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2014年2月15日 (土)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ - 付録  

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

ちょっと休憩して、どんなフィリピンの歴史教科書があるのかを 見てみましょう・・

003

これは - フィリピンの歴史教科書案内です・・・

 

 

 

 

 

ZAIDE BOOKS が出版している歴史教科書の案内が、

 

ここに書かれています:

 

 

 

大学向け:

 

 

 

― ホセ・リサール: 人生、作品、そして

 

  天才、著述家、科学者及び国民的英雄の著書

 

 

 

― フィリピン: ユニークな国

 

  フィリピン共和国の歴史 (今読んでいる本です)

 

 

 

 

 

ハイスクール向け:

 

 

 

― フィリピンの歴史と政府

 

 

 

― アジアの国々の歴史

 

 

 

― 生活経済

 

 

 

― 世界の歴史

 

 

 

 

 

参考書:

 

 

 

― 最後の伝道者としてのフィリピン人

 

 

 

 

 

004

・・・これは ハイスクール向けの本ですが、

007

 このような年表みたいなものとか・・・、挿絵とか・・・

012

 写真みたいなものも 一応入っています・・・

027

 しかし、この右側の大学生向けの教科書には、文章ばかりで、挿絵や年表すら 一切ありません・・・

 他の出版社は、いろいろと出しているんでしょうが、どんなものがあるのか 興味が湧いてきますね・・・・

 この延長で考えると、カラー写真の資料なんて 無理なんでしょうねえ・

・??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2014年2月13日 (木)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 06 間違いだらけのフィリピンの歴史

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

 2 ORIGIN OF THE FILIPINOS 第二章 フィリピン人の起源

 

p38

― マラグタス(Sumakwel)の法典(法律綱領)

  マラグタスは貴族(首長)Sumakwelによって書かれた法律綱領を

  含んでいたので、フィリピンを植民地としたボルネオ人貴族の

  「最古の博識な」ものであると言われ、マラグタスあるいは

 Sumakwel綱領は、西暦1250年の日付があったので、

  フィリピンで「最古の文書による法律」であるとされていた.

 

― その法典の内容

 

I. 畑で働くこと、あるいは日常の主食のために何かを植え付けること

  を意図的に拒否することは、厳罰に値する最も深刻な犯罪である.

 

 a)怠け者は金持ちのところに奴隷として売り飛ばされる.

 b)働き者になったら家族のところに戻される.

 c)どうやっても怠け者である場合は、森の中に追放される.

 

II. 強盗はどのようなものでも厳罰となる.

  泥棒の指が切り落とされる.

 

III. ひとつあるいはいくつかの家族を養える者たちだけが、

  一度以上結婚でき、何人でも子供を持てる.

 

 a)貧乏な家族は二人以上の子供を持つことはできない.

 b)両親が養うことができない子供たちは 殺されて

    川に捨てられる.

 

=== なんと、ものすごい法律ですね.

    怠け者については、自業自得だから、まあ納得できますが、

    現代の日本でこの掟を実行したら、どんなことになっちゃう

    でしょうねえ・・・基本は、自分の家族が食べるものは

    自分たちでしっかり育てろということでしょうが・・・

    親が真面目にやらなかったら、子供まで殺されちゃう.

    イスラム教のその当時の戒律がどのようなものか知りませんが、

    おそらくその系統にある掟なんでしょうね.

 

IV. もし男に子供ができて、その女と結婚したくないために、

  その産ませた女から逃げ出した場合、その生れた子供は殺される.

  なぜなら、父親が居なければ、母親が一人で子供を育てるのは

  困難であるからだ.

 

 a) その産んだ女の両親は、女から相続権を奪う.

 b) 村の役人が、その男を捜し出し、捕まったばあい、

    そして、それでも結婚を拒否した場合、その男は捨てた女の

    子供の前で処刑される. 父と子は同じ墓に埋葬される.

 

=== じぇじぇじぇじぇじぇ・・・

    シングル・マザーは一切まかりならぬということですね.

    男はしっかり責任を取れ. さもなくば死を!!

    ・・・これは、ある意味正しい裁きですね.

    軽い気持ちの恋愛は まさに命取り・・・・

 

 

― フィクションと歴史が混ざった Maragtas

 

― マラグタスの中にある多くの話がパナイ島の民話に出てくるのは

  本当であり、又、他の出所がその物語の中にいくつか確認されてもいる.

 

― 以前は上記のような内容が正真正銘の歴史であると受け止められて

  いたが、マラグタスの物語の全体に疑いの目が向けられている.

 

  1- 1907年に出版した人は、「著者によれば、古老に聞いた

     話と一致していない」と書いている・・・

 

  2- 歴史的な内容に関して、マラグタスは他の資料との検証が

     出来ないため、フィクションが混じっているとして却下され

     なければならない.

 

     もしその当時、フィリピン諸島にスペイン時代より以前の

     政治的憲章があったとしたならば、初期のスペイン人宣教師

     がそれに気づき、書き送っていたはずである.

 

     パナイ島には、スペイン人が来る前には、先住民に識字能力

     があったかどうかの記録もない、そして、歴史や法的な決定

     を記録するという伝統もなかった.

     したがって、ビサヤ諸島のスペイン時代より前のフィリピン人

     たちが、法律綱領や政治的連合を持っていたと想像するのは

     美しいことではあるが、それが本当であったとは実際には

     言い難い.

 

     一方では、マラグタスと パナイ島の慣習、伝承および

     伝統との間に、面白い偶然の一致も見られるのである.

 

     戦後、H. Otley Beyer教授や、Gregorio F. Zaide博士によって

 Maragtasが歴史として人気を博したが、

     アメリカ人宣教師 William H. Scott の歴史調査に基づく、

     1968年の博士論文によって、良くても伝説とフィクション

     が混ざったものだとされた.

 

 

===  なに? 最期は 伝説とフィクションですか?

     伝説と歴史的事実じゃなくて・・・???

