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2015年3月26日 (木)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 61  フィリピン人は言語能力が高かった? スペイン創氏改名?

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

9 OUR  SPANISH HERITAGE  第九章 スペインの遺産

 

p126

「グレゴリオ暦の導入」

1845年まで、フィリピンのカレンダーはヨーロッパのもの

より1日遅れていました. フィリピンのカレンダーを訂正した

のは Narciso Claveria 総督でした. 1844年8月16日に、

1844年12月31日火曜日を 1845年1月1日水曜日

と宣言する旨の命令を出した. 

(略)

 

=== 日本の場合はと言いますと:

12月3日が1月1日になったんですね・・・

大晦日がなかったわけか・・・・そりゃあ大騒動だったでしょうね・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E6%9A%A6

「日本では明治5年(1872年)に採用され、明治5122日の

翌日を明治611日(グレゴリオ暦の187311日)とした。」

「日本では、明治5年(1872年)に、従来の太陰太陽暦を廃して翌年

から太陽暦を採用することが布告された。この「太陰暦ヲ廃シ太陽暦

ヲ頒行ス」(明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告)では、

「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」として、

グレゴリオ暦187311日に当たる明治5123日を明治6

11日とすることなどを定めた。そのため明治5122日まで使用

されていた天保暦は旧暦となった(明治改暦、明治の改暦)。」

 

「フィリピン人の為のスペイン姓」

スペインによる植民地化の初期に、フィリピン人はその名の

変換に際して、聖人の名前を与えられた、例えば、

San JuanJuan、 San PedroPedroSanta MariaMaria

そして Santa CeciliaCeciliaであった.

フィリピンの姓は、フィリピンの地方語を知らなかったスペイン

当局にとっては複雑であるとみなされた.  結果的に

Claveria 総督は1849年11月21日に命令を出し、フィリピン人

家族にスペインの姓を与えた. 彼は、州や町の当局に対して

スペインの姓のリストを送った.  その命令は実施され、

今日のフィリピン人の家族はスペインの姓を得ることになった、

例えば ゴメス、レイエス、そしてサントスなどである.

先祖を大事にするフィリピン人家族の多くは、スペインの姓を

名乗ることを拒否した. 彼らの子孫は今でもマレー系の姓

使っている、例えば BatungbakalKalaw、 Makapagal

MagsaysayMagbanuaSumulong そして Tonogbanua等である.

 

=== マカパガルとかマグサイサイという姓は有名ですね・・

=== これは、いわゆる「創氏改名」ってやつですね・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E6%B0%8F%E6%94%B9%E5%90%8D

 

ここでは関係ないですけど、日本も昔は夫婦別姓だったんですねえ・・

今はなんでもめているのかなあ~~??

「創氏改名(そうしかいめい)は、大日本帝国朝鮮総督府が、

1939年(昭和14年)制令十九号(創氏)[1]および二十号(改名)[2]

で、本籍地を朝鮮に有する日本臣民(以下朝鮮人という)に対し、

新たに「氏」を創設させ、また「名」を改めることを許可するとした政策。」

「一方儒教では、先祖の祭祀を行う関係上、子孫は先祖の姓を引き継ぐ

ものであり、血統が個人の姓を決定した。先祖の異なる者が婚姻により

家族となっても、各個人の姓は同一にならない。朝鮮・中国・ベトナム

など儒教文化圏が基本的に夫婦別姓なのはこのためで、日本でもかつては

夫婦別姓が基本だった。創氏がおこなわれるまで、朝鮮には家族名という

観念は存在しなかった。」

「創氏とは、すべての朝鮮人に新たに氏(家の名)を創設させ、

血統を基礎とする朝鮮の儒教的家族制度のあり方を、家族を基礎と

する日本内地の家制度に近いものに変更しようとしたものである。」

・・・なるほどねえ、日本の家制度ってのは 形式的なもんなんですね.. 

