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2014年2月27日 (木)

山下財宝 狂想曲!? 博物館? バギオはやっぱり そのメッカ?

つい最近 気が付いたんです・・・・

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黄金の仏陀の発見者???

なんじゃ、これは・・・・

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最近 開店したみたいですね・・・・

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こんな宣伝カーまで・・・  怪しい・・・すごく怪しい・・笑

どこにあるんだって?

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このロータリーの近くです・・・

このロハス博物館のことを、フィリピンの歴史を教えてもらっている

教授に聞いてみたんですけどね・・・・

上の写真の陸橋にまつわる話があるんだそうです.

その昔、山下大将が、バギオにある今のMANSIONハウス(夏の大統領官邸)から逃げようとした折に、この近くで いわゆる「財宝」を慌てて埋めたのだと・・・・

その情報を得た その当時の市長は、その財宝を掘り出す計画を立て、その計画を悟られないために、この「陸橋」を造る工事を カモフラージュとして思いついたんだと・・・・

バギオ市民の多くは、そんなところに立体交差を作る必要はないだろうと思っていたそうな・・・

また、もうひとつの話として、さらに時代をさかのぼること マルコス時代.

バギオのシティー・マーケットの横にあるマハリカ・ビルの建設にまつわる話.

セッション通りを下ってどんずまりの辺りに、6フィートもの高さの黄金の仏像が眠っているとの情報をつかんだマルコス大統領・・・・

仏像の大きさから計算して、その埋められている地下の深さはかなりのものと判断し、掘り出す工事をカモフラージュするために このマハリカ・ビルの高さを27階建てとして大がかりな基礎工事を始めた・・・・

しかし、結局 黄金の仏像は見つからず、27階建としていたものを今の高さ(5~6階建かな?)にして お茶を濁したんだと・・・・

山下財宝伝説は、建物の建設工事がある度に 噂が走り回っているようです・・・

 

 

 

 

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ ― 2回目の授業 5,6,7について

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンで極一般的に使われている歴史教科書を 元大学教授で

歴史の教鞭をとっていたRolando氏に教えていただきながら、雑談をして

いきます・・

 

 

 

2014年2月26日、2回目の授業.

24日、25日に、バギオ・フラワー・フェスティバルの

Session Road in Bloom の歩行者天国のお祭りの中で、ステージ・ショーを

やり、打ち上げで夜中の12時まで飲み・・

今日は二日酔いの中を 苦行の授業になるか・・・・

・・・と思っていたものの、授業が面白いので、その2時間だけは

苦痛を感ぜず・・・

 

今回は、このシリーズの5、6と7の途中まで・・・

 

― 初期のフィリピンの歴史における伝説と作り話

 

一応、フィリピンにも日本と同じような検定制度はあるが、

作る側とチェックする側が同じだったという笑えない話があった.

 

そして、新しい歴史の担い手は、「修正主義」歴史家と「愛国主義」

歴史家がいると教科書に書いてあるが、この違いは何なのか?

 

教授曰く、

私は「愛国主義」歴史家である.

事実を確認するところから始めるのがこのグループである.

一方、教科書の著者であるZAIDE氏は「修正主義」歴史家である.

もともと、伝説や作り話をあたかも歴史的事実かのように扱ったのは

著述家であるZAIDE氏本人であり、事実とは合わないことが現われる

たびに、修正せざるを得ないのは当然である.

 

― フィリピンで一番古いといわれたMARAGTASの伝説

 

MARAGTASというのはボルネオの本の名称である.

基本的にはこれは伝説であり事実ではない.

 

ボルネオの北部は、1230~50年当時は今のフィリピンの一部であった.

 

トンドは 西暦900年ごろからスペイン時代の前までは、

一つの王国であって、当時は島ごとに多くの王国があった.

 

しかし、王国と言っても、一族郎党が営んでいるような小さな王国であった.

 

パナイ島が ボルネオから来た10人の貴族に売られたというような

話には、契約書などの証拠はない・・・

 

パナイ島の 伝説に基づく お祭り ATI-ATIHANは フィリピン最古

祭りではある.

 

バギオで行われている 現在のフラワー・フェスティバルPANAGBENGAは、

その次に古いお祭りであると言える.

元々、スペイン時代以前に 北部ルソン島の民族が集まって、

GRAND CANYAO(カンニャオ)という祭りが開かれていた.

それが、スペイン時代には無くなっていたが、アメリカ時代になって

復活し、バギオで実施されるようになった.

それが、バギオ大地震の後に、フラワー・フェスティバルとして

衣替えした.

 

― フィリピンの歴史の教科書の多くの間違いについて、

  学生を含めて一般の人はどう思っているのか?

 

一般的には、又 平均的な学生には、伝説や作り話が、今でも歴史的

事実と思われている.

 

 

 

シリーズ6の部分:

 

― マラグタス法典は どのようにみなされているのか?

 

当時のフィリピンはほぼイスラム世界であった.

マラグタス法典は基本的にイスラムの考え方に近いが、当時のイスラムで

あったとしても、まったく法の内容が過激すぎる. 嘘である.

 

現代でも、ミンダナオ島には、SHARIYA LAW(王国あるいは地域の法律)

と呼ばれる独自の法体系があって、裁判所などもそれに基づいて

運営されている.

フィリピンの中で、それは独立して機能している.

