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2014年11月15日 (土)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ ― 第17回目の授業 -オフレコ編

 

 

 

歴史のお勉強をした後に、ビールを飲みながら、教授と雑談・・

 

 

Roland教授は、元は政治学の大学教授でして、

今日は政治の話が炸裂しました・・・笑

 

さらに、フリーメイソンにやたら詳しい・・・怪しい・・笑

 

政治の話になったんで、日頃から聞きたと思っていたことを

ちょっと尋ねてみました・・・・

 

バギオ市長は 次期は誰になると思いますか

 

「まあ、今の市長が次期も出られるから、彼でしょうね・・・

 彼が出る気があれば・・・」

 

「二番手候補としては誰がいますか」

 

「いないなあ・・・」

 

「今の市議会議員の中にはいませんか」

 

「今の市議会議員はみんなシャイだからねえ・・・」

 

「シャイですか」

 

「XX市議なんかは どうなんですか」

 

「ああ、XX市議は 演説はうまいけど・・・

 他の市議と同じで 実行能力はないね・・・」

 

「実行能力というと・・・」

 

「政策に反対するグループを説得して実行する能力だよ・・」

 

「へえ~、そんなに他の市議とは違うんですか」

 

「まず、今の市長の右に出る者はいないね・・」

 

国会議員は どうですか? 今の議員は?」

 

「ああ、あれはダメ・・・木を違法に切っちゃって

 訴えられてるからね・・・」

 

「じゃあ、他の候補は・・・前職の復活ですか」

 

「いや~、彼は出ないんじゃないかな・・・ビジネスに忙しいから」

 

「そういえば、ポークバレルが無くなったんで、今の国会議員に

 残念でした~~なんてことを言っていましたね・・」

 

「新人が出てこないとダメじゃないかと思うよ・・」

 

「フィリピンの選挙は金だといいますけど、バギオは・・」

 

バギオは まだまともな方・・・市民は利口だから・・」

 

「へえ~~、利口というと・・・」

 

「票を金で売っても、他の候補者に投票するからね・・あはは」

 

「票を買ったつもりでも そうは問屋がおろさない・・・」

 

「フィリピンの政治家は、上院議員なんて、ろくに学歴もない

 ような連中がなっているしねえ・・」

 

「へえ~~、そうなんですか」

 

賄賂をもらうために国会議員になっているような連中だから・・」

 

「ちなみに国会議員の公式な給料っていくらくらいなんですか・」

 

「何期目かで違うけど、3万ペソとか3万5千ペソとか・・

 彼らにとってはもらっても屁でもない金額・・・」

 

「大統領でも 数万ペソらしいですね・・・」

 

「私の友人のドクターが コンサルタントをやっているけど、

 そのドクターでも 6万ペソの月給だよ・・」

 

「大統領と同じくらいですか・・・」

 

「そのドクターが、イギリスかアメリカあたりに看護師の仕事

 があって、25万ペソぐらいもらえるってんで、

 受験勉強してんだから・・・」

 

「そういう話は多いですね・・・」

 

「頭脳流出ですよ・・・」

 

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 45-48 第17回目の授業 - フィリピンだって政教分離はある

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

 

毎週一回2時間、教科書を基に教授とのQ&Aと雑談をしています・・・

今週は水曜日に時間がとれなかったので土曜日になりました・・・

 

 

前回うっかり見過ごしていた部分から:

 

シリーズ41の最後の部分:

 

― インディーズの評議会の構成員の中にcosmographer(宇宙構造学者?)

  とあるのはどんなことをする人なのか?

 

社会学者のような仕事である・・・

人間関係、環境との関係、天文学、哲学などを専門とする.

 

 

シリーズ45について:

 

― poloという強制的な労働の日数が40日間から15日間に短縮

  されたとあるが、この理由は農民の反乱によるものか?

  なぜスペイン軍はそれを鎮圧できなかったのか?

 

農民の反乱によって短縮を迫られた・・

この時期にはあちこちで農民の反乱が発生していたが、

スペイン軍はフィリピン全土で3千人程度のものであり、

地方都市には150人ぐらいの軍隊しかいなかった.