     なんだか、これを読んでいると、フィリピン人としては

     寂しい気持ちになるんじゃないかと思えますね・・・

     フィリピン人の学者がいろいろな説を出しても、

     スペイン人が認めていなかったり、日本の大学が年代測定

     をやったり、アメリカ人が議論に終止符を打ったりと、

     フィリピン人の立つ瀬がないじゃないですか・・・・

 

     考えてみると、スペインも、アメリカも、日本も、

     フィリピンを植民地にした国でしたね・・・

 

 

p41

―  Kalantiawの法典: 偽物

   一方、Kalantiawの法典は明らかに偽物である.

   よって、この歴史を学んだ学生及び政府職員でさえも、

   深刻な結果を受けている. なぜなら、それはフィリピンの

   二番目に古い法典であるとされていたからである.

 

   この法典は、1433年に、アクランの貴族(首長)

 Kalantiawによって公布された、古代の法律の体系だと

   されていた.

 

   しかし、またまた、Scottによって、偽物だとされた.

 

   1- その法典を見つけたという男は、他にも偽物の歴史

      資料を売っていた男で、法典の出所も疑わしい.

 

   2- 内容も疑わしい.

      オリジナルの原稿の著者は、1838年にスペイン国王の

      保護を祈り、1839年に国王に捧げたとなっているが、

      1833年から1874年の間、スペイン国王は存在して

 

      いなかった.

      病原菌(microbe)という言葉が原稿の中に書いてあるが、

      この言葉は1850年代に初めて出てきた言葉であって、

      原稿が書かれた時代には言葉自体がなかった.

 

   3- フィリピンらしくない法典

      多くの法令が、フィリピン人の性格と相反するもので

      あったり、罪状と罰則のアンバランスなど不自然な

      ものがある.

 

 

― Odoric神父は、フィリピンに居たことはない.

  イタリア人のOdoricという聖職者が、“Thlamasin”という

  場所を訪れたとなっているが、これはパンガシナンのことである

  と考えたフィリピンの歴史家がいた.

  そして、フィリピンで最初のキリスト教のミサを行い、

  改宗させたとしていたが、Zaide博士や Scottもこれを否定した.

 

  こちらのサイトにも、その両方が書かれています.

 http://en.wikipedia.org/wiki/Odoric_of_Pordenone

 On one of his trips, his ship was nearly capsized by a typhoon but they

 landed safely in Bolinao, Pangasinan, Philippines. He is said to have held

 a mass there, in around 1324. That would have predated the mass held

 in 1521 by Ferdinand Magellan, which is generally regarded as the first

 mass in the Philippines, by some 197 years. However, historian William

 Henry Scott concluded after examining Oderic's writings about his travels

 that he likely never set foot on Philippine soil and, if he did, there is no

 reason to think that he celebrated mass.

 

 

― Urduja : ウルドゥハ姫は存在していなかった

  多くのフィリピン人は伝説のアマゾネスであるウルドゥハ姫の

  ことを聞いたことがあります. そして、その姫は、パンガシナン州

  の人々を元気づけるものとして役立ってきました.

  パンガシナン州の州都であるリンガエンでは、知事の公邸が

  ウルドゥハの家と呼ばれています.

 

  モロッコから来たというイスラムの族長 Ibn Batuta の旅行記

  に出てくる物語.

 Tawalisiという場所のウルドゥハ姫は、ミステリアスな男勝りの

  姫で、女たちの軍隊や法廷の顧問団を持っていた.

  トルコ語を話、コーランを引用し、アラビア文字を書いた.

  姫は、Ibn Batutaに褒美として、絹、香料、羊、バッファロー、

  そして、二頭の象に積んだ米を提供した.

 

  しかし、フィリピンの歴史家たちは、創作であり、Tawalisiという

   地名は、パンガシナンのことではないと結論づけている.

 

― フィリピンの歴史は歴史的間違いに溢れている.

  間違った日付、場所、そして 人物 - であるので、

  それらを訂正する努力が今も続けられている.

  時々、訂正をしようとして、歴史家は新たな間違いを起こす.

  よい例は、マゼランがフィリピンに上陸した日にちである.

 

 

=== このウルドゥハの物語については、フィリピンのアニメ映画

    をバギオで見る機会がありました.

    ディズニーの映画みたいな画像で、なかなか面白いものでした.

    その時の感想文は、こちらです:

 http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/04/daisuke-49b0.html

 

    この教科書で言っていることは、すでに誤った歴史の話を

    多くのフィリピン人が過去に学んで来ていて、それを基に

    様々なイベントが実際に行われているので、それを訂正

    していかなくてはならないということですね.

 

    フィリピンの歴史教科書がどのような手続きを踏んで

    制作され、どのような組織でチェックされ、どのように

    学校側が選択し、教えられているのか分かりませんが、

    そのようなことも含めて、Rolando教授に教えていただこうと

    思います.

 

さて、20ページを3日間掛かってここまで読んできました.

この教科書は、およそ400ページありますから、一週間に20ページ

読んでいくとすれば 20週間かかるってことですね.

5か月間ですか・・・・

まあ、焦らずに ぼちぼちやります.

 

次回は、第三章 The Asian Heritage of the Filipinos に入ります.

 

028

 

 

== その 7 に続く ==

 

 

 

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 05 ボルネオの王族がパナイ島の土地をアエタ族から買った??

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

 2 ORIGIN OF THE FILIPINOS 第二章 フィリピン人の起源

 

 

p37

― 初期のフィリピンの歴史における 伝説と作り話

 

― 初期のフィリピンの歴史については、考古学または歴史記録が

  不足していたため、多くの伝説や物語が歴史的事実として受け入れ

  られてきたが、後になって、歴史的な間違いであったことが

  判明した.

 

― 今日の新しい歴史は、「修正主義」歴史家や「愛国主義」の歴史家

  などの新進のグループから出てきている. 

  非常に過激であるが重要な変更をもたらしている.

 

p38

― Maragtasの伝説、又は 偉大な物語

 http://www.mts.net/~pmorrow/marag_e.htm

 

 Maragtasという言葉がどういう意味なのかについては、上記のリンク

  されたサイトに、このような解説があります:

 Even though these legends might have been known for generations,

 the word maragtas itself was unknown until it was used as the title of a

 book by Pedro Alcantara Monteclaro in 1907. He wrote Maragtas in

 the Hiligaynon and Kinaray-á languages of Panay and the word maragtas

 was merely intended to mean "history". To this day the word maragtas is

 known only in connection to his book.

