« バギオ・フラワー・フェスティバル 2015  Session Road in Bloom | トップページ | ルソン島北部 Spanish Trail (白骨街道)を行く: 戦後70年スタディー・ツアー その2 »

2015年3月 8日 (日)

ルソン島北部 Spanish Trail (白骨街道)を行く: 戦後70年スタディー・ツアー その1

2015年3月4日から6日まで、日本から研究旅行に来られた 地理教育研究会の皆様のツアーに便乗させていただき、3日間の貴重な体験をしてきました.

主なルートは:

バギオ - アバタン(ブギヤス) - トッカン -スパニッシュ・トレイル 

- バナウエ ー ボントック - アバタン - バギオ

この「Spanish Trail」というのは、フィリピンがスペインの植民地であった時代に スペイン人がやってきた 「スペイン小道」というぐらいの意味で、戦中・戦後の日本軍関係者の間では 「白骨街道」 とも呼ばれていた 険しい山岳地帯の道路であり、現在は BANAUE - HUNGDUAN - TINOC - BENGUET BOUNDARY ROAD という開発中の国道になっています・・・

TRAIL を辞書で調べてみますと・・・

「(荒野などの)踏みならされてできた道,(山中などの)小道

とありますので、当初は文字通りの小道だったのでしょう・・・

しかし、戦時中にどの程度の道であったのかは分かりません・・

それでは、バギオを出発して、まず 21K に立ち寄りましょう・・・

C_99

21Kというのは バギオ市から21キロ・メートルの地点という意味で、バギオとボントックをつなぐ ハルセマ・ハイウエイ の途中にあります.

この看板で右に入ったすぐのところに・・・・

C_102

バギオ周辺の 戦跡慰霊のひとつとして定番ともなった 十字架が立っています・・

読みにくいのですが、 「比島戦没将兵慰霊碑」と読めそうです・・

(「島」は旧字体を使っているものと思います・・

http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2009/10/22/shima/ )

この21Kから この道を降りていくと 昔 「山下道」 と呼ばれた道を進み、穀倉地帯のバヨンボン方面につながります・・

しかし、今回の旅は、この道よりも さらに険しい スパニッシュ・トレイルを行くのです・・

スパニッシュ・トレイル については、こちらのサイトに歴史的概説が出ています:

http://www.dilgcar.com/index.php/lgu/car-profile/ifugao/176-municipality-of-hungduan

During the Spanish Regime, the Spaniards established a commandancia in Kiangan, including schools and churches. Except for a few exploratory campaigns to other areas of Ifugao, the Spaniards confined their activities in Kiangan. The presence of old Spanish trails connecting Kiangan and Hungduan and the Banaue-Hungduan-Tinoc-Buguias, Benguet Spanish Trail are the only proof of Spanish influence in Hungduan. The Banaue-Hungduan-Tinoc-Buguias, Benguet Spanish Trail is at present the Banaue-Hungduan National Road.

 

C_120

ベンゲット州 ブギアスのアバタンに到着・・・

この近くには ベンゲット州国立大学の ブギアス・キャンパスがあるようです・・

C_117

ボントックに向かって、左側には このカトリック教会が見えます・・

C_122

さすがに山岳民族ですねえ・・・

豚のこういう光景はバギオでも珍しくはありませんが、牛はなかなか見る機会がありません・・・

C_114

「モンマを吐くな」 という注意書き・・・500ペソの罰金だそうです・・

アバタンの女性の団体が掲示していますね・・・

MOMMA と言うのは、Betelナッツのことだそうで、こちらのサイトに詳しく書いてあります:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%82%A6

http://www.lasieexotique.com/mag_betel/mag_betel.html

「ビンロウ・・種子嗜好品として、噛みタバコに似た使われ方をされ、ビンロウジ(檳榔子、areca nut / betel nut)という場合は通常この種子を指す。」

・・・とあるように、この種子を噛んで嗜好品として使っているのですが、口の中が真っ赤になって、唾を吐くと 其処ら中が 真っ赤になってしまうので、禁止されているようです・・

これも山岳民族の年配の人たちに残る風習でしょうか・・・

C_140

・・・さて、アバタンで 車を乗り換え、 2台の 4WD車で 一路 TOKUCAN(トッカンあるいはトクカン) へ向かいます・・・

TOKUCAN は、イフガオ州のティノック町にある地区ですが、

第二次大戦末期のフィリピンで、山下奉文大将率いる日本軍が バギオ市陥落後逃げ込んだ山岳地帯の村のひとつです.

トッカンで何があったかの記事は、「イフガオの墓標」(宍倉公郎著 昭和55年 育英印刷興業 発行)に詳しく書いてあります:

http://janl.exblog.jp/10844543/

・・・私たちが このトッカンで目指したのは、この本にも出てくる アシン川沿いにあったという 野戦病院 だったのですが・・・・

C_152

車一台が やっと通れる まさに山道を進むと、アシン川の支流かと思えるところにぶつかり・・・・

ここから 歩いて さらに1時間掛かるとのこと・・・

(私は かなり急斜面があると聞き、ギブアップ)

C_161

待機組は、この支流で 元気組を待つことに・・・

C_155

そこにあったのが この 「温泉」・・・・

C_157

そして、こんな温泉の湯船もあり・・・・

戦時中には、ここで日本兵たちが 風呂に入っていたという地元の人たちの証言もあるとか・・・

C_191

おそらく、この水辺でも、飢餓地獄となって、多くの日本人の兵士、民間人が亡くなったことでしょう・・・・

C_184

戦後70年・・・・今でも ここに彷徨っている日本人たちが いるのかもしれません・・

C_195

この岩に 何が見えますか?

C_197

自然にできたものなのか・・・・彷徨う魂が 岩に刻んだのか・・・・

C_201

結局、野戦病院の跡を見に行った元気組も 時間がないため途中で引き返してきて、トッカンの本道へ戻りました・・・

C_205

さて、ここからが Spanish Trail (スペイン小道、白骨街道)です・・・

C_210

=== その2 に続きます ===

 

|

« バギオ・フラワー・フェスティバル 2015  Session Road in Bloom | トップページ | ルソン島北部 Spanish Trail (白骨街道)を行く: 戦後70年スタディー・ツアー その2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/134315/61250079

この記事へのトラックバック一覧です: ルソン島北部 Spanish Trail (白骨街道)を行く: 戦後70年スタディー・ツアー その1:

« バギオ・フラワー・フェスティバル 2015  Session Road in Bloom | トップページ | ルソン島北部 Spanish Trail (白骨街道)を行く: 戦後70年スタディー・ツアー その2 »