« 2014年2月9日 - 2014年2月15日 | トップページ | 2014年2月23日 - 2014年3月1日 »

2014年2月21日 (金)

この絵画は 右脳の世界なのか・・・バギオ博物館で見た絵が

今日、こんな絵画を見たんです・・・・

002

この絵を見て、どんな印象が浮かんできますか??

私は、この絵を見た瞬間に 右脳の世界というのを思い出したんです・・・

003

絵のタイトルは 「Eye Opener」って言うんですけど、それが何を意味するのかは分かりません・・・・

私が右脳の世界を思い浮かべたのは、過去に見た動画が一瞬思い浮かんできたからなんです・・・

こちらのサイトをご覧ください:

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/12/post-b6f6.html

「腕を見ると もはや自分の体の境界が分からなくなっていることに気付きました

腕の原子分子が
壁の原子分子と混じり合って 一緒になっているのです

唯一感じ取れるのは エネルギーだけでした

左脳のささやきが 完全に途絶えました

周囲の大きなエネルギーに魅了されました
自分が大きく広がるように感じました

全てのエネルギーと一体となり それは素晴らしいものでした」

脳卒中で言語脳である左脳が機能しなくなり、右脳だけが・・・

右脳にとっては「現在」がすべてです・
「この場所 この瞬間」が すべてです

右脳は映像で考え
自分の体の動きから 運動感覚で学びます」

・・という世界に入っているのです・・・

自分の身体と外界の区別がつかない、左脳が機能していない状態に見えてしょうがないんです・・・

そして、こちらのページ

「右脳・左脳と ブッダの仏教の「空」は なにか関係があるのか・・・」

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/12/post-29b6.html

「・・・「空」の真の特質は「何もないこと」であると同時に、
存在の充実である。 
それはあらゆる現象を成立せしめる
基底である。 ・・・空を体得する人は、生命と力にみたされ
一切の生きとし生けるものに対する慈悲をいだくことになる。

慈悲とは、<空>--あらゆるものを抱擁することーー
の、実践面における同義語である。」

・・・・そんな意味で、この絵画が、なんとなく 空の世界を表しているような気がしてならないんです・・・・

タイトルの 「Eye Opener」というのが 「目を開くもの」 だとするならば、作者が込めた意味がなんであろうとも、人の目を開き 悟りの境地を表していると言えなくもないな・・・なんてね・・・

 

 

 

 

| | コメント (0)

2014年2月20日 (木)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 04 までのレッスン 第一回目の授業

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

2014年2月18日、大学で歴史を教えていた元教授との

第一回目の会話の授業・・・やりました・・

 

2時間、休憩するのももったいなく、みっちり教えていただき、なかなか面白い.

 

今日は04までの内容について、私からの疑問に答えて、教えてもらう

スタイルでの授業でした.

 

その中から、面白い所だけをピックアップして皆さんにもおすそ分け:

 

― フィリピン諸島で一番古いとされた人類は TABON MAN と呼ばれ 

  パラワン島で発見されたが、これは 北京原人と近いのではないかと

  言われているが証拠はない.

 TABON原人についてはこちら:

 http://en.wikipedia.org/wiki/Tabon_Man

  北京原人はこちら:

 http://kotobank.jp/word/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E5%8E%9F%E4%BA%BA

 

 Rolando教授の説明では、北京原人30万年前~20万年前ぐらいの話

  になるだろうとのこと.

 

  その後見つかったのが 次の二つ:

 CALLAO MAN  カガヤンで見つかった

 http://en.wikipedia.org/wiki/Callao_Man

     カラオ洞窟の昔話

 http://www5.ocn.ne.jp/~f-frank/myth13.pdf

 

 ARGONO PETROGLYCIS  リサール州で見つかった

     (こちらのサイトは壁画のことみたいですが・・・)

 http://en.wikipedia.org/wiki/Angono_Petroglyphs

 http://www.nationalmuseum.gov.ph/nationalmuseumbeta/ASBMD/Angono.html

 

  このふたつは 紀元前67,000ごろと考えられている.

 

  こちらのサイトにまとめたものがありました:

  内容は若干異なりますが・・・・

 http://ph.access-a.net/access/history.html

 

  カラオ人、タボン人の順になっています:

http://en.wikipedia.org/wiki/Prehistory_of_the_Philippines

(このあたりの年代は 食い違いがありあすが、ご容赦を・・・)

 

 

― Wilhelm Solheim が3つの理論を説明している

 http://en.wikipedia.org/wiki/Wilhelm_Solheim

 Inland Origin 理論 (フィリピンの7,107島の内部での交流)

     オーストロネシア理論

     マライーポリネシアン言語

        言語的にフィリピンの4つの先住民の言葉は同じ.