よって、あちこちで発生する反乱を鎮圧できるほどの力はなかった・・

 

 

― この強制労働は、スペインの白人、スペイン系フィリピン人、

  中国人は免除されていた・・とあるが、なぜ中国人は免除

  されていたのか・・他の外国人はどうだったのか?

 

「メスティーソ」という言葉は、元来、スペイン系とは限らず

国際的な結婚によって生まれた者すべてのことである・・

中国人はこの当時は永住移民ではなかった・・

又、中国人はフィリピン人とは結婚しなかった・・・

ここでは外国人はすべて免除と書くべきところである・・

 

 

― 教科書とは直接の関係はないが、

  「万聖節」のような年中行事はいつ頃からフィリピンに定着

  していったのか・・・

 

スペイン時代の早い内から教会で始められた.

当初は、教会が建てられないうちからスペイン語の教育は

始まっていたが、数十年を経て、大学などが建てられ、

キリスト教が正しく理解されるようになってから定着したものと

考えられる・・・

 

 

― polo強制労働に関して、法律では日当や配給米がもらえることに

  なっていたのに、実際には決してもらうことはなかった・・とある

  が、これは取り締まる機関がなかったということか?

 

そのとおり、取り締まる機関がなかったからである・・

 

 

― poloの労働の中に、スペイン人の遠征の漕ぎ手というのが入って

  いるが、これはどんな遠征のことを言っているのか?

 

これは、フィリピンの近海でスペイン人の船があちこち行き来する際に

常勤の漕ぎ手に代わって臨時で使われた漕ぎ手である.

 

 

― 反乱を起こした スムロイの他に反乱のリーダーとして

  有名な者はいなかったのか?

 

スムロイはサマール島・レイテ島で活躍したが、

彼以外にも多くの反乱のヒーローはいた・・

反乱は多発していた・・

 

 

シリーズ46の部分:

 

 

― 奴隷制度が1591年に王室令で廃止されたとあるが、

 Polo強制労働の制度は1650年ごろに始まったとある・・

  この間はどういう状況だったのか・・・

 

この二つの制度の間には、カサンバハイというのがあった.

これは今で言うならば Domestic Helper 家政婦・夫とでも言うべき

もので、実態は奴隷と変わらない・・・

 

奴隷ではない農民の内、ある程度の蓄えがある農民は、

Faliaという免除してもらう為のお金を払って、poloからも

逃れていた・・・

 

 

― 州政府のところで alcalde mayorというのがあるが、

  これはどういう立場の地位か?

 

今の州知事の地位である.

 

 

― corregimientos特別区というのはどんな地区だったのか?

 

これは唯単に「治安の悪いところ」ぐらいの意味である・・

現在でもフィリピン政府のコントロールが効かないミンダナオ島

のある地域みたいなものである・・

 

― マニラ湾にあるコレヒドール島(観光で有名)

  このcorregidor(行政を行う軍人)という言葉と関係が

  あるのか?

 

コレヒドール島は この正にこの行政官の地位の名称を

そのまま使っている・・・

 

― alcaideメイヤーというのはどういう地位なのか?

 

州知事の地位であるが、その権限が司法と行政に分割され

前者がalcaideメイヤーで、行政はci vilガバナーに託された.

 

― civilガバナー、民政州知事というのは、民間から選ばれた

  者なのか?

 

民政を担当するという意味であって、軍人や聖職者という者

でもあった・・・

 

 

シリーズ47の部分:

 

 

― Province(州)の中は city(市)とmunicipal(町村)に区分

  されていると考えていいのか?

 

その通り・・・

Municipalは政治用語であり pueblos(町)は普通名詞である.

Municipalの長は通常はcapitanと呼ばれていた・・・

町長あるいは村長の意味である・・

 

 

― 町長の選挙において、当初はその町のすべての既婚男性

  よって選ばれていたものが、その後 退任する町長の

  グループである13人の選挙人による選挙になったという

  のは選挙という意味では後退ではないか?

