一番小さい政治行政の単位に

    なっていて、規模的には日本の町内会みたいなものでしょうか..

    ただし、日本の町内会には政治行政的な役割はありませんが・・

 

 

p110

「市」

 

フィリピンのいくつかの大きい町は市に編成された.

そのいくつかを挙げれば、マニラ、リパ、ジャロ、セブ、

アルバイ、アレバロ、ナガそしてビガンである.

市政府は、ayuntamiento と呼ばれた.

市議会は、cabildoとして知られ、 alcalde(州知事)、

Regidores (議会議員)、alguacilメイヤー(警察長官)そして

Escribano(書記官)で構成された.

 

=== 州が分割されて町があり、町がまとめられて市になって

    いるんですが、州にはalcaldeという州知事、町には

 capitanという町長がいるのに、市には市長というのが

    いなくて、州知事が治めたってことかな???

 

 

p110

「宣教師とスペインの植民地化」

 

 

フィリピンの植民地化に於いて、宣教師は大きな役割を演じた.

彼らは征服者とともにやって来た. 

彼らは勇敢に未知の山々や未開のジャングルに踏み入って、

大きな困難に耐え、熱心な布教の労働の途中で殉教者として

死にみまわれることも少なくなかった・.

彼らの武器は十字架と数珠と美徳のみであった.

十字架のしるしによって、彼らは、フィリピン人がキリスト教と

スペインの支配を受入れることを勝ち取った.

 

=== う~~ん、この辺りの書き方は、日本の教科書では

    あり得ない表現でしょうね・・

    政教分離、宗教と教育の分離の立場からは、あり得ない・・

    しかし、キリスト教徒が9割以上と言われ、現実の政治、生活の

    中でもキリスト教が伝統文化としても大きな役割を果たしている

    フィリピンでは、このような表現もごく自然なことなのでしょう.

    しかし、一方でホセ・リサールの著書などに出てくる

    聖職者の腐敗が元で 後年反乱が起こったことを考えれば、

    もっと客観的な描写にして欲しいなあ・・なんてことを

    わたしは感じます・・・

    あくまでも教科書として見た時はの話ですけど・・

    これがキリスト教を宣伝するための本なら至極当たり前の

    表現でしょうが・・・

 

p110

最初にフィリピンに到着した宣教団は、ウルダネタ神父率いる

アウグスティノ会であった. 彼らは1565年にレガスピと共に

やって来た.  続いて、1577年にフランシスコ会、1581年に

イエズス会、1587年にドミニコ会、1606年にリコレクト会、

そして1895年にベネディクト会などが続々と到着した.

 

=== ちなみに、「詳細日本史」という古い受験参考書を開いて

    みますと、

    「たまたま1543(天文12)年、シャムから中国の

     寧波にむかった一隻のポルトガル船が、大隅国(鹿児島県)

     の種子島に漂着した. このときポルトガル人がたずさえて

     いた鉄砲を、島主種子島時堯が2挺買い求め、家臣にその

     操法・製法と火薬の製造法を学ばせた」

 

    また、この本の挿絵を見ますと、日本とスペインの中継貿易の

    ルートは、日本―マニラ-メキシコ-スペインとなっています.

 

    「ザビエルの来日:

     イエズス会は、新大陸・東洋の異教徒に熱心に伝道した.

     ・・・なかでも東洋への伝道を志したザビエルは、1542年    

     インドのゴアにきて、・・布教していたが、たまたま

     マラッカで知った薩摩のアンジローの案内で1549年、

     一行6人とともに鹿児島に来航した.

 

     ・・・・おお、なんと、フィリピンへ宣教師が初めて

     渡ってきたのがレガスピの1565年ですから、

     ザビエルが鹿児島へやってきたのが16年も早かったん

     ですね・・・

 

 

=== シリーズ48へ続く ===

 

 

 

 

 

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2014年11月 2日 (日)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 46 なに? 奴隷制度があったの??

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をしています・・

 

 

7 SPANISH COLONIAL SYSTEM  第七章 スペインの植民地体制

 

 

p109

「奴隷の廃止」

 

 

スペインが人々のために行った良いことのひとつは奴隷の廃止だった.

初期のスペイン人宣教師たちは、フィリピンでの奴隷制度を廃止するよう

国王に勧めた. 

1581年10月17日、ドミンゴ・サラザール司教と異なる宗派の

聖職者の地位にあるものたちがマニラのトンドにあるアウグスティノ

修道院に集まった. 正当な審議の後、彼らは神の法に反し、また

新大陸法に違反して奴隷を保有していたフィリピンのスペイン人を

非難し、国王フィリップ二世に訴えた.

国王フィリップ二世は、サラザール司教と神父たちの訴えを聞き入れ、

地元民の奴隷を解放する1589年8月9日の王室令を発効した.