例えば、一人の男性が四人まで妻を持てる・・・など

 

 

元々、イスラムの厳しい法は、ギリシャ・スパルタなどの影響が大きい.

子供や妻にたいする厳しさはそこに源流がある.

 

 

― このイスラム法のような伝説の法典を、今の学校ではどのように

  教えているのか?

 

 

学校では、殆どがキリスト教徒であるため、聖書との比較で教えている.

もちろん、少数派のムスリムの学生もいる為、現在では自由な議論が

出来るが、多勢のキリスト教の学生の論に対して、ムスリムの学生が

異議を唱えるような形になることが多い.

もちろん、この教科書に書かれている伝説の MARAGTAS(マランタス)

法典と KALANTIAU(カランチャウ)法典は事実ではないのだが、

古いサウジアラビアなどのイスラム法にも無い内容が多くある.

 

 

― スペイン時代に フィリピンの多くの資料が燃やされたというのは

  本当なのか?

 

1521年にスペインがやってきて フィリップス王の国=フィリピンを

国として初めてまとめるのだが、その初期に、フィリピンをキリスト教化

するために、それまでの風習、慣行などをすべて消し去ることが

必要とされた.

 

 

― ここで、話が 脱線し、キリスト教(カトリック)の

  秘密組織の話が出た・・・・

 

カトリックの秘密組織として 次の二つがあった・・・

Opus Dei  - 地下組織で、非キリスト教徒を弾圧・抹殺した

       (現在はこの組織はない)

フリーメイスン - 英国のソロモン王のころからあるとされる.

          力を持ち過ぎたために 英国の王によって

          恐れられ、組織外のものとして破門された.

  フリーメイスンのメンバーは、世界中にいて、

  秘密のサインでメンバー同士が同志であることを確認できることに

  なっており、戦争中の敵であっても助け合うことになっている.

・・・・これら二つの組織は、「ダビンチ・コード」にも出てくる.

 

上のような話に脱線したので、インターネットでチェックしてみたところ、

こんなサイトがありました:

 

ダ・ヴィンチ・コードによる中傷

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A4

 

ー フリーメースンのメンバーは、基本的にカトリックの教会には入れてもらえない.

  しかし、中には「来てもいいよ」と言ってくれる神父もいる・・・

   (なんで、そんなこと、あなたは知っているの・・???)

 

― この教科書には、フィリピン人が書いた歴史に関して、

  スペイン人やアメリカ人などの歴史学者が異議を唱えて、

  ころりと「歴史的事実」が書き換えられているように見えるが、

  それは何故なのか?

 

フィリピンはスペインやアメリカの植民地であったため、

その圧力によって歴史の真実が歪められている・・・

・・たとえば、フィリピンの真の革命家はボニファシオであるが、

アメリカがホセ・リサールであるとした・・・

ただし、大学などでの議論は自由である.

 

 

― KALANTIAW(カランチャオ)法典は、学生は政府職員にも大きな影響を

  与えていると教科書にあるが、それは今でもそうなのか?

 

今でも、事実と思っている者が多いため、非常に問題である.

 

例えば、フィリピンに外国の首脳などが来た場合に、その来賓に対して

RAHA KALANTIAW (ラハ・カランチャオ)= カランチャオ王」と書かれた

布を肩から掛けることがある.

 

・・・これは何を言っているのかと言うと、日本だったら差し詰め、

来賓に対して 神話に出てくる「神武天皇」の名前を書いてある布、

ミス・ユニバースの肩に掛けるような布を、栄誉として掛けるようなこと

である・・・

 

 

― ODORIC神父がフィリピンに来たという話は嘘か?

 

フランシスカンの神父であるが、もしフィリピンの教会に実際来たので

あるならば、教会に記帳したものが残っている筈であるが、

そのようなものは無い.

 

その神父が、伝説のウルドゥハ姫にも会ったという話になっているが、

そのウルドゥハ姫などという姫は そもそも存在しない.

 

 

 

シリーズ7 について:

 

― 9世紀~12世紀の日本と貿易をしていた・・・??

 

そんな時代に、もし実際に日本とフィリピンのあったとするならば、

それは日本史で習ったこともないので、もしかしたら「倭寇」かも

しれませんねえ~~、と教授に話したんですが・・・・

 

ウルドゥハ姫のアニメ漫画にも日本の海賊が出てくるし・・・・

 

 

― 東南アジアのインド化のところに、インドから「集団脱出」とあるが、

  これの理由は何か ?

 

当時のインドは、インド北西部から異民族が侵入していたものと思われる.

 

確かに、WIKPEDIAなどを見ると、この時期にそういうことがあったようで、

こちらのサイトでは、

「こうしたなかで職能集団が形成され、それぞれ世襲化されるようになり、今日のカーストにつながる「ジャーティ」と呼ばれる集団単位が成立していったとみられる。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

 

・・・などと言うことも書いてあります.

 

優秀な異民族によって、元々の民族が脱出したということなのでしょうか?

 

 

・・・今回は、フリーメイスンなどの、日本では本当の秘密の組織の話が

こんなところで出てくるなんぞは、さすがにフィリピンだなあ~~

と言う感じでした.

 

日本だったら どこにそんな人がいるのって感じですが、

バギオ市には 「フリーメイスン事務所」なんて看板が掛かってますからねえ・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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