 

すべての既婚男性というのはフィリピン人も含む全てであるが、

セドラ税(現在の市民税)登録証明書を持っている者に限られていた.

よって、実際には普通の農民や奴隷のような居住者には

関係ないことだった・・・

 

 

― 町の役所の役職が4つ書いてあるが、これはどんな仕事を

  していたのか?

 

Chief  lieutenant 軍のチーフ

Justice of the fields 各地を廻る巡回判事

Justice of cattle 家畜のトラブルに対応する判事

Municipal secretary 書記官

 

 

― 「市」の議会に alcalde(州知事)が含まれているが、

  いわゆる市長が書いてないのは何故か?

 

このalcaldeは 州知事のことではなく、

Alcalde mayor de ayuntamiento つまり市長のことである・・

名称は同じだが、州知事と市長は別人である.

 

 

― 「宣教師とスペインの植民地化」のところの書き方が

  かなりキリスト教を宣伝するような書き方になっている

  と感じるが どう思うか?

 

確かに、この部分はキリスト教寄り、スペイン寄りの表現に

なっている・・・

 

― 政教分離、三権分立は どうなっているのか?

 

最近のことで言えば、1935年に憲法が作られた時から、

三権分立であり、宗教と政府は干渉しないことになっている・・

聖職者が政界に出る場合には、聖職者の地位を捨てなければ

ならない・・・

 

― フィリピンに宣教団がやってきたのは1565年の

  レガスピの時にアウグスティノ会が最初と書いてあるが、

  日本にはその以前1549年にイエズス会のザビエルが

  インドから宣教に来ている・・

 

当時のキリスト教は、フリーメイスンがキリスト教から分離され

弱体化していた時期であり、多くの派が作られ、海外に宣教に

出た・・・フィリピンに最初に来た宣教師はマゼランの時であり

始めてのミサも行っている・・・1521年のことだった・・

=== フリーメイスンについてはこちら:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3

「両者の対立はカトリックによる一方的な圧力に留まらず、逆に政教分離を主張したフリーメイソンリーなどの影響で、公立学校から聖職者が追放される事態も起こった。1983年に破門は一応解除されたが、カトリックは公的にフリーメイソンを危険視する姿勢を崩していない。しかし、カトリック信徒でフリーメイソンリーに入会する者は少なくないという。」

シリーズ48の最初の部分のみ:

 

― 大司教(archibishop)と司教(bishop)がいるが、

  この地位はすべて教皇の指名によるものなのか?

 

この二つのポジションはローマ教皇によって指名されている・・

バギオ大聖堂の司教も同じである・・

ただし、フィリピンで生まれた独自の宗派はこの限りではない・・

 

 

 

=== 以上、今回の授業はここまで ===

 

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 51 ガレオン貿易はギャンブルだった 

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

8 OUR ECONOMY UNDER SPAIN  第八章 スペインの下のフィリピン経済

 

 

 

p114

 

「ガレオン貿易の終焉」

 

マニラ-アカプルコ間の貿易は「ガレオン貿易」とも呼ばれていた.

それは、太平洋を横断して貨物を運んだ船が、風体のかさばった速度の

遅いガレオン船だったからである.

多くのガレオン船が悲劇的な最後を迎え、フィリピンとメキシコの

双方にとって経済的な苦悩をもたらすこととなった.

 

当初は、ガレオン貿易は大きな利益をもたらし、スペイン人役人や

居住者はガレオン貿易に力を注ぎ、大きな富を蓄えた.

19世紀までに、それはその繁栄を失っており、1815年には

ついに廃止された・・・

 

=== マゼランやレガスピが太平洋を渡ってフィリピンを植民地に

    するまでにも、何回も航海に失敗しているわけですから

    相当なロスがあったのでしょうね・・・

 

 

p114

「ガレオン貿易の効果

 

スペイン人役人はガレオン貿易に気持ちを奪われ、その他の重要な

経済活動を完全に無視することとなった. それはごく一部の

スペイン人を富ませるだけで、「商いと言うよりもギャンブル」

であった.  ガレオン貿易はスペイン人をマニラに集中させ、

地方を離れ、地方での入植地での仕事の恩恵を得ることもなかった.