  ・・つまりは、なんだか分からないんだけど、唯一ある本に関連

  して、「歴史」というような意味でつかわれているらしい.

 

― フィリピンの先史時代について、最も知られている伝説の

  ひとつが「マラグタス」、あるいは偉大な物語である.

  この話は、ボルネオからの10人のマライ人の貴族たちの

  話であり、フィリピン諸島において最初に政治的な連合及び

  憲法を作ったとされる.

 

― マラグタスによれば、西暦1250年ごろに、10人の貴族と

  その一族がボルネオの王国、スルタン(イスラムの君主)

 Makatunawの残忍な統治から逃れ、自由な新しい土地を求めて、

  海を渡ってきた. 

  貴族であるPutiに率いられ、王族のマライ人一族がパナイ島に

  上陸した. 彼らは、パナイ島の低地を、Atiの王である

 Marikudoから買った. マリクドは、先住民たちを山へ移すことを

  承諾した.

 

― 今日まで、ati-atihan と呼ばれる色彩豊かなマルディ・グラ、

  告解の火曜日のお祭りが、パナイ島のアクランで祝われており、

  この伝説の土地売買を記念するものとなっている.

  これは、毎年1月に、サント・ニーニョ(子供時代のイエスの像)

  の祝祭日に、アクラン州のカリボで開かれている.

 

― ati-atihan は ダンスとして今やフィリピン中に有名になり、

  宗教的な行進や町のお祭りと一体となっている.

 

ati-atihan」については、こちらに解説があります:

http://en.wikipedia.org/wiki/Ati-Atihan_Festival

The name "Ati-Atihan" means "to be like Aetas" or "make believe Ati's." Aetas

 were the primary settlers in the islands according to history books.

 They too are the earliest settlers of Panay Island where the province of Aklan

is situated.

・・・つまり、「アエタ族のように」「アエタ族を信じます」という

意味のようです.

 

― マラグタスは、さらに、貴族Sumakwelによって、

  バランガイ(という最少行政単位)の政治的連合を組織化した

  ことを描いている. 

  また、彼は、先史時代のマライ人コミュニティーの為の、

  法律綱領を伝えたと信じられている.

 

 

参考までに、こんなサイトがありました:

「古代のフィリピン人たちとバランガイ」

http://inukun.coco.ph/diary/161-barangay.html

 

 

=== この後に Sumakwelが伝えたという法律綱領が

    長々と書かれているので、それは次回・・・

 

    それにしても、このあたりを読んでいると、感覚的には、

    歴史の教科書を読んでいるのか、伝説の本を読んでいるのか、

    はたまた観光案内のパンフレットを読んでいるのか 

    分からなくなっちゃいそうですね.

 

    日本だったら、こういうのは歴史の教科書には載せない

    でしょうし、観光地の案内として、その土地に残っている

    伝説、昔話の解説をしているという雰囲気ですよね.

    土地土地の伝承などを大切なものとして残すという意味なら

    納得できるんですが、これがフィリピンの歴史なのか

    というと ??? です.

 

 

== 次回 06 へつづきます==  

027

 

 

 

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 04 「好まれる理論」って何??

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

 2 ORIGIN OF THE FILIPINOS 第二章 フィリピン人の起源

 

 

p32

 

「夜明けの人類(原始人)」と 民族移動理論 批判

 

― もっとも広く知られているフィリピンの先史時代に関する理論は、

  フィリピン大学の人類学科の創始者である H. Otley Beyer教授に

  よるものである.

  同教授は、第一世代のフィリピンの歴史家、人類学者、考古学者、

  古生物学者、地質学者、そして世界中の学生たちに影響を

  与えた.

 

― しかし、今や、新進の歴史家や人類学者の批判に耐えられなく

  なっている・・・

 

― Beyer博士の理論: 

 

  フィリピンの先祖はどうやって民族移動してきたか.

 

  1- 洞窟の「原始人」」タイプ

     25万年前のジャワ原人、北京原人、その他のアジアの

     ホモ・サピエンスに似たもの.

 

  2- アボリジナル ピグミーのグループ 又は ネグリート

     2万5千年~3万年前に、マレー半島、ボルネオ、

     オーストラリア繋がりの人類

     この子孫は、スペイン人によって「ネグリート」と

     呼ばれた. 今はアエタ族、アティ族、イタ族として

     知られている. 旧石器時代に属する.

     (フィリピンの民族)

 http://wee.kir.jp/philippines/phi_people.html

 

 

  3- 海洋道具使用のインドネシア人グループ

     5千年~6千年前に入ってきた.

     新石器時代に属する.

     ネグリートを山岳地帯へ追いやった.

     この子孫は、ルソン島北部の棚田を作った民族である.

 

  4- さらに文明化したマライの海洋民族 

     鉄器時代の文化、鉄器鍛冶、陶器製作、機織物および

     宝飾品製作などを持ち込んだ.

     マライ人の民族移動は、紀元前300年から

     紀元後14~15世紀まで続いた.

009

 (これは ハイスクール向けの教科書からの引用)

 (今読んでいる教科書は 大学生向けのものです)

 

 

p34

― しかし、残念ながら、これらの理論には、確たる証拠がなく、

  逆に 疑うに十分な理由が出てきた:

 

  1- これらの明確に異なるグループが「ハリウッド・スタイル」

     で異なる時代にやってきたとは単純に信じがたい.

 

  2― この理論の経験的考古学データは、表面的な発見と

     単なる推測、想像、実証されていないデータに基づいている.

     例えば、仮説を実証する人骨すらない.

 

  3- 新しい発見は、民族移動理論及びフィリピンの「原始人」

     と矛盾している. フィリピン原人の骨は見つかっていない.

