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2015年6月23日 (火)

戦後70年 バギオの絨毯爆撃 Cafe by the Ruins 廃墟のカフェ

I found this page when i was googling "Salidummay Baguio"...
interesting page....

たまたま 「サリドンマイ」という民謡みたいなものについて
検索していたら こんなサイトがひっかかりました。

Salidummay Tribe

The recent development in SM showed the true colors of this corporate giant. This greedy Corporation does not really care about Baguio sentiments. They came here to make money and that’s it.

http://www.baguiosmile.com/

...

Part of the creation of Baguio was to rise from the ashes, ashes from the devastation of World War II most particularly caused by the American’s carpet bombing to drive out the Japanese army. Baguio was one of the most devastated Cities during World War II likened to Manila and Warsaw in Poland. And part of that rising from the ashes is to plant trees in historic and open spaces so that once again, the City will live up to its name as the City of Pines.

044

 

(とりあえず訳してみました・・・)
バギオ市を創り上げるということは、廃墟の中から立ちあがるということでもありました。

廃墟というのは、第二次大戦中の破壊によるもので、その大部分は日本軍を追い出すためにアメリカ軍がおこなった絨毯爆撃によるものでした。

バギオは第二次大戦で最も壊滅した市のひとつで、マニラや ポーランドのワルシャワにも匹敵します。 

そして、その廃墟から立ち上がる為のひとつが、歴史的な空き地に木々を植えることだったのです。それが、ひいてはバギオ市が もう一度 松の都市という名前に寄って立つことだったのです。

029

・・・・まあ、このサイトの全体的な主旨としては、バギオ市に進出したSMバギオが、松林を破壊しているので、それに対する反対運動なんですが、ここでは第二次大戦の時に バギオが廃墟になったのは何故なのかというところを 参考にさせてもらったということです。

アメリカ軍は 昔から アメリカ兵の死者数を減らすために、絨毯爆撃をやっていたということです。

ところで、バギオの名所のひとつにもなっている Cafe by the Ruins (カフェ・バイ・ザ・ルインズ)というカフェがあるんですが、このカフェには 戦争中に破壊されて残った壁の一部が 今でもそのまま保存されています。

 

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