 

― フィリピンで発見された高級な磁器類は、

  中国 - インド - フィリピンの経路で入ったと思われる.

   (シルクロードを通って・・・)

  フィリピンには今でも磁器をつくる技術はない・・・

  鉄をつくる会社もない・・・

 

― 一方で、中国大陸との直接の交流はほとんどなく、

  あったのは台湾との関係である. (タイパンと呼んでいた)

 

― フィリピンでの考古学が進まないのは多くは財政的な

  理由による・・・ 設備も研究費もない・・・

 

― 聖書と進化論の受け止め方はどうか・・・

  キリスト教は 300,000年前にアダムとイヴが生まれたとされ、

  科学では 450万年前地球が出来たことになっているので

  そこがそもそも一致しないのだが、

  神様が宇宙を作った 神の尺度の1日をどう考えるかの問題である.

  フィリピン人は、ノアの末裔だと考える.

  いろんな説があるが、フィリピン人は結局宗教的起源に戻る.

 

― フィリピン人は 殆どが、フィリピンの歴史はマゼランから

  始まったと思っている.

  先史時代のことを知っている者は ほどんどいない.

 

ー  進化論を取る場合の問題は、「ミッシング・リンク」があることだ

   とされている.  現在の人類へ至る繋がりが途中で欠けていること.

   関連サイトはこちら:

   http://matome.naver.jp/odai/2133795356252519301

 

― フィリピンの有名な国造り神話は、ほとんどがスペイン時代に 

  マニラで作られて フィリピン全土に広まっていった.

  もちろん、各地にそれぞれの民話はある.

 

― ムー大陸は、氷河に覆われた太平洋の大陸が沈んだとされている.

  ただし、有力な説は、スンダランドの説である.

 

― 教科書に、年表、写真、挿絵などがないのは

  はっきりした証拠がないことと同時に、財政的な要因がある.

 

― フィリピンの先住民のグループは 60~70ぐらいある.

 

― パッジャオ(パジャウ)と呼ばれるミンダナオの先住民は

  バギオでも街頭で物乞いをしているのが見られる・・・

  ミンダナオの土地を 政府からもらった人たちが、その土地を

  売り払い、バギオでDVDを売っているという話もある.

   そこには キリスト教徒とイスラム教徒の微妙な関係も影をおとして

   いる様子です.

    http://www.geocities.jp/like_acoconut/hyoukaiminnnew1.html

    http://www.malaysia-borneo.com/people/info/p3.html

 

― 東南アジアの民族は元々ひとつであるという考えは、

  マライヨ・ポリネシアンという民族というものに基づく.

 

― 中核的人口理論というのは、

  コアになる集団の人口が増えて、それが各地に分散したということ.

 

― フィリピンにも日本と同じような 教科書の検定制度はある.

  しかし、問題は 教科書を作る人と それをチェックする人が

  同じだということである・・・大御所の存在.

 

― ROLANDO教授は、この教科書の著者であるZAIDE氏とも

  フィリピン大学ディリマン校で話をしたことがあるとのこと.

  フィリピンの歴史教科書は 今後もどんどん証拠に基づいた

  訂正をしていかなくてはならない・・・

 

=== 私が今読んでいるのは 第二版なんですが、

    なんと、今一番新しいのは第六版だとの情報が・・・

    一週間前に買ったばかりなのに・・どういうこと!!  

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2014年2月17日 (月)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 08 「フィリピンはインドネシアの一部だった」とスカルノが言った

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

  The Asian Heritage of The Filipinos  第三章 フィリピン人のアジアの遺産

 

 

p47

― フィリピンは Sri Vijaya や Majapahit帝国の支配は受けなかった.

 

1921年に Beyer教授が、フィリピンはSri Vijayaシュリーヴィジャヤ

帝国(本にはEMPIREとあるので帝国としましたが、wikipediaでは王国と

しています) 及び Majapihitマジャパヒト帝国の政治的な活動の

範囲内にあったという理論を提唱した.

 

Sri Vijayaシュリーヴィジャヤ王国とは:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%A4%E7%8E%8B%E5%9B%BD

 

Majapahit マジャパヒト王国とは:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%92%E3%83%88%E7%8E%8B%E5%9B%BD

 

 

明らかに、この理論は数名の歴史著述家を魅了したので、フィリピン正史

において人気のある見方となった.

 

マレーシア考古学と歴史における最近の発見によって、BEYER理論の

正当性は吹き飛ばされ、それは歴史的なフィクションであることが

判明した.

現代の歴史家は、これによって、フィリピンの歴史を書き直すよう、

真実を求める義務があることとなった.