     フィリピンで発見されている最古の化石は、

     石器時代の頭蓋骨であり、2万2千年ぐらい前のもので

     ある. 遺跡は、1962年5月28日に、ナショナル博物館

     のアメリカ人人類学者 Robert  B. Fox博士が、パラワン島の

 Tabon洞窟で発見されたものである.

 

  4- 元々東南アジアの民族はひとつである.

     英国がマライ半島にいた人々をマライ人と呼び、

     ポルトガル、ドイツ、オランダが、その植民地に

     インドネシア人という言葉を持ち込んだ、

     そして、スペインとアメリカが、フィリピン人という

     名前を使っただけのことである.

 

  5- 地理的に多くの島があるので多様性があるのだが、

     フィリピン諸島の古代の人々は多くの共通のものを

     持っており、ダイナミックに影響し合っていたのである.

  

 

p35

― 中核的人口(集団)理論

  民族移動理論に代わって、近年の学者は「中核的人口(集団)」

  又は「基盤文化」の仮説を提案している.

  フィリピンの初期の定住者はひとつの単位として扱われ、

  ひとつの中核的人口集団があり、それに対して、その地域から

  入ってくる増加分があって、それも続いてくる波のようではなく、

  不規則な動きである.

 

― この理論によれば、東南アジアの先史時代の人々は、ひとつの

  民族の単位に属していたとされる.

 

― 190万年ぐらい前の進化が、先住民族を産み、それが

  アジア大陸から他の人々の動きを引き起こした.

 

― この中核となる母集団が、基盤文化あるいは共通する文化の

  特徴を共有する.

 

― フィリピン人は単に外の文化の受身的な受け手というのではなく、

  適応するものであり、ある時は、創造的変化の創始者でもある

  また、さらに、伝達者でもあった

 

― フィリピン人は、太平洋世界の他の地域と、道具、言語および

  慣習などにおいて似たものが見られる、例えばミクロネシア

  諸島である

  グアムや他の太平洋の島々と近似性があるということは、

  スペイン時代よりも前に関連があったことを示している

 

 

― この中核集団理論は、初期のフィリピン人の文化的完全性や

  適応性を説明する際に、近年の学者によって好まれている.

  この理論によって、どこの民族が優勢であるかと考える

  ことなく、東南アジアの他の人々と共通する地域的な類似性

  を見ることができるのである.

 

― この理論の問題は、依然として「進化論者」であり、

  その理論の中に、まだ多くのギャップが 多くの事実の中に

  見られることである.

 

― 初期のフィリピン人に関する理論の為の進化論的基礎は、

  キリスト教徒の天地創造への信仰とは一致しない.

 

=== あらららら・・・ですね.

    はっきり言って、この中核的集団理論ってのが

    さっぱり理解できません・・

    それに、民族移動理論が考古学的証拠がないということで

    最近は「好まれていない」「批判されている」というのは

    いいのですが、それに代わるものが「好まれている」という

    確固とした理由がこの教科書には出ていないように

    思えるのです・・・・

 

    それに、とどめとなったのが、「キリスト教の信仰」に

    合わないというので、ほとんど「ちゃぶ台返し」みたいな

    締め方に思えるんですけど・・・こんなもんですかね??

 

 

  == シリーズ 5 に続く ==

 

 

 

 

 

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2014年2月11日 (火)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 03 竹から生まれた桃太郎??

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

 2 ORIGIN OF THE FILIPINOS 第二章 フィリピン人の起源

 

P31

 

― 神話と伝説

  フィリピンの起源についてはあ、二つの民話がある.

 

― 空と海の喧嘩の続き

  空と海の戦争が終わって、鳥は岸に飛んだ.

  鳥は羽を休めるために竹に降り立った.

  そして、竹をつついたところ、竹は縦に割れてしまった.

  最初の節から男が現れ、二つ目の節からは女が出てきた.

  男はララキと名付けられ、この世の最初の男となり、

  女はババエと呼ばれ、最初の女となった.

  二人は結婚し、多くの子供たちが生まれた.

  (ちなみに、タガログ語で、Lalakeは男、Babaeは女です)

 

 

上記の伝説がこのサイトにもありますが、教科書に書いてあるものとは少し違いがあります・・・・

http://www.read-legends-and-myths.com/philippines-creation.html

 

=== この民話は、竹取物語の原型でしょうかね?

    アダムとイヴも連想できるし、いつごろからの民話なん

    でしょうか..

 

 

 

― もうひとつの民話

  昔々、大昔、地上には人はいなかった.

  ある日、神々が地上を歩き回り、ちょっと寂しいなとお思いになった.

  神々は、人間を創って平原や丘陵に人々を住まわせようと決められた.

  神々は、粘土がたくさんある川岸に留まった.

  粘土で男と女の形を作り、慎重に焼きました.

  経験が足りなかったので、粘土を長く焼き過ぎて、黒くなって

  しまいました. 

 

  その作品の満足できず、もう一組を作り、火にかけました.

  一回目に失敗していたので、慎重になり過ぎて、うまく焼ける

  前に火から出してしまいました.

  今度は、焼きが足りずに白っぽくなってしまい、残念がりました.

 

  三回目、神々は、2回の失敗にもめげず、もう一組を作り、

  火に掛けました. 今度こそは、失敗せずに、完璧に焼けました.

  神々は、焼いた人形すべてに息を吹き込みました.

  焼き過ぎた人形は、黒色人種となりました. そして、焼きが足り

  なかった人形は白色人種に、完璧だったのは褐色人種になりました.

  こういうわけで、フィリピン人は神々の完璧な作品になったのです.

 

 

=== この著者、グレゴリオ・ザイデ氏は、この民話の方が

    もっと面白くて、フィリピン人の人種的優越性が

    出ていると言っているんですが、今の時代にはいささか

    問題発言でしょうかね?

    実際のところ、フィリピンの大学には、多くの留学生

    が来ていますからねえ、アフリカなどからも・・・

 

    しかし、日本人的には、どう考えても、これは歴史教科書の

    題材としてはねえ・・・

 

    アダムとイヴを無視できないキリスト教国としては、

    科学的進化論だけで書くわけにもいかないから、

    枠を広くして、民族の神話、民話も視野に入れないと

    バランスがとれないってことなんでしょうか?