そしてそれは、フィリピンの経済発展を阻害した..

なぜなら、アカプルコとの海外取引に偏り、農業や他の産業が

無視されたからである.

 

 

=== 地方での恩恵をえなかった・・とあるんですが、

    これは誰にとっての恩恵のことを言っているのかが

    今一つはっきりしません・・・

 

    経済政策の失敗はおそらく、仕事の無い現在のフィリピンも

    同じようなものなんでしょうが、現在の根本的な

    問題は何なのでしょうか・・・教授に聞いてみます・・

 

 

p114

「バスコと経済発展」

 

フィリピンにおける経済的発展の実際的な始まりはJose Basco

(1778-87年)による統治の時にやってきた. 彼は

スペイン人総督の中で最も経済通の優れた総督であった.

バスコの政策は、フィリピンの天然資源を開発し、

メキシコからの財政的独立を作り上げることであった.

従って、彼は、フィリピンの農業、商業そして産業の

育成を目指して総合的経済計画を適用した・・

バスコは報償制度を作り、

綿花、桑の木、そして香辛料の栽培に優れた者;

絹、陶磁器、麻布、亜麻布、綿布を製造できる者;

金、鉄、銅および錫の鉱山開発ができる者;

有益な発明ができる者; そして技術や科学に於いて

秀でた才能を示す者; を全て表彰した.

 

総督Bascoは、綿布、絹布、砂糖及びその他の商品の

生産の改善策に関して回覧をまわした.

彼は、絹産業を育成するためにカマリネスに於いて4百万本の桑の木

を植林するよう命令した.

さらに、1784年3月20日に、総督は命令を発行し、

農民の土地、水牛及び農具一式を債権者は差し止めてはならず、

植え付けや収穫の時期には農民を捕えたり留置してはならないとした.

 

バスコ時代の3つの優れた政策はフィリピン経済を発展させた、

なかでも:

(1) 1781年、フィリピン経済同友会(?)の設立

(2) 1782年、たばこ専売の制定

(3) 1785年、フィリピン王立会社(?)の創設

 

=== ホセ・バスコ総督については こちらのwikiPilipinasで・・

    「http://en.wikipilipinas.org/index.php/Jose_Basco_Vargas

 

    上記と同じようなことが書かれているんですが、

    ひとつ気になったところは・・・・・

 

    「He also made the colony independent, by freeing it from

    「 the control of New Spain, which is today Mexico.

    彼は現在のメキシコ、当時のニュー・スペイン

    コントロールから自由にすることによって、

    植民地を独立させた・・・

 

    ・・とあるんですが、この教科書で上に翻訳した部分には、

    「… so as to make her financially independent of Mexico..

     と independent  of が使われていたんで、

    フィリピンはメキシコの監督下にあったから

    メキシコとフィリピンを一体としてスペインから独立

    させるのかと思ったら、

    「independent from X」と independent of  X」は同じ意味で

    「Xから独立する」ということだったんですね・・・

 

    翻訳って、ちょっとしたところで難しいなあ・・・

 

=== では、次回52は上記の3点の詳しい内容にはいります・・・

 

=== シリーズ52へ続く ====

 

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2014年11月14日 (金)

恐るべし 2 ・・・・ヒーロットが語る死者の今・・・「千の風になって・・墓参りに来い」と亡き母が

ヒーロットは3回しなくちゃいけないと言われ、その3回目をやってもらった・・
ヒーロットはフィリピンの伝統的マッサージであって、伝統的な助産婦のことも
ヒーロットと呼ぶとされているが、本来はヒーロットと助産婦は別ものだという・