・・・日本の場合はその強制性が論争になっているようですが、

フィリピンのこのスペイン姓の導入に当たっては そういう問題は

起きていないんですかねえ・・この教科書では特に言及してないんですが・・

 

p126 

「ラテンのアルファベットとスペイン語」 

現代のフィリピン人にも引き継がれたスペインの遺産は

ラテン文字とスペイン語である. 言語に対する天性の能力により、

人々はたやすくラテン文字とスペイン語を吸収した.

Pedro  Chirino神父、イエズス会宣教師であり歴史家、は1604年に

次のように書いている: 「彼らは我々の言語と発音、そして書く

ことを我々よりも上手くやってのける、それほど彼らは

頭が良く、簡単に何でも学ぶのである」 

ラテン・アメリカのメキシコやその他の国々のようには、スペイン語は

フィリピンの国語にはならなかったが、スペイン語はピリピノ語と

呼ばれる国語を豊かにした.

言語学の権威によれば、我々の国語の中には

スペインからの借用語が5,000ばかりあるという.

 === ちょっと誉めすぎみたいなきらいもありますが、

    昔から言語能力は高かったということのようですね・・

 

=== あるタガログ語の辞書にはこんな語彙数が出ていました:

「搭載タガログ語単語数は11,000単語以上、例文数600以上。

主な動詞は例文付きです。」

11,000語というのがどういう範囲の語彙数なのか不明ですが、

これが妥当な語彙数だとすれば、おおよそ半分がスペインからの

借用語、外来語ってことになりそうです・・・

=== フィリピン語というのが 又 難しい問題でして、

    こちらのサイトでも明確な定義がありません:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E8%AA%9E

フィリピン語(ピリピノ、フィリピノ、Filipino)は、フィリピン

の国語であり、1987年のフィリピン憲法で定められた公用語の

一つである(もう一つの公用語は英語)。オーストロネシア語族

に属し、マニラ首都圏を中心にブラカン州からバタンガス州など

のルソン島中南部一帯で話されていたタガログ語を標準化した言語である。」

=== フィリピノ語の元とされるタガログ語は:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AC%E3%83%AD%E3%82%B0%E8%AA%9E

「フィリピン語 (Filipino) は憲法に定められた国語としての名称であり、

実質的にタガログ語とほぼ同じと考えてよい。タガログ語がfp

区別を持たないため、この言語は「ピリピノ」語 (Pilipino) と名づけ

られたが、1972年憲法で「フィリピノ」語 (Filipino) に改称された。」

=== 翻って、日本語に占める外来語がどのくらいあるのか

    ちょっと気になったんですが・・日本語教師なんで・・笑

    こんな記事がありました:

http://near.nara-edu.ac.jp/bitstream/10105/1740/1/NUE42_1_225-239.pdf

「 外来語についてはいくつかの資料がある。その一つは、国立国語

研究所の『日本語教育のための基本語嚢調査』(1)である。この中には、

 「基本語二千」と「基本語六千」があって、外来語がその中に占める

割合は、 「基本語二千」では、 2.3% 「基本語六千」では4.5%であ

る。日本語全体に占める外来語のおおよその割合は、使用場面、

発話スタイルによって異なるので、一概にはいえないが、辞書から

推定すると、少し古い資料ではあるが、 1956年版『例解国語辞典』

の見出し語で、 3.5%である(21)

 

p127

フィリピンはアジアにおいて唯一のスペイン語を話す国である.

ラテン文字とスペイン語(それに英語)の知識を持ち、フィリピンの

人々は西欧諸国に身近にリンクされてきた.

これらの言語的メディアを通して、フィリピンの人々は西側の

知恵を吸収し、西欧の哲学者と教師の考えを学ぶことができた

のである.

=== この教科書は 1994年に書かれたようですが、

    家庭教師の元大学教授によれば、ご本人の親の時代は

    スペイン語を話す人が多かったとのことです・・

    しかし、最近はスペイン語の授業はあるものの、

    ほとんどの大学生はスペイン語を選択してはいない

    ようです・・・

 

=== その62 に続きます ===

 

 

 

 

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