 

 

こちらのサイトには、フィリピンの神話などがいくつか掲載されています.

http://www.pitt.edu/~dash/creation-phil.html

 

== シリーズ 04 に続く ==

 

 

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 02 アダムとイヴか、進化論か

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

 2 ORIGIN OF THE FILIPINOS 第二章 フィリピン人の起源

 

 

THE DAWN OF PHILIPPINE CIVILIZATION フィリピン文明化の夜明け

 

P28

 

― キリスト教の天地創造への信仰と、西欧の科学的進化論との

  間で、深刻な論争がある.

 

― 進化論は神を否定し、人類は人類の知恵と生存適応競争の中で

  偶然の条件によって地上の主となった. 

 

― ほとんどの社会科学の本は進化論を事実として受け入れている.

  しかし、類人猿からホモ・サピエンスへの進化のつながりには

  「ミッシング・リンク」がある.

 

== 日本人的には、びっくりなんですが、歴史の教科書に

   天地創造なんてのが出てくるんですね・・・

   まあ、しかし、日本だって戦前は神話を教えていたわけで・・・

   アメリカあたりでも、進化論を認めない人は多いらしいですね.

 

― フィリピンの起源の説明にはいくつかの論がある:

  1- スペイン植民地時代の神学者の説明 (ノアの末裔)

  2- 伝説及び神話(フィリピンの民話)

  3- 科学的理論

 

― フィリピンの民話のひとつ:

  昔むかし、大地はありませんでした. 空と海だけがあり、そこに

  一羽の鳥が飛んでいました.

  その頃は、空は随分低く垂れていて、海にキスをしそうな近さ

  でした.  長いこと鳥は飛びまわっていたのですが、ある日、

  とても疲れてしまって、休める場所を必死に探していました.

  でも、そんな場所はありません.

  頭の良い鳥は、一計を案じて、空と海に口論をさせます.

  怒った海は、空に向かって大波を投げかけます.

  空は、濡れちゃいけないと、上の方に登りました.

  どんどん高く上がっていって、登り詰めるのですが、泡立った波は

  追いかけてきます.

  空は、仕返しに、たくさんの岩を降らせます、そしてそれが

  荒れ狂う海を静めたのです.

  このたくさんの岩から最初の島々が出来て、フィリピンも

  創られたのです.

 

 

― 科学的な理論では、以下の3つがある:

  1- 失われた大陸の一部である

     失われた大陸は「Lemuria」とか「Mu」などと呼ばれていた.

     ボルネオ、セレベス、ジャワ、スマトラ、その他の太平洋

     の島々は、その名残だとされる.

  2- 火山に起源がある

     海底火山の爆発による

  3- 大陸間をつないでいた陸地の理論

     フィリピンはかつてアジア大陸の一部であった.

     ほとんどの科学者はこの説を支持している.

     かつてスンダ・シェルフと呼ばれていた陸地が、海面上昇に

     よって水没し、今のフィリピン列島が形成された.

 

=== Rolando教授がコメントしていた意味が分かってきました.

    皆さんも同意されると思うんですが、

    日本の歴史の教科書とは まったく違う書き方ですね.

    やっぱりこの著者は、少なくとも考古学者ではなく、

    著述家なんですね.

 

    歴史家と小説家の違いが奈辺にあるのかはっきりはしませんが、

    少なくとも科学的に検証された結果で、一般的に事実と

    認められたものを歴史として国民に教えるというのが

    日本でのガイドラインだとすれば、これはアウトですよね?

 

    民話などは、社会科または国語の時間に扱う内容だろうし、

    ムー大陸などは 私の時代は 漫画雑誌ぐらいにしか

    載っていませんでしたよ.

 

    しかし、見方を変えれば、権威にしばられて、あるひとつの

    学説しか教えないということよりも、もしかしたら

    視野を広くして、新しい発見を促すことに繋がるのかも

    しれません.

 

 

 

― フィリピン人の起源

  誰がフィリピンに最初に定住したのかは、誰にも明確には分から

  ないだろう・・・

 

― フィリピン人の起源についての4つの学説

  1- 宗教的起源

  2- 伝説

  3- 民族移動理論

  4- 中核的人口理論

― 「夜明けの人類」-ネグリト人-インドネシア人―マレー人

  まずパナイ島にボルネオのダトゥ 10名などが定住した・・・

 http://en.wikipedia.org/wiki/Datu

 Datuとは支配者、国王などの称号を指すようです

 

― 修道院歴史家の説

  スペイン植民地となって初めて、フィリピンの最初の歴史が書かれた.

  1- フィリピン人の祖先は、野生植物のように土から生まれた

  2- 太陽によって創造された

  3- 古代の錬金術師によって母材となる金属から創り出された

  4- アジアのアダムに繋がっている.

  5- ノアのひ孫 Tarshishの子孫である (聖書に基づく)

 

― 上記の5の説は、宗教的にも科学的にも共通した理論となりうる.

  しかし、クリスチャンは すべての人類は アダムとイヴに

  繋がっていると信じているし、科学者はホモ・サピエンスだと

  考えている.

 

 

=== しかし、この教科書には、歴史の本なのに、

    年表もなければ、写真なども一切ないんですねえ・・

    ただただ、ぎっしり文字だけで書かれた、まるで小説のような

    ものを読むだけです・・

    挿絵すらないってのが、ある意味凄い・・・

    日本のカラフルで、参考資料もしっかり充実し、手の込んだ

    教科書は、なんと豪勢なことでしょうか.

    どういう教え方を教室の中ではやるんでしょうか.

 

    それにしても、キリスト教の影響はすごいですね.

    聖書か進化論かの議論が教科書に載せてあるんですから・・・

    公立学校はともかく、キリスト教系の学校ではどうして

    いるんでしょうか・・・

 

== シリーズ 03 に続く ==

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 01 なぜ先史時代の研究が進まないのか

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

ここでは、まだ、私が読んだ範囲だけで書いていますが、

Rolando教授との歴史談義でどんな話が飛び出すのか、楽しみです.