 

ローマ法王グレゴリー十四世は大勅書を1591年4月18日に

発布し、その国王令を強化し、奴隷を解放しない者たちを

破門すると脅した.

 

 

=== なんだか、これだけを読むと随分きれいごとに思えますが、

    奴隷廃止をせざるを得ない理由となるフィリピン人側の

    激しい反乱なりがあったのでしょうか・・

    そういうところが知りたいんですけどねえ・・・

    奴隷の自由化はそんなに簡単なものじゃなかったと

    思うんですが・・

    フィリピン人側のヒーローはいなかったのでしょうか・・

    しかし、前回に読んだ部分で サマール島の反乱は

    1650年ごろだったわけだから、この奴隷解放は

    それよりも60年ぐらい前の話ですしね・・・

    それに、前回の部分で Poloという強制労働を強いられた

 Polistasと呼ばれた人々と ここでいう奴隷とは

    同じことを言っているのかどうか・・・・

    そもそも ここでいきなり出てきた 奴隷制度ってなに?

 

 

「州政府」

 

行政目的の為、フィリピンは州と特別区に分割された.

州はalcaldiasとして知られ、それぞれが alcaldeメイヤー(州知事)

によって統治された.  特別区は、制圧されていない地域であり、

そこは corregimientosとして知られ、それぞれ通常は軍人である

corregidorの下にあった.

 

 

=== Corregidorコレヒドールと聞くと まず思い出すのは

    島の名前なんですが・・・

    x http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%83%92%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B3%B6

    別途 こんな意味があったんですね・・・

    「Corregidor (position) コレヒドール (官職)

    コレヒドール(Corregidor : es)は、中世~19世紀初頭に

    かけて、スペインおよびその植民地に存在した地方行政官職

    の名称。」

    x http://ejje.weblio.jp/content/corregidor

 

 

=== Corregimiento コレヒミエント? は以下の説明があります:

    x http://en.wikipedia.org/wiki/Corregimiento

 

 Corregimiento (Spanish: [korexiˈmjento]; Catalan: Corregiment,

 IPA: [kurəʒiˈmen]) is a Spanish term used for country subdivisions

 for administrative purposes. A corregimiento was usually led by

 a corregidor, helped by a lieutenant.

    スペイン語・・行政目的の区画で、通常は大尉に補佐された

    コレヒドールが率いている.

 

    特別区っていうから、特別に発達した大都市かと思ったら

    逆に治安が安定していない地域のようですね・・・

 

 

州のAlcaldeメイヤー(州知事)は、行政と司法の機能の両方を

担っていた. 給料は低いものだったが、貿易に関与する特権が

あったため富を得た. この特権は乱用され、1844年に

廃止されることとなった.

ついに、1886年、alcaldeメイヤーは単に司法官とされ、

民政知事が州の最高行政官として任命された.

 

 

=== ここで、alcaldeメイヤーという地位がどんなものだか

    分からなくなってしまいました・・・

 Ci vilガバナーとそもそもどう違うのか?

 

 Alcaldeを辞書で調べると:

    「スペイン・ポルトガルなどの市長、治安判事」と出てきます.

    これとCi vil go venorは司法の部分が違うことは分かり

    ますが、alcaldeという言葉自体に「司法官」という

    意味合いが強く入っているのかどうか・・・

 

    そこで、alcaldeをインターネット検索してみたところ、

    エンサイクロペディア・ブリタニカにこんな説明が

    ありました:

    x http://www.britannica.com/EBchecked/topic/13206/alcalde 

 

alcalde

, (from Arabic al-qāḍī, “judge”), the administrative and judicial head of a

town or village in Spain or in areas under Spanish control or influence.

The title was applied to local government officials whose functions were

various but always included a judicial element. Types of alcaldes were

differentiated according to the specialized nature of their judicial functions:

the alcalde de corte was a judge of the palace court with jurisdiction in and

about the residence of the king; the alcalde mayor assisted the royally

appointed judges (corregidores) in the towns. 

 

スペインあるいはスペインの統治又は影響下にある地域の

町や村における行政及び司法の長である.

その敬称は、地方政府職員でその機能は様々であるが、常に

司法的要素を備えた者に適用された. Alcaldesのタイプは

司法機能の専門性によっていろいろであった:

Alcalde de corte は宮廷裁判所の判事であり、国王の邸宅に於ける

及び関係する司法に関与していた; alcalde mayorは町に於いて

王室に指名された裁判官(corregidores)を補佐していた.

 

 

=== つまり、alcaldeメイヤーというのは

    軍人であるcorregidoreコレヒドールを補佐する、

    常に司法官であるとともに、行政官の役割も

    担っていた者ということになるんでしょうか・・

    行政官である前に司法官であるということですね・・

    行政と司法の両方を任されていたけれども、

    職権乱用が目立ってきたから、行政の方は別の民間人

    に任せることになったということになりますか・・

 

 

=== シリーズ47に続く ===

027

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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