今は、ふたつの帝国は、歴史的にも碑文においても、フィリピンは

どちらの帝国にも征服されたり支配されたりしたことはないという

積極的に検証するものがある.

 

p48

中国王朝の歴史書の中には、フィリピンが Sri Vijaya帝国の属国で

あったという記録はない.

 

===ここで、上記帝国の属国であったかどうかといういくつかの

   議論が載せてあるんですが、その中の SOLOTSという地名が

   フィリピンなのかどうかについて、以下の結論になっています.

 

Prapancaの Nagarakertagamaにある二つの「Solots」はフィリピンの

スールー島のことを指しているのではない.

おそらく、それらはSOLOTという名前をもつLesser Sundas諸島

の中の小さい島、及び ボルネオの北東の地域で最近までSOLOT

呼ばれていたところであろう.

 

何人かの現代のインドネシアのリーダー達が、Majapahit帝国の大げさな

領地の広がりを認めていることは興味深いことである.

それは Prapancaの Nagarakertagamaによって描かれている

その帝国を使って、汎インドネシアの夢を抱いているということだ.

例えば、故スカルノ大統領は 偉大なMajapahit帝国を再構築しようと

言う壮大な野心を助長したのだった.

ジャカルタの大統領の部屋の壁には、インドネシア共和国、

西ニューギニア、マレー半島、そしてフィリピンを含む偉大な

インドネシアのどでかい地図を掲げていたのだ.

 

=== このPrapancaという人物がどんな人で Nagarakertagamaという

    書物がどのようなものかはっきりしないのですが、

    「次々に変化していく絵空事」「Prapancaのイマジネーション」

    という書き方になっているので、そのような詩を書いていた

    ようです.

    しかし、インドネシアの大統領がそういう人物であったという

    ことをフィリピンの歴史の教科書に書いてあるっていうのが

    日本じゃあ信じられないですね.

 

    歴史問題というのが日本の周辺でもいろいろと問題になって

    いますが、歴史を学ぶということがどういうことなのか

    という点で、非常に面白いと感心しています.

    つまり、日本の学校教育の中で、私自身 日本史や

    世界史ってものを教室に座って「聞いていた」わけなんですが、

    多くの生徒が退屈だなあ~~と思っていたんじゃないかと

    思うんです・・・

    しかし、「インドネシアの大統領はね、こんな地図を自分の

    部屋に貼っていたんだよ」とか、「その大統領はマニラの

    大学での講演で、フィリピンは昔はインドネシアの一部

    だったんだよと発言したんだよ」なんてことを教科書に

    書いてあるんですから・・・ もうびっくり!!!

 

 

==== もうひとつ驚いたのは、上のwikipedia

Majapahit マジャパヒト王国とは:」のリンクなんですが、

 

「シンガサリ王国のクルタナガラ(英語版)王のもとにモンゴル帝国のクビライの使者が来て朝貢を求めたが、その顔に刺青を入れて送り返したので、1293年にモンゴルのジャワ遠征(英語版)が行われたが、・・・」

と書かれているんですねえ・・・

なんと元寇はジャワまで行っているんですね・・

日本への元寇が台風で阻止されたのはまさに「神風」だったんですね.

 

 

=== その9 に続きます ===

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 07 インド文化と仏教、ヒンドゥー教

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

  The Asian Heritage of The Filipinos  第三章 フィリピン人のアジアの遺産

 

 

p46

西欧の植民化勢力が来る前にも、フィリピンにはアジアの大きな文明化

の波が押し寄せていた. - すなわち、インド、中国、日本 そして 

アラビアである.

西欧及び白人諸国が暗黒の時代(西暦476-1000年)を過ごして

いた頃、そしてヨーロッパが異邦人によって侵略されていた頃、

東方の褐色のアジア人は、燦然と輝く富、文化そして征服による恩恵に

浴していた.

貿易や合意によって、古代のインド、中国、日本そしてアラブは、

フィリピンの人々の文化遺産を豊かなものにした.

 

=== さすがに、フィリピンは東南アジアの国なんですねえ.

    日本史はもっぱら中国と朝鮮半島あたりの話しか出てきません

    けど、インドやアラブというのが実に新鮮な感じです.

    そして、ここには、影響を受けながらも、スペインが来るまでは

    全体として侵略をされることもなく平穏であったとあります.