028

 

 2 ORIGIN OF THE FILIPINOS 第二章 フィリピン人の起源

P25 

 

― 先史時代の歴史は、特に若い人たちには退屈なものだが、

  先住民族のダンスや骨とう品などを見る際には意識される.

 

― 最近は、新しい考古学者や民族学者が新しい発見をしている.

 

― フィリピンは古代の遺物の宝庫である.

  それは4つの文化遺産で、アジア、ヨーロッパ、ラテン、アメリカの

  ものがある・・・

 

― スペイン時代以前の古代の遺物は、

  古代人の定住や、良く出来た海外貿易のシステムがあったことを

  示している.

 

― 古代の遺物は、例えば、 Butuanや Agusan del Norteで発見

  されている.

  少なくとも9隻の Balanghai(バランガイ)ボートが1976年に

  発掘された.

 

― 上記のバランガイ舟は、東京の学習院大学によって、

  西暦320年であるとされた.

  これは、ヨーロッパのバイキングに先んじる遺物である.

 

― 中国の磁器の素晴らしさは、他の国には見られないものである.

  宋王朝(960-1278)時代の磁器が、1960年代に

  サンタ・アナ墓地で発見されたが、驚くべき審美眼と

  裕福さが先祖にあったことを示している.

 

p26

― 少数先住民族は、先祖からの慣習や口承の伝統を守り、

  独自のアイデンティティを保っている.

 

― 1970年代に、先史時代の遺物が カガヤン峡谷に発見された.

 

― フィリピンの沿岸には、沈没したガレオン船がある.

  今後の研究が待たれる.

 

―「なぜ過去の知識に乏しいのか」

 

  1) スペイン人は、キリスト教の布教に熱心で、因習打破の為に

     多くの古代からの遺物を破壊した.

  2) 文字で残っているものが少ない.

 Calatagan, Batangas, Butuanで発見された土器の碑文は

     まだ解読されていない.

  3) 財政援助がなく、研究が遅れている.

     フィリピンの歴史的遺物が海外に流出しており、

     研究するには海外の博物館などに出向かなくてはならない.

  4) 戦争、火災、その他の災害により、貴重な遺物の

     多くが失われた.

 

「過去のことを見ない者は、行く先を知ることはできない」

 

 

=== フィリピンの古代史研究は、なかなか前途多難と

    思えますね.  研究すべき対象も、財政的支援も、

    発掘したものを検証するための設備も不足している

    ようです.

    学術的な研究が人材の海外流出もあって、非常に困難

    であることは、産業界にも言えることなのでしょう.

    歴史教科書の最初の部分が かなり悲観的であることが

    いささか心配になってきました・・・

    若い人たちに その窮状を訴えているのでしょうか?

 

 

== シリーズ 02 へ続く ==

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 00  イントロです・・・

 

THE PHILIPPINES 

A UNIQUE NATION

SONIA M. ZAIDE

WITH GREGORIO F. ZAIDE’S

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

 

―  以前からフィリピンの歴史を勉強したいと思っていた.

   目標は、フィリピンのハイスクールや大学で一般的に教えられている

   教科書レベルの、一般常識的な歴史を知る事.

 

027

 

 

―  ハイスクールから大学まで、フィリピンで標準的に歴史の授業で使われ

 

   ている教科書が、この グレゴリオ F. ザイデ の本である.

 

 

 

―  バギオ市の某英語学校の校長が、大学で歴史を教えていたという

 

   元教授であると聞き、英語の勉強を兼ねて、会話の勉強をする

 

   つもりで、週1回の「雑談」」をしに行くことに決めた.

 

 

 

―  しかし、その雑談授業の準備は大変そうである.

 

   400ページほどの教科書を辞書を片手に、と言うか、パソコンの辞書

 

   ソフトを使って、ぽつりぽつりと読んでいくしかない・・・

 

   歴史の本に使われているような英単語は、さっぱり知らない.

 

   私が知っているのは、ビジネス英語である.

 

   アメリカの会計用語であり、半導体関連英語であり、品質管理関連単語

 

   である.

 

   畑違いの英単語とぼちぼち付き合っていくしかない・・・

 

 

 

―  今後、この「フィリピンの歴史教科書から学ぶ」シリーズを

 

   何か月かかるか見通しもないままに ブログに掲載していこうと思う.

 

   教科書に書かれていることを要約するというよりも、

 

   話が脱線することを 歴史の教授 Rolando G. Yambot氏と一緒に楽し

 

   んでいきます.

 

 

 

―  ちなみに、この教科書を選んだのは、私の意思であって、

 

   このロランド教授は、この教科書について、以下のようなコメントをし

 

   てくれました:

 

  • この教科書の著者ZAIDE氏は、考古学者でも歴史家でもなく、著

    述家である.

  • よって、本人がフィールド・ワークなどで歴史の発掘をした結果

    ではなく、読んだり聞いたりしたことを本にまとめているに過ぎない.

  • フィリピンの歴史に関しては、様々な見方があるが、私もこの教科書に

    いろいろと突っ込みたいところがある.

 

ちなみに、wikipediaでは、この著者のことを一応歴史家と書いてありますが、

それはおそらく スペイン語が専門であったことが いろいろと調べる

際の武器になったのでしょうね・・・

http://en.wikipedia.org/wiki/Gregorio_F._Zaide

 

と言いつつ、出来るだけ 「学校で教えられている、一般的、常識的なフィリピンの歴史」を学んでいく雑談講座にしていきたいと思っています.

 

 

 

御用とお急ぎでない方は、是非お付き合いください.

 

 

 

 

 

 

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2014年2月10日 (月)

バギオは燃えているか!?  コスプレ・コンペティション 2014

 

IPMS BA Baguio  10th Invitationals  Open Cosplay Competition という

コスプレ大会が 2014年2月9日に SMバギオで開催されました.

フィリピン・バギオは2月中は フラワー・フェスティバルの期間中でもあり、様々なイベントが目白押し・・・

バギオは燃えているぞ~~!!