前回書いたように、今回ヒーロットをやってもらった女性は霊媒師としての能力
を持っていて、いろいろな霊と話をしてくれた・・・

100年ほど前にマニラに渡った伊之助については、日本に戻ったことを教えて
もらったが、フィリピンのどこにいたのかは聞いていなかった・・

伊之助は ダバオとボホール島にいた・・・」

霊媒師はいとも簡単に答えた・・・

そして、妻が待つ佐賀県に帰ったと・・・

バギオ周辺には 日本兵の亡霊がうじゃうじゃいるという話は以前から聞いているが、
霊は世界中どこへでも行けるんだったら、なぜこの辺りでうろうろしているのか・・・
・・・と聞いてみた・・・

それは多分、遺骨がこの辺りに眠っているからでしょうね・・・

・・・遺骨の収集というのは今でも続いていることだが、
まだまだ太平洋のあちこちに 彷徨っている日本人の霊があるということである・・・

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています」
http://www.youtube.com/watch?v=yqzCwcL9xDc

「千の風にのって」の歌詞である・・・
確かに世界中どこにでも行けるのではあろうが、魂は遺骨の周りで生活していると
考えるのであれば、「お墓の前」は 重要だってことになりそうだ・・・

私にはもうひとつ気になっていたことがあった・・・亡き母のことである・・

母は私が24歳のころに死んだ・・・

「母は、最期は癌だったんで、相当痛かったようだし、抗がん剤の副作用も
 酷くて、かなり辛かったと思うんだけど、母自身は幸せだったんだろうか・・・」

「満足しているってよ・・・・肺がんだったんでしょ?」

・・・なんで「肺がん」だったって分かるんだ?

霊媒師は ヒーロット・マッサージをしながら、茶飲み話のように答えた・・・

「いつも拝んでもらっているから ありがたいって 伝えて欲しいってよ・・」

「多分姉だと思うけど、二人いる姉のどっちかな?」

一番上のお姉さんみたいよ・・・」

「あ~~あ、それは確かにありえる・・・ しかし、姉も年取っているからなあ・・
 私が日本の帰って姉に伝えるのが早いか、姉があの世に行くのが早いか・・」

「大丈夫、間に合うわよ・・・お姉さんは長生きするから・・・」

・・・およよよ・・・寿命まで分かるんかい・・・
・・・ ああ、失敗した、自分の寿命を聞くのを忘れた・・・笑

あなたは 時々しか お祈りをしていないみたいね・・・」

「はい、仰せのとおりです・・・数年に一回ぐらいしか墓参りに行っていないしなあ・・」

「来年、3月か4月にお墓参りするでしょ・・・・」

「・・・行かなくちゃいけないかなあ・・・」

・・・なんで、来年4月ごろに一時帰国するって分かるんだよ・・??

霊媒師などと言うと、なんだかおどろおどろしいもののようなイメージがあるんだけど、
マッサージを受けながら、雑談のように話すって・・・どうよ・・・

そして、その彼女が最後に言った・・・・

「あなたの下宿の家だけど、あのお婆ちゃんのマッサージも本当は3回やらないと
 いけないんだけど・・・・あの家・・・霊がいろいろいるのよねえ・・・・」

・・・どうも、うちの下宿は 亡霊のたまり場のようである・・・怖っ!

・・・そんな所に10年も住んでいるのに 何も感じない私は なんなんだ??

 

 

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2014年11月11日 (火)

恐るべし・・・我が部屋に美人の亡霊が住んでいる・・・ヒーロットが語る死者の今

ヒーロットってのは 3回やらないといけないというのは知っていたんです・・

それで、今日もやってもらうことに・・・

昨日 なんとなくほのめかされていたことを いろいろと根ほり葉ほり聞いて
みたんです・・・

昨日から もし聞けるものなら 聞きたいと思っていたこと:

1) 5年ほど前に死んだ高校時代の親友の墓がどこにあるのか

2) 100年ばかり前に佐賀県からマニラに渡った 我が親戚筋の
   伊之助は その後どうなったのか・

3) 今の我が下宿には どんな亡霊が住んでいるのか・

そんな質問を いろいろと詳しく説明して 尋ねようとしたところ、
ひとこと名前を出しただけで、即座に 返事が返ってきて 驚いたのなんのって・・

1) 「高校時代の親友の墓を故郷で探したんだけど 見つからなかったん
   だけど・・・・」

   「神奈川県の川崎に行けば分かるわよ・・・神社に行ってお願いすれば 分かる・・・」

   「神社って・・・日本の神社でもいいの?」
  
   「そう、日本の神社で拝めば分かる」

   私が 故郷で 親友の実家に行ってみたが、もうそのお店はなく、
   その近所のお店を何軒か廻って その家の人たちがどこに行ったか
   尋ねて廻ったのだが、結局家族がどこに行ったのか、
   その家の墓がどこにあるのかは 分からず仕舞いだったのだ・・・
   彼の子供が神奈川県の川崎あたりに居るのだと ヒーロットは言った.

 

2) 「100年ばかり前に 私の爺さんと一緒に住んでいた伊之助と
    いう男が マニラに渡ったことが分かっているんだけど、
    その後、彼が日本に戻ったのか、フィリピンのダバオ辺りで
    死んだのか、佐賀県の菩提寺で調べようとしたんだけど
    結局分からなかった・・・」

   「伊之助は日本に戻ったわよ・・ 奥さんがいるから・・・」

   「えっ? 佐賀県に戻ったの・・それは良かった・・・
    日本に戻っていなかったら、フィリピンで探そうかと思っていたんですよ」

   「伊之助には 息子が一人いるわね・・・」

   もう、びっくり・・・・質問をするかしないかの内に 即座にこんな答えが
   ヒーロットの口から飛び出してくるとは・・・・
   昨日から 答えを準備していたみたいに・・・

 

3) 昨日教えてもらった 下宿の周りの亡霊たち・・・
   私の部屋の窓の外、小高い丘にある松の木のところに
   4人家族の亡霊がいるという話は 昨日既に書いた・・・・

   ところが、今日は、あなたの居間、テレビのある部屋にも
   亡霊がいると言うじゃないか・・・・

   「どんな亡霊なの?  男? 女?」

   「女の亡霊・・・」

   「どんな姿かたちをしてるの?」

   「髪が長い・・・」

   「着ているものは、どんなもの? 古いフィリピンの衣装?」

   「スペイン風の着物・・・」

   「山岳民族なの? それとも ローランドの人?」

   「山岳民族の死者は、時間をかけてお弔いをしているから あちこちに
    出て来ることはないのよ」

   「じゃあ、どんな女なの?」

   「メスティーサ、 スペイン系の女・・・」

   「なぜ その亡霊が うちの部屋にいるの?」

   「それは 分からない・・・」

   
   「居間の どの辺りに出てるの?」

   「テレビの横に立っていたり、テレビの後ろのタペストリーの辺りとか、
    でも、居間の中を歩き回っているわよ・・・」

002

   「美人?」

   「いずれ あなたの前に 出てくると思う、多分ね・・・」

   「動物・・犬や猫は 分かっているのかな?」

   「犬や猫は 分かっているわよ・・・・」

   「ふ~~ん、それでか・・・時々 猫が何かをじっと見ているし・・・」

=== 私は、いままでの 60年以上の人生の中で 亡霊というものを
     見たことはないし、霊的能力もゼロなんで、信じたいけど
     信じられないんですがね・・・
     信じないわけではないんです・・・信じたいんです・・・
     私が信頼している人たちから そういう話を何回か聞いたことも   
     ありますしね・・・信じたいんだよなあ~~~

     いずれ、美人?のスペイン系の女が出てくるそうなので
     冥途の土産にしたいんですけど・・・
     土産にしなくったって、冥途に行きゃあ会えるんでしょうけどね・・・

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2014年11月10日 (月)

地球上には この世の人間とあの世の人間が一緒に住んでいる : ヒーロットの言葉

今日 フィリピンの伝統的マッサージであるヒーロットをやってもらったんです・・

「私のお母さんとお婆さんは ヒーロットができるんです・・・
 お母さんは霊とコミュニケーションができるんですよ・・」

私が教えている日本語の生徒がそう言うんです・・

「先生、腰が痛いんですよね・・・ヒーロットやってもらったらどうですか?」

「やってもらいたいけど・・・いいの?」

「うちのお母さんは、原因が分からない病気を治したりもできるんですよ・・」

「霊と話せるから?」

「はい、そうみたいです・・・」

「いくらくらい払えばいいの?」

「お金はいらないんです・・・お婆ちゃんもお母さんもボランティアでやって
いるんです・・・チャリティーです・・」

・・・何年も前のことだが、本物のヒーロットというか、霊能者である
ヒーロットの場合(この場合は、心霊治療師 フェイス・ヒーラーと呼ぶのかも
しれない)はその心霊治療でお金を取ると 神から与えられた能力がなくなって
しまうという話を聞いたことがある・・・

しかし、そのお母さんを知っている人によれば、
フェイス・ヒーラーではなくて ミディアム(霊媒師・巫女)だとも言う

結局、どの言葉が適切なのかは分からないのだが、
霊能力を持ったお母さんがヒーロットというフィリピン伝統のマッサージを
するということだ・・・

下宿に足を運んでもらって、ヒーロットをやってもらうことに・・・
どういう人でもいいから、腰の痛みがとれればめっけもん・・

ごくごく普通にヒーロットのマッサージをやってもらっていると、
一緒にやってきたおばさんと 窓の外をみながら、指差して
なんだかんだと話している・・・

「窓の外に なにかあるの?」

あそこの丘の上の木のところに 亡霊がいるのよ・・・

「えっ?  やっぱりいるの?  この二階に住んでいる人が この敷地には
亡霊がいるけど、悪さはしない、って聞いているんだけど・・・」

「あそこにいるわよ・・・ 家族だね・・・」

「家族?」

「お父さん、お母さん、子供が二人」

「ええ~~っ、4人もいるの?」

「夜は 窓を閉めて 寝た方がいいわよ・・・」

「どうして?」

亡霊は、ときどき 人間をさわりに来るんですよ・・・
触られると 身体のどこかが 調子が悪くなったりするわけ・・・」

「なんか、私の身体に 悪いところでもありますか?」

「特に ないみたいね・・・」

「今までに 幽霊なんて 見たくても、見たことないしなあ・・
全然 そんな能力ないし・・・
それにしても、何故 家族の亡霊がここにいるんだろう・・」

「私たちが地球に住んでいると同じように、
亡霊たちも この地球に普通に住んでいるのよ・・・
この世と あの世という違いはあるけど、同じ地球に住んでいるわけ・・
普通に暮らしているってこと・・・」

「へえ~~、そうなんだ・・・」

・・・と言う話をしている内に、ヒーロットは終わってしまいました・・

「今夜はお風呂に入っちゃ駄目ですよ・・・」

「はい、どうも ありがとうございました・・・」

・・・・この世の中・・・いろんな人がいるものです・・・・

 

 

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2014年11月 9日 (日)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 50 「東洋の真珠」だったマニラ

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

8 OUR ECONOMY UNDER SPAIN  第八章 スペインの下のフィリピン経済

 

 

p113

「植物や動物の導入」

 

 

メキシコから、初期のスペイン人植民者はフィリピンに新たな植物を

導入しました. その中には、achuete、カカオ、コーヒー、豆、maize

(トウモロコシ)、maguey(リュウゼツラン)、ピーナッツ、チコ、

そしてパパイヤなどがありました. これらの植物はフィリピンの土壌で

育ち、そして時が経ちフィリピン島の花の一部となったのです.

 

新しい動物も同じようにスペインからフィリピンへもたらされました.

メキシコから牛、ヤギ、馬、羊、そして闘鶏がやってきました.

水牛、鶏、がちょう、あひる、鳩、そして白鳥が中国から

スペイン当局者によって輸入されました.

 

=== 今フィリピンで普通にあるものが結構持ち込まれたんですね・・

    しかし、バナナやマンゴ、米なんかは元々あったんでしょうか.

    水牛(カラバオ)が中国からとは少しびっくり・・

    今よく食べられている豚は元々いたんですかねえ?

    田舎に行くと黒豚みたいなのが飼われているようですけど・・

 

 

「新しいい産業の導入」

 

初期のスペイン人宣教師はフィリピンに新たな産業を導入しました.

彼らは、フィリピン人に、農業の進んだ手法や、牛の牧畜、ロウソクや

石鹸の製造、石造家屋の建築、道路や橋、そして灌漑ダムの建設、

地元の植物から果実酒の蒸留、ライムやレンガの製造、建築用レンガ石の

採石、そしてburipandanの繊維から帽子やマットの織物などを

教えた.

 

ココナッツ、麻、砂糖そして煙草産業がフィリピンで主要産業と

なったのはスペイン当局の支援によるものだった.

 

=== 上の「持ち込まれた」ものの中には、このココナッツ、

    麻、砂糖(きび)、たばこの葉が書いてないんですが、

    主要産業の元になるこれらの植物は元々フィリピンに

    あったってことになるのかな?

    バナナはまだこの時期には主要産業にはなっていないんですね?

    要するに、私の疑問は、スペインはフィリピンから

    何を持ち出して儲けようとしていたのか・・なんですが・・

    スペインやポルトガルは、この地域では主に香辛料

    なんかを期待していたみたいですけど・・

    最近のフィリピンの輸出作物はなんでしょうね??

 

    「 http://www.jetro.go.jp/world/asia/ph/stat_03/

     上のJETROのリンクでみると、ほどんどが電気・機械関係

     ですねえ・・・農産物はどうなってんの??

 

     「 http://www.jetro.go.jp/world/asia/ph/stat_05/

     ちなみに、フィリピンの輸入のトップは石油になっています・・

     フィリピンで真面目に探せば 石油も出そうなもんだけどなあ・・

 

     こちらの外務省のサイトでみると:

     「 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/philippines/data.html

 1.主要産業(出典:フィリピン国家統計局)

     農林水産業(全就業人口の約31%が従事)(20144月)

     近年、コールセンター事業等のビジネス・プロセス・

     アウトソーシング(BPO)産業を含めたサービス業が大きく成長

    (全就業人口の約53%が従事)(20144月)

 

     ===第一次産業の就業人口31%に対して

        サービス業が53%ですか・・・認識を変えなくちゃ・・

 

 

 

 

「アジア交易の中心地としてのマニラ」

 

スペインが統治した初期に、フィリピンにはしばらくの間、自由な

交易を謳歌した時期がありました.  初代総督(レガスピ及びその

後継者)は近隣のアジア諸国とメキシコとの交易を推進したのです.

交易は自由で、輸出、輸入になんらの制限も加えられませんでした.

自由貿易のそのような健全な雰囲気の下で、マニラはとても素晴らしい

商業のブームを経験し、アジアの商業の中心地となったのです.

マニラが「東洋の真珠」と呼ばれたのはその時期でした.

その繁栄の多くは、マニラ-アカプルコ貿易によってもたらされました.

 

やがて、スペインの都市カディスとセビリアの商人たちが、

安くて良質の東洋の物品(特に中国の絹と陶磁器)がメキシコ市場に

流れ込んだため、メキシコとの貿易が減少していると抗議した.

彼らの利益を守る為、マニラ-アカプルコ貿易を規制するよう

スペイン国王に訴えたのである.

 

ヨーロッパの帝国主義勢力の植民地政策に影響を与えた重商主義が

勢いを増していた為、スペインはマニラ-アカプルコ貿易を

1593年に政府の独占に変えた.

 

 

=== さて、重商主義ってなんでしたっけね・・・

    「 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%95%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9

    「重商主義(じゅうしょうしゅぎ、マーカンティリズム

    (英: mercantilism))とは、貿易などを通じて貴金属や

     貨幣を蓄積することにより、国富を増大させることを

     目指す経済思想および経済政策の総称。」

 

 

 

=== 次回 シリーズ51へ続く ===

=== シリーズ50の 授業は こちらへ ===

 

 

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