 

    その当時のヨーロッパや、インド、中国、アラブって

    どんな時代でしたっけねえ・・・

    高校時代は、世界史も、日本史も好きじゃなかったからなあ・・

 

    中世ヨーロッパの暗黒時代については、こちらです:

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E9%BB%92%E6%99%82%E4%BB%A3

    「ヨーロッパにおいては、西ローマ帝国滅亡後、ルネサンスの前

     までの中世を指して暗黒時代とも言われる。」

    「 現在では、1000年頃までの中世初期を暗黒時代と呼ぶことが 

 多いが、それもまた一面的であるとの批判もある。」

    「一般には、西ローマ帝国は、47694日にオドアケルが

     ロムルス・アウグストゥルス帝を廃した時に滅んだとする。」

    要するに、5世紀から10世紀ころまでが暗黒時代ってこと

  かな?

 

 

― 東南アジアのインド化

西暦1世紀、インドの貿易商、植民地勢力、そして宣教師は、

東南アジア諸国への集団脱出を始めていた.

それは、黄金、栄光、そしてより良い生活を求め、インドシナ、

ビルマ、シャム(タイ)、マレー半島、ジャワ、スマトラ、そして

その他の東南アジアの土地へのインド船に乗って海を渡るものだった.

当時は、インド洋は、インドの湖のようなもので、海運や海上交通路は

まだ中国やアラブの支配を受けてはいなかった.

 

=== ここでは、インドによる海洋進出のことが書いてありまして、

    インド化した王国などがインドシナ半島の南海岸にあった

    そうです.  それは1世紀のころで、ヒンドゥーの王子様が

    地元のお姫様をもらったそうな・・・

    6世紀までつづいた王国だそうですよ、立派なもんです.

    その王国の廃墟に立ち上がったのが、カンボジアで、

    例のクメール人のアンコール・ワットで有名になったとあります.

 

 

p47

他にインド化した王国は、東南アジアにあって、

南ベトナムのチャンパ、 ビルマのPromePaganそしてThaton

マレー半島の・・・、ジャワの・・・、スマトラの・・・、

ボルネオの・・・.

 

 

インド文明の伝播は、インドの植民者だけによって影響されたもの

ではなく、東南アジアの人々自身がそれを行っていた.

 

東南アジアの支配者が、インドに学者を派遣し、文化を観察し、

サンスクリット語での著作を確保した.

例えば、・・・ジャワの学者が持ち帰った書物の中には、

Mahabharataも含まれ、古代マレー語に翻訳されている. 

そして、それが、ジャワ文学の始まりだとされた.

 

=== そして、ここには Sri Vijaja と Majapahit帝国のことが

    書いてあります・・・初めて聞きましたが・・・

    インド-マラヤンの海洋帝国とありまして、前者は 683-

    1377年、後者は 1293-1528年に栄えたようです.

    そして、これらの国は、国はマレー、文化はインド風、

    宗教はMahayana仏教だったり、ヒンドゥー教だったりした

    そうです.

 

    それで、5世紀から10世紀ごろのインドなんですけど、

 Wikipediaでみると:          

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

北インドは、「6世紀後半の北インドは政治的分裂の時代にあったが、7世紀初頭になってハルシャ・ヴァルダナ(戒日王)が現れ、カナウジを都としてヴァルダナ朝を創始した。ハルシャ王は、仏教とヒンドゥー教を保護し、地方有力者には領土を封ずるかたちでの統治を推進し、また、カナウジはその後北インドの政治の中心となって発展した。ハルシャ王の時代、唐僧の玄奘がインドに訪れ、ナーランダ僧院で教典研究にいそしみ、多数の仏典を持ち帰ってその後の漢訳仏教の基礎が固められた。」

 

南インドは、「6世紀から8世紀にかけての前期チャールキヤ朝には、7世紀のプラケーシン2世や8世紀のヴィクラマディーティヤ2世などの君主が現れ、とくにヒンドゥー教建築の隆盛は顕著で、チャールキヤ朝のさらに南にあってそれと対峙したタミル人王朝パッラヴァ朝の建築は高水準をほこった。パッラヴァ朝時代の建築としてはマハーバリプラムの建造物群が著名で、その技術はヴィクラマディーティヤ2世によってチャールキヤ朝に伝えられ、首都バーダーミ(英語版)や「戴冠の都」パッタダカルに数多くの寺院建築を生んだ。」

 

つまり、北インドでは、玄奘三蔵さんが西遊記をやっていたころなんですねえ~~

 

しかし、それにしても、日本からの影響ってなんなの??

 

日本史の1992年発行のふる~~い教科書から年表をみますと:

5世紀には、 倭国、宋に遣使を送っていた時代から、

10世紀は、菅原道真、唐が滅んだころまでなんですねえ・・

この間に日本はフィリピンになんか関係ありましたっけね???

 

 

== その8 に続きます ==

 

 

 

 

| | コメント (0)

« 2014年2月9日 - 2014年2月15日 | トップページ | 2014年2月23日 - 2014年3月1日 »