Cosplay_004

 バギオは学園都市・・・コスプレは今や 大学生は言うに及ばず、ハイスクール生から社会人まで浸透中・・・・

Cosplay_006

 コンテストに登壇するには 恥ずかしい初心者も大勢集まっています・・・

Cosplay_012

 自分の演技の順番を待つコンテスト挑戦者たち・・・

 華やかな、楽しい雰囲気の中にも、緊張感が・・・・

Cosplay_023

 SMバギオのホールは ぎっしり・・・・

 ひいきのコスプレーヤーがステージに登ると、同じ学校、同じグループ、友人たちの 「きゃ~~~~!!」 という歓声が上がります ・・・・

Cosplay_030

 吹き抜けの会場は 上の方まで見物客がぎっしり・・・・

Cosplay_038

 会場では、「xx大学はいるか~~、oo大学はどうだ~~、△△ハイスクール~~」

 などと司会者が声をかけ、一層会場全体が盛り上がります・・・・

Cosplay_053

 「ラ・ウニオン州から来ているか~~、パンガシナン州はどうだ~~、

 ターラックからは来ているか~~、 メトロ・マニラはどこにいる~~、

 アメリカ合衆国から来ている者はどこだ~~・・・・・」

 などと、司会者の呼びかけに、会場は興奮と笑い声の渦 !!

 そう言えば、日本から来た者はいるか~~ ってのがなかったな・・・

Cosplay_086

 まあ、私なんぞは 写真は撮りにいっても、漫画やアニメ、ゲームは ほとんど知らないもんで、なんのキャラクターをやってんだか わかりゃしないんですが・・・・

Cosplay_093

 最近は、コスプレ・グループは、いろんなイベントに引っ張りだこ・・・・

 5月末に実施される コスプレ・イベントも 既に 参加者募集中と、フィリピンでは信じられない計画性、組織性、参加申し込み書などの形式性と、コスプレを日本から持ってきたら、アプローチまで日本的になるのか? と言うくらい凄い・・・・・

Cosplay_112

 この手の込んだ衣装・・・どうですか.

 このコスプレ・コンテストは、4つの部門・・・

 男、女、モンスター、そして「チビ」というカテゴリーでのコンテストでした・・・

 この「チビ」は 日本語でそのまんま「チビ・カテゴリー」・・

 司会者が 「チビ」の意味を解説していました・・・

Cosplay_118

 このコスプレーヤーは、コスプレと言うには 派手ではないんですが、

 アクションの身のこなしが、「これは中国剣法かなにか武道をやっているな」と誰もが思うほどの動きでした・・・ 審査員からもそんな質問が・・・・

Cosplay_126

 「こりゃ~~なんじゃ!!」

 「うぉ~~~~!!!」

 ・・という拍手喝采が起こったのは このコスプレ・・・

 なんだか分かりませんけど、へび女か、人魚なのか・・・・・

 もう一人、完璧にセクシーな衣装で、めっちゃセクシーなアクションの女性がいたんですが、 それはここでは お見せできません・・・

 会場にいた人だけの特典・・・笑

Cosplay_153

 ・・・と言いつつ、その地鳴りのような歓声が起こった セクシー・コスプレさんは、 なんと私が上階から写真を撮って、走り回っている時に出演したんで、撮りそこないましたとさ・・・・がっくり・・・

Photo_by_joni_catanglan_02

(photo by JoNi Catanglan )

Photo_by_joni_catanglan_03

(photo by JoNi Catanglan)

 

 さて、以上、フィリピン・バギオに吹きまくるコスプレの嵐をお伝えいたしました・・・

 ・・しかし、下のポスターを見てくださいよ・・・

 ただ単に 荒れ狂っているわけじゃあ~~~~ないんです・・・

Poster_by_kk_ub

 「コスプレ・エシックス あんど ポリティックス セミナー」 ですよ・・・

 「コスプレの倫理と政策」 のセミナーですよ・・・

 これは バギオ大学公認のコスプレ同好会「可愛い家族」が出しているポスターなんです・・・

 単なる遊びじゃあござんせんよ!!

 さすがに大学公認です・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Haruka Furusaka 木版画教室 Baguio City National High School

「あなたの趣味は何ですか?」

などと聞かれたら、敢えて言えば写真を撮ること・・・

と言いたいところですが、カメラに凝るわけでもなく、気の利いた芸術的写真を撮るわけでもなく・・・

早い話が、あちこちのイベントに顔をだしては、ちょこちょこ記録を録るためにやっているようなもんでして・・・

先日、日本の版画作家である HARUKA FURUSAKAさんがバギオに来られて、バギオ・シティー・ナショナル・ハイスクールで 版画を教えるという情報を得て、さっそくお邪魔しました・・・

Sendong_016  

Haruka Furusakaさんについては、こちらで どうぞ・・・

http://harukafurusaka.net/biography/

それで、今回の木版画教室の目的は何かと言いますと・・・

Sendong_012

 ここに書いてあるように、フィリピン・レイテ島の子供たち向けに 版画作品を届けようということだそうです.

はい、あの昨年のものすごい台風で、気象台のレーダーでさえ吹き飛ばされ、多くの被災者が今も将来への不安を抱き、学校も仮校舎でやっと授業が始まりつつあると言われている、あのレイテ島です・・・

Sendong_025

 アシスタントに フィリピン大学バギオ校のOG/OBの人たちも応援に・・・

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 学んでいるのは このハイスクールの中でも 芸術系の特別クラスを受講している生徒さんたちです・・・

Sendong_029

 FURUSAKAさんに 日本の子供たちと フィリピンの子供たちとの こういう授業での違いを尋ねてみたところ、 作品の出来・不出来は別として、フィリピンの子供たちの方が、柔軟性があって、手先が器用だとの話でした・・・

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 私も中学時代までは、図画工作が好きでしたが、 根がいい加減なせいか、写実はダメで、デザイン的なものが面白かった記憶があります・・・

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 その私が この教室の中で 好きだなと思ったのが この作品・・・ 

 デザインも色使いも いいな・・・と思ったんです.

Sendong_024

 そして、版画が出来上がると、レイテ島の子供たちへのメッセージを・・・・・

 皆の心が この版画を通して、きっとレイテ島の人たちに届くことでしょう.

Photo_by_cgn_haruka_furusaka

さて、バギオでの版画教室よりも前に、もっと山奥の子供たちが 版画で作った作品を見せていただきました・・・

Sendong_001

 ハパオという村での 稲作りに関する 年中行事の暦づくりです.

 つまり 歳時記とでも言えるでしょうか・・・・

Sendong_002

 ハパオは イフガオ州の村で、 世界遺産の棚田でも有名です・・・

Sendong_005

 ここに掲載しているのは 歳時記の一部です・・・

Sendong_007

 色が違いますが、これは異なる色の土を近くで集めてきて、それを絵具にしているそうです・・・ 買ってきた絵具ではありません・・・・

 何もかも学校でまとめて買った お揃いの道具ではなく、できるだけ自然のものを使ってのアート作品制作であるようです・・・・

 

 日本の場合は、「これがないと出来ない」と考えてしまいがちですね・・・

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 ところで、バギオ・シティー・ナショナル・ハイスクールの 版画教室を出てみると、校庭でなにやらダンスの練習をしていました・・・

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 傘を使って踊るダンスみたいですね・・・・・

Sendong_034

 その横では、男子生徒が、花かごを抱えてダンスの練習をしていました・・・

 どうも、これは、バギオ・フラワー・フェスティバルの ダンシング・パレードの

 準備みたいですね・・・・

 楽しみです・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2014年2月 9日 (日)

バギオの障害児と親を支援するセンターを 日本の大学生と一緒にStudy Tour

2014年2月7日・・・埼玉にある文京学園大学の社会学部の学生さんたちが、バギオを訪問し、障害児とその親を支援するセンターを見学するという話があったので、横からお邪魔して、スタディー・ツアーに便乗させていただきました.

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 訪問先はこちら・・・・

 JAPAN PHILIPPINE  COMMUNITY AND COMMUNICATION

  JPCom Cares と書いてあります

 日本の某団体からの支援を受けているそうです.

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 大学生たちは、福祉関係に詳しい某市の市議会議員の方が引率されての見学です.

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 スタティー・ツアーのバギオ側の実施団体は、日本人が代表を務めていらっしゃる環境NGO CORDILLERA GREEN NETWORK(CGN).

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 JPCom CARES の責任者の方が このセンターの組織や目的、実施内容を解説.

 大学生たちは熱心にメモを取っていました・・・

 ボランティアで通訳をしていたのは 北ルソン日本人会(JANL)の某氏でした.

 私めは、撮影係・・・です.

 

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 ここに この施設の目的などが掲示されています・・・・

 プログラムとしては、 身体的リハビリ、 社会的リハビリ、そして子供たちへの特別教育の3つが掲げてあります・・・・

017

 この部屋では、重症の身体障害児へのリハビリが行われていました・・・

・・・・ ところで、なぜ私みたいにいい加減な男が こういう施設を見学しにいったのか、なんですけど・・・・

はっきり言って、こういう障害児教育に興味があるわけじゃないんです・・・

私なんぞは、自分のことしか考えない 自己中な男ですからね・・・

自分が うまいことポックリ逝かなかったら どないしょう?

ということは考えるわけです・・・・

012

 EVERY CHILD  IS SPECIAL !!

 子供たちは みんな 特別だ !! かけがえのない存在だ・・・

 そこで、ボケかかっている脳みそを使って、どうすんべ~と考えるわけです・・

 日本の老人介護の制度は しっかりしていて素晴らしいんだけど、

 現実をみると 何か月も何年も待たないと施設に入れないとか、

 入れたとしても、職員不足で 働く人たちも 入所者も なかなか厳しいとか・・

 年金暮らしで余裕がなければ、希望するサービスを受けられないとか・・・

 まあ、いろいろと日本国内の厳しい状況を見聞きするわけですね.

011

 一方で、フィリピンはどうかと言えば・・・・ 

 元々 政府の支援、制度はあてにはならないし、大家族だから家族・親戚の誰かが面倒を看るから、施設らしい施設はないわけです・・・

 バギオにこういう障害児の為のセンターがあるというのも珍しいし、ましてや、高齢者の為の施設、日本でいう特養老人ホームみたいなのがあるという話は 聞いたことがないわけです・・・

しか~~し、制度的には ないないずくしだけど、労働力なら海外にわんさと輸出するほどあるわけです・・・

聞くところによれば、フィリピン人のおよそ1割は海外出稼ぎに行っているらしい・・・

014

 さあ、そこで お立合い・・・

 この掲示板にあるように、例えば このセンターには、

 ソーシャル・ワーカー、 看護師、介護士、リハビリの療法士などの専門知識を持った人たちがいるわけです・・・

 もちろんここに働いている人たちは忙しいでしょうが、こういう知識・資格を持っている若い人たちが 職に就けずに溢れているわけです・・・

 それに、このセンターは大学などとも連携しているそうですから、予備軍はたくさんいるわけです・・・

 私は自己中という話でした・・・

 自己中ですから、自分自身が ヨイヨイになったときに どうすんだ?

 ってことを考えると、こういう施設から 専門知識・技能を持っている人たちを自宅へ派遣してもらえばいいんじゃないかと 誰でも思いつきますよね・・・

 020

 つまり、年金命の貧乏な日本人でも、ヨイヨイであっても、少しはフィリピン人の職場を増やし、生活の糧を得てもらいながら、 看護や介護で面倒をみてもらえるような仕組みがあれば、お互いに 良い良い、WIN-WIN な関係がつくれて 継続できるんじゃね~~か、なんて甘いことを考えているわけですな・・・

・・・ってなことで、見学終了・・・

ところで、このセンターの責任者の女性ですが・・・

なんと、バギオの某所、飲み屋街の真っただ中で、

「トワイライト」っていう名前の カラオケ・カフェ・バーを経営しているんだと・・・

今度、日本の曲が入っているDVDかなんかを持って、

遊びに行くしかないっすね・・・

トワイライトってのがいいじゃないっすか・・・

「黄昏」 ですもん・・・笑

 

 

 

 

 